第2話 採用
ティントンティントンティントン。
ティントンティントンティントン。
ふて寝に徹していた寄城は、電子ベルのような着信音で目を覚ました。
「んあ……?」
半分寝ぼけたまま、少し離れたところに投げ捨てられていたスマホに手を伸ばす。
触った感触で、放射状にヒビ割れた画面を思い出して憂鬱な気分になった。
「……もしもし」
『ああ、やっと出てくれたッス! もう三十四回もかけ直したんスよ?』
妙にハキハキした少女の声を聞き、「マジかよ」と呟きながら画面を見る。
そこには確かに、おびただしい数の不在着信通知が羅列されていた。
「で、誰ですか?」
『えーっと、えーっとッスね……』
数秒間もごもごした後、電話主はすぐにまたハキハキした調子を取り戻した。
『こちら、早明浦事務所ッス! 今回は”副業”へのご応募ありがとうございますッス!」
「……ん?」
バイト先が潰れた所までは覚えているが、新たなバイトを探した記憶はない。
寄城が返事に困っている間も、話は進んでいく。
『寄城様とは是非面接をしたいと思いまして、可能な日程をお教え願いたいッス』
「面接? えーっと」
『もし可能なら、今日この後とか予定あるッスか?』
時間を確認すると、午後六時。
普段から働き詰めで疲れていたこともあり、三時間ほど爆睡してしまったらしい。
採用に申し込んだ覚えは無いが、とにかく何らかの仕事の面接が受けれるならやっておこうと、寄城は腹を括った。
『じゃあ、はい。この後行きます』
『ところでご自宅の最寄り駅はどこッスか?』
「丁坂です」
『近いッスね! じゃあ七時目安に来ていただけるとありがたいッス。住所はLINEで送っとくッス』
勢いよく喋りきると、通話は切れた。
割れた画面を目を凝らして見ると、どうやら今のは”採用”というアカウントからのLINE通話だったようだ。
「マジで誰だ……? バイト採用のアカウント名が”採用”の企業大丈夫か?」
そもそも、こんなアカウントを友達追加した覚えはない。
が、寄城の迷う頭とは裏腹に、身体はスムーズに動いて準備を進め、気付けば自転車に跨って送られた住所を目指していた。
「この辺だよな……」
土地勘で近くまで来ると、地図アプリに住所を入力して詳細な位置を確認した。
が、自分の知っている道と、地図上に示された道程が少し違う気がする。
「こんなところに道あったか?」
疑いながらも地図通りに進むと、そこには見たことも無い路地が確かに存在していた。
生まれてから十六年少々をこの街で過ごしてきた彼でも、なぜか見覚えの全くない、細い裏通り。
彼は不思議に思いながらも、奇妙なまでに静寂なその路地へと足を踏み入れた。
地図が示すのは、その一角に佇む古びたビル。
日が落ちて暗くなった空の下で、それは伏魔殿の如き黒い存在感を放っていた。
四階建ての最上階に、『早明浦事務所』という小さな看板が出ており、窓に明かりが灯っている。
「ボロすぎだろ……今崩れてもおかしくないぞこれ」
躊躇いは拭いきれなかったが、それでも何かに背中を押されるようにして、寄城はビルへ入っていった。
錆びついて軋む自動ドア。蜘蛛の巣の張られたロビー。
ホラー映画に出てきそうな、狭苦しいエレベーター。
ピョン、と間の抜けた電子音を吐いて、エレベーターはすぐに目的の四階へ着いた。
扉が開くと、すぐそこに曇りガラスの張られた扉があった。
その向こうには蛍光灯の明かりが見え、人の気配もある。
「ふぅー……」
呼吸を整え、無意識に制服の襟を正す。
「こんにちはッス! あ間違えたこんばんはッス!」
「うおッ!?」
ドアの向こうから人が飛び出してきたので、寄城は後ずさってエレベーターのドアにぶつかった。
よく見るとそれは、自分と同い年くらいの少女であった。
「面接の方ッスね。どうぞこちらへ!」
「失礼します……」
導かれるがまま、寄城は事務所へ入った。
不気味なビルの外見とは違って、中は普通の作りだ。
入ってすぐの所に低いテーブルが置かれ、小さめのソファーが四つ。
向かって左、東側の壁に面して小さなキッチン台。
今入って来たドアのある北側には本棚がぎっしりと並んでおり、南側にも窓を邪魔しないように本棚が並べられている。
そして、西側の奥の机には、一人の細身の男性が気怠げに肘をついていた。
「早明浦先生、副業の人来たッスよ!」
少女に声をかけられると、早明浦と呼ばれた男は顔を上げて寄城の方を見た。
紺色の甚兵衛が妙に胡散臭い。
少しクセのある前髪が両目を隠しているため、表情が読めない。
顎と頬にはうっすらと無性髭が生えており、三十代半ばくらいの印象を与えた。
「よろしくお願いします」
とりあえず挨拶した寄城の全身を、早明浦は舐めるようにじっくり眺める。
謎に張り詰めた空気が十秒ほど流れた後、早明浦は寄城をビシッと指さして言った。
「採用」
こうして、何の職業かも分からぬまま、寄城の新たなバイト先が決定した。