第二部 歌神香児篇 その一
さむいね。
ああさむいね。
虫がないてるね。
ああ虫がないてるね。
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずいぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだろうね。
腹だろうかね。
腹とったら死ぬだろうね。
死にたかあないね。
さむいね。
ああ虫がないてるね。
草野心平『秋の夜の会話』
0. プロローグ
「「「……」」」
アーキア大陸中央部。シータル大森林のそのまた中央。アルビジョワ迷宮。
「殺、してください」「お、ねがい。殺して」「もう、し、死なせてくだ、さい」
もとい、今はシギラリア要塞。つまり、俺のネグラ。
地下48階層。
管轄は警護部。
この管轄区には竜人族のモチカも配置しているけれど、基本はキングリッチーであるミソビッチョの警護部局長のクマグスと副局長のトミタローに任せている。
「うむ!では質問を繰り返す!お前たちは何者で、ここに何をしに来た?」
研究者あがりのキングリッチーだから、もともとはそんなに才能がある方ではなかったけれど、俺の魔獣として既に一年半も〝この仕事〟をやっているからだいぶ手際がよくなった。
「私は、アントピウスか……ら送られてきた、諜報員、です」
「私、枢機卿の命をうけて……」
「わ、わたし……元冒険者で、暗殺者としての能力を買われて……」
「オホン。それは二日前にも聞きました。で、誰を殺しに来たのですか?」
クマグス局長とトミタロー副局長も含め、九名のミソビッチョ警護部が三名ずつに分かれて、個室に閉じ込めたそれぞれの女に繰り返す尋問。
否。拷問。
それを俺は、自分の部屋シルバーハウスのある地下208階層から見ている。
拷問部屋と別に同じ場所にいなくても、シータル大森林の中で俺に感知できないものなんてない。だから部屋で食事しながらテレビを見たりラジオを聞く感じで、静かに拷問を眺めていられる。ちなみに今日のマソラボッチクッキングはイワシの菊花和えにカレイの煮つけ、揚げ大根の葛餡かけ、そしてシギラリア要塞産の白米と味噌汁。魚介類は諜報部が諜報のついでに買ってきてくれる。野菜はシータル大森林のヤツケラやロンシャーンの山岳民が分けてくれる。どの食材も洗練されていて、本当に旨い。
「よくマイワシなんて手に入ったね」
俺は隣に立つ銀色のウルフカットセミロングに言う。色白の肌に紅い瞳。
「はい。ミソビッチョのみなさんが色々と探してくれました。カタクチイワシ、ウルメイワシをはじめ、アユ、カレイ、シラウオ、コイ、ウナギ、シジミ、貝とマソラ様の好みの魚介を見つけてはコツコツと買ってきてくださいます」
白のカチューシャ。白い襟。黒のワンピース。白のエプロンドレス。要するにメイド服。
「それはとってもうれしい。……それにしてもコマッチモ、料理が本当に上手だね」
ついでに擬態のレベルも。こっちのツボを良く読んでいらっしゃる。さすが。
「菊の花を合わせ出汁に漬け込んだだけです」
「その菊の花の茹で加減が難しいんだよ。合わせ出汁の配合も、イワシの下処理も、一緒に和えた春菊も上出来。どれもこれも香り立って美味しい。話すことも料理することもコマッチモは上達が早いね」
「マソラ様のご指導の賜物です」
給仕係は元魔物のヴァルキリースライムにして今は魔獣のコマッチモ。異世界パイガに来た俺がアルビジョワ迷宮で死にかけ、「封印されし言葉」で転生して最初に出会った友達だ。俺の無理を色々聞いてくれて、ここまで一緒にやってきている。本当に感謝しかない。いつものようにフードファイターみたいな女子たちが混ざって賑やかな食卓もいいけど、時にはこうやって二人だけでいるのもいいね。
「さてさて……」
素晴らしい食材を使った丁寧な仕事の料理をゆっくりほおばりながら、俺は三人の自白を整理する。
「ころ、殺し、て、ください」「おねが、いします。殺して」「し、死なせて……」
三人が繰り返す希死願望を聞きながら。
元は叩き上げの冒険者らしく、捕まった当初はもっとずっと強気でこんなんじゃなかったんだけど、俺の〝料理〟を食べたら一週間と経たず変わっちゃった。
自白のために用意した三人への〝マソラボッチクッキング〟。
一品目は塩抜きの食事五日間スペシャル。
塩、つまりナトリウムイオンを摂取できないと人間族だろうと亜人族だろうと神経伝導がまともに行えなくなるからイカれてくる。すなわち低ナトリウム血症を狙った一品。
二品目はグローブ。
プロの殺し屋相手にただの手枷では緊迫感が薄いだろうから、指をグーにしたまま一切動かせない鋼鉄製のグローブを三人には嵌めさせている。重さはグローブ一個につき20キログラム。重量を大きくしたのは一応逃亡させないため。といってもグローブは太い鎖で壁とつながれている。指を動かせないストレスは結構堪えるという狙いもあって考案したメニュー。
そして三品目のメインディッシュは不眠。
すでに三人とも四日間寝ていない。眠れば隣に据え付けてある水槽にミソビッチョたちが頭から彼女たちを沈めて強制断眠。その際、舌は噛み切れないようにタオルを口に突っ込んでいるから自殺の心配はない。目が覚めたら水槽から出して、また尋問。眠れない苦痛と恐怖で脳は壊れ、同じ言葉を繰り返す人形になる。
あ、それとデザートは送風。
風の大精霊フルングニルを宿したギュイエンヌが要塞内の空気を常に循環させている。その風の一部をこの拷問部屋にも流している。その強さを調整する。要するに扇風機。
水攻めの後はしばらく扇風機で三人の身体を冷ましてあげている。結果、体温が瀕死寸前まで下がる。生きるためには発熱しないといけない。体の栄養は発熱のためにことごとく使われる。だからもっとご飯が食べたい。腹が減る。そしてこちらは塩抜きの食事をたっぷり用意する。大豆を煮てペースト状にしたものを、口を無理に開かせて鼻をつまみ強制的に飲み込ませる。フォアグラ級の強制採餌。おかげで肉付きだけは前よりよくなった。
身体をなるべく壊さず、いかに精神を追い詰めるか。その点を磨き上げた警護部の拷問は素晴らしい。最初はおっかなびっくりだったけど、反復練習をさせたらこの通り。さすがだね。
「ここで最後に、死んだ……召喚者を……」
「ナガ……ツマソラ……探せと、言われた……」
「もし生きていた……ら、殺せと……」
シータルの森にあるアルビジョワ迷宮に先日〝客〟が入った。冒険者や難民がシータル大森林に来るのはザラだけど、迷宮に侵入したのはめずらしい。
「探せ?生きていたら?本当はナガツマソラ様が生きていることを最初から知っていて、刺客として乗り込んできたんでしょ?」
〝客〟は、森の部族ヤツケラの避難用に設けた迷宮地下一階層の延長通路を森の中で見つけ、ステルススキルを発動させた上で、シギラリア要塞に潜る。そこまでなら見逃しても良かったけれど、養殖ウサギの世話をしていたヤツケラ五名の喉を掻き切って殺したので〝客〟ではなく〝敵〟と認定し、ミソビッチョの闇魔法を使い捕獲。そして今に至る。
三人の諜報員もとい暗殺者。亜人族二人に人間族一人。
レベルは全員35。諜報部の話だと冒険者ランクはBのトパーズプレートだから相当なエリートだとか。
名前も出自も家族構成も職業も含めて、はっきり言って興味がない。
俺にとって興味があるのは、誰が依頼主かということだけ。
アントピウス聖皇国の最高権力者にしてカディシン教の最高指導者であるオファニエル聖皇の名前が出るかと期待しているけれど、出ない。まあ当然と言えば当然か。大国のナンバー1権力者が召喚者崩れの俺の抹殺を直接指示するはずなんてまずない。
それで、彼女たち三人が言うのはナンバー2以下の、誰かの名前ばかり。
つまり枢機卿の名前。諜報部の調査や、頼んでもいないのに寝返ってこちらに情報をジャンジャン流してくれるアントピウスのソペリエル図書館館長ジブリールのおかげで、枢機卿らが所属する元老院カペルラなるものまでこちらは既に知っている。
「マ、リク……」「ブ……ブロイニング」「枢キ卿……」
「そうか!それは三日前にもう聞いた!本当は誰の命令だ!?」
「だ、から……何度も言って、る」「……そのスウ、機卿がジキ、じきに……」「私たち、たちを、呼んで、ここ……調べろって……」
「聞こえないんだけど。もっと大豆が欲しいって言ったのかしら?」
「水風呂に入りたいんですか?なんなら氷も足しましょうか?暑いから風を当てて欲しいんですか?風をもっと強めましょうか?」
「「「…………殺して」」」
元老院カペルラの構成メンバーは全部で十二名。
彼らがアントピウス及びその属国の運営方針を決め、ボスであるオファニエル聖皇に意見具申する。聖皇は基本的にそれに頷くシステムになっている。
そのカペルラの一人にして、十二名のリーダー格がマリク・ブロイニング枢機卿。
俺と同級生がこの異世界に召喚され、顔を合わせることのできた唯一の枢機卿。
彼の担当はアントピウスの主要施設とこのシータル大森林。
だからシータルの森にあるアルビジョワ迷宮も当然彼の管轄内。可もなく不可もない彼の思考パターンからして、暗殺者を雇ったのは俺を殺すというよりも行方不明者が続出しているこの不気味な森の中で、生存確率の高いスキルを持った者をスパイとして選んだ方が色々と情報を収集できると踏んだからだろう。そんなことは大体予想できる。予想できて、しかも同じ元老院に属する図書館長の情報漏洩のおかげでほとんど的中していることも分かっているから、つまらない。
俺が生きているかどうかを調べるために五人も死なせた。つまらない。
つまらないくせに、つまらない連中は、俺の仲間を殺した。そこが苛立つ。
「見苦しいだけなのでいい加減、殺しますか?」
揚げ大根の葛餡かけを呑み込んだ俺に、コマッチモが問う。瞳の紅色と角膜の白色が反転する。
「そうだねぇ、どうしようかな」
白米を箸で口に運びつつ、拷問官を務めるミソビッチョたちに念じる。
「ん?分かりました!良かったな!お前たちが探していたナガツマソラ様からご指示が出たぞ!」
三名のミソビッチョがそれぞれの個室で俺の言葉を女たちに伝え始める。
「!?」「!?」「!?」
「お前たちの予想通り、こちらにナガツマソラ様はいらっしゃる。だがそれを知った以上、生かしてアントピウス聖皇国に返すわけにはいきません」
三人三様。
やっと殺してもらえるとホッとした表情をする者。
顔をクシャクシャにして泣き崩れる者。
気が触れたのか、「お願いだから助けて」と叫ぶ者。
「だから〝寝かせる〟そうよ」
「「「?」」」
三人の暗殺者がそれぞれミソビッチョを、驚きの目で見て固まる。
「そのままお言葉を伝える!「疲れたでしょ?もう寝ていいよ。これから俺の仲間のミソビッチョたちに君らの寝床を用意させるよ。そこでたっぷり眠って。グローブも外すし、塩分もあげる」
「「「……」」」
それぞれの部屋で、困惑した表情を浮かべる三人の女。鞭で打たれたり、殴る蹴るの拷問には慣れていても、心を犯られる拷問は初めてだったみたいだから、顔が童子みたいになってかわいいね。
「でも寝たまま」
「「「?」」」
「手足を一本ずつ縛り上げて、横になったまま動けないように固定する。寝返りもうたせない。ずっと仰向けのまま」
「「「……」」」
「そうすると、ヒトはどうなるか知ってる?背中や尻の血液が滞るんだ。鬱血ともいう。簡単に言うと床ずれだね。そうなると鬱血箇所から全身に痛みが走る。それでも寝たまま。姿勢は変えられない。血液は酸素と栄養を運ぶためにあるんだけど、それが滞るから、背中と尻はやがて腐る。腐ると普通そこから毒素が出て、それが全身にまわるから死んでしまうけれど、そこは大丈夫。腐っても俺たちが薬を使ってその毒素を分解する。だからずっと激痛を味わい続けられる。ラブン。メナン。キガリ。ダラマ。アリン。五人の大事な仲間の人生を君たちは奪ったんだ。五年は寝かせたままにしてあげる。目隠しをして、脳が劣化するまで……とのことよ」
キャベツとワカメの味噌汁を啜りながら、俺は魔力素で三人を見る。
三人の暗殺者の表情が、思考が、心が、死んでいく。
初めての拷問の後に待つのは死ではなく、よく知っているようで知らない初の拷問。こんなことを考える奴はたぶん壊れているよね。……?
「マソラ様!!!」
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ンンッ!!!!
コマッチモが瞬間的に元のスライムの姿に戻り俺を呑み込む。食事中だった俺のテーブルがひっくり返る。料理も何もかもすべて宙に浮き、ひっくり返る。かつて経験したことのないほどの巨大地震が発生する。またロンシャーンの噴火?直下型地震?
地震?いや違う。地震の揺れ方とは違う。地下の断層から魔力素が噴きだす感覚は一切ない。
「コマッチモ、ありがとう。もう大丈夫」
揺れが収まったところで、俺はコマッチモから出る。
「ミソビッチョのみんな!ヤツケラのみんな!現状の報告をお願い!」
俺は俺の細胞を植えてある全魔獣たちへ、俺と経験共有をしている全亜人族たちへ、協力を要請する。同時に俺は背中から銀の蔓を伸ばし、シギラリア要塞の様子を全身で調査する。
ギシュギシュギシュギシュギシュギシュ……
シギラリア要塞はもちろん、シータルの森の一木一草まで調べ上げる。
(マソラ!一体何が起きたの?)
(マソラ様!凄い揺れでしたが大丈夫ですか!!)
森で仕事をしていたイザベルとクリスティナから念話で連絡が入る。
(今原因を調べている!二人は無事なの!?)
(私たちは大丈夫よ。ただ地響きの前にすごい音が聞こえた)
(音?)
(はい!空からものすごい音と一緒に、何かがシギラリア要塞に向かって降ってきました!!)
(…………分かった)
俺は銀の蔓を水平方向に伸ばすのをやめ、垂直方向に伸ばす。シギラリア要塞及びその周辺に的を絞って調査を開始する。
(マソラ殿!!)
(ファラデー!そっちは平気!?)
(機材その他は散乱しておりますが、どうにか無事です!現在、各分掌の局長に被害状況を確認させております!!)
(?)
そのとき、
(!)
俺の銀の蔓は、
(マソラ殿!大変です!!地下60階層で……)
触れた。
右腕が千切れて瓦礫に埋もれている、ギュイエンヌに。
(作業中のギュイエンヌ殿が負傷されたとの報告が入りました!繰り返します!土木部管轄の地下60階層でギュイエンヌ殿が負傷されたとの報告がアボガドロ局長から入りました!!)
(うん……分かった)
土木部のミソビッチョが必死になって魔法で瓦礫をどかしている間、俺の銀の蔓はギュイエンヌにまだ息があることを確かめ、千切れた腕の先を探す。けれど腕は瓦礫でメチャクチャに破壊されている。
「……くそ」
イザベルやクリスティナと異なり、風の大精霊フルングニルを宿している分、ギュイエンヌの体の再生に俺の細胞は多用できない。魔獣化を進めるとフルングニルが消滅してしまう。だからこそ、だからこそあまり外に出さないようにしていたのに……。
(ミソビッチョだけじゃ復旧は無理だし危険だ。ニーヤカとジョケジョケを使って61階層から上の全ての瓦礫を撤去させて。ジョケジョケの面倒を見る教育部以外のミソビッチョは医療部の応援にまわって!)
(了解しました!)
シギラリア要塞。地下208階層。シルバーハウス内の執務室。
事件から四時間後、ジョケジョケを中心メンバーとして瓦礫の撤去と負傷者の救出が一段落する。
死者も出た。
ミソビッチョ7名。
ヤツケラ46名。
死亡したヤツケラは、遺族の了解を得て俺が銀の蔓で取り込んだ。彼らは俺の魔力素になった。
死亡したミソビッチョは、完全に消滅してしまった。取り込むことすら叶わなかった。墓標しか、残せない。
「神の杖、でございますか?」
「そう」
俺は全分掌の局長と副局長及びヤツケラ八部族の族長を集めて被害状況の報告を彼らの口から聞いた後、銀の蔓による現場分析から導いた答えを完結に述べた。
「神がマソラ殿に杖を振りかざしたということでございますか?」
官房部局長のファラデーの問いに俺は首を横に振る。
「違う。「神の杖」という名の武器があって、それを何者かがこのシギラリア要塞、いや、アルビジョワ迷宮めがけて落としたということ」
〈兄様はその「神の杖」という武器のことをご存じなのですか!?〉
仕事で行かせていた世界の果ての島から急ぎ戻った竜人族のモチカが、地下200階層に仮設した治療室から質問してくる。交信手段は画像音声付の魔道具。各階層の主要施設に設置してある。
仮設治療室のベッドには負傷したミソビッチョやヤツケラが多数いる。そして片腕を失ったギュイエンヌがいる。意識はまだ戻らない。
涙目でギュイエンヌの残された手を握るのは、モチカに同行させていた蛸人族のソフィー。俺の「迷宮めがけて落とした」のくだりから青筋を浮かべて怒りを堪えているのは、その隣にいる風人族の双子姉妹。イザベルとクリスティナ。
「ああ、知ってる。俺の元いた世界では夢物語とされた武器。でも考案はされていた」
神の杖。とある航空宇宙機器メーカーの社員が考案した宇宙兵器。
「この足下から高さ100キロを超えるとそこは宇宙と呼ばれる領域になる」
俺はコマッチモが注いでくれた紅茶の水面を見ながら〝夢物語〟を始める。
「ウチュウ、でございますか」
この異世界の物理法則は俺が元いた世界と基本的に一緒。
「神」なんてモノがいるのかどうかは知らないけれど、「神」はこの世界をシミュレートする際に二つの世界を同じように設定したのかもしれない。まあそんなことはどうでもいい。
「そう、宇宙。で、この足下の大地が引っ張る力、つまり重力がかなり弱まる地点の宇宙。つまり高さにして1000キロメートルのところに、金属の棒を置くんだ」
「1000キロメートル上空の宇宙……想像がつきません」
土木部局長のアボガドロが首を小さく横に振る。
「そうだね。普通は想像できない。行ったことがなければ」
「主様は行かれたことがあるのですか」
招集した八部族の長の一人、亀人族族長タダカツが皺だらけの首を伸ばしながら聞いてくる。
「元の世界では映像で見たことがあるだけだけど、この世界では魔力素を使ってじかに見た。と言っても高度は200キロメートルまでだけどね」
タダカツは「なんと」という声を漏らし、首を元に戻していく。
「それで、金属の棒をそのような高い所まで持ち上げて、どうなさるのですか?」
「簡単だよ」
土木部副局長のラボアジェに問われた俺は、ティースプーンを持ち上げる。
カチーンッ!
「落とす。これだけ」
テーブルの上に落とされたスプーンが一度だけ跳ねて転がり、沈黙する。
執務室に詰めた一同が互いの顔を見合わせる。プラネタリウムに投影される星々のように、執務室の壁にはあらゆる階層の映像が360度にわたり、映る。可視光線以外も捉えられる俺はそのすべての映像を、首も目も動かすことなく視る。加えて追放聖皇オパビニアを葬った際に手に入れた「封印されし言葉」で鼻も利く。通気口を通じて様々な感情が化学物質として俺に届く。
モニターには、ジョケジョケたちも当然映っている。
神輿部隊ニーヤカを応用して完成させた、総勢101名の真天罰屍鬼。
会議が始まるまでは思い思いの場所でくつろいでいたけれど、始まると総長の合図で整列し、十番隊まで直立してこちらの話に耳を傾けている。魔力素の流れも匂いも、魔獣と違う。もちろん〝そう〟創った。
「ただ金属棒を落とす。その結果、衝突時の速度は時速一万キロを超える。一万キロっていうのは竜人族のスピードスターであるモチカの三倍以上の速度」
仮設治療室のモチカ本人も含めて、大多数が「え?」と口を思わず開ける。
「衝突エネルギーは見ての通り、アルビジョワ迷宮を中心に半径二キロ圏内の一切が消滅。中心部分に至っては地下61階層まで貫通」
黙っていたジョケジョケもまた、互いに顔を見合わせる。
「落とした金属棒は破片の分析から高硬度のタングステン製。破壊力からして、金属棒の重量は約100キログラム」
「……防ぐことはその、できるのですか?」
冷めた紅茶を前にして、外交部局長のピタゴラスが皆の考えを代弁する。そのピタゴラスに俺は静かな笑みを向ける。
「軍事衛星……平たく言えば金属棒を落とす〝仕掛け〟は、高度1000キロメートルにあって、その高度を保ったままこのアーキア大陸の上空を秒速7・4キロメートルで移動している。時速に換算して26640キロメートル。モチカの八倍以上の速さだ。止めることなんてできるわけがない」
衛星軌道まで魔力素探知することも無理。仮にできたとして、軌道予測ができる代物なのかどうかも不明。
「そして金属棒が落下を始め、それを感知できたとしても防ぐまでの時間がない。つまり防御不可能。だから「神の杖」なんだよ」
〈マソラ様のいた世界って、そんな危険な武器があったんですか?〉
そう問うクリスティナの声は弱々しい。
不可能……。俺が口にしてはいけない言葉だった。うっかりしてた。
「現実化はしていなかったよ。高い所に金属を運ぶには途方もない費用がかかるし、それに」
俺は再び手にしたティースプーンに映る歪んだ自分を見る。
「そんなことを誰かがやったら、他の誰かが真似をしてついには世界が滅んでしまうから、約束したんだよ」
メキャ。
「絶対にやめようねって」
手の中で球体に丸めたスプーンをテーブルに捨てる。
「「「「「……」」」」」
宇宙条約は地球周回軌道上に核兵器のようなものを置くことを禁じていた。ヒトが二足歩行をするケダモノではないことを証明するために。
〈ということは、その「絶対にやめようね」を破った奴がいるってことね〉
イザベルが表情を硬くしたままつぶやく。
「そうだね。やったのはおそらく俺と同じ世界の住人。つまり召喚者。もしくは召喚者を自由に操れる立場にいる者」
「聖皇……」
誰かが言う。執務室で。
「あるいは魔王かもしれない」
誰かが呼応する。各階層で。
執務室をはじめ、モニターの中も騒がしくなる。俺ばかりが少し喋りすぎた。不安や恐怖を声に出したい気持ちは分かる。みんなが落ち着くまで俺は待とう。
「お前たちの仕業?」
騒がしい中、俺は岩塩を握りしめて部屋にうずくまるずぶ濡れの暗殺者の三人をモニター越しに見る。既に鋼鉄製のグローブを外してやり、ゴルフボール程度の大きさの岩塩を一人一個ずつ与えている。
事故後まもなく、復旧作業を始める前に三人とも同じ部屋に移した。わずかな希望と安堵を与えて正気に戻すために。三人は岩塩を舐めた後、互いに肩を寄せ合って眠っていた。そして会議に合わせて起こした。彼女たちのトラウマとなっている水をぶっかけて。
「お前たちが「神の杖」をここに誘導したのかな?」
俺は質す。菫色の瞳を輝かせながら。
「「神の杖」なんて全く知らない!」
「私たちは何も本当に知らされていないわ!!」
「誘導なんてそんなことできるわけがない!」
目の下に深いクマをつけた三人が必死に叫ぶ。叫んだだけで髪がハラハラと抜けて落ちる。相当なストレスなんだね。俺の存在は。うふふ。
「そうか。そうだね。取り調べを受けていたお前たちに誘導は難しいかもね。そしてお前たちが出来ることと言えばあとは〝寝る〟ことだけだもんね」
「「「!!!」」」
数時間前に聞かされた拷問メニューを思い出し、絶句する三人。ガタガタと震えだす。
「異世界から来た召喚者はね、聖皇に発信機を埋め込まれるんだ。だからお前たちが知らなくても体に埋め込んだ発信機を使って誘導することだってできそうでしょ?体中の穴という穴にチンダラガケを突っ込んで〝体外〟に発信機がないかもう調べたけれど、今度は体中を麻酔なしで切り開いて〝体内〟全てを調べてあげるよ……おっと」
騒ぎがいつの間にか落ち着き、鎮まってる。
スー、フー……。
魔力素の流れと同じくらい、「匂い」も俺に様々なことを告げる。
三人の暗殺者のことは「鎮守の森」の誰もが知っている。それが聖皇の使いっ走りであることも、俺は既に伝えている。だからこの三人と「神の杖」を結び付ける思考が働き始めている。「匂い」はそう俺に告げる。まあ、無理もないね。聖皇が一番クサいと疑うのは当然だろう。
「マソラ殿はもしや、オファニエル聖皇以外に心当たりがあるのでしょうか?」
沈黙を破るファラデーの質問で、再び俺に注目が集まる。
「可能性がありそうな者を抽出できないこともない、かな」
穏やかに言って俺は諜報部のマクスウェル局長とボーア副局長を見る。二人が構える。
「今、北西のマルコジェノバ連邦が大変なことになってるらしいんだよね」
俺の振りに、マクスウェル局長がハッとした表情を浮かべ、そして頷く。
「召喚者の一人が偽名を名乗り、軍を従えて北征しているという情報が入っています!」
「召喚者の名前は?」
「ジブリールの推測と我々の調べでは、おそらく雫石瞳かと思われます」
雫石瞳。シズクイシヒトミ。
俺と一緒に異世界召喚された者。
同じ高校に通う、けれどクラスは違った同級生。
俺を見て「懐」の字を書いた不思議な子。カイ。フトコロ。ナツカシイ。
「こっちの世界に来て間もないころに見た彼女のパラメーターは普通だった」
三つ編みと、カジュアルなねじりを加えた茶髪の綱編み込み(タイトロープ)。
召喚したアントピウスからもらえるせっかくの給金を書道セットにつぎ込む、変わった女。
不思議な視線を隠すことなくこちらにずっと向け続けてきた女。
今まであったどのタイプの人間とも異なる。何かを抱えているような……ふふ。
どの口がそんなことを言うんだよ、まったく……まったく。
「異世界召喚後しばらくして能力開花が起きたとすれば、それはもしや」
「うん。おそらく「封印されし言葉」を見つけて入力したんだろうね。それで強大な力を得た。例えば高度1000キロメートルまで金属を持ち上げて落とす力を」
ファラデーの推測に俺は言葉を継ぐ。
「あるいはやはり聖皇かもしれない。俺のいた世界において「神の杖」自体のアイデアはずいぶん前からあった。俺や雫石が来る以前にこの世界に連れてこられた召喚者の誰かが「神の杖」を知っていて、それを聖皇に伝えていたとしてもおかしくない」
「しかし、そうであればなぜ今このタイミングで聖皇は「神の杖」なるものをシギラリア要塞へ使用したのでしょう?」
諜報部のボーア副局長が尋ねる。薄くはあるけれど世界中に張り巡らせた諜報網の中心にいる彼が知らないということは、シータルの森にいる誰も真相の尻尾を掴んでいないことを意味する。
「そこが問題だね。だからそれこそ調べてみる必要がある。なぜこのタイミングで聖皇がここに落としたのか。落とせるようになったのか。新たな「封印されし言葉」が見つかったのか、それとも隠していただけで、このタイミングで落とすのは予定の内だったのか」
ボーア副局長が深くうなずく。モニターに映る三人の暗殺者の方を一度見て、けれどまた視線をテーブルに戻す。真相の解明が容易でないことを一同がそれで思い知る。沈黙が霧のように広がる。
「そう言えばね」
誰も何も言わないので仕方なく、俺は霧を掃うべく、もう一人をリストアップする。
「一人、気になっている子がいるんだ」
「それは召喚者でございますか?」
ボーア副局長が再び視線をあげて尋ねてきたので俺はコクリと頷く。
「うん。諜報部から雫石瞳の名前が挙がった時にふと、こう思ったんだ」
俺はコマッチモが新たに注いでくれた紅茶を啜る。
「そう言えばさ」
マルコジェノバ連邦産の紅茶は美味しい。ほんと、目が覚めるくらいに。
「どうしてこんなにたくさんの召喚者が、一度に召喚されたんだろうって」
「ど、どういうことでございますか?」
鹿人族族長マサユキがソワソワした様子で尋ねてくる。
「ジブリール図書館長の話ではね、召喚の成功率はものすごく低い。千人に一人くらいの割合でしか上手くいかないらしい」
ちなみに上手くいかなかった失敗召喚者のなれの果てが魔物なんだよ、なんてことを言ったらシカの角がポロリと落ちるだけじゃ済まなくて世界が終わるくらいのパニックになるだろうから俺は言わない。
ジブリールすら気づいていないけど、魔力素として魔物を銀の蔓で吸収していくうちに俺は魔物の正体を知った。あれは元いた世界の人間たちだ。まあ、俺にとってはどうでもいいことだけどね。
「そんな成功率の低い召喚が、突然成功率を上げた。それが俺たちを召喚した時なんだよ」
修学旅行で新幹線を利用中に、俺は召喚された。
新幹線にはそのとき800人近い乗客が乗っていたはず。そのうちの約五割、人数にして369名の生徒と20名の教員が車内にいた。
そして異世界パイガにおいて召喚の儀式が行われ、36名の召喚者が召喚された。
「同じ世界の同じ場所で同じ時にこれだけの数の召喚者が来た記録は過去にないらしい」
この点はジブリールに徹底的に洗わせた。彼自身も興味があったから好きで徹底的に調べてくれた。
「神に選ばれし、我らが主マソラ様のお力の影響ではないでしょうか」
鼠人族族長マタベーがそう言うと、一同はもっともだとばかりに頷く。
ダメダメ。
そういう発想を持っちゃうと思考はそれ以上先に進められなくなる。なんてことを言おうか言うまいか悩みながら紅茶をまたそっと啜る。花束みたいな甘い香り。落ち着くなぁ。色もルビーのような紅でキレー。ティーカップまでこんな白磁に……って、こんな高級品いつの間に買ってきたのさ。まったく。
「俺の力はこのアルビジョワで死にかけてから得たもの。召喚された時はただのヒトだよ」
言って俺は、角砂糖をポトリと紅茶に落とす。
「いえいえ。神聖なアルビジョワ迷宮で力を得たのは最初から神のお思し召しがあってのことで……」
「まあ今はそれはそれとして置いておこう。とにかくね、36名の召喚者が召喚された。それが不思議なんだ。36名のうち35名は俺と同じ高校……学び舎に所属していた人間でさ、一人だけ違うんだよ」
俺の話を聞いているほぼ全員が頭に「?」を浮かべる。
「でもそいつは俺たち35名と同じ所属の服を着て、同じ学び舎にいたって主張を続けている」
俺は、同学年全員の名前と顔を記憶している。
別に自分から望んで記憶したわけじゃない。必要が生じて記憶した。
同級生で幼馴染の赤荻晴音にはファンが多い。見た目や性格が原因だろう。
そしてその晴音に俺はなぜか好かれていた。理由は不明。
そういうわけで俺は高校にいた時からしばしば嫌がらせを受けていた。盗難の被害に俺自身が遭うこともあったけれど、面倒だったのは盗難の犯人にでっち上げられたこと。
ある日、女子更衣室から体操着と下着が複数なくなり、それらが俺のロッカーと鞄の中から見つかるという〝事件〟が起きた。ブラジャーの半分がこれ見よがしに俺の鞄から出ている時点でロースペックな頭脳プレーだが、生徒指導案件であることに変わりはない。
で、事件に巻き込まれた俺は結局、生徒指導室に連れていかれた。
その際、たまたま一人きりになる時間が発生した。取り調べを行う体育教員に緊急の用事ができて、五分ほど教員は部屋を出た。同級生全員の個人情報が記載された生徒要覧と俺を置き去りにして。
再び取り調べの教員が戻ってくるまでの間に、俺は368名全員の名前と顔と住所と電話番号と親の勤務先と兄弟姉妹の履歴を記憶した。これが同級生を覚えている経緯。
ちなみに犯人が分かったあと、俺はせっかくなので同級生のその男子の下着に防犯用トウガラシ催涙剤の中身とほぼ同じ成分の塗料をたっぷり塗ってあげた。体育の水泳の授業が終わったあと、そいつは何も知らず下着を履き、股間の先にたっぷりとトウガラシを付着させ、悶絶して救急車で運ばれた。
それ以後「ドリルトウガラシ」というあだ名がソイツにはつき、「チンコ痛ぇええ!」と叫びながら床で転げまわって悶絶する際の動画がSNSにばらまかれた彼は、修学旅行に行く半年前の夏休みに学校を中退した。
よかったねドリルトウガラシ。俺のおかげで異世界に来なくて済んだんだから感謝してほしい。キャロライナ・リーパーなんて股間に塗る経験も、そうできないよ。
とにかく俺はちょっとした理由で、同学年368名全員の個人情報をもっている。
その誰にも該当しない奴が、同級生の制服を着て、同級生を装っている。
(ふふっ。そのドリルトウガラシとは一体、何者なのでしょうか?)
ずうっと沈黙していたコマッチモが突然俺に念話で質問してくる。しかも笑ってる。
あっ、そうか。
コマッチモは俺の細胞移植が多いから、近くにいると心まで読めるのか。
ドリルトウガラシはどうでもいい。
問題は同級生に成りすましている〝コスプレ野郎〟だ。
それにしても、コマッチモも笑うんだ。ちょっと驚いた。
(だってドリル……ぷふっ!クスクス……トウガラシって……ぷふふっ!)
「それで、その者とは一体何者なのでしょう?」
ファラデーが深刻な表情で質問してくる。
「そいつの名前はドリ……じゃなくて黛明日香」
独り笑いをこらえてプルプル震えているメイド服ヴァルキリースライムを放っておき、俺は話を進める。
「この世界に来た当初は魔法による記憶操作をされて気づかなかったけれど、アルビジョワ迷宮で「封印されし言葉」を使って転生した後、マユズミアスカなんて人間が同級生にいないことに気づいた」
うちの諜報部は世界各地に情報網をもっている。
当然アーキア超大陸北東方面の情報も集めている。十数人の召喚者のうち、俺と〝同期〟の召喚者は9名派遣されている。そのうちの2名、田久保日葵と小貝相登はピルニツ諸島で負傷し、アントピウス聖皇国に戻ってきている。
その手配をしたのが黛明日香だとジブリールは言っていた。そしてその情報を得た時に黛明日香なんて同級生がいないことを思い出した。ただしこのことはまだジブリールには伝えていない。言うと面倒事を起こしそうだから。
「その者もやはり疑うべき、ということでしょうか?」
外交部副局長のガウスが口を開く。疑ったうえで交渉するのか戦争をするのかは、彼らにとって確かに大事だ。
「うん。召喚の成功率が飛躍上昇した原因が黛明日香だとすれば、そんな大魔法が使える奴が重力を操作できてもおかしくはないでしょ?」
「いやはや、何と敵の多い」
外交部局長のピタゴラスが頭を抱える。
「仮想敵ならまだいる。魔王ウェスパシアだってやっぱり可能性は否定できない。現にゲッシ王国に矛先を向けてきている。ゲッシ王国は魔王領とシータル大森林に挟まれている。塔や火山や花屋をぶっ壊したせいで、シータルの森に〝何か〟が潜んでいるのは既に魔王側にバレていると見ていい。だからゲッシ王国を攻めるにあたって〝何か〟に対して牽制をしかけてきてもおかしくない」
「時期的には道理にかなっておりますが、それでも聖皇の場合と同様、どのようにしてその力を手に入れたのかは疑問が残ります」
頭を抱えたままピタゴラスがテーブルに言葉をこぼす。
「その通り」
「それと、不謹慎な話に聞こえたら申し訳ございませんが、仮に私が魔王で「神の杖」を持っていれば、聖皇のいる街アスクレピオスを最初に狙います。マソラ様の所在よりもオファニエル聖皇の所在の方がはっきりしていますし、敵対していることは明らかですから」
「マソラ殿が魔王などという小物と手を組むわけがなかろう!」
「そういうつもりで言ったのではございません!どうかお許しを」
「ファラデー。ピタゴラスに変な水を差さないで。でも今のたとえ話はなるほどその通りだね。……俺のいるところに落として威力を確かめたのかな?それとも見せしめかな?」
甘くした紅茶を俺はごくりと飲む。
「おそれながらそのどちらも違う気がします。間違いなくマソラ様を最初から狙ったものでしょう」
俺はティーカップをテーブルに置く。ファラデーがため息をつく。
「マソラ殿の「鎮守の森」。いいえ、マソラ殿のお命を狙う輩は数知れず。そのすべてを調べつくし明らかにして、逐一撃滅していきたいものです」
「ところがどっこい、時間的猶予がないんだよ。「神の杖」の威力を思い知ったでしょ?一本の金属棒で、強化したシギラリア要塞の61階層まで貫通できる究極兵器。〝敵〟が何本の〝杖〟を打ち上げたのか知らないけれど、こんなのを何本も同じ場所に打ち込まれたんじゃ、森のみんなの命がいくつあっても足りないよ」
「我々の命など些細なものですがマソラ殿にもしものことがあ……」
「些細?それは違うね。俺は俺と同じ方向を見つめる命に優劣をつけない。些細な命はこの「鎮守の森」に存在しない」
ファラデーが一度黙し、「失礼しました」と頭を下げる。モニターに映る神輿部隊ニーヤカがさらに頭を低くする。そんなに低くしなくていいよ。オーバーだって。
「で、では……どうなさいますか?」
官房部の局長が叱られて頭を下げたものだから、副局長のパスカルが采配を仰いでくる。「狙いはたぶん俺だよね」
そう言った瞬間、ヤツケラの族長たちがマジマジとこっちを見ながらガタリと席を立つ。
「違う、違うよ。大丈夫。シータル大森林の仲間をここに残して俺だけどこかに行くなんてことはしないって」
ハァッと息を吐き、族長たちが座る。
〈その時は、命を盾に我らがお守りいたします!〉
モニターから聞き慣れない声がして俺は顔を向ける。
ジョケジョケの総長カタバミか。
下を向いている副長のツユクサと違い、こっちに熱い視線を向けている。
ツユクサ。カタバミが暴走したら止めてね。なんて言わなくても大丈夫か。心の裡で何を考えているのか、お前たちのことだけは読めないけれど、まあ任せるよ。
「ありがとう。瓦礫の撤去作業といい、本当に助かる。シギラリアの復旧が終わったら一緒に作戦行動を進める。その時もよろしく頼むね」
〈お任せくださいマソラ様!!〉
他のダムネーションアンデットが驚くほどの大声で返事をするツユクサ総長。こういう真面目なのばかりじゃないのがこのアンデットたちの面白さだ。まあそれはおいおい楽しむとしよう。
「作戦、と申されましたか、今」
こちらも〝復旧〟したファラデーが質問してくる。
「そう。現段階で「神の杖」をもつ仮想敵は四名。①大陸南西アントピウス聖皇国の指導者オファニエル、②大陸東部魔王領バルティア帝国の支配者ウェスパシア、③大陸北西マルコジェノバ連邦で暴れまわる雫石瞳、④大陸北東にいる謎の召喚者黛明日香」
モニター越しも含め、みなが次の言葉を待ってるみたい。じゃあ、続けよう。
「どれもこれも優先順位を下げることができない相手だ。オファニエル聖皇はロンシャーン山脈に再び山路を建設中。魔王ウェスパシアはゲッシ王国を狙っている。雫石と黛は能力も意図もまだほとんど読めていない」
俺はニタリと笑う。
「だから同時に始末する」
全員の眼が点になる。ドリルトウガラシのツボから戻ってきたコマッチモがいつも通りエレガントに紅茶を注いでくれる。
「指揮官を四人立て、マソラ様がこのシギラリアにおいて指揮官に指示をなさるということですな」
ファラデーが自分で言いながら頷く。
「兵力の分散は致し方ありませんがこの際、敵の頭だけを狙うのであれば」
「違う。俺が四人を同時に壊しに行く」
「「「「「え……?」」」」」
【カマドウマ】
〔満杯〕〔流転〕〔呪解〕〔充力〕〔〔渦魔導魔〕〕
サー……
俺は自らの身体を魔力素に分解する。それを四つに分けて凝集する。
コマッチモ。
これから四人に分裂するから、そのうち二人を受け止めて。
「「「こういうこと」」」
「「「「「「「!!!!!!!」」」」」」」
驚愕の眼差しが俺に向けられる。でも視線はみんなばらばらでキョロキョロ。どの俺を見ていいのか分からない。
〈マソラ!?何してるの!!〉
画面に食らいつくエルフ姉。
〈マソラ様が四人います!〉
目をごしごしこすりながら何度もこちらを見るエルフ妹。
〈あ、兄様……一体どういう〉
アワアワと口を動かすのは竜人族のなんちゃって妹。
〈一人一マソラ様~〉
にっこりと結論を下す蛸人族。
〈〈〈な~んだ。そういうこと〉〉〉
胸をなでおろす亜人族四名。
「「「ちがいます」」」
勝手に仮設治療室で盛り上がり女子トークをおっぱじめる四名を放置し、絶句する他の仲間たちに俺の一人が説明を始める。
「実はかねてから試そうとしていたんだけど、ようやく機会が訪れた」
一同の視線は話し始めた俺の一人に向く。俺のなりは貴族の服装。
「俺はね、分裂ができるらしい」
「そ、それは……」
「見りゃ分かるって?そうか、ごめんね」
「そうではありません!これはその、幻術かなにかでございますか!?」
「幻術?違うよ。正真正銘の本物だよ。魂核を分裂させたから、どれもこれも俺だよ」
ファラデーの必死の形相に俺は静かに答える。
「魂核の分裂!?」
研究開発部局長のガリレオ局長が驚いて椅子からひっくり返る。副局長のノーベルが慌てて立ち上がり、転がるガリレオ局長のスカルヘッドを拾って本人にくっつける。
「そ」
「魂核を分裂させれば通常の者は死にます!!」
「そうだね。でも俺は前にも言ったように「どうかしている」。〝通常の者〟じゃない。魔力素でできている俺は魂核すら魔力素に変換できる。魔力素である以上、俺はどこにでもいるしどこにもいない。精霊と一緒だよ」
「精霊は魔力素から生じますが、魔力素に戻ることなどできませぬ。ましてや一度生じた魂核を魔力素に変換するなど……」
震えるノーベル副局長とガリレオ局長が「どうかしている」ことを周囲に伝える。
「「神としか……」」
「でしょ?すごいかもね~って言いたいところなんだけど、あいにくと能力制限があるんだよ、これ」
俺は皆の前で種明かしをする。
「今ここには確かに俺が四人いる。でも魂核の分裂によってそれほど有能ではなくなった。できないことが増えたんだ。例えば俺は確かにこうやって喋ることもできるし魔法も使えるけれど、四肢が動かせない。だからコマッチモに支えてもらわないと立てない」
貴族服姿で喋る俺はメイド姿をやめ椅子の形をとってくれているコマッチモに腰かけながら皆に告げる。そして左隣に立つ俺を見る。行商人の恰好をした俺。
「そして俺の場合は体を自由に動かせるけど、魔力素量が少ない。つまり一番死にやすい。だから護衛なしだと何もできない」
行商人の服を着た俺は腰かける俺の右隣の俺を見る。その俺は、鎖帷子を纏う。
「俺は体を再生させるための魔力素量はあるけれど、そもそも魔法が使えない。再生は自動で行うけれど、魔法使いとしての能力がない。だから戦闘は誰かに任せないとダメだね」
コマッチモに座る貴族姿の俺、その両隣にいる商人姿と兵士姿の俺たちは最後、コマッチモの中でフワフワと漂っている裸の俺を見る。
「「「一切体を動かすことはできないけれど、魔法も使えるし、魔力素量も一番備えているのがこれ。再生力ももちろん高い。俺が得た情報を一か所に集めるとすれば、俺はこれに集める」」」
みんなは目をぱちくりさせながら話を聞いている。
ああ、そっか。服装だけじゃダメだよね。大事なことを言うのを忘れた。
「「「俺、俺って混乱するよね。じゃあこうしよう」」」
まずは商人姿の俺から。
「一番死にやすい俺はマソラ2号。対雫石瞳用。マルコジェノバ連邦への護衛はイザベル、クリスティナ、ソフィー、モチカ」
〈〈〈〈はい!〉〉〉〉
次は貴族姿の俺。
「四肢を動かせない俺はマソラ3号。対聖皇オファニエル用。アントピウス聖皇国への付き人はコマッチモ」
「仰せのままに」
そして鎖帷子の上にさらに甲冑を生じさせている俺へ、バトンタッチ。
「魔法が使えない俺はマソラ1号。対黛明日香用。ゲッシ王国も切り取る。戦力はジョケジョケ101名とニーヤカ16名」
〈御意!!……へ?〉〈応!!〉
1号、2号、3号で、せーの。
「「「シギラリア要塞に留まり情報を収集し統括する俺はマソラ4号。対魔王ウェスパシア用。要員はヤツケラとミソビッチョ。そして回復したギュイエンヌ」
「「「「「「「「承知しました」」」」」」」」
4号の俺以外、眼球を消す。暗い穴を二つずつ広げる。
「ミソビッチョが7名、ヤツケラが46名も殺された。殺った奴は必ず見つけ出してぶち殺す。文句はある?」
マソラ3号である貴族姿の俺はそう言ってニヤリと笑い、一同を見る。菫色の瞳を見た全員が口を結ぶ。
「では始めよう。やられる前にやるんだ」
一同は起立し各々の持ち場へと戻っていく。2号の俺は一つのモニターを残し、全ての通信を切る。
「マソラ4号殿はどちらへお運びいたしますか?」
「キンパチのいる地下210階層へ」
「承知しました」
ファラデーら官房部のミソビッチョがコマッチモの中から4号の俺を受け取る。
「車いすの準備をお願い」
3号の俺は腰かけになってくれているコマッチモへ伝える。
「私自らがこのまま車いすになりましょうか?」
「それじゃ旅先でいろいろと不便でしょ?本物の車いすを用意して」
「かしこまりました。既にいくつかございますので、お連れいたします」
ヴァルキリースライムがメイド服の乙女に姿を戻していく。その腕に抱えられる3号の俺。
「ありがとう。お姫様抱っこってちょっと恥ずかしいね」
「これはマソラ様抱っこです。マソラ様以外を抱っこなんてしません」
マソラ3号の俺を抱えたコマッチモはそう言ってシルバーハウスから出て行く。
「じゃあ俺は120階層に行くね」
2号の俺は3号を見送ったあと、1号に話しかける。
「ゲッシ王国へは焦っていかなくても大丈夫だよ。4号が時間を稼ぐって」
「うん。今聞いたよ。だから俺はシギラリアの修繕をジョケジョケとやりながら、彼らを教育部と一緒にじっくり観察してから出発するよ。何せ魂核を俺色に染色していないから、思い通りにいかないだろうし」
1号の俺はそう言って眼球を眼窩に戻す。2号の俺も戻す。
「人間的。そこが彼らの魅力なんだよ」
波紋のような表情で2号の俺は言葉を返す。
「そうだね。そうじゃなきゃエリートと叩き上げの喧嘩なんて見られないよね」
「ジョケジョケとニーヤカか。まあ、お互いに意地とか誇りがあるから仕方ないよ」
「とにかく魔法の使えない俺は仲間に愛想を尽かされないように気を付けるよ。そっちは純粋に死なないように気を付けて」
「気づかいありがとう」
マソラ1号の俺は2号の俺の肩をポンとたたき、執務室を出る。
「さて」
シルバーハウスに一人残ったマソラ2号の俺は、一つだけついたままになっているモニターを見る。そこには岩塩を握りしめ、寒さに震え、肩を寄せ合う三人の暗殺者の女たちが映っている。自ら垂れ流した汚物で黄ばんだ服がまた惨めだね。
「チャンスをあげる」
「「「……」」」
俯いていた三人がモニターの方に震えながら顔を上げる。俺は瞳を蒼く灯す。
「それとも希望なんて要らない?そのまま地獄に直行する?」
歯をガタガタ言わせながら、三人は首を横に振る。
「オーケー。俺はマソラ2号。雫石瞳の暴れる北西に駒を進める者。お前たち三人がもし俺の〝道具〟として働き、雫石瞳が〝シロ〟だと分かった時には、生きた状態で完全に解放してあげる。どう、やる?60秒だけ考える時間をあげるよ」
言って俺は、時計の秒針を見る。拷問の続行か、道具に成り下がるか。選択の余地のない選択肢。
「さて、60秒経った。答えを聞こうか」
「「「……」」」
俺は三人の力ない返答を聞いた後、研究開発部のガリレオ局長に連絡を入れた。
lUNAE LUMEN