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銅等級の冒険者

 リリさんと彼女の泥に出会った場所は、ルファの少し手前。

 遠目に見える外壁と開けた丘、丘の右手に浅い川、川の奥に森の始まりが見える。そんな場所だった。


 唐突な悪寒と恐怖。それが最初に認識した全てだった。


 リリさんは唐突に現れた、様に見えた。

 その肩には蠢く泥が乗っていた。

 僕の服とは違い使い込まれていて、それでいて頑丈そうな、随所に革が仕込まれた服。

 背負籠と腰に差し込まれた乳白色の柄。

 肩程までの亜麻色の髪と、底知れない茶色い瞳。


 どこにも人間味を感じさせない佇まい。直視したくないのに、視線を外せない。


 息が止まり、瞬きを忘れる。

 幸いな事にそれは一瞬だった。


 どろりとした何かがざあざあと晴れ、僕は呼吸と瞬きを思い出す。

 直視していた筈なのに、姿形は変わらないのに、リリさんは可憐な女性で柔らかな空気を纏っていた。


 リリさんがふわりとした視線を僕に向けて、片手で髪をかき上げながら僕に微笑んだ。


 色んな感情がぐちゃぐちゃになっていた僕がおどおどと会釈を返すと、リリさんは軽い足取りでルファの方へと歩いて行った。

 その肩の上で泥が蠢いていた。


 あれは何だろうか?

 そんな疑問を抱きつつ、いつの間にか止まっていた足を動かす。

 日が暮れる前にルファに入らなければならない。

 それだけを考えて、それだけを考える様にして、ひたすらに足を動かした。


 いつの間にか、リリさんの背中は遥か先にあって、その肩で泥が蠢いていた。

 それがリリさんとの出会いだった。








 僕の生まれた開拓村から三日程の距離にあるルファの街は、周辺の村々から僕の様なあぶれ者が流れ着く街だ。

 ルファには冒険者ギルドの支部があって、あぶれ者は半年程様々な訓練を受ける事が出来る。

 その半年で手に職を付けられなければ、ルファにすら居場所は無い。


 開拓村から頑丈な衣服と、良く乾かして燻した木剣と、最低限の旅の道具と、五食分の保存食を与えられて、僕は一人ルファの街へと送り出された。

 もう一年と半年も前の事だ。


 訓練過程を経て結局冒険者にしか成れなかった僕は、銅等級の冒険者として日銭を稼いでなんとか生きて行く――筈だった。


「薬草採集クエストは退屈じゃない?」


 剣の柄に手を添える僕に振り向いて、リリさんは微笑みながらそう聞いて来た。


 リリさんの瞳に視線を向ける。

 それは人間味のある瞳で少しほっとして、でも、肩には泥の塊が蠢いている。


 ぶるぶると、風に吹かれた血溜まりの様に細かく震える泥の塊。僕に何か言いたいのか何も考えていないのか。

 陽気な風がリリさんの方から吹いて来る。

 青臭い薬草の香りと、湿った泥の匂い。


「薬草採集も報酬は出るし」


 リリさんの手伝いは、報酬と言う点ではとても良い。ギルドから別途護衛クエストを受注出来るからだ。

 リリさんは銀等級薬師だ。

 薬師としての腕前は良くわからないけど、銀等級薬師の護衛クエストなんて毎日受注出来てもそれだけで食べていける報酬は望めない。


 それが真っ当なクエストならば。


「討伐の常駐クエストって、あれはあれで大変だし」

「獣って地面に根張ってないもんね」

「街中のクエストって、報酬微妙だし」

「移動距離が短いのは魅力だよ?」

「それは確かに」


 雑談を交わしながら、僕等二人は森の浅い場所を練り歩く。

 表向き僕とリリさんは、冒険者ギルドの斡旋でパーティーを組んでいる。

 訓練所上がりの銅等級冒険者と、ルファ生まれの銀等級薬師。

 ルファの街じゃそう珍しくもない組み合わせだ。


 ルファの周囲は何種類かの薬草が自生していて、それを原料としたポーションの生産が盛んだ。

 ガワは王都向けの瓶詰から開拓村向けの竹詰まで、品質は気休めレベルから死ななければなんとでもなるレベルまで、ポーションなら何でも揃うのがルファの薬師ギルドだ。

 ルファのポーションがなければ、開拓村はルファより王都の側まで押し込まれるだろう。

 このポーションがあるからこそあぶれ者は訓練を受ける事が出来るし、流れ者ですら受け入れて貰える。


「でも、男の子って皆剣振るのが好きなんでしょう?」


 酷い偏見だ。……まあ、そんなに間違ってないか?

 僕も確かに強い冒険者には憧れるけど。


「成りたい自分に成れるのは一握りだけなんだって」


 訓練所の教官に言われた言葉を思い出す。

 受け売りの台詞に、リリさんから男の子みたいと言うお言葉を頂いた。


 ……リリさんの思う男の子って、なんだか偏ってない?


「最初はさ、鍛冶師になりたかったんだ」


 開拓村には鍛冶師が居た。と言っても、最低限の仕事が出来る程度の鍛冶師だけど。

 まともな炉も無ければ、まともな素材も無い。

 せいぜいが日用品の補修と、補修出来ない製品の作り替え程度。


「……鍛冶師?」

「……知らなかったんだよ」


 リリさんが首をこてんと傾げて、気まずそうに僕を見る。

 心なしか肩の泥も憐れんでいる様な震え方をしている。


 まさか、あぶれ者は鍛冶師に成れないなんて。


 意味も無く遠くの空を眺める。

 青い空に白い雲が流れて行く。


 冷静に考えたらあぶれ者に武器を作る技能なんて教えないよね。

 道はあると言えばあるけど……。


「えっと、市民権は、難しいと思うよ?」

「それも知ってる。だから、冒険者に成ったんだ。いや、冒険者にしか成れなかったんだ」


 薬師や農夫と言う選択肢もあった。少し勉強を頑張れば商人にだって成れたかも――いや、それは無理か。算術はやる気でどうにか出来ると思えないし。

 兎にも角にも、僕はそれ等の選択肢を不意にした。

 冒険者に成ったんじゃなくて、冒険者にしか成れなかったんだ。

 そして、僕はこの状況に納得してしまっている。

 ……だからリリさんの護衛なんだろうな。


 例え死んでも、誰も困らないから。


「薬草採集は、だから、僕みたいな冒険者には丁度良いんだよ」

「それは薬師への嫌味?」


 ちょっと低い声でそう言われてリリさんの方を見ると、リリさんが半眼で僕を睨んでいた。

 肩の泥が脅す様にいつもより激しく蠢いている。


「え? いえ? そんな事は、えっと」


 不用意な台詞を責められて慌てる僕に、リリさんはいつもの様に微笑んだ。

 冗談だよと言って笑う。肩の泥はまだいつもより激しく蠢いている。


「不真面目だけど真面目なのも、男の子だよね」


 リリさんはそう言って走り出した。

 慌てて後を追いかけながら、やっぱりリリさんの思う男の子はおかしいと思った。


 数十歩走った所でリリさんが立ち止まってしゃがみ込む。

 そこには薬草が生えていた。ちょっと高価だけど根を掘り起こさないといけない面倒な奴だ。


 スコップを取り出して、リリさんの横で片膝を立てる。

 周辺の雑草をぶちぶちと毟って――あ、これ売れないけど食べれるやつだ。大き目の葉っぱだけ回収しておこう。

 軽く表面の土を削ろうとして、手が止まった。


 悪寒と恐怖。


 リリさんはしゃがんでから動いていない。スコップも取り出していない。

 視界の隅で、泥がぐにゃぐにゃと形状を変えているのが見えた。


「血の匂い」


 リリさんが人間味の無い平坦な声で呟く。

 僕はゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐いた。

 落ち着け。大丈夫。多分大丈夫だから。


「最初にゴブリン七つ。殺された三つ。攫われた二つ。今ゴブリンは四つ」


 ゆっくりと、リリさんの方に首を向ける。

 見たくない。でも、見なくちゃいけない。


 リリさんは遠くを見ていた。肩の泥は薄く大きく広がって、一部をリリさんの肩に引っ付けて空高くに伸びている。

 リリさんは僕とは反対の方向へ首を向けていて、その瞳は見えない。良かった。良かった。

 リリさんの視線の方向とルファの方向を記憶して、僕のすべき事は終わりだ。


 僕は訓練所上がりの、多分銀等級にも成れない冒険者。

 誰かを助ける事も、敵に立ち向かう事も、誰かの骨を拾う事も出来ない冒険者。


 ぐるりとリリさんの首が回り、僕を茶色い瞳が見据えた。

 人間味の無い茶色い瞳が僕を責める様に見据えて、僕は喉元にせり上がって来た悲鳴を呑み込む。


「野盗山賊の類、違う」


 リリさんが人間味の無い平坦な声でそう言った。

 天高く伸びていた泥が、一瞬で泥の塊に戻って蠢いた。


「この薬草の掘り方は覚えてる?」


 瞬きする間に、リリさんは可憐なリリさんに戻っていた。

 肩の泥がぷくりと膨らんで、いつもの半分くらいに縮まった。


「……根の上の方は広がってるんでしたっけ?」

「そうそう、よく覚えてたね」


 リリさんが乳白色の柄を掴んで引き抜く。

 それは一月は仕事を休める位の価値がある、一点物のスコップだ。

 僕の持つ数打ちとは色々違うらしいけど、僕には立派な柄の付いた少し細身のスコップにしか思えない。


 慎重に土を削りながら、ふとさっきまでリリさんが見ていた方向に視線を流す。

 あの森を回り込む様に道があった筈だ。

 五人中三人が死んで二人が連れ去られた。

 どこかの開拓村から来た人達だろうか?

 どこかの開拓村まで行く人達だろうか?


 よくある、僕には関係無い話だ。

 ギルドに戻ったら報告が必要だけど、何があったのかを確認するのは銀等級か、それに近い銅等級の冒険者だ。


 軽く頭を振って、僕は土を削る作業に意識を向けた。

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