泥花
兵士長に伝令書を読み上げさせる。
端から心配等していなかったが、武神は東側を守り通す見込みとの事だ。
前線に身を置きながら物量でも奇襲でも殺されなかった男だ。傭兵の残党では相手にもなるまい。
北側は薬師ギルドが対応している。
この度の騒動では後手に回っているが、未熟とは言え神は神だ。
純粋な力ではやはり相手にもなるまい。
唯一誤算があったとすれば西側で発生したゴブリンのスタンピードと、それに応戦する冒険者共にヤグラが混ざっていなかったと言う事だ。
それもサイがヤムの後継者を引き連れて向かった様だから、まあ大きな心配はないだろう。
グレイブヤード家の護衛は戦場で暗殺する程度負担にもなるまい。
ゴブリン如きが相手であれば苦も無く熟す。
現状の不確定要素は街中で目撃されたと言うゴブリンシャーマンか。
群れから逸れて迷い込んだのだろうが……。
女傭兵を付けているとは言え、ヒューズに探索できる範囲には限界がある。
多少の被害は容認出来るが、中枢に入り込まれると不測の事態も有り得る、か。
ふむ、本来であれば下策の部類だが、この様な非常時では致し方あるまい。
ヤグラを使うか。
◇
風に乗って遠くの喧騒が聞こえて来る。
閑散とした通りを歩きながら、初めて手にする通行許可証に見惚れる。
掌に乗る大きさの金属板にグレイブヤード家の家紋が彫られている。
「掌に乗る大きさの金属板に、こんな緻密な彫刻……!」
そう、これは鋳物じゃない。
非市民がルファに入る為には通行許可証が必要なのは知っていたけど、実物を見た事もなければ、その造詣は話にすら聞いた事がなかった。
勝手に魔法具の類だと思っていたけれど、真逆の技術ゴリ押し。
よく見ると金属も単一の種類じゃない。
異なる金属を繋ぐのはそれ自体が鍛治師の秘術だ。
ああ、こっそり持ち帰りたい。これを自分の物にしたい。
実際にそんな事したら拷問された上で殺されるけど。
魔法使いギルドマスターにはまた会えなかったけど、流石はお貴族様だな。
こんな凄い物を人伝てにポンと銅等級に貸し出しちゃうんだから。
まあ、通行許可証単体でどこでも通れる訳ではないけど。
市民居住区に入るのにさえ通行許可証に併せて魔法使いギルドマスターから預かった黒紙とプレートを見せる必要があったし。
通れる場所も予め決められているらしく、通れない場所に入り込んだ場合は命の保障はないとも言われた。
うーん。冒険者にとっての市民居住区は外壁の外と同じ危険度?
害獣の類が出ないだけマシなのか?
とか考えながら歩いていたら、目的の建物の前に着いた。
中央塔。間近で見るのは初めてだ。
ルファ周辺の地形は起伏に乏しく、壁がある事もあって外から中を見下ろせる場所はない。
そんなルファの中枢だけど、唯一中央塔だけはその先端を見る事が出来る。
十数年前に建造されたと言われる中央塔だけれども、そこが何のために建造されたのかは知らない。
冒険者に市民居住区の事を知る権利はないからだ。
リリさんはただの保管庫だと言っていたけど。
間近で見上げると、中央塔は塔と言うよりは、なんと言うか、先細りした外観をしている。
山の様な裾野があって、中腹からは細い塔の様な見た目だ。
基礎部分が外からは見えないから塔に見えるだけで、塔かと言われれば違う気がする。
かと言って何かと言われれば何かも分からないけど。
強いて言うなら壁かな?
窓は見当たらないし、全てが石で覆われている様に見える。
一応入り口らしき扉はある。
門番みたいな人が一人立っていて、威圧感を振り撒いている。
門番が警戒の視線を僕に向けて来るので、通行許可証と黒紙を見える様に掲げてゆっくりと近づいて行く。
門番に爪先から頭髪まで睨み付けられながら、配達クエストに来た事を伝えつつ通行証と黒紙とプレートを渡す。
驚いたのは門番が当然の様に黒紙を開封した事だ。
この門番はお貴族様並みの権力を持っているらしい。
ひょっとしたらお貴族様なのかも知れない。
お貴族かも知れない門番は黒紙の中身を見て、何やら驚いた顔で僕を凝視した。
銅等級に黒紙の中身を見る資格はないので、何に驚いたのかは分からないけど。
無言で通行許可証とプレートを返された。
黒紙の配達先は中央塔だったからこれでクエスト完了かと思いきや、門番が扉を開けた。
そのまま視線で中に入る様に命令される。
物凄く入りたくなかったけど、僕の意思が尊重される空気ではない。
渋々、一応素知らぬ顔をして、僕は扉を潜った。
そこで僕の記憶は途切れた。
◆
足音も気配もなく、ヤグラが歩いて来る。
その口から泥が溢れ出して、顔面を這っている。
泥の隙間から覗く双眸に、いつものヤグラは見て取れない。
双魔報を通して通達されたライン卿の指示は、中枢でヤグラを受け入れる事。
リリと泥まで防衛に駆り出されている今、相対的にルファの中は戦力が手薄になっている。
そこにゴブリンが入り込んだと言う報告を受けて、念の為に中枢の警備を強化せよとの御指示だ。
「ヒューズさん、私アレには勝てませんよ? 逃げた方が良いのでは?」
スノウが不安そうな声で俺に囁いて来る。
気持ちは分かるが、これも仕事なんだ。
「御呼び立てして申し訳ありません。しばしこの地を御守り頂けますでしょうか?」
決められた言葉を投げ掛けると、ヤグラの顔を使って泥が頷く。
足音も気配もなく、止まる事もなく、ヤグラは中央塔の奥へ歩いて行った。
ヤグラが角を曲がってその姿が見えなくなってからも、俺は暫くは動けなかった。
終始気配も物音もしないから、ひょっこりと戻って来るんじゃないかと不安になる。
「……一体何ですか? この施設は」
スノウが困惑した声でそんな事を聞いて来たが、それを知る資格の有無が分からないので何も回答出来ない。
「仕事は済んだ。さっさと外に出よう」
この設備は元々ポーション残渣を廃棄処理する施設だったそうだ。
そして今は処理施設としては稼働していない。
ポーション残渣は携行食料として希釈されて国内に出荷され、人体で更に希釈されて無害になる。
カクラ様から強制的に開示されたポーションの製造方法には、根のペーストと花の粉末を混合する工程があった。
その混合比は、根が百とした場合に花は一にも満たない。
結果、ポーション製造の過程で大量の花が余るのだ。
ヤグラが消えた中央塔の奥には未だ大量の泥花が残されているらしい。
不適切に処理されたポーション残渣が、過去に何を引き起こしたのか。
それを知る資格を俺は持っていない。
まあ、何があったかなんて今の状況から簡単に予想出来る。
カクラ様もライン卿も、それを俺に対して隠す気もなさそうだ。
ポーション残渣から生まれた神。恐らくそれが泥の正体だ。




