XXII.最後の復讐
汚ねえ言葉が、たくさん出てきますので苦手な方はご注意ください。確実に気分を害しますので。
……解ってんなら書くなや┐('~`;)┌
拙者には到底、推し量れるものではなかった。
「完治にはほど遠かったけど、どうにか緩解を維持しながらようやく普通の暮らしができるようになった頃、父の仕送りが途絶えて弔報を聞かされました。――存命中より月【yue】の別荘を売り払うことなく、実父が不定期にレストランを営業していたのは知っていました。家族で暮らしていた頃から、彼は気儘で奔放な人でしたので。売り上げよりも、月光発電の維持費や固定資産税のほうが、遥かに高くつくというにも関わらず……」
潮が引くようにふたたび落ち着きを取り戻しつつあった愛帆は、そこで一旦言葉を切ると、追憶するように目を細める。
「喪主を務め終え、遺品を整理するべく館に向かった私は、そこで生前の父の友人だったという漆寺福重さんに出会ったのですわ」
漆寺は愛帆の苦衷を察するように瞼を閉じた。
「一度だけ。旦那様の口から聞かされたことがございます。一人娘が難しい病を患っていると」
漆寺は愛帆の持病を知っていたのか。いつだったか彼は言っていた、『お身体に障ります』と。老いた漆寺が若い愛帆にかける言葉にしては、些か違和感があった。今さらながら、隠されていた言質に気づく。
「ですがお会いした愛帆様は元気そうで、病のことなど曖気にも出さずに努めて明るく、優しい娘さんでした。手元不如意だった私を拾ってくださった旦那様。有形無形に支えられ、嘗て寵愛を受けたご恩に報うべく、私は彼の愛娘である愛帆お嬢様を何としてでも救ってさしあげたかった。数日前にもお話した通り、半ば苦し紛れではありますが、この邸をペンションに改築する妙案を捻り出したのでございます」
それがこんなことに……、と披瀝した故老はハンケチで目頭を覆った。
「私の中で向井理砂と田中あかねは、とっくに死んだことになっていました。いいえ、正確には〝呪い殺せた〟のだと自分に言い聞かせていました。だけどあの日――」
覗いてしまったのだろう、パンドラの箱を。
「ノートパソコンを持参して、月【yue】のモニター客を募るべく、募集要項を配信した破鏡の夜。限られた数十分の中で、奇跡的に5名の応募者から受信がありました。その中にあいつらの名前――向井理砂と田中あかねを見つけた時、驚愕しました。恐怖のほうが勝っていたかもしれません。あれほどまでに深い怨念で何度も呪い殺してきた女どもが、のうのうと生きてやがったことに失望したわ。同時に、沈下していたはずの憎悪がふたたび唸り声をあげて、メラメラと私の全身を覆い尽くしたのです――」
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2017年11月11日。20時15分。
最初は同姓同名の別人だと思った。いいや別人であることを願いたかっただけだ。
だけど『向井理砂』と『田中あかね』の個人情報は揃いも揃って、過去に自分が調べあげたものとぴったり合致してしまった。
神の悪戯か、天の配剤か。
自己の中の、もうひとりが囁いた。このモニター企画を利用して、あいつらを纏めて始末することができるかもしれない。
しかし呪い殺すのと実際に殺すのとでは次元が違う。犯罪はダメよ。涙ぐましい努力と治療の結果、ようやく掴みかけた平穏で幸せな日常。天秤にかけて自問自答と葛藤を繰り返す。
半月は雲にかかって見えなくなっていた。
覆っていた雲が溶け、ふたたび破鏡が姿を現した時――。信じられないことに紅だった。黒ずんだ、血の色。召喚されたモノは、天使だの悪魔だの、そんな次元をとうに超えていた。
コロシタイ、コロシタイ、コロシタイ。
眠っていた憎悪が甦り、善と悪の間で揺れる心をどろりと攪拌する。
殺 し た い。汚れに塗れた人間であることを、今さらながら思い知る。
コロシタイ。嘲弄するあいつらの醜い笑顔が瞼に焼き付き、脳裏に歪んで映写される。負った傷と憎しみは、この身の血管を循環る猛毒は、自覚していたよりもっとずっと濃くて深いモノだった。
殺 し た い。
ナニモカモウシナッテデモ?
紅い月に汚染され、周囲の雲が血液の浄化を一気に引き受けたガン細胞の如く、膨れ上がってひび割れる。まるで己の肉体のようだ。
ナ ニ モ カ モ ウ シ ナ ッ テ デ モ ?
殺す――!!
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「毒を食らわば皿までとは良く云ったもので。同時に私は地元の皮膚科の受付嬢、佃吾永幽女のことを思い出し、纏めて3人を始末する方法を考えましたわ。永幽女に関しては事務服に付けられた名札でフルネームを知っていたし、クリニックが閉まるのを見計らって彼女を張り込んで尾行し、過去に自宅をも突き止めていたの。さながら〝3匹のこぶた〟の長男が藁で拵えた家の如く、チンケな山小屋だったのは可笑しかったけど。予備知識があったから、永幽女の新たな情報を割り出すのも容易だったわ。現在は携帯ショップの店員に転職していること、万年金欠病で高貴な身分に憧れ、豪邸に頓着していること。それらを調べあげ、彼女のパソコンにハッキングして闇ルートの仕事を持ちかけ、高収入を餌に一回限りのチャンスだと水を向けた。案の定、食いついてきた永幽女。貧乏な佃吾家は自家用車を持っていないことも予め調査済み。モニター客の集う1月23日を指定し、七神奈駅に誘き出した上で、終電のなくなる時間帯まで拘束する。彼女の性格からして、絶対に月【yue】にやってくると踏んでね」
「永幽女本人から聞いたのだが。ドラックの受け渡しと。その、入手して持たせたものは……」
愛帆を刺激しないよう、拙者は婉曲な言い回しで問いかける。
「麻薬なんかじゃないわ、箱の中身はただのチョコレート。要は何でも良かったのだから」
愛帆は投げやりな笑みを浮かべた。
「〝生衣原〟は父方の苗字。計画の下準備の際、姓を戻しただけ。母の旧姓を名乗っていた当時の私は〝恩田愛帆〟。武光医院のカルテにも件の皮膚科の診察券にも、〝恩田愛帆〟で登録されているわ。もっともあいつらは、私のフルネームなんかいちいち憶えちゃいなかったでしょうけど」
愛帆の興奮状態は時折、鎮静した時間を挟みながら、間歇的に繰り返されている。
「あの3人は貴女に会ったことがあるはずなのに、思い出せなかったのね」
門舞は嘆息した。
「15㎏の減量に成功し、浮腫みも蕁麻疹も克服した今の私は別人だから。ショートだった髪は6年後にはすっかりロングになっていたし。念のため仕上げに伊達メガネをかけたら、体型は言わずもがな、顔の印象を含めた外見は見違えるほどに変わったわ」
誰ひとり気づかなかったとしても無理はなかろう。田中あかねも向井理砂も。佃吾永幽女も。
「誤算があったとすれば、向井理砂を殺す時。消毒剤に毒薬を混ぜる際はマスクとゴム手袋で完全に防備した。だけど、いざあの女を手当てしようと瓶を受け取って、消毒の匂いが鼻を突いた瞬間、嫌な記憶が甦った。入退院を繰り返した病院、検査続きの日々と何度も刺された注射針。嫌というほど嗅いできた匂いに思わず躊躇してしまった……」
悲憤しながらも、姫那子へ悔恨する愛帆。
プルースト現象か。脳の記憶と匂いには密接な繋がりがある。
永幽女に責められた姫那子をあの時、愛帆はムキになってかばおうとした。あれは演技などではない、正義感と紛れもない愛帆の本心だったのだ。姫那子を思うゆえの――。
「両親を亡くした今、私は天涯孤独。唯一の身寄りである従姉は、3年前に殺人未遂を起こして今も服役中。私がどうなっても哀しむ人なんて、もう誰もいないわ」
彼女は力なく笑う。すべてを終えた生衣原愛帆の身体からは、さながら魂が抜け落ちてしまったかのように見えた。
だけどそれは違う。すぐそばにいるではないか。
拙者は立ち上がって愛帆を見据えた。細い肩に触れ、抱きしめてやりたい衝動に駆られるのをぐっと堪えた。苦汁を呑ませられてきた愛帆だからこそ、他人の傷みが解るのではないか。
「愛帆殿。人間嫌いの拙者は、この館で汝と出会い伴に過ごし、汝の容姿とはにかんだ笑顔を本気で愛おしいと思ってきた。汝はまだやり直せる。やり直しの利かない人生などないはずだ。口幅ったいことを申すようだが、気持ちは痛いほど解るが、然りとてどんな事情あれど犯した罪は償うべきだと拙者は思う。あの3人のためではない。愛帆殿自身のために」
漆寺、姫那子、門舞、古納言、誰もが息を殺していた。どれほどの沈黙が続いただろう。
「……どうして」
鬱いでいた愛帆が矢庭に顔をあげ、カッと目を見開いた。
「おかしいじゃねえか! あたしだけが牢獄にぶち込まれて、もっそう飯を喰らって、刑罰を受けるって……! 人の心を傷つけた人間どもは法で裁けないだと?! 奴らのしたことは罪にならねえのかよ……!!!」
未だ曾てない愛帆の豹変ぶりに、全員が喫驚して硬直する。
「田中あかねに向井理砂に佃吾永幽女、あのドブスゴリラババアどものしたことは死刑もんだろーが!! ぶち殺して何が悪いんだっつーの! 生きる資格も価値も無い、あの生ゴミ以下の鬼畜どもが病気に罹りゃ良かったんだよっ!! 何であたしなんだよ!? やられたらやり返すのが人生の基本だろうが!! あたしは大人じゃねえんだよ!! 愛たんは悪くないもん! 愛たん悪くないからね‼ 綺麗事なんざクソ喰らえや、青春のバッキャローってか! やってらんねんだよどちくしょうのくそったれめが! まんこしか持ってねえメス豚どものくせに! 悔しかったらチンポコ生やしてみろっつーの!! あっはっはっはっは!!!!」
狂ったように哄笑する愛帆。完全に気を違えている。
ウィーーン ジジジジ ギィィ……
その時、玄関側から軋み音、否、何かが開かれる音がした。
「ま、満月の光が扉のセンサーに反応した合図でございます……! 解錠がはじまった瞬間に、自動で開かれる構造になっているのです」
狼狽しながらも漆寺が周囲に呼びかける。
「扉の開錠される音……?」
門舞が椅子から立ち上がる。
それを皮切りに、我に返った面々は食堂を脱け出し、廊下を駆けて玄関口へ急いだ。
観音開きの扉が両側に開け放たれている。靴を履くのももどかしく、かかとを踏み潰しながら拙者たちは外へ出た。
「し、漆寺さんたちがいないわ……?」
門舞が振り返る。
ガシャッ ドンガラガッターンッ
「お止めくださいお嬢様――!」
漆寺の声だ。本館の2階から響いた。
ハッとした姫那子が邸の中へ引き返す。
「――こっちである!」
拙者は直感的に館の正面に出て敷地内のぐるりを回った。
「でも愛帆さんが」
「良いから!」
鬼の口、つまり食堂の窓を外側から通りすぎ、洋館を象る輪郭に沿って狭い犬走へ入り、母家と悪魔塔の隙間に回り込む。凡そ3メートルの幅の両端に、2本の柱が建っている。拙者は母家2階、物置部屋の窓を見上げた。
「いやぁぁぁ離して!」
慟哭した愛帆の半狂乱な喚叫が木霊す。
「な……っ、2階から……?」
拙者のあとに続いてきた、門舞と古納言も駆けつけて窓を見上げる。
「早まってはいけません、お嬢様――」
漆寺の声は悲鳴に近かった。
「お嬢様と私は一蓮托生。我以て瞑すべし。貴女が死ぬと言うのなら、私も一緒に逝きます」
次いで、逼迫した姫那子の激しい声音が聞こえる。あの姫那子が委細構わず牽制している、愛帆を。
窓から身を乗り出そうと、なおも慨嘆して暴れる愛帆の左腕を漆寺が取り抑え、右腕を姫那子が掴んでいる。
「離して姫那ちゃ……っ、貴女たちは健康体でしょう?!」
左右に猛り狂う愛帆。
「私はね、極力、日光を避けるようにと医師に言われているの。太陽を浴びられない地上の女神たちのように。一生涯、飲み続けなきゃいけない薬がある。もう、詰んでるのよ」
「そんなことはございません、せっかく今まで頑張ってこられたんじゃないですか。まだまだこれからでございます……!」
噛んで含めるような漆寺の必死な説得も、壊れた愛帆には届かないのか。
「その昔、マザーグースは云ったわ。〝すべての病気には治療法があるかないかのどちらかだ。もしあるなら、それを見つけるようにしなさい、もし、なければ――〟」
窓辺に迫りだす愛帆の上半身が空中に傾き、漆寺と姫那子の上体も崩れる。
「……ずっと許せなかった。私を裏切り、私を苦しめ、私を化け物にさせたこの身体が! 自己免疫疾患は自己の細胞を敵だと思い込んだ抗体が、自分で自分を攻撃する病。このおぞましい体内は、私に意地悪して嫌がらせするために病魔を呼び覚ましたに決まっているわ! 被害妄想もここまでくると救いようがないでしょう。自分で自分を許せるほど、私は弱い人間なんかじゃない! 自分で自分を憎む強さがある! こんな腐った命もういらねえ! 曾てエンジェレッタとデミビルが命を絶ったこの場所から、今こそ復讐を遂げ、この闘病人生を終わらせてみせる。この身を消せば病魔も死ぬ! 化け物の私も、この身に巣食いやがったクソ病魔も、殺してやるんだからぁぁ――!」
刹那、凄まじい勢いで両肘を突きだし、漆寺と姫那子の拘束を振りほどいた愛帆が、真っ逆さまに墜ちてきた。
ガッ
ズシャッ
古納言が頭部を、拙者が足元をキャッチし、愛帆の身体はあわや寸前のところで宙に浮いた。
「お嬢……様」
見届けた漆寺が窓辺に凭れかかって力尽きる。
間一髪。受け止めた愛帆の身体を、拙者と古納言はゆっくりと地上に降ろした。
呼吸を乱し、動転している愛帆。
「どう……して……」
やっと絞り出したであろう言葉も、それ以上続かなかった。
袖が引きちぎられ、ブラウスのボタンが外れ、エプロンがほどけてスカートは捲れ、はだけたメイド服から愛帆の素肌が顕わになった。腕――、胸――、太股――。幾度となくカッターナイフで斬り付けてきたであろう、身体中に無数の傷痕が認められた。
急降下した衝撃でアイグラスは地面に落ちて割れている。
「あ、愛帆ちゃ……、良かっ……た」
愛帆を着地させた古納言は、腰が砕けてヘナヘナと尻餅をついた。伸ばした膝がガクガクに震えている。
「死んではダメよ。生きれるうちは、生きなくてはダメ――」
門舞は静かに諭した。愛帆を見下ろしながら胸元のカメオを握りしめている。
ガサッ
背後で気配がすれば、母家を離れて館の裏手に回ってきた姫那子が駆け寄ってくる。
ちゃんといるではないか。こんなにも、愛帆を想う人間が。
「汝は、汝が思うほど独りではない」
古納言はダイイングメッセージの真の意味を察した時、真っ先に愛帆をかばおうとした。拙者の目を欺き、『灰かぶり姫』を隠滅し、最後まで拙者の推理を妨害して。それが正しいことかは置いて於く。
だが無粋な拙者とて、木の股から生まれたわけではない。古納言が抱いているだろう愛帆への想いは屋梁落月、もしかしたらそれ以上の――。
憑き物が落ちたように、くずおれた愛帆はただひたすらに啜り泣いた。彼女が何より最も憎んできたモノ。心底、死ぬほど殺したくて堪らなかったモノ。それはずっと、他ならぬ己自身だったのやもしれない。
月の光を生命の源に、太陽を浴びることが許されない血族。末裔である愛帆の中には、受け継いだ地上の女神のDNAが確かに宿っている。病の引き金になった体質的素因は、エンジェレッタとデミビルの宿世の呪いだったのか。或いは――。
ほの白い満月の光がペンション✞月【yue】を包み込み、優しく地上を照らしていた。
【Mystery still continues】




