第二部 歌神香児篇 その十六
君の便りを受け取りぬ。
便りを書きし指さきは
長く見ぬゆえなつかしく
綴りし文字のあいだより
うえなき香りしたたりぬ
『千夜一夜物語』
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15.白鳥の歌「火演」
「先日は、庇っていただきありがとうございます」
「……なんのことですかな」
一仕事を終えヘッドギアを外した歌忌将校に礼を言われるが、カイコガに寄生する老将軍は隣で白を切る。その大きなカイコガの上には斧を背負ったまま二人の将軍を監視かつ護衛する魔物がいる。二人の将軍の間柄も人間性もだいたい把握しているその魔物は首の皮膚をポリポリかきながら、見慣れた大動乱に再び目を戻す。
アーキア超大陸北西。マルコジェノバ連邦。
その連邦の中心部にある、連邦中第三の国土面積をもつディシェベルト国。
そこに今、女帝リチェルカーレ率いるニデルメイエール軍が攻め込んでいる。
「後学のためにお教えいただけませんか」
「何をですか?」
馬上の歌忌将軍シムネルがパフォスカイコガに寄生させられている将軍スピールドノーヌに尋ねる。後輩は先輩の顔を見上げ、先輩は戦場をただ静かに見つめている。
「敵の横陣がなぜあのように変隊すると見抜くことができたのか、です」
(後学か。もはや誰にも〝後〟などないだろうに)
一週間ごとに切り替わる乾季の終盤。
空気が暑く乾燥する夕暮れにあって、カイコガの口の一つから出した菌糸にくっつく寄生体スピールドノーヌは誰にも聞こえないほどの小さな溜息を独りついて、目の前の戦場で起きている敵と味方の布陣、および戦況について同僚に語り始める。
戦場はディシェベルト国の首都サンローマの南150キロメートル地点。
原野エスメラルダス。
酸化鉄が多く含まれるため大地は赤く、乾季は植生がほぼ消え、血を垂れ流したような赤い地が広がる。
そこにニデルメイエール軍と連合国軍が乾季の半ばから睨み合い、とうとう激突した。そして戦況は刻一刻と移り変わっていく。それを淡々と説明するスピールドノーヌ。
連合国軍――。
もはやマルコジェノバ連邦軍といっていい。
連邦は〝女帝のもの〟か〝女帝のものではないか〟。
それしかもう、連邦に選択肢は残されていない。
その連合国軍はクリプトクロム国ではどうにか女帝の軍を退けた。
しかし、連邦の南部の国々はことごとく女帝のニデルメイエール軍に切り取られ、既に西部のサリチール国、リグーニ国、ジベレ国をも失った。そして連邦の中心国家であるマルコジェノバ国も今、女帝の矛を向けられている。
(女帝さえ倒せばきっと戦いは終わる!)
そう信じる連合国軍にとっては、ディシェベルト国に現れた女帝を潰さねばもう後がない。
このため、連合国軍が用意した人員は予備兵含めて三百万人にのぼる。
ベスビオ同盟に加盟し、まだ〝傷〟を負っていない連邦東側の国々は拠出できるすべての人員と資財を投入することを決定した。
もはや師団ではなく戦域軍の規模に膨らんだこの連合国軍の元帥は同盟当初から連合国軍を率いてきたモルガーニ・ワンカヨが就任。彼と行動を共にしてきたコッホ・ウベルランディア補佐も自動的に元帥付の特別参謀格に就任した。
そのモルガーニ元帥の下に将軍が30名。准将軍が300名。
マルコジェノバ連邦にとっては古代史以来最大規模の軍編成となった。
その古代史において、敵は石人族の王国であり、あるいは魔王軍であった。しかし大精霊らの思惑がこのマルコジェノバの地に作用した結果、魔王軍は触手を伸ばすのを諦め、石人族の王国は潰えた。結果として魔物も石人族も散り散りになり、片方は器用にどこかに逃げ隠れ、片方は愚直な奴隷として連邦内の文明を縁の下で支え続けてきた。
しかし現在は魔王軍でもなく石人族でもなく、敵はただ女帝。ただ歌姫。
その歌姫に対抗しうる唯一の対抗馬と思われていた石人族は、アダマンタイトゴーレムであるトナオによって導かれ、連邦から消えた。正確には連邦内のジベレ国で女帝を相手に戦い、一矢報いたものの、石人族は全滅した。
石人族を率いた王トナオ自身は殺されず、女帝に洗脳され、現在、新たな〝魔物〟として女帝の乗り物である石造神輿を守っている。他の古参の魔物二匹とともに。
「ずいぶんと昔に、異世界の召喚者から聞いたことがありました。確か彼女はアクティブ・ディフェンスと言っていた気がします」
気遠いまなざしをしたまま、老将軍スピールドノーヌがシムネルに言う。
「異世界。……やはり召喚者の住む世界はこちらよりも何もかも進んでいるのでしょうか」
「それは私も知りません。ただ魔法という力が未発達か未解明のため、科学という力を残酷なまでに進化させたと、その者は悲しげに言っていました」
見晴らしのいい高台でスピールドノーヌは顔の奥深い皺を動かしつつ、シムネルに語って聞かせる。
アクティブ・ディフェンス。
攻めるニデルメイエール軍に対し、連合国軍は、横陣に展開する主力軍中央をわざと左右半分ずつに分断することで、ニデルメイエール軍に中央突破できたとみせかける。
そして突破してくる侵入軍の兵数を限定するべく、分断させていた主力軍は合図とともに再び集結する。結果としてニデルメイエールの突破侵入軍は孤軍となり、連合国軍の陣地後方で連合軍別動隊による逆襲をうけ、壊滅する……。
陣地防御と機動防御を巧みに合わせて逆襲を狙うこのような作戦を連合軍は立てた。
考案者はモルガーニ元帥付のコッホ特別補佐。
血のにじむような苦悩の果てに自ら思いついた若輩の奇策はしかし、経験値の豊富すぎる軍神の想定の枠を超えられない。
「もしや今回の我々の作戦行動は、その異世界召喚者からスピールドノーヌ様が教わったものを運用したのですか?」
「そうです。異世界とは違い魔法の栄えるのみのこの世において、自分の代で用いることはまずないだろうと頭の隅で埃をかぶっていたような兵の運用ですが、使う日が来たようです」
連合国軍のアクティブ・ディフェンスに対してスピールドノーヌが仕掛けたのは、シムネルがコントロールする粘菌人族デッドオクターブ9万人を用いた弾丸陣。
「女帝の神輿を担いでいるあのようなキノコ兵ではとてもできません。あなたの苦労の賜物です」
ゆったりと微笑して、老人は若者の労をねぎらう。
「もったいないお言葉」
弾丸陣は機動力に長ける縦陣の応用系。
弾丸陣は上空から見ると鏃もしくは矢印の先のような隊形に兵を配置する。これは突破した敵陣の壁の穴を維持するためのもので、アクティブ・ディフェンスの要である侵入突破軍の兵数調節を不能にする。
とはいえ連合国軍の方が数は圧倒的に上。
しかも女帝リチェルカーレは今回の戦闘でデッドオクターブが変形菌として集合合体することを禁じている。理由は〝喧しい〟から。
であるからこそ縦陣ではなく弾丸陣をスピールドノーヌは選択した。
弾丸陣の最大の武器はその速度にある。
弾丸のように敵に突っ込み一気に壊乱させる電撃戦を成功させるための陣形が弾丸陣であり、そのためには鏃の先端部分に耐えず火力支援をしなければならない。スピールドノーヌに弾丸陣を教えた異世界召喚者は「急降下爆撃機で戦車兵の突進の先端に火力を浴びせて支援した」と伝えたが、スピールドノーヌに爆撃機の意味はわかってもそのような〝魔物擬き〟を創ることは到底できない。故に実現の可能性の極めて低い作戦として、老将軍の頭の片隅に記憶されているだけだった。
しかし女帝と歌忌将軍シムネルが粘菌人族を開発したことで状況は変わった。
粘菌人族は体の一部を薄く伸ばして被膜のような大きめの傘を体外に作ることができる。これをパラシュートとして使い、落下傘部隊としてデッドオクターブの一部を運用する。
体長三メートルを超えるデッドオクターブが空からタンポポの綿毛のようにゆらゆらと1万人も落下してくる。
兵にとって、落下物に弓矢を命中させるのはただでさえ難しく、しかも相手は弾性に富み内臓の位置を自由に変えられる肉体をもつ粘菌人族。命中しても致命傷にはまずならない。落下したデッドオクターブはそのあと、周囲の誰彼構わず打ち倒していけばいい。自分の肉体の硬軟を変化させ、必要なら相手から武器を奪い、腹が空けばそのまま相手を呑み込んでいく。洗脳支配はできなくても粘菌アメーバが脳内に入った人間の脳は食われる。
すなわちデッドオクターブの肉体に触れればただでは済まない。
冬虫夏草兵に比べてグロテスクさこそ低いものの、耐久力と攻撃力が比ではない粘菌人族相手に連合国軍は混乱せざるを得ない。冬虫夏草兵と蓄怨鬼の対策はしていても、アメーバ対策はしていない。初めて見る敵相手に混乱し、失敗し、殺され、摂りこまれる。陣形があちこちで崩れる。恐慌が広がる。
そうこうするうちに落下傘部隊による〝火力支援〟を受けたデッドオクターブの弾丸陣九万人がつっこんでくる。風が吹けば落下傘部隊は再び風を孕んで別天地へと飛んで消え、新たな恐慌を生む。恐慌の広がっている所へ弾丸陣は進む。進行方向の指示はヘッドギアを被るシムネルが見晴らしのいい丘の上から出す。シムネルに気づかなくても目立つカイコガに気づいて近づこうとした暗殺部隊はカイコガの上で暇そうにしているサンタクロースによってすぐに斧の餌食にされる。電撃戦はかくして功を奏す。
「神代の戦争もきっとこのような感じだったのかもしれません」
血肉が赤い大地に飛び散る戦場全体をつぶさに見ながら、軍神はつぶやく。
「どういうことでしょう?」
「あの落下傘のごとく天使や精霊が空を舞い、石人族や魔王を相手に人々は巨虫を用いて戦った」
軍神の目に、巨大な甲虫の姿が映り込む。ひっくり返った巨虫にたかる粘菌人族。その背中に押しつぶされる連合国兵と粘菌人族。連合国兵はそのままミンチになるけれど、粘菌人族はアメーバのように引き伸びて脱出し、よろよろと元の形に戻る。
「田亀人族のことですね。あのようなカビ臭い伝説が実在しようとは思いませんでした」
ひっくり返った甲虫を元に戻そうと、別の甲虫が助けに向かう。無事に元の態勢に戻り戦線に戻れる甲虫もいれば、態勢は戻したのに制御不能に暴れ出す甲虫も現れる。暴れる甲虫に誰も彼も吹き飛ばされる。かろうじて立ち上がれるのは粘菌人族。隣のできたてほやほやの即死体を補給して体をゆっくり再生させ、戦線に戻っていく。
「この世にはアダマンタイトゴーレムさえいるのです。伝説とはやはり根拠があるものなのでしょう」
連合国軍が用意した最終兵器は隠れ里ブランズウィックの住人。すなわち田亀人族。
彼らは蟲使いであり、連邦に散らばって生息する巨大昆虫を呼び寄せ操ることができる。
要するに騎馬を超える重量級戦車の運用が連合国軍の切り札だった。
考案者はナガツマソラのいた連合国軍元第十三連隊所属の大隊長エイモスと、一般参謀の三名サラゴサ、カストゥエラ、ヘミセット。〝闇〟の恐怖を全身で知り、〝闇〟の考案したウマイヌ救急車で医療をひたすら学び、戦場で性根を鍛えられた貴族軍人。
この四名は今回の作戦で全員准将軍職に就任している。ナガツマソラの乗り物だったアイソポスオサムシにヒントを得た彼ら四名は古文献を片っ端から漁り、蟲使いたちの存在を調べ上げた。そしてそれをモルガーニ元帥とコッホ特別補佐に進言し、用いられた。
連邦の命運をかけてのお願い――。
隠れ里ブランズウィックの族長であり田亀人族の最長老でもあるウアウペスは連合国軍の懇願に、ついに首を縦に振った。かくして最後の田亀人族であるブランズウィックの一族総勢43名全員が連合国軍に参戦した。虫によって情報を各地から得られる彼らは文字通り〝虫の報せ〟でトナオらゴーレムたちの最後を知っている。「死地を得た」と悟った彼らは大人から子どもまで誰一人もう里には戻れないと理解している。
決死の田亀人族が全力で集めた戦闘虫たち。
ダイヤモンドゴーレムに匹敵する装甲を持つタイパンゾウムシ2000匹。
毒の噴射も可能なマンサニヨアカハネムシ500匹。
兵の高速輸送が可能なアイソポスオサムシ1000匹。
三百万の連合国軍の精神的支柱がモルガーニ元帥や連邦の女帝なき未来だとすれば、彼らの物理的支柱はこの巨大昆虫とそれを操る田亀人族だった。戦車に守られながら進軍し、戦車を目印に進軍することで三百万の軍隊は素早い機動が可能だった。
しかしその巨大昆虫もまた、デッドオクターブの餌食となって倒れていく。
装甲車も戦車も輸送車も運転者が死ねばただの乗り物。同じく巨大昆虫も脳や神経節をアメーバに破壊されれば体の自由が利かなくなり、暴走もしくは死亡する。デッドオクターブの落下傘部隊と弾丸陣の前に、巨大昆虫たちは一匹また一匹と墓標に変わっていった。
壊乱し、じわじわと生存者を減らしていく連合国軍。
動きの緩急はあれど、ほとんど総数が変わらないデッドオクターブ。
「?」
両者の大混戦を静かに眺めているニデルメイエールの将軍二人から目を離す魔物サンタクロース。
西からフェリドオオワシが飛んでくる。その足にはガスマスクを付けた歌忌将校が鎖で括り付けられている。それを目で追うサンタクロースそして気づいたシムネル。けれどスピールドノーヌは気づくも知らぬふり。
ワシの使いは歌忌将軍らが女帝に対し非常事態を告げる場合にのみ使用する決まりがニデルメイエールにはある。女帝を守る魔物と女帝に仕える歌忌将軍にとっては気掛かりでも、女帝の終わりが始まっているに過ぎないと解釈している軍神にとっては想定内の些細なことだった。
シャキンッ!
女帝のいる石造神輿の前で、オオワシの肢に括り付けられていた歌忌将校が鎖から解放される。鎖をアダマンタイトナイフで断ち切ったのは新参の魔物。三面六臂の青年はサンタクロースの代わりに再び石造神輿の上に戻る。前方の戦場の音にただ耳を澄ませる。オオワシが二度羽ばたいて翼をしまう音を拾う。
ギギ。
石造神輿の重い扉が開かれる音を拾う。
「何かございましたか?」
その新参の魔物に作らせたアボガドとトマトのスープを静かにゆっくりと味わっていた女帝、つまり雫石瞳がスプーンを動かす手を止めて尋ねる。
「た、大変なことになりました!」
コルメラから文字通り飛んできた歌忌将校は顔面蒼白のまま事情を口早に説明する。
魔物シャシリックの変異。
無限再生と分裂を繰り返す分裂小鬼シャシリックに変異種が生まれた。
この変異種が他のシャシリックを統率し、敵味方問わず攻撃を始めていた。
結果としてサリチール国とリグーニ国そしてジベレ国はニデルメイエール軍が首都占拠に成功したにもかかわらず、シャシリック集団によって壊滅。歌忌将校は将軍クラスも含めてみな殺された。
シャシリックはさらに二手に分かれて北のマルコジェノバ国と南のコルメラ国に侵攻しているという。
「変異種は分裂能力だけでなく、陛下が将軍らに下賜した魔剣なども使いこなせる模様。もはや手が付けられない状況にございます!」
スープの水面ばかり見ている女帝に歌忌将校は必死に訴える。
「それは皮肉ですね。剣を取るものは剣によって滅ぶ。どこぞの福音書のようです。ところでガス工場はご無事ですか?」
花魁姿の雫石は歌忌将校のガスマスクにようやく目を向け、おっとりと尋ねる。ガス工場とは歌忌将軍たちが吸引するための揮発性物質の生産ラインを指す。ラインが止まり、ガスの供給がなくなれば、歌忌たちは激痛で狂い死ぬ。
「それが、シャシリックによってほとんどが破壊されてしまいました。どうか至急ご帰還くだ……」
「となるとあなたはもうそのマスクのガス残量が尽きればほぼ死ぬわけですね。後で死ぬのも今死ぬのも同じことでしょう」
神輿内の火鉢の灰が集まり雫石に宿る虚病姫が人型をとって現れる。
「もうヨウナシってことだねん!」
虚病姫は歌忌将校の胸倉をつかみ、石造神輿から突き落とす。待機していたニデルメイエール兵が転げ落ちた歌忌将校を生きたまま食らう。アダマンタイトナイフで首を刎ねられたオオワシもまた傍で襲われて食われる。
「日も暮れろ。鐘もなれ。月日は流れ、私は残る」
記憶にある詩を口ずさみながら、食事を再開する雫石。
近くの悲鳴が消え、遠くの絶叫と轟音が扉の開かれた神輿の中に直接響いてくる。
(アルマン王国での逆襲が五日前……ディシェベルトまでは最短でも1000キロ)
「いつになったら、あの御方に会えるのでしょう」
「普通に考えたらん、クリプトクロム国かフィトクロム国あたりかなぁん」
虚病姫は答えて再び形を失う。火鉢に灰が戻る。
〈扉開けたままでよかったん?〉
〈はい。戦の音だけでなく匂いも堪能できるので、ちょうどよいです〉
〈分裂小鬼が癌化しちゃったかぁん。まぁそういうこともあるよん〉
〈デッドオクターブならあれを食えますか?〉
〈余裕じゃん?でも全部は食いきれなくて、結局どこかにまた隠れ住むよん〉
〈元の木阿弥というやつですね〉
〈それより気になるのはん、ルバートの森から連絡がぜ~んぜん来なくなっちゃったってことだよん〉
「……ふふ」
脳内で会話を続けていた雫石が笑う。気づいた虚病姫が返す。
〈そうだねん。何もかも突然いなくなっちゃったのかもねん。跡形もなくん。まるで闇に呑み込まれたみたいにん〉
「うふふ」
〈アイツの仕業かもねん。それとも聖皇の仕業かなぁん?〉
「それはまた無粋な話です」
〈難民の移動を消滅させた魔法以外に何かをしたのかもしれないよん?〉
「そうであれば次の標的はアントピウスにいたしましょう」
〈ナガツマソラはどうするの~ん?〉
「きっと追いかけてくるでしょう。ここが終わったら南へ進みましょう。マルコジェノバはシャシリックに食わせた後でも良いでしょう」
〈そうだねん。別にこんな変な天気の場所にずっといなくてもいいよねん〉
日没が迫る。
陽光が地平線をなぞり、揺らめく。
次に日が昇る時は、雨季。どんよりとした雲が一週間にわたって空を覆い、大粒の雨を降らせ続ける。
一週間ごとに気候が代わることが決定している大陸北西の地に飽き飽きしていた雫石が「どうせここにいても会わないのです」とつぶやく。「私から会いに行ったところで、あの御方は結局近づいてこないのです」ともう一度つぶやく。
〈まるでフラグを立ててるみたいん。恋する乙女みたいでシズクちゃんかわい~〉
タカタッ!タカタッ!タカタッ!タカタッ!
駆ける馬の蹄の音が雫石のもとに、遠くから迫る。それが最古参の歌忌将軍の馬であることを雫石は知っている。雫石の胸が高鳴る。けれど否定する。願うと逢えないのだから願っていないと否定する。
〈戦が終わったのでしょうか?〉
〈だったらサンタクロースが伝えに来ると思うんだけどん〉
そんな雫石の心奥を読んでいる虚病姫は楽しそうに答える。
「火です!火が!火が現れました!!」
駆けつけたシムネル将軍が扉に向かって叫ぶ。
本来ならば魔物サンタクロースがやるべき異変の報告を、将軍スピールドノーヌが頼んでシムネル将軍に替わってもらった。
(女帝よ。歴史が終わりを告げる第一声を聞くがいい)
そう考えた歴史家スピールドノーヌとカイコガの上に乗る魔物サンタクロースは、初めて〝鬼火〟を目撃する。
陽が落ち、阿鼻叫喚の地獄を闇が浸す。統制を失い防御も撤退も行進もままならなくなり壊乱した連合国軍を相手にデッドオクターブはもはや統制する必要がない。シムネルの指令をうけることなく、ただ目の前の餌を呑み込んで補給と成長を続けていく。
ポ。
その地獄の闇の彼方に灯る、小さな灯火。一つ。首都サンローマとは方角が異なる。奇岩だらけでまともな行軍や陣地構築のできない低山ワラキアの斜面に灯る、一つの小さな火。
ヒュウヒュウヒュウ……
ワラキア山に一つの灯火が浮かんだ直後、斜面のいたるところで火が灯り、それが花火のように一斉に斜めに打ちあがる。そして小さく鋭い唸りをあげながら、流れ星のごとくエスメラルダス原野に落ちていく。
ゴオオ……
闇に灯った火が広がる。死体が燃えている。生きた兵士が燃えている。デッドオクターブが踊り狂って燃えている。
「いよいよ現れたのですね」
カイコガの舌先に寄生しているスピールドノーヌが体ごと振り返ると、彼の横には白蛇ブラドヴィーナスの頭に乗った女帝がいる。
「まさに星降る夜ですな」
体を戻し、他人事のようにスピールドノーヌは答える。ようやく追いついたシムネル将軍は馬から降り、闇に落ちた無数の火を注意深く凝視する。カビだらけの皮膚に脂汗が浮く。
「まさかこんなに早くアルマン王国からやってくるとは予想しておりませんでした」
女帝が微笑む。虚病姫が解く。
〈なるほどねぇん、滑空機を使った飛行移動か~。風を読めれば早く移動できるしぃん、魔力も使わないから便利だね~ん。さすがシズクちゃん推しのナガツマソラ!アルマン王国を短時間で取り戻せたのもうなずける~ん!〉
丘の上から女帝は耳を澄ませる。
歌姫の場合、視覚よりも聴覚からの方が正確な情報が手に入る。
視覚情報を聴覚情報が補う。望遠レンズがなくても戦場の一切が女帝には視える。他の異世界召喚者と異なり、聴覚情報だけでステータスまで視えている。
「ロサ・オドラータ……素敵な切り札ですね」
女帝はニヤリと笑う。
ロサ・オドラータ。
ステータスにそう表示される戦闘部隊が夜空を滑空しながら戦場に舞い降りる。上に盛り上がった両肩と両膝からは樹脂が出て、それが松明のように燃えている。
ロサ・オドラータ。
彼らは着地するや否や、武器でデッドオクターブを斬る。新手の敵と勘違いし、半狂乱になって襲ってくる連合国軍をも叩き斬る。
ボオオッ!!
連合国軍はその場でただ倒れるも、デッドオクターブの場合は燃え上がる。それで援軍と気づき正気を取り戻した連合国軍がロサ・オドラータを攻撃するのをやめる。生まれて二度目に目撃する空挺部隊から逃げていく。燃える兵士からひたすら逃げていく。
「こちら『メレッサ』全員着弾!戦闘を開始します!!」
元第十三連隊第一大隊隊長カチュワン・ルベシベが〝闇〟に吠え、ホイッスルを吹く。
「しゃあっ!!」
肩と膝が盛り上がった兵士200名が武器を手に駆け出す。
駆ける彼らの全身からはどんどん樹脂が分泌される。その脂が引火して全身があっという間に火達磨になる。ホイッスルを吹き終えたカチュワン隊長も既に火達磨で、燃え移ったアダマンタイトシールドの縁で傍にいたデッドオクターブを殴り飛ばす。
カチュワン・ルベシベ。元人間族の女。元はレベル13のボンクラ貴族。
そして現在、ロサ・オドラータ。雌株。レベル43。「マハル・ローズマター」を発動。
「やるじゃねぇか」
カチュワン隊長の補佐トルネ・カマップが「けへへ」と不敵に笑う。
「火が消えねぇうちに俺たちも行こうぜ!」
トルネが杖で土属性魔法を発動する。泥団子が巨大化して転がり始める。マハル・ローズマターを発動しているカチュワンたちが身体から脂と火を飛ばし、泥団子が火の玉に変わる。
トルネ・カマップ。元鼠人族の女。元は魔法使いの冒険者。レベル39。
それが現在、ロサ・オドラータ。雌株。レベル69。
「オータム・ダマスク!」
トルネと同じ能力をもつ兵士250人が一斉に魔法を発動する。
ブブ。
250人が500人に増える。
自分たちと似た融合分裂能を備えていると認識したデッドオクターブたちが増えたロサ・オドラータに襲いかかる。しかし増えたように見えるのは残像。
トルネら攻撃回避能力が向上した250名の兵士が斬りかかる。ダメ押しで、火達磨の200人の兵士がタックルをして斬りかかる。止めに250名の兵士が〝贈り物〟を粘菌人族の体内に植え付ける。
発火種子イスパルタ。
種子は粘菌人族の養分を吸ってたちまち発芽。しかも代謝能のあまりの高さで発火する。
「!!!!!!」
体中の養分を吸われ、体中に根や茎を張り巡らされ、内側から無理やり樹に変えられ、しかも炎上する粘菌人族。
ロサ・オドラータ。
薔薇人族。
創るための材料は人間と精油。
ナガツマソラ2号が亜空間サイノカワラで開発した、強化型花人族を創るための精油。
その精油を浴びた三千弱の兵士は魔力素汚染によって怪物となった。
「こちら『マージョラル』!派手に燃え上がろうではないか!!」
元第十三連隊第二大隊隊長ニトバ・ワッサム。元人間族。元レベル14。
「アナクレオン・ローズガーデン!!」
ニトバ隊長は全身をバラの蔦で覆い防御力を向上させる。蔦から鋭い棘がメキメキ伸びる。
元ポンコツ貴族の男は現在雄株。レベル44。
アダマンタイトシールドをもつハリセンボンの塊は同じく蔦と針にまみれた200名ともども突進し、デッドオクターブも逃げ遅れた連合国軍も突き刺し、なぎ倒していく。
「運が良けりゃ砕けて刺されて頓死。運が悪けりゃ」
ニトバ隊長の補佐ロウォーレン・モヨユリ。元は土竜人族で剣士職の冒険者。元レベルは35。
「さらに苦しんで燃えろや」
現在ロサ・オドラータ。雄株。「フレイム・ローズ」発動。
なぎ倒された兵士のうちデッドオクターブだけが火炎斬りで刻まれる。ロウォーレンと同じく「フレイム・ローズ」を発動した250名の兵士がさらに火炎弾で周囲を火の海に変えていく。植え付けられた種子も発芽する。火の海で次々に炎樹が育つ。火の勢いはますます盛んになる。
「なんという……」
「圧巻ですな」
降って沸いた薔薇人族を見下ろしつつ、冷や汗と震えが止まらないシムネル将軍と、穏やかで澄んだ表情のスピールドノーヌ将軍。残酷な力の差。それを軍略という面で既にスピールドノーヌは味わっている。
(桁違いなのは用兵だけでなく、兵能そのもの)
今回、力の差を思い知るのは自分ではなく隣にいる若者。そしてこれですべてはお終い。
そう感じたスピールドノーヌは同僚に対し、憐れむことしかもうできない。
「……」
一方でひたすら嬉しそうなのは女帝リチェルカーレ。雫石瞳。爛れたような笑みを浮かべ続けている。
息が荒い。頬が上気している。興奮し、下半身が熱くなっている。
〈細胞の代謝活性を極限まで上げて発火させるなんてぇん、普通の魔術師じゃまず思いつかないよん。シズクちゃんの推しはやっぱりどうかしてるねん!〉
空気を震わせて音が、光景と薔薇人族のステータスを絶え間なく伝え続ける。雫石の下着が濡れ始める。
「まぁ……」
デッドオクターブの殴打を受けて首が捻転しても元に戻る薔薇人族隊長。『ヒソップ』すなわち元第十三連隊第三大隊隊長のコロンビ・ショカン。
〈おもろ~い!寝技対決だよん!!〉
元人間族でうだつの上がらなかった貴族男は〝闇〟の改造により現在、レベルが10から40に上昇。「ジャックミノー・ローズ」を発動し、人体の柔軟性を極限上昇させた200名の部下とともにデッドオクターブたちを絞め潰しにかかる。ラバーマンたちによってぶよぶよの肉の一部に全身の内臓が強制的に集められ、破裂寸前に追い込まれる粘菌人族。
そうはさせないとデッドオクターブたちは体の一部を伸ばし、ラバーマンの体内侵入と神経破壊を目論む。互いに秒速で身体を絡ませ、マウントを取り合う。
しかしそれはすぐにケリがつく。
ドゴバーンッ!!!
デッドオクターブの体内に榴弾砲がぶつかり、炸裂する。集められた内臓が木っ端微塵に吹き飛ぶ。内臓をことごとく失ったデッドオクターブの再生能はほぼゼロ。動かない。動けない。
〈ファイアグレネードじゃん!そうだよねん!!燃やせるんだから勢いよく飛ばしたらそうなるよねん!カックイイン!!〉
榴弾砲を発射したのはニトバ隊長の補佐レイロース・ペテガリら250名。
レベルが36から66になった元蝙蝠人族の女冒険者は「ギルガメシュ・ローズスティング」を発動。体内で圧縮した空気を解放し、榴弾砲を時速2千キロで放つ。しかも榴弾内には発火種子が含まれ、食らった者は炸裂と同時に火炎に包まれ、挙句は薔薇の苗木と化す。無事でいるのは絞め潰しにかかっていた薔薇人族のみ。火属性に対して耐性を備える彼らラバーマンは粘菌人族の木っ端片を体からはたき落とすと、雄たけびを上げながら次の標的へと走っていく。
「それにしても」
ギュイイイインッ!!!
アダマンタイトシールドの縁を飾っていたバラの葉が高速回転し、回転鋸となってデッドオクターブを裂く。『セージ』のレゴン・クッチャン隊長。元第十三連隊第四大隊隊長。
〈アハハンッ!!蛋白質で電動機作っちゃうとかマヨマジ感激ぃんっ!マジ草!!〉
レベル11の元お飾り貴族女は〝闇〟によってレベル41に変異。敵兵にガンを飛ばしながら「イシュタル・ローズクラウン」を発動。歯茎を見せ力強く笑う200名の部下とともに人肉解体ショーを披露。レゴン隊長以外は円形の回転鋸ではなくバーの長いチェーンソー。そのバーに樹脂が付着し炎が引火してチェーンソー全体が燃え上がる。聞き慣れない機械音だけで連合国軍兵士は心臓が喉から飛び出るほど恐怖して逃げ散る。逃げなければデッドオクターブもろとも切断焼殺される。
パァーンッ!!!!
戦うか逃げるか迷ってしまったデッドオクターブの体に、音速を超えた茨の鞭がぶつかる。傷は浅くとも、体内に侵入した神経毒は一時的に行動の自由を奪う。「シャリマー・ローズ」。
〈相手を動けなくして生きたままバラバラに切って焼くとかぁん!ナガツマソラのセンスってマジ最高だよん!!!〉
魔法の発動者はレゴン隊長の補佐にして元黄金虫人族のスタヴァン・サンルら250名の薔薇人族。行動不能になった粘菌人族に対し、『セージ』のチェーンソーキラーが迫る。じっくり焼かれながらたっぷり切断され、傷口には最後、鞭が撃ち込まれる。鞭の先端には当然発火種子があり、種を植え込まれたボロボロ個体は痙攣したまま燃える樹となる。
「なんて心地よい、バラの香り」
粘菌人族も連合国軍も甲虫もウマイヌも一緒になって最初から逃げる場所がある。その〝相手〟は端から人の形をしていない。四足歩行する燃えるウッドチッパーの正体は『バジル』のケペック・ナナエ隊長ら200名。
〈アッハッハッハッハン!もう笑うしかないねんアレェ〉
自己肯定感の低かった貴族男は部下とともに岩も瓦礫も死体も敵も味方も分け隔てなく呑み込み、粉砕する。現在「トルマルキオ・ローズ」発動中。
トラウマ級のウッドチッパーから逃げる連合国軍に救いの手を差し伸べる〝天使〟はケベック隊長の補佐で元大猩猩人族のタオピオ・チライベら250名。蹴りや拳でウッドチッパーからなるべく遠くに弾き飛ばす。おかげで兵士たちは激痛と複雑骨折と内臓破裂で済む。「ダマスクス・ローズ」発動によって筋肉増加を果たしたタオピオらはデッドオクターブをウッドチッパーへぶっ飛ばす。ウッドチッパーに裁断されたデッドオクターブはミンチ肉となって排泄される。排泄の過程で発火種子を肉に練り込まれて。撒き散らされた炎の糞便から火芽が勢いよく出る。
「……これほど強くて……これほど匂い立つなんて」
一度に大量のデッドオクターブと激戦を繰り広げているのは『ミント』。元第十三連隊兵站専門部隊大隊長のトリプラ・ミゾラムら250名が一人につき五体のデッドオクターブを相手に武器を振るう。250名が発動した魔法「カルロヴォ・ローズ」の効果は代謝超活性。人体発火はもちろん、防御力、筋力、体力、魔力、あらゆるステータスがおよそ三分間にわたり二倍になる。〝闇〟の改造によりレベルが30ずつ上昇している薔薇人族が鬼神のような強さで暴れまわる。
〈ほんとだ~。興奮しすぎて気づかなかったよん。今までで一番強くて官能的な香りだねん〉
しかし三分後に訪れる「カルロヴォ・ローズ」の限界。それを元第十三連隊一般参謀のテレーニョ・リートラらが援護する。アダマンタイトスコップや武器防具を振り回しつつ、魔法「カザンラク・ローズ」を発動。自らの魔力素、すなわち残りの命を仲間に分け与える犠牲魔法により鬼神たちが再び「カルロヴォ・ローズ」を発動して暴れ出す。
「狂おしい」
薔薇人族三千人の放つ強烈なバラの芳香を胸一杯に嗅ぎながら、女帝は彼らのステータスをことごとく知り、軽く絶頂に達する。瞼を開く。炎の海が広がる。
「どうか!!どうかデッドオクターブ合体の許可を!!!」
口からヨダレをたらし恍惚とした表情の女帝に詰め寄り、懇願するシムネル将軍。
「このままではデッドオクターブが!」
「三千人のバラ兵に十万人のアメーバ兵が殺されるというのですか?」
体から垂れ流れる液を消失させた雫石が下らない者を見るような目をシムネルに向ける。
「いえ、いや、その……」
「あり得ます」
命が惜しくない老将軍スピールドノーヌがシムネルに助け舟を出す。
「火災があちこちに広がると熱風が集まり、竜巻を起こすことがあります。私が幼少のころ、ゼアチ国の都市を一つ飲み込む大火災が起きた時に目の当たりにしました。牛馬はおろか、家屋すら天高く巻き上げる死の竜巻です」
〈なるへっそ。火災旋風かぁん。さすが物知りお爺ちゃん〉
実際に火災は徐々に規模が大きくなり、しかも空気が揺らぎ始めている。火は点ではなく繋がって面となり、取り残された連合国軍の兵を追い詰め、圧死させ、焼死させる。薔薇人族と戦おうとするデッドオクターブの行動を制限する。躊躇している間に炎から現れた薔薇人族に襲われる。新たな炎にされる。
「仕方がありません。耳障りですが合体させましょう」
ポワンッ!
「「「「!」」」」
その時、上空から巨大な塊が女帝の頭上に降ってくる。白蛇ブラドヴィーナスと鹿蜘蛛ダーメンシェンケルが女帝の盾になり、赤膨鬼サンタクロースが塊を斬るべく跳ぶ。
シュパン。
「?」
しかし塊はメレンゲのように柔らかく、容易く斬れてもそのままサンタクロースを呑み込んでしまう。
ブオンッ!
遅れて跳ねたトナオが旋風脚で泡を吹き飛ばす。泡まみれのサンタクロースが着地し、体の泡をこそげ落として元の位置に戻る。
「誰でしょうね。こんな無粋なことをするのは」
ワラキア山の稜線を超えて次々に降ってくる泡の塊。それを旋風脚で吹き飛ばすトナオと、菌斧の刃面を使い薙ぎ払うことにしたサンタクロース。
「よほど私に歌わせたくないようですね」
言った時には既に、女帝の服は消えている。
裸形に無数の口器が浮かぶ。
泡塊が飛んでくる中、女帝の防御をしなければいけない魔物二匹は歌の攻撃を免れないと覚悟する。泡塊を破壊しなければいけない魔物二匹も歌の衝撃を免れないと覚悟する。
グチョ。
雫石瞳の体中の口が開く。
「「「「「「「「「「「「「「「「管弦素配列変換」」」」」」」」」」」」」」」」
魔物四匹は考えることをやめる。自分に課せられた任務を全うすることに徹し……
「ブスが偉そうに謡ってんじゃねぇよ」
「「「「「「「「「「「「「「「「?」」」」」」」」」」」」」」」」
〈マヨも油断した。ごみん〉
ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロッ!!!!!!!!!!!
泡塊の一つが空中で停止し、中から蒼い光の雨をいきなり降らせる。
雨粒の正体はアダマンタイト鉱。5・56×45ミリの弾丸の形をした鉱物は1分間に6000発の頻度で発射される。まるでミニガン。後手にまわった虚病姫は女帝の援護と泡の破壊を最優先事項とし、魔物たちにこっそり即座に命じる。
「ぐううっ!!」
秒速600メートルのアダマンタイトミニガンで、老将軍の宿主であるパフォスカイコガが被弾。カイコガと神経接続をしているため激痛がダイレクトにスピールドノーヌを襲う。
「ひいっ!」
目も口もあけていられない猛射の中、パフォスカイコガの肉の陰に隠れるしかないシムネル将軍。カイコガの緑色の体液が滝のように噴きだしてシムネルの全身に零れ落ちる。
防御担当の魔物二匹が女帝を守りつつ石造神輿へと撤退する。白蛇ブラドヴィーナスは女帝を守り、ブラドヴィーナスを鹿蜘蛛ダーメンシェンケルが護る。二匹の肉体に傷はつかないが、その分魔力の消費が多くなる。
ブロロロロロロロロロロロロロロロロロロッ!!!!!!!!!!!
唯一ノーダメージなのはアダマンタイトゴーレムのトナオのみで、トナオの前でアダマンタイトは止まり、そのしなやかな肉体にくっつく。くっついたアダマンタイト弾を集め、トナオが魔力を籠めて円形盾に変え、サンタクロースに投げる。盾を装備した赤膨鬼サンタクロースとトナオは地面を踏みしめて跳ね飛ぶ。トナオが前衛でサンタクロースが後衛。旋風脚が泡塊を掃い、同時に菌斧の刃がアダマンタイトミニガンに斬りかかる。
ガキンッ!!
菌斧が止まる。
「クリスティナほど重くはないわね。言っておくけど体重の話じゃないわ」
泡から出てきたのは元風人族の魔獣。イザベル。フルーレの付け根で菌斧ヴェークバルテを受け止める。
イザベル・ブッサル・ツヴィングリ:Lv85(??????)成長補正付与。
生命力:8800/8800 魔力:6000/6000
攻撃力:5000 防御力:5400 敏捷性:8300 幸運値:700
魔法攻撃力:4000 魔法防御力:3000 耐性:風属性
特殊スキル:武器転移、?????
「おらおら歌ってみろよブス!!」
そのイザベルから素早く離脱する飛行物体。
???????:Lv#w5(??????)
生命力:f‘/c-v 魔力:kx-2πfv/c^2
攻撃力:-v^2 防御力:c^2 敏捷性:―x^s 幸運値:y^s
魔法攻撃力:+z^2 魔法防御力:t^2 耐性:W属性、Q属性
特殊スキル:dSINθ=mλ
〈なんですかあれは?〉
〈音的に、ただの石ころだねん〉
〈石は嫌いではありませんが、いささか耳障りすぎますね……あれはステータスが見えない〉
〈じゃあ目障りだから廃棄決定!ステータスが隠せる時点で誰の玩具かはわかり切ってるからぶっ殺して硯のお礼にしちゃおん!〉
虚病姫と女帝すらステータス確認ができない飛行物体は罵声を浴びせつつ、アダマンタイト弾の雨をミニガンのごとく降らせる。石造神輿がついに砕け、担ぎ手の冬虫夏草兵の手足や胴体が次々に吹き飛んで即死する。イザベルと矛を交えたサンタクロースは身動きがとれず、トナオだけが飛行物体を止めに動く。
ポワンッ。
「!」
逃げ足の速い未確認飛行物体を追いかけているうちにゆっくりと自然落下してくる泡塊の直撃を受けるトナオ。旋風脚を放ち泡を飛ばすわずかの間に、飛行物体との距離はさらに開く。
「ついでに音程が外れてんだよクソビッチ!!」
〈言っちゃった~。シズクちゃんにビッチは禁句なのにねん。しかもクソビッチだってぇ〉
「〝捨て石〟の分際で言ってくれますね」
雫石の全身の唇が歪む。冬虫夏草兵から蛆が湧き出す。湧き出した蛆は石造神輿の残骸片を動かし、集め、大型のパラボラアンテナをつくる。一定範囲内の生物及び魔物を絶滅させる技を発動させようとしている雫石を止めようともせず、虚病姫は成り行きを見守ることにする。体を襲う尋常でない不快音に白蛇と鹿蜘蛛が躊躇する。
「まるで水車がギシギシ鳴いているみたいだぜ!ああ違うかぁ!水車小屋で泣いてたんだったなぁ!!」
虚病姫が完全に沈黙する。
(さすが魔胴師。そこまで調べ上げたか)
冥級魔導士格の敵に敬意を表し、全術式と全魔力を宿主である雫石瞳に解放する。
(あとはどちらの格が上か)
「…………」
力を託されたとは知らない雫石瞳の全身の口が閉じる。
浮かび上がった血管が激しく動き出す。蛆の湧いた兵士の死骸からメタンと酸素が急速発生する。
「どうしたビッチ!?何か心当たりでもあんのか!早く泣き叫べよ!!レイプされまくってたあん時みたいにウジムシみてぇな歌を歌いやがれ!!」
「「「「「「「「「「「「「「「「五十三鍵怨律喘韻合奏。荒響曲……」」」」」」」」」」」」」」」」
ガオンッ!!!
アダマンタイトミニガンによって穴だらけの地面から突如生えた金属が、震えるシムネル将軍を呑み込む。女帝も独りで飲み込まれる。
「音痴って言うのは嘘だよ。ただの挑発」
出現した金属容器は棺桶の形をした拷問器具。鉄の処女アイアンメイデン。
「それにしても音波砲まで造れるなんて驚いたよ。クソチートだね」
ただしアイアンメイデンは鉄製ではなくアダマンタイト製。
棺桶の内部は棘だらけで、シムネルはうめき声をあげる。しかし肺に穴が開いたため、まともに息ができず、暗闇の中で血を吐きつつ息絶える。
「服を着ていないから代わりに俺の好みを着せたんだけど、着心地はどう?」
女帝を呑み込んだアダマンタイトメイデンは沈黙している。
「少し重いですね」
ドウンッ!!!!!
アダマンタイトメイデンが砕け散る。
顔以外に浮かべた全身の口器を消した雫石瞳が現れる。
格好は裸形ではなく花魁姿でもなく、浴衣風の白装束。ただし髪の色は茶色。三つ編みにしてカジュアルなねじりを加えた綱編み込み。
「こちらの方が楽です」
女帝は全身で状況を確認する。
アダマンタイトメイデンに呑み込まれ死ぬ前に、粘菌人族の合体命令を勝手に発動させた歌忌将軍。
瀕死状態の巨大カイコガと、その口から垂れ下がる菌糸にくっついた老将軍の怒りと怯えの混ざった表情。
自分を害する者を排除しなくてはならない役回りの赤い魔物は、フルーレを握るエルフ姿の女と対峙している。
もう一匹の三面六臂のアダマンタイトゴーレムの両側の顔は、泡が飛んできた方を見ている。巨大なクラーケンが集合しようとする粘菌人族を蹴散らし、それを薔薇人族が焼く。
アダマンタイトゴーレムの真ん中の顔はクラーケンを見ていない。老将軍と同じものを見ている。
自分を守らなくてはならない役回りの魔物二匹は離れ離れになっている。鹿蜘蛛は黄金のドラゴンと対峙し、白蛇は赤い魔物より大きな戦斧をもつエルフ姿の女と対峙している。
いつもいつもあの手この手で喋りかけてくるお調子者の魔術師の声は、まったく聞こえない。
そして今、自分に話しかけてきて、こっちを優しく見つめる男がいる。
永津真天:Lv10(懐かしい奴)
生命力:1000 魔力:20000
攻撃力:500 防御力:800
敏捷性:60 幸運値:25
魔法攻撃力: 500 魔法防御力:600 耐性:闇属性、火属性
特殊スキル:料理。解体。香料作り。石集め。
「久しぶりだね」
菫色の瞳。黒髪はショートで、前髪は長め。
「どなたでしたっけ?」
着丈のある黒のポロシャツに青いゆるめのテーパードジーンズ。
「忘れちゃったのか。それは残念」
ロールアップしたジーンズの先はオペラシューズ。
「ええ。とっくの昔に忘れました」
異世界感のあまりのなさに、雫石がクスクス笑う。
「だとよっ!それじゃこれでも食らいやがれアバズレッ!!」
空気を読めない空飛ぶ物体が二人の会話の邪魔をする。我に返ったトナオが急ぎ追跡する。飛行物体は笑い声を挙げながらアダマンタイトミニガンを乱射する。魔獣女子と彼女たちに対峙する魔物が避ける。地面には次々に穴が開く。音波砲が崩れる。
「あの品のない石は何ですか?」
弾丸を音波ではじきながら雫石はナガツマソラに尋ねる。崩れた音波砲を蛆たちが元に戻していく。
「ああ、あれはね。ヒルデガルド。俺の一部かな」
ナガツマソラがそう言うと、ヒルデガルドのステータスが雫石にも見えるようになる。
石の書ヒルデガルト:Lv100(意思を持つ魔道具。大精霊前駆体)
生命力:1000/1000 魔力:300000/300000
攻撃力:1000 防御力:9999 敏捷性:99 幸運値:999
魔法攻撃力:99999 魔法防御力:99999 耐性:火属性、闇属性、光属性
特殊スキル:召喚
石の書ヒルデガルド。
追放聖皇オパビニア・アルスマグナ・メガテリウム。災花の神皇を名乗った魔法使いが使役していた大精霊前駆体を、ナガツマソラはイラクビル王国で斃した後、捨てずに回収し、改造した。
精霊とは魔力素が凝集して意識をもった状態。
その魔力素自体を汚染され、「自分はナガツマソラの一部」と本能に深刻なほど刻まれた石の書は、ナガツマソラを攻撃しようとは思わない。考えない。
ただナガツマソラに命じられた者を攻撃する。
すなわち正真正銘のミニガン。
ナガツマソラ2号が魔力素で加工したアダマンタイト弾を放つミニガン。
勇者と接触中のナガツマソラ3号が仕入れた情報をもとに女帝を挑発したミニガン。
女帝の魔物四匹の動きを牽制して分断し、魔獣女子四人と一対一の状況を作り出すための伏線となったミニガン。
そこまで虚病姫に気づかせ、虚病姫を観測者の席に着かせたミニガン。
「黙らせてもらえませんか」
そう言う雫石は蛆を使い、音波砲を完全に復元する。
「そうだね。砂埃も立つし、音が大きくて話がしにくいね」
ナガツマソラが右腕を地面に水平に伸ばし、指さす。その先はエスメラルダス原野。火災の中心部。デッドオクターブの集合体。
「わかったぜぇ!あのトロネバどもをブッ殺しゃいいんだな!?」
「ひゃははは!」と笑いながら石の書ヒルデガルドが移動する。雫石はトナオを見る。クラーケンに変身している魔獣女子一人の方を指さす。命令を理解したトナオは転移魔法を使用。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………
ジベレ国のルヴェンゾリクレーターに残してきた大量のアダマンタイトを自分の周囲に転移させ、それを使い「変身」する。三面六臂の巨人阿修羅が湾曲したアダマンタイトナイフを逆手に握り、クラーケンのもとに地響きを立てて歩き出す。クラーケンは原野を少し離れ、ワラキア山の麓に近づいていく。
ソフィー・ティワカン:Lv47(?????)成長補正付与。
生命力:200000/200000 魔力:1900/1900
攻撃力:80000 防御力:10000 敏捷性:500 幸運値:55
魔法攻撃力:900 魔法防御力:3700 耐性:水属性、火属性
特殊スキル:怪力、変身、武器転移
「すごい迫力」
ナガツマソラがかつての仲間を見上げる。
トナオ Lv66(アダマンタイトゴーレム変異種)
生命力:100000/100000 魔力:300/300
攻撃力:1000000 防御力:5000000 敏捷性:9999 幸運値:0
魔法攻撃力:9999 魔法防御力:999 耐性:闇属性
特殊スキル:変身、金属転移
「がんばってねー!ソフィー!」
アダマンタイトゴーレムは背中越しにかつての仲間の声を聞く。わずかに、歩みが遅くなる。
「そんな裏切り者の青臭いザコ、さっさとやっつけちゃっていいよー!」
この一言で、阿修羅の正面の顔は暗く沈み、歯を食いしばる。両側の顔が怒りの雄叫びをあげる。
激昂するアダマンタイトゴーレムが走り出す。〝闇〟の細胞を植えられている魔獣ソフィーは〝闇〟が言葉とは裏腹に危険信号を伝えているのを即感知し、念のため宝具トライデントの鎖をタコ足に絡みつける。危険信号曰く、「トナオはソフィーの攻撃の癖を知っている。下手すると一撃で脚を切断される可能性がある。粘液と鎖で慎重に対処して!」。
ドゴオオオオンッ!!!!!
「さてさて、始まったね」
戦場は下から燃えあがり、上から宝石の雨が降る。デッドオクターブの集合を少しでも遅らせようと薔薇人族たちが徹底的に燃やし尽くす。
けれどその数も残りわずか。
力を使いつくして燃尽した薔薇人族もいれば、デッドオクターブに撲殺された者もいる。上から降ってくるアダマンタイトミニガンの餌食になった者もいる。
石の書ヒルデガルドは敵味方容赦なく雨を降らせる。連合国軍も薔薇人族も粘菌人族も関係なしにぶっ放す。
准将軍も将軍も兵士も騎馬も甲虫も、苦痛を味わう前に死んでいく。その赤い地獄に照らされ、ワラキア山の麓でソフィーとトナオが激しくぶつかる。巨獣と巨人が激突する。巨大な影がワラキア山の斜面で激しく踊る。
終わりに近づく戦場。始まったばかりの戦闘。
始まっていないのはナガツマソラの魔獣女子三人と、シズクイシヒトミの魔物三匹。
そして魔獣女子の主人ナガツマソラと魔物の主人シズクイシヒトミ。
「こちらもそろそろ始めませんか?」
音波砲が稼働する。酸素とメタンが濃縮する。
「うん。でもその前に聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょう?」
「すっかり忘れたって言っているから一応自己紹介するね。俺の名前は」
「壊れている。でしたね」
「そうだね。確かにそんな会話をしたね。本当に〝懐〟かしいよ」
「それで、私を呼び出したのは何のためですか。永津真天君」
「雫石はさ、シータル大森林って知ってる?」
「確か永津君たちが派遣された迷宮がある森でしたね」
「そうそう。アルビジョワ迷宮。でね、雫石さ」
「下の名前でヒトミと呼んでくれませんか?」
「それはまたどうして?」
「呼ばれてみたいからです」
「下の名前で呼んだら本当のことを話してくれる?」
「はい」
「ついでにあの耳障りな高周波音もいったん止めてよ」
「はい」
音波砲が静止する。魔獣女子三人と魔物三匹の冷や汗が退く。
「じゃあヒトミ。教えて」
「何でも」
「ヒトミはアルビジョワ迷宮に何かした?」
「何かとは例えば?」
「上から大きな物を落としたりしていない?」
「……」
「……」
「どうして黙るの?」
男が問う。
「もし上から大きな物を落としたとしたら、私をどうなさいますか?」
女が問い返す。
「たぶん殺すと思う」
「そうですか……残念ですが本当のことをお伝えする約束ですので答えます」
女が口を開く。
「うん」
男が答えを待つ。
「私が上から大きな物を落としました。ですので私を殺してください」
「分かった……「火車」」
ヒルデガルドの開けた穴から炎が噴き上がる。「封印されし言葉」ミガモリによって最初から地下千メートルまで掘られた穴とミニガンで開通した穴は接続し、噴きだしたシェールガスに引火する。音波砲に湧いた蛆が燃え落ちる。濃縮した酸素とメタンが火と反応し、大爆発を起こす。音波砲が大破する。
真昼のように明るくなったのを合図に、魔獣三人と魔物三匹もとうとう激突する。
剣と斧が、角と牙が、魔法と魔法が噛み合い、唸りをあげ、凄まじい音でぶつかる。
「どうして嘘をつくの?」
そんな中、未だ始まらない、男一人と女一人。
「私の女の部分が、あなたという男の部分と火遊びをしたがっているから。そんなところです」
「雫石ってそんなキャラだったっけ?」
「はい。私は最初からただの変態です。あなたと壊し逢いたい狂人です」
雫石の白装束の上に現れる、墨汁のような黒い滲み。鋭敏、繊細、慎重な筆致の「愚」の字が浮かび、着物の上を流れ、漂う。
「と、誰かに言わされているだけとか?」
「いいえ。これは本心です。私は心を動かされるモノのために動くだけ」
「愚」の字が消え、別の文字が浮く。筆鋒の側面を多彩に用いて複雑な書き方をした「荒」はナガツマソラの解析力でも1・0004秒を要する。
「と、誰かに思わされているだけとか?」
「いいえ。私は自分の意志で動いています」
「そうだといいね」
「ええ。早く交わりましょう。股の奥が疼いて悶え死にそうです」
「荒」が消え、絶妙な均衡を持つ明快な「結」の字が白装束の下腹部部分に現れ、尻に流れる。一周して戻ってくると、うねうねとした「抱」の字に変じる。
「そっちからかかってきなよ。具合が良ければ本当に「抱」いてあげる」
揶揄う女を揶揄う男。
「まあうれしい」
白装束の上の文字が消え、五線譜が縦横無尽に浮かぶ。装束の中身の本体は眼球も鼻も耳も髪も消し、首から上を口器だけにする。
「イキそうになったらいつでも白鳥之歌をあげてください」
封印されし言葉「ムツキカサメ」。
雫石瞳:Lv100(ムツキカサメ)
生命力:20000/20000 魔力:30000000/30000000
攻撃力:500 防御力:9000 敏捷性:400 幸運値:7000
魔法攻撃力:70000000 魔法防御力:50000000 耐性:――
特殊スキル:月属性魔法
「カルミナ・ブラーナ。〝死の絶叫〟か。悪くないね」
ようやく表示された女のステータスを確認する男。
夢月歌讃女。
月魔法「支配の歌」を謡う歌姫。
その雫石瞳が音もなく歩き始める。
「最初はどの口でご奉仕しましょうか」
後頭部にできた口がそう告げると、目や鼻の位置にある口三つが下品に笑う。最初からある口一つが煽情するように舌なめずりをする。耳の位置にできた口二つがレロレロと卑猥な動作をして見せる。白装束の上の五線譜には怨符が浮かぶ。黒い点は目玉のようにギョロつく。
「お前の口じゃどれも入りきらないと思うよ。俺のブツは意外に大きいんだ」
そう言って、ナガツマソラは背中に隠していた剣鉈ヤツケラを抜き出す。「ほらね」と言って見せたそれは刃渡り24センチ。刃から峰の差し渡しが5センチの刃物。
「素敵です。立派で猛々(たけだけ)しくそそり勃って……時責掃射」
後頭部の口がそう告げると、ヴァイオリンとビオラとチェロの弦音が他の口から鳴り、雫石が消える。ナガツマソラは正中線を守るよう体を斜めに向け、剣鉈を右逆手に構えなおす。目をキョロキョロさせたまま、女帝の戦律に耳を澄ませる。弦楽四重奏がナガツマソラを包む。
「火遊びか。「火」は遊び道具じゃないんだけどね」
そう呟いた時には既に四重奏は消え、ナガツマソラの両目に雫石の左右の親指が突き刺さっていた。
vir et mulier