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月【yue】--殺人邸で殺しなさい--   作者: 癒原 冷愛
上弦の月
9/27

Ⅶ.兆しは緩やかに

 睡魔に飲み込まれた拙者がふたたび呼び覚まされたのは、朝陽のせいではない。薄暗い室内で、ふたつの薄い青が無言のまま拙者を傍観していたのだ。

「姫、那子……?」

 口をついて出た第一声は固有名詞。

 額に宛がっていた手を除けると、小柄な彼女のシルエットがゆらりと浮かび上がった。昨晩と同じく手には水晶玉を抱えている。

「お目覚めですか。朱万里様。おはようございます」

 朝の挨拶さえ棒読みな姫那子は、さながら機械仕掛けの人形か。

 相変わらず温度の通っていない冷酷な瞳に吸い寄せられ、拙者はげんなりと上体を起こす。

「いつからそこに……。何故、玄密殿が拙者の部屋にいる」

 当然の疑問だった。

「朝食の時間が過ぎてしまうゆえ、愛帆お嬢様に頼まれましたョ。この塔の管理は私に一任されています。仕方ないので寝坊助様を起こしに来たのですョ」

 姫那子は淡々と言葉を紡いだ。シガレット菓子の空洞にオカリナの音色を通したかの如く、独特な声はどこから出しているのだろう。

 合鍵を使って無断で忍び込んだのか、と拙者は率直に訊いた。これじゃ寝込み襲うのも可能ではないか。

「スペアなどございませんョ。部屋の鍵は昨日の夜、お客様方にお渡しした純正キーひとつのみ」

 ではどうやって中に。

「単に朱万里様が、ドアの内側から鍵を掛けていなかっただけですョ」

 木で鼻を括ったような態度の姫那子は、拙者の心を見透かすように弁明した。

 初歩的なミスだ。ただでさえ信頼の置けない連中が寝泊まりしている館で、鍵を掛け忘れるなど。拙者ともあろう者が、月夜に鎌を抜かれるも同然ではないか。危機管理は徹底しなければと省みながら起床する。

 ふと足の爪先に妙な凹凸が引っ掛かった。拾い上げれば懐中時計ではないか。危うく踏み潰してしまうところだったと内ポケットへ。

 昨晩、眠りに落ちる直前に芽生えたはずの違和感が、翌朝にはすっぽり抜けていたのだ――。


 201号室を出るとすぐそばに下り階段がある。

 夜明け前。未だ陽の射さない宿泊塔は鍾乳洞のようだった。希少な月光発電(ムーンシステム)の省エネ対策だろう、ここでも灯りをケチっている。

 天使の羽をイメージしたのか、天使(エンジェル)塔は廊下もドアも階段も、純白一色でデザインされていた。心にイチモツ抱えた人間にとって、己の汚さが浮き彫りにされるようで落ち着かない。

 妥当に考えれば悪魔(デビル)塔は、恐らく黒一色で塗りたぐられているに違いない。

 灯油ランプで先を照らす姫那子のあとを、慎重に進む。漆黒の闇の中で乳白色が部分的に浮かび上がり、幻想的なコントラストを垣間見た。

 


 1階に降りて真っ先に見えるのが101号室。拙者の部屋の真下に当たる部分である。

 廊下を見通せば、2階と同様の造りで102、103と扉が並んでいる。姫那子が泊まっているのは一番奥の103号室だったはずだ。何があるのか素朴な疑問が湧いた拙者が、101号室のドアノブに手を掛けたところに姫那子の声がした。

「そこのふたつは現在、使われておりませんョ。物置 兼 空き部屋ですから。それより食堂はこっちですョ」

 寄り道は厳禁とばかりに呼び戻され、開きかけたドアを閉じる。施錠はされていなかった。

 階段を降りた角に母家へ続く扉が佇んでいた。門舞と古納言と伴に、昨夜も姫那子に導かれたことを思い起こす。表面は白く塗られているが、部屋の木製ドアとは素材の異なる分厚い鋼板の扉だ。


『←Exit. and entrance→ $Σ Ω Ⅲ+Ⅶ≒ω Ⅹ $』


 濃紺のアルファベットが刻印の如く扉の中心部に彫られ、アラビア数字とギリシャ文字を組み合わせたような意味不明な方程式が羅列している。ここが天使塔の終わりであって、またはじまりでもあるのだ。


 グギィ……


 魔女の呻き声にも似た軋み音がして、コンクリートで造られた灰色の通路に足を踏み入れる。オフィスビルの避難ルートの如く、無機質な空間が伸びていた。ゴツゴツした壁は粘土で固めらている。


 カツン……コツコツ……


 静まり返った空洞にふたつの足音が響いた。歩くたびに足元がブルリと震動し、跳ね返った余韻は地面に吸収される。

 母家と宿泊搭(はなれ)を繋ぐ架け橋(ブリッジ)。昨日、母家2階にある物置部屋の窓を覗いた時、悪魔搭とは3メートルほどの距離があった。天使搭も同様に、母家との隙間のぶんだけが廊下の長さなのだろう。

 壁には幾何学模様(ジオメトリーモチーフ)が刻まれ、ただ灰色の質感が『無』を支配する。使われなくなった月と太陽の残骸が、重く沈没しているような地下牢。


『←Exit. and entrance→ $Σ Ω Ⅲ+Ⅶ≒ω Ⅹ $』


 ふたたび鋼板の扉が待ち構え、開け放てば見慣れた壁のどん詰まりが出現し、ようやく母家に到達するのだ。



「月餅さんに憧れている異性は少なからずいるわ。だけど意中の相手を射止めるのは、現時点で極めて難しいかも。時間もかかれば、厄介な壁が立ちはだかっていそうね」

「おいおいマジか。そりゃないよー、門舞姐さん」

 食堂に着けば、クスクス笑う門舞に古納言がガックリ項垂れていた。

 七角形(セプタゴン)のテーブルに濡羽色のクロスが敷かれ、無数のタロットカードが散乱している。

「どう。貴女たちもやってみない? 悩みがあるなら占ってあげるわよ?」

 室内の隅で何やらコソコソ話しているあかねと理砂へ、門舞があからさまに声をかけた。

「はぁ……? いらないし!」

「ウチらそーいうの信じないから」

 警戒しているらしいふたりは即答で拒否した。

「次、私。占ってくださる」

 暖炉から立ち上がり、スッと門舞の正面に立ったのは意外にも永幽女だった。

「もちろんよ。知りたいことは何かしら?」

 来るものは拒まずの門舞、カードをシャッフルしながら永幽女を座らせた。職業柄か。彼女の織り成す笑顔は人の心身を和らげる。

「ソードの5と7、正位置。ペンタクルスの9、逆位置ね。ふむふむ。貴女、何か重大な隠し事を抱えてなぁい?」

「はぁ? 何ですって……」

 門舞の問い掛けに、永幽女は訝しげな表情で聞き返す。

「今は無理にこたえなくてもいいのよ。でも――」

 門舞の顔から笑みが消えた。漆黒の長い爪が(カラス)(くちばし)の如く獲物(カード)を捕らえる。絵と英字が表す『MOON』『DEVIL』『TOWER』の3枚を、門舞は人差し指と中指で挟んでスッと永幽女に示した。

「月と悪魔の正位置、塔の逆位置が出ているわ。もしも心にやましいことがあるなら、早めに打ち明けたほうが良いかも。今ならまだ間に合うわ、これは警告よ。さもないと誰かを不幸に――」 

「あのぉ、恐れ入りますが栗室様。そろそろ朝食をお運びしたいのですが……」

 門舞の意味深な予言を、申し訳なさそうに遮ったのは漆寺だった。

「あぁ、ごめんなさい」

 テーブルの上に散らばったカードをクロスに包みながら、門舞は速やかに回収する。

「何だったのよ、全く……」

 肝心なところで中断された永幽女は、腑に落ちない様相で腕組みをしながら、どさりと椅子に座り直した。

「おや。ようやく起きてきたようだね、〝拙者〟君」

 拙者に気づいた古納言が軽く一瞥する。失礼な。だいぶ前からここにいたではないか。

 漆寺たちの手際の良さで、たちまち七角形のテーブルは埋まっていった。昨夜のオードブルに続き、中心部にはミックスサンドとクラブハウスサンドの盛り合わせ。個々のネームプレートの前には、主菜とサラダとデザートがワンセットになったプレートが並べられ、よそったばかりの熱々なスープが配られる。

「おはようございます、皆様。月光発電の都合上、日の出前の朝食にご協力いただきました。大変に感謝しております」

 当主の愛帆が登場し、ペコリと一礼する。

 卵レタスサンドに、ハムとチーズのクロックムッシュ。オマール海老とアボカドのクラブハウスサンド。銘々が中央のパーティー皿に手を伸ばし、拙者は迷わず卵サンドを確保した。

 あかねは何よりも先にババロアムースを口に運ぶ。デザートから食べはじめるとは変わった人間である。

(あぢ)っ」

 クラムチャウダーを啜ろうとしたのか、古納言がスプーンを手放して噎せている。猫舌と言うのは本当らしい。

「このブロッコリー、芯が固いわ。私は歯の治療中なんですからね」

 温野菜を摘まみながら、永幽女は不機嫌そうに顔を歪めた。

「朱万里さんもダイエット?」

 不意に、未だ手付かずのまま手元の主菜を持て余している拙者に、門舞の声が飛んできた。

「いや、そういうわけではないのだが……」

 拙者は若干躊躇い、曖昧に語尾を濁す。

 赤珊瑚(レッドコーラル)を思わせるハサミが衣からニョキッと突き出した、今朝のメインディッシュは、いかにもたこにも蟹クリームコロッケなのだ。

 拙者の弱点のひとつは軽度の甲殻アレルギーである。通常、火を通したものは摂取しても問題ない。

 だがここは閉ざされた空間、念には念を入れるべきだ。万が一にも発作を起こした時、病院に駆け込めない今の状況を考えれば、危険なモノは避けるのが無難であろう。

 しかし他人に弱みを握られるのは拙者の自尊心に反する。堪らなく嫌なのだ。癪にさわる。まして古納言(こいつ)の前では。

「ははっ。キミ、ひょっとして甲殻アレルギーかい?」

 当の古納言に図星を突かれ、拙者は瞳孔を見開いた。

「な、何故それを」

「おいおいマジでそうなのかい? キミは先ほどから卵サンドばかりで、海老のサンドイッチを一向に選ぼうとしないから、もしやと思ってね。チョイとカマをかけてみたのさ」

 こやつ……。

 古納言は大げさな手振りを交えながら、自身の推理を賢しらに披露してみせる。

 よりによって、こんな男の浅はかな罠にいとも簡単にハマるなど、己に対して憤懣やるかたない。拙者は耐え難き屈辱に、耳まで赤くなるのを感じた。

「――漆寺さん、愛帆さんと姫那子さんも。一緒にテーブルで召し上がったらいかが?」

 給仕を済ませ、宿泊客の食事風景を見守りながら立つスタッフたちに、門舞が声をかける。

「席はひとつぶん空いているし、使われていない椅子を持ってきて、少しずつ詰めれば3人くらい座れるんじゃないかしら」

 確かに拙者も気にはなっていたが。昨日の晩餐時にしても、彼らはいつ食事をしていたのかと。

「滅相もございません。我々は皆様の食卓を片付けたあと、余った料理を適当にいただきますので」

 門舞の提案を、漆寺が丁重に辞退した。

 やがて朝日が昇りはじめ、月光が細々と巡っていた室内にクリーム色の陽射しが溶け込む。

「月光発電が切り替わる時ですわ――」

 2種類の光が混ざりあうのも束の間、天井を見上げながら愛帆が静かに囁いた。

 日の出を迎えると、月光発電は自動で停止するそうだ。朝から雨の日でもそれは変わらず、通常の電気に切り替わるまでだと。

「当たり前のことなのに。少し淋しい気がしますの……」

 自然の変化を拒むように俯いた愛帆。

「それじゃあ僕は自室に籠るから。これでも、締め切り前の仕事を抱えて忙しいのさ」

 食事を済ませると古納言はいち早く立ち上がり、各々も適当に散っていく。

 暫し食後の珈琲を喫したあと、拙者は暇潰しに2階の部屋を探索することにした。



 遊具室を兼ねた図書室には先客がいた。壁際の本棚の前で背を向けている。姫那子だ。

 声を掛けるわけでもない、拙者は向かい合わせに2台の書棚を見回していく。右側の棚の手前から順に【推理・ミステリー】、【童話・児童文学】、【医学・生物学】、出窓を挟んだ左側は角に水槽があって、次いで棚の奥から順に【料理】、【呪術】、【天文学】‥‥‥

 各棚の上に貼りつけられた分類を見る限り、あるのはこれだけか。

 気配を察知した姫那子が振り向く。

「ここの書籍は私たち従業員の趣向や仕事上の都合で、かなり偏っているのですョ。その上でお好きな本があればご自由に」

 ぶっきらぼうな説明を受けて納得した。なるほど。スタッフのための図書というわけか。場所もそれほど広くはないから、置ける本も限られているのだろう。

 ふと奥から2番目の【童話】のコーナーが目に止まった。『眠り姫』、『白雪姫』、『灰かぶり姫』、『人魚姫』、『赤い靴』、『赤ずきん』、『塔の上のラプンツェル』、『ブレーメンの音楽隊』、『北風と太陽』、『醜いアヒルの子』、他多数。アンデルセン童話やイソップ物語も去ることながら、グリム童話は全集ありそうだ。

『ドロップ一家物語』、『あたしとあたし ふたりのグリコ』、『おしゃまな双子 エクレア学院物語』、『ミルフィーユの丘』――アニメ化された世界的名作から無名な著者の作品まで揃っている。

「こちらは愛帆お嬢様が買い集めたものですョ。以前、絵本作家を目指されていたそうで」

 絵本作家か。嫋やかな女子(おなご)らしい愛帆に相応しい夢だ。

 強弱の伴わない姫那子の話し方も次第に心地良く感じてくる。

「自室に持ち込んでも構いませんョ。但しチェックアウトの日までに元の位置にお戻しくだされば」

 1冊の本を手にした姫那子が、すれ違い様に告げていった。出窓から洩れる陽射しに、その横顔は照らされる。メイドの手の中で、油を塗ったような背表紙が一瞬だけキラッと光った。

 ひとりきりになった拙者は、たった今、彼女が抱えていった書物――瞼にインプットされたばかりの文字を読み上げてみる。

「〝タロットカードにはジャムを添えて〟著者名〝栗室蘭舞〟……」



                    【つづく】



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