十日分の日銭
リリさんの内緒の護衛クエストは儲かるが、残念ながら十日に一度程のペースでしか受注出来ないクエストだ。
リリさんは薬師ギルド所属の薬師で、ポーションの作成が一番大事な仕事だからだ。
薬草採集もそれはそれで重要な仕事らしいけど、リリさんは銀等級の薬師だ。
薬草採集だけなら銅や鉄の薬師だって出来る訳で、そう考えるとリリさん薬草採集やり過ぎじゃないか? 採集好きなのかな?
それはさて置き、僕の話だ。
僕は日銭を稼がなきゃならない。
ろくすっぽ蓄えも無いのだから、日銭を稼がないと飯も食えない。
リリさんと薬草採集クエストに行くと、正規の報酬と内緒の護衛クエストで五日分程度の日銭が稼げる。
ついでに食べられる雑草で一日分の食費が浮く。
今回はリリさんと泥がゴブリンを見つけたお陰で更に五日分の追加報酬が出た。
薬草採集一回で十日分のボロ儲けだ。
そう言った訳で、次にリリさんと薬草採集に行く予定の日まで仕事が無くなった。
昼過ぎになってようやく起きた僕は、ルファの街をあてもなく散策している。
今歩いているのは通称食い物通り。
ここでは調理前の食材だって買える。誰が買うのだろうか?
冒険者ギルドには行く気分じゃなかった。
今頃ゴブリン討伐のクエストが張り出されている頃合いだろうし。
街クエストは切羽詰まった時以外は怠いし。
常設討伐クエストは剣が痛むし。
冒険者って武具の保守を考えていない人が多い。
人間の骨ですら刃を欠けさせると言うのに、力任せに斬る奴が多い。
銅や鉄が使う剣がナマクラなのも原因の一つではあるが。
あー。今日は砥石を見に行こうかな。
刃を砥いでると何故か落ち着くんだよな。
食べ物通りを抜けると、そこは道具通りだ。
武器や防具やその手入れ道具は勿論、スコップや水筒や鍋やテントや寝袋や携帯食料が買える。
毎回思うのだが、携帯食料が食い物通りで買えないのは何でだろうか?
閑散とまでは言わないがそれ程賑わってもいない道具通りをふらふらと歩く。
目的の店は道具通りの中程にある小さな布張りの店舗だ。
ここの店主は三回に一回は留守にしているのだが、今日はルファにいた様だ。
営業中と書かれた垂れ幕を潜ると、隅に座っている留守番兼護衛の名前を知らない女と、木箱を整理している顔の左半分が潰れた店主がいた。
「よう、ヤグラ。まーた屑砥石か?」
店主であるヤムが意地悪そうな半分のニヤケ面で言葉を投げてきた。
「お客様がきてやったんだぞ? さっさと砥石出せ砥石」
「好きだねえ、ヤグラも」
急かす僕にのんびりとした言葉を返しながら、ヤムが机代わりの木箱の上に並べたのは幾つかの砥石の欠片だ。
やたら薄かったり割れていたり歪だったり。
鍛治師はこれらの欠片を砥石とは言わないが、材質は砥石だ。
そして僕の様なあぶれ者にも手が届くのは屑砥石が精々だ。
ナマクラの刃を軽く整えるだけなら濡らした路傍の石でも何とかなるのだから、屑砥石は調理前の食材みたいな物なのだろう。
実際、ルファでは根本的に需要が無いとヤムが言っていた。
僕以外に屑砥石を買うのは金等級辺りの冒険者、その中でも一握りなのだろう。
ヤムが並べた屑砥石の一つ、暗緑色の砥石が目に止まった。
大きさは掌に収まる程度で、屑砥石としては大きい部類だ。
見た目は砥石っぽく無いし、こんな色の砥石は初めて見る。
「これ、ひょっとして緑龍骨?」
「おお、良くわかったね。と言うか色で分かるか」
緑龍骨は龍の素材でもなければそもそも骨ですらない。
エータ地方で、老いた牛の胃から取れる素材だ。
エータ地方ではありふれた砥石だけど、脆くて割れ易いため長距離輸送に不向きで、ルファ近郊だと馬鹿みたいな高値で取引される。
砥石としては仕上げ用に分類されるのだが、やたら磨耗するしこれを使ったからと言って切れ味が良くなる事は無い。むしろ若干切れ味は落ちる。
ならなんで流通するのかと言うと、これで仕上げると刃に赤みを帯びた模様が浮き上がるのだ。
鋼材の鍛え方によってパターンが変化すると言うその模様は赤龍紋と呼ばれる。
エータ地方では赤龍紋を美しく仕上げる事に特化した鍛治師が沢山いるとか。
刃物を実用品としてだけ見るなら無駄なのだが、観賞用や美術品としては高い評価を受けているのと、錆や傷には強くなる。
緑龍骨を手に取ってみる。
石と言うよりは、なんだろう、干し芋とかに近い肌触りだ。
硬さは子供が握り潰せる程度だと言う。
直感的にだが、僕の編み出した屑砥石を砥石に作り替える方法は緑龍骨には使えない気がする。
でも欲しい。何でも良いから刃をこれで砥ぎたい。
「幾ら?」
「九ギル」
「平面が片側にしか無い。固定時に割れるリスクか平面を追加して目減りする分加味して七ギル」
「この倍の重量の原石の場合で二十ギルは下らんぞ? 片面の加工賃も加味して八ギルと五バル」
「面積が物を言う砥石で半分なら価値はそれ以下だ。加工賃を込みでも七ギルと五バル」
「ルファ近郊じゃ見掛けることも稀な砥石だぞ? 希少価値込み八ギルと三バル」
「ルファ近郊で俺以外の誰が買うんだよこんなキワモノ。七ギルと六バル」
「今ならこの刃先が折れて傷だらけの赤龍紋のスコップ付けて八ギルと四バル」
ヤムが足元の木箱から赤味を帯びた刃のスコップを取り出して、屑砥石の横に置いた。
「ぐぬう……!」
八ギル辺りに落ち着くと踏んでいた値切り交渉だったが、ヤムがとんでもない飛び道具をぶち込んできた。
手首から指先程までの長さの刃部は先端が欠けていて、全体的に傷と錆だらけだ。
切れ味が落ちる反面錆や傷には強い赤龍紋の刃を、一体何を掘ったらここまでボロボロに出来るのだろうか?
そしてこのスコップの奇妙な点はもう一つある。
刃先から柄まで一体型なのだ。手に取ってみると予想通り重い。
そして何故か柄は素材のままで、若干錆が浮いているが傷一つ無い。
「突っ込み所が多過ぎる!」
「あー、そうな」
「くそっ! 八ギルと四バル、買った!」
「お、おう、即決で買うのか。毎度あり」
良い様に買わされた悔しさを噛み締めつつも、砥ぎ甲斐のあるスコップを手にして検分する。
「ヤグラお前、それどんな感情の表情だ?」
鋼材の出来は良いし、形成も素晴らしい。
密度のむらも少なく、芯が真っ直ぐ中央を通っている。
刃は丸みが少なくて根が必要な薬草は採集し辛そうだ。
刃全体がやや厚くその分重いが、砥ぐ事を考えれば良い特徴だ。
これは久々に良い刃物を手に入れた。
「これでスコップじゃなければ尚良い刃なのに。と言うか赤龍紋のスコップなんてどこの鍛治師が作ったのさ?」
「銘も入ってないからな。出自は不明だ」
ヤムは作った鍛治師の正気を疑うねと言って肩を竦めた。
その鍛治師は頼まれた物を作っただけじゃないかと思ったが、正気を疑う相手が代わるだけだな。
こんな誰も買う人がいなさそうなスコップなんて……?
「このスコップの値段考えると八ギルと四バルって割高じゃない? 具体的には五バルくら……いえ、何でもないです」
値切り交渉をし直そうと試みて、背中に寒気を感じて止めた。
ちらりと後ろを見ると、名前を知らない女が浮かした腰を下ろす所だった。
明日は仕事を探さないといけない。
そんな事を考えながら、僕は昨日貰った報酬のほぼ全てををヤムに引き渡した。
このスコップを砥ぐのはしばらくお預けとなりそうだ。