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月【yue】--殺人邸で殺しなさい--   作者: 癒原 冷愛
上弦の月
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Ⅱ.纓月の夜とチェックイン


 生まれて初めて取る有給は実にあっさりと受理された。流石に7日間ともなれば、嫌味のひとつも言われるだろうと覚悟していたのに。怪訝な表情ひとつ見せない上司に許可され、拍子抜けしてしまった。

 そもそも斜陽産業である。所詮、日陰者の拙者などいてもいなくても変わらぬということだろう。

 ま、良いではないか。無事に今日を迎えることができたのだ。



 2018年1月25日。当夜――。拙者が乳葉(ちば)県の七神奈(ななこうだい)村に着いたのは、21時をまわる頃だった。

 最寄りの南鷹宮(みなみたかのみや)駅から秋日部(あきかべ)駅へは、乗り換え時間も含めて凡そ20分。そこからさらに電車を乗り継ぎ15分も経てば、紗衣珠(さいたま)県を跨いで乳葉県へと突入する。犇めきあう建物は次第になくなって、田畑に緑に畦道がひっきりなしに目立つようになる。この時期は夕方も5時を過ぎれば日がとっぷり落ちるが、車窓を流れる街灯に照らされ、田園風景がうっすらと浮かび上がっていた。

 拙者の住まいから思いのほか近かったのは良いが、問題なのはここからだ。七光奈駅に降りてすぐ、拙者は唖然とした。見渡す限り辺り一面、鬱蒼とした雑木林に取り囲まれていたからだ。

『ペンション†月【yue】』とやらは林の中を分け入って行くらしい。過疎化が進んだ山奥の村外れに建っている、というのは事前に聞いていたが、この寂れ具合は想像以上だ。

 駅前だというのにロータリーもなければ、無論タクシー1台さえ止まっていない。店も灯りも家々も見事に皆無で、人の気配が全く感じられないのだ。人口密度0である。

 この辺境の地に降り立った勇敢な強者(つわもの)は、拙者で何人めになろうか。

 躊躇う暇はない。招待状に指定されている時間は今夜21時15分。懐に仕舞った懐中時計を確認すると、茂みの剥がれかけのような小道に沿って、ともかく樹海の森へと侵入する。



 雑木林を掻き分けていくと、柵に刺さった看板を発見した。道先案内かと思いきや、何のことはない『この先チカンに注意!』の御触書だった。さもありなん、先の見えない漠然とした獣道と、人っ子ひとりいない不気味な闇である。まさしく犯罪者の心を駆り立てるのに、おあつらえ向きかもしれない。いつチカンに遭遇しても不思議ではないと得心する。

 しかしながら男女の分水嶺が判然としない拙者の中性的容姿を見たら、チカンも戸惑うのではなかろうか。外見だけで拙者の性別を見分けられる者はそうそういない。実際に出会したら少しばかり反応が楽しみである。

 そんなどうでも良いことを考えながら、森の奥へとさらに足を踏み入れていく。自慢の長い黒髪はポニーテールで束ね、(はかま)の裾を翻しながら荒れた山道を突き進んだ。

 (くだん)のペンションは駅を背にして南西の方角にあるらしい。招待状に同封された地図に目を通すが、いかんせん目的地までの目印が何もないのでさっぱり判らない。

 辛うじて人ひとり通れるくらいの林道。地面を伝う枝や草木が踏みつけられ、人々が通ってきた形跡は確かに残されている。

 街灯が一本もない藪の中での灯りは、生い茂った木立の隙間から薄く照らす月の光のみ。姿かたちはここからでは見えないが、今日は偃月(えんげつ)だったはずだ。

 闇雲(やみくも)に進んでいくのも些か不安なので、袴の内ポケットから方位磁石を取りだした。

 辺りをキョロキョロ見回せば、手頃な木の切り株が目に止まった。凸凹のある地面よりも切り株のほうがベターである。文字通りバームクーヘンを思わせる断面に、方位磁石を乗せてみる。年輪の幅が伸びているほうが恐らく南になるのだろうが、俗説や迷信とも云われていて信憑性はない。

 だが奇しくも樹皮に向かって大きく広がった年輪を指すように、磁石の針はS極を示した。そして針の矛先は、ざっくり道が開けているほうに向かっている。S極=南。ともかく目的地は概ね南西の方角にあるがゆえ、建物が見えるまで道なりに歩んでいけば良さそうだ。

 夜は刻一刻と確実に更けていく。時折、どこからともなく夜風が吹いて、草と木々と枯れ葉がしゅわしゅわ擦れる音がした。雑草たちの言語は拙者には解らないが、彼らにとっての対話みたいなものかもしれない。ひそひそ囁く声たちは拙者の行く先を危惧しているのか。


 ホゥホホ……


 森のざわめきに相まって間抜けなフクロウの鳴き声が加わり、不規則な交響曲(シンフォニー)を奏でている。


 ガサッ


 突如。草葉が動いて黒い影が現れた。

「何者!」

 ビクッとして身構えれば、茶釜に毛の生えたような物体が拙者の前を素早く横切った。大方、狐か狸か栗鼠だろう。驚かせおって。

 茂みの中に消えたのを見てほっと胸を撫で下ろしたが、それも束の間。


 ドンッ


(いで)っ」

 何かに蹴っ躓いてすっころぶ。痛みで疼く身体を擦りながら起き上がると、目に飛び込んできたのはまたしても柵に刺さった看板だった。今度は『前後、左右、変態に注意!』との警告だ。神出鬼没か。野生動物じゃあるまいし。警戒心を煽り、危機感を持てという趣旨なのだろうが、いい加減しつこい。

 真冬の夜、こんな物騒な森で身を潜めていては変質者も楽じゃない。いつ誰が通るかも判らない極寒の暗闇で待ち構えるなど、よほどの暇人であれ相当な体力と忍耐が要ることだ。残念ながら、どっちつかずの拙者に性的欲求を感じる男はいないだろうが。

 ご愁傷様、と思ったその時。踏み入れた足元が急にずぶりと沈んだ。

「おわっ」

 今度は何だ! 暗くて良く見えないがどうやら溝にハマったらしい。地面が部分的に深く掘られ、まるで蟻地獄に陥ったかの如く泥濘(ぬかるみ)に足元を取られている。

 何故こんなところに落とし穴。腹ただしく思いながら靴ごと泥から引き剥がす。

 夜露にしては濡れすぎなので、恐らく昼間に降った雨の残りだろう。思えば枯れ葉がほんのり湿っている。針葉樹に覆われた此処ら辺りは日中でも日射しが届きにくいのか、地上は湿っぽくところどころヌルッとしていた。

 唐草模様の風呂敷包みからタオルを取りだすと、拙者は手頃な切り株に足を乗っけてスニーカーの泥を落とす。


 チチッ……バササ……ッ


 ふいに今度は頭上で音と気配を察知した。どうやらこの森、気の休まる時がないようだ。

 条件反射の如くまたもやビクッと微動すれば、黒衣を纏った獣――コウモリが群れをなして飛び去っていった。夜空を小さく引きちぎったような彼らは、黒光りしながら闇の色に同化していく。

 夜の使いが生息する森――まるで天然おばけ屋敷だ。ここはそういう場所なのだ。季節はずれの肝だめしを余儀なくされ、今さらながら一抹の不安がよぎる。

 すると、2匹のコウモリが集団を離れてまっすぐに飛んでいった。夜空と見紛うような黒衣を目で追っていくと、遥か先に見えたものは――。

「煉瓦の建物……?」

 あれが『ペンション†月【yue】』か。元から視力は良いほうだが、日頃からブルーベリーを摂取している拙者はなかなかに夜目が効く。

 だったらどうして落とし穴や看板に気づかなかったのか、それは言いっこなしである。コケるのもドジも、拙者の専売特許なのだ。

 樹林に遮られて上半分しか見えないのは悔しいが、2棟に連なった(とんが)り屋根の先っぽは、間違いなくネットに映しだされていた画像そのものだった。洋館の窓とカーテンらしき部分から、うっすら灯りが漏れている。

 ヨシ! 目的地(ターゲット)は認識した。そうとあらば前進あるのみ。

 漠然と歩いていた先ほどまでの状況とは打って変わって、希望の光を確信すれば不思議なくらい足取りは軽くなる。険しい道もサクサクと歩を進めるほどに、邪魔な木々が左右に押し退けられて次第に視界が開けていく。

 10分ほどで獣道が途切れた。



 自然植生の荒れ野とは異なる、そこには手入れの行き届いた芝生の敷地が広がっていた。

 その奥に2階建ての煉瓦造りが現れ、いよいよ城の全容が明らかになる。ところどころ絡みついた蔦は、黒ずんだピンクの煉瓦にアクセントを加えていた。意図的に植えつけているのだろう、ペンションを彩るさりげない緑のデザインは芸術的だった。

 両脇に設えた尖り屋根を繋ぐ母家。立派な佇まいだが、単純にシルエットだけを見れば2本の(ツノ)が生えた(デーモン)の形である。身も蓋もない喩えだが、母家の2階にふたつある小窓が鬼の目で、1階の中心に象られた窓はパックリ開いた口みたいだ。

 まるで道先案内人のように拙者を導いてくれた2匹のコウモリは、平行線を描くように飛び続け、それぞれの尖り帽子に着地していた。

 雲に覆われていた半月がニョキっと顔を出す。片側の屋根が照らされて煉瓦のピンクが一際ふわっと映えるが、月光が届かないもう片方の屋根は位置的に薄暗いままだった。ただコウモリのふたつの瞳が鋭く光っている。

 胸元の内ポケットをまさぐって懐中時計を取りだすと、時刻は21時14分を示していた。

 拙者は辺りを見回して出入り口を探す。奥まった裏手に、灰色の絵の具をポツポツと垂らしたような石畳が見えた。あれか。


 案の定、脇に回ると扉があった。ドアベルを鳴らそうと指先を近づけた時、唐突にそれは開かれた。キィ、という僅かな軋み音と伴に中からアニメ声がする。

「いらっしゃいませ、ようこそ〝ペンション†月【yue】〟へ……!」



                    【つづく】



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