5話 サラの嘆き
「ヒューイ!!!」
サラの悲鳴が部屋中に響き渡った。
そして膝から崩れ落ちるように床にへたり込んだ。
ヒューイが目の前で消えてしまった。
今の今まで自分の隣にいたのに・・・。
ヒューイがいた場所に目をやっても、ただ、壁と床が見えるだけ・・・。
サラの目に涙が溢れた。
溢れた涙は止まることなくぽたぽたと床を濡らす。
ヒューイが今まで立っていた床を、ヒューイ、ヒューイと何度も呼びかけながら、両方の拳でドンドンとたたきつけた。
何度も何度も・・・。
しかし、床は何の変化も起こらず、ただただ冷たく、拳が赤くなるだけだった。
その間、ゼシューは何も言葉を発せず、どうしたものかと、サラを見つめていた。
いったいどれだけ涙を流したことだろう。
まるで体中から全ての水分が流れ出たかのように、涙が枯れはてた時、サラはある一つの決心をした。
自分らしくない決心だと思ったけれど、今のサラには、この思いしか浮かばなかった。
サラはしゃがんだまま、床から目を離さずに、強い口調でゼシューに言った。
「父神様、私を地上に下ろしてください。」
「サラ、さっきも言ったが、お前は真面目に仕事をしていた。お前を地上にやることはできない。」
サラは、ふーっとため息をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。
泣きはらした目をゼシューに向け、はっきりとした言葉で自分の意思を伝えた。
「いえ、父神様、私はもう、仕事ができないと思います。ヒューイがいなくなった天界で、私は毎日嘆き悲しみ、きっと仕事どころではないでしょう。
仕事をしない神を、天界に置いておくことはできないのでしょう?だったら、私を今すぐ天界から追放して、地上に下ろしてください。」
ゼシューは困った顔をして、深いため息をついた。
「サラ、落ち着いて聞きなさい。
お前が言っていることは、混乱した頭で考えたことだろう。
お前の真面目な性格から考えて、仕事をしないことは、かえって自分を苦しめる。
今まで見守っていた人間たちを放っておけるのか、よく考えてみなさい。」
ゼシューに言われたことは、百も承知だった。
でも、ヒューイのいない天界にはいたくない。
何としてでも地上に行きたい。
たとえ出会えなくても、ヒューイと同じ世界で息をしていたい。
「それでも・・・、それでも私は、地上に行きたいのです。お願いです。どうか・・・、どうか、私を地上に下ろして!」
最後は叫び声になって、ゼシューに訴えた。
ゼシューはふむと考えこみ、黙っている。
サラは、ゼシューの言葉をしばらく待ったが返事がない。
しびれを切らしたサラは、ふーとため息をつき、心を落ち着かせてからゼシューに言葉を続けた。
「・・・私が女神になった頃、父神様はおっしゃいましたよね。私が持っているスズランの鏡、私の前にあの鏡を持っていた女神は、彼女が望んだから地上に下ろしたって。
彼女にできたのなら、私にだってできるでしょう?」
「サラ、言っておくが、あの女神は恋人を追いかけたわけではなく、罰を受けたからでもない。理由は言わないが、サラと彼女は全く違う。」
「何を言ってもダメですか・・・。でも、私は諦めません。地上に下ろしてもらえるまで、何度も何度も訴え続けます。何度でも・・・」
ゼシューはしばらく沈黙を続けたが、漸く口を開き、なだめるような口調で言った。
「サラ、お前はどうしても地上に行きたいのだね。」
その言葉に、はっとしたサラの顔が少し明るくなった。
「はい。私の願いを叶えてくださるのですか?」
「今すぐに叶えるわけではないが・・・サラ、私と賭けをしないか?」
「賭け?」
「そうだ。賭けだ。これから二十年間真面目に仕事を続けたら、お前を今の姿のまま、聖女として地上に降ろしてやろう。聖女降臨とか言われるやつだ。だが、神としての力はなくなり、人間として生きることになるがね。
地上に降りたら、ヒューイを探し見つけなさい。そして、ヒューイの方からお前に結婚を申し込めば、お前の勝ち。お前とヒューイ両方とも天界に戻してやろう。
しかし、結婚を申し込む前に、ヒューイかお前のどちらかが命を失う事があれば、お前の負け。その時はお前だけを天界に戻そう。
どうじゃ、愛の女神らしい賭けだろう?」
賭けの内容に驚いたが、サラには、またとないチャンスだと思えた。
ヒューイと再び天界で暮らせる可能性が残っているなんて・・・。
サラは喜んで承諾した。
この後、ゼシューは細かいルールの説明を始めた。
地上で生まれて育ったヒューイには前世つまり天界での記憶がない。
だが、決して、サラの方から、天界のことを話さない、記憶を呼び起こすような言動もしないこと。
ヒューイに出会っても、サラの方から愛を告げたり、結婚を申し込まないこと。
聖女として降臨するとしても、人間であることには変わりない。
病気やケガで死ぬこともあるから気を付けること。
サラが死ぬか、ヒューイが死んだら賭けは終わり、サラだけが天界に戻ってくるが、そのときは一人でも、真面目に仕事を続けること。
ヒューイがサラに結婚を申し込めば、その時点で記憶が戻る。
そしてどのような場合でも、すぐに二人を天界に戻すこと。
最後にゼシューは、もしルールを一つでも破れば、そのときは、サラだけを天界に戻すよと付け加えて説明は終わった。
サラは一つ一つのルールを頷きながら聞いた。
聞いているうちに希望が溢れてきた。
大丈夫。
きっと、私はヒューイを見つけることができる。
そして必ず二人一緒に天界に戻ってくる。
口には出さないが、サラは強く心に誓った。