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月【yue】--殺人邸で殺しなさい--   作者: 癒原 冷愛
満月✨
25/27

XXI.憎しみの果てに

「証明すれば良いのであるな。階段に施されたトリックを」

 威圧的な古納言に、拙者はあくまで深沈たる態度で布告するだけだ。

「理砂さんのルームシューズだけが、悪魔(デビル)塔の階段に反応する仕掛けになっていたという話ね」

 門舞が頷きながら先を促す。

「面白い。聞かせてもらおうじゃないか。理砂っぺにだけ反応する、都合の良い奇想天外なギミックとやらを」

 いよいよ切り札のなくなってきた古納言が、半ば自棄になって挑発するように拙者を煽る。

「第三の事件同様、磁石の応用である」

 拙者は最後の砦を外しに掛かった。

「悪魔塔の階段、上から二段目。踏み板のサイズにぴったり合わせた、薄いネオジウムが取り付けられていたのだ」

 今朝、悪魔塔の階梯に方位磁石を落とした時、踏み面の上で磁針がくるくる回っていたことから確信したことである。

「仮に階段に施された磁極がS極だとすれば、理砂のルームシューズ裏にもS極の磁石が貼り付けられていたに違いない。もしもどちらか一方をN極にすれば、足裏が蹴り込み板にくっついて失敗に終わる危険性がある。同極同士ゆえに磁石は反発しあい、足元がもつれた理砂は階段から失脚した」

 恐らく履いても足に違和感が伝わらないよう、ルームシューズの足裏にぴったり合わせたサイズの、薄いネオジウムが接着されていただろう。表面の素材はもこもこした毛並みのピンクだが、靴底の外側部分は黒く加工されているから見た目にも判らない。

 愛帆が階段に磁石の仕掛けを施したのは、理砂が悪魔塔の2階にいるのを確認したあとだと思われる。上るよりも降りる際のほうが遥かに成功する確率は高いからだ。食事の時間になれば母家に食料を取りに行くことになる。また生理現象を催しても宿泊部屋に西浄は付いていない。いずれにせよ理砂が1階に降りてくるのは時間の問題であり、確実なことであった。

「もしも予備のルームシューズを愛帆殿が隠し持っていたとしたら、自室に運ばれ屍になっている理砂に、あとでこっそり履き替えさせれば良い。だが、証左はまだ悪魔塔の段板に残されているはずである」

 磁石にくっつくタイプの鉄製の階段であれば、あとで回収できるから証拠として残らない。

 しかし通常、トラス階段や稲妻階段は外界に設置されるもので、邸内の階梯はすべて木製で出来ている。ゆえに接着剤で付けるしかなかったであろう。無理矢理剥がせばクルミ材の表面が剥げてしまうから、剥がすに剥がせまい。

「拙者の探偵生命に賭けても良い。悪魔塔の階段には今も板状のネオジウムが接着されているはずだ」

 上から二段目の踏み板に細工したのは、高い位置から失脚したほうが身体に依り強いダメージを与えることができるから。頭部や首――打ち所が悪ければそのまま即死、或いは脳内で出血が起きていた場合、数時間後に死亡することもあり得る。プロバビリティの殺人が成功すれば、犯人とてそれに越したことはない。

 万一、それらが失敗に終わったとしても最悪、怪我だけは負わせることができる。不格好な己の体型を省みない理砂が、露出度の高い服装だったことも幸いしたと言えよう。

「消毒薬を毒薬に替えたのは保険だったのだろう。階段の細工は理砂を死に至らしめる第一の手段であり、第二にそれが成功しなかった場合、消毒液を用いる状況に運ぶための布石でもあった」

「困難の分割ね」

 得心がいったように門舞が呟く。

 元より悪魔塔内部の造りは、すべてがブラックを基調にデザインされている。さらに月光発電の都合上、照明が常に落とされていることで、薄暗い階梯の一部に同色の磁石が施されていても目立ちにくい。

「あかねが殺された日、紅茶を用意したのは愛帆殿だった」

 無論、切っ掛けを作ったのは拙者や古納言だったかもしれない。

 しかし愛帆は内心、しめたと思ったはずだ。僅かなチャンスをも彼女は見逃さなかった。

 いずれにしても主催者側の立場に託つけて、紅茶なり珈琲を煎れるつもりだったやもしれない。ひとりひとりに異なる茶葉を使って、頭に血が上りやすい理砂と永幽女にラベンダーティーを宛がう。その上で精神安定の効能云々を説明すれば、少なくても彼女たちのどちらかが怒り出すことは心算の内だっただろう。現に永幽女と理砂は伴に逆上し、ティーカップを叩きつけた。

「常に計画性を持って神経を研ぎ澄まし、少しの機転を利かせれば、偶然は必然に変えることができる。愛帆殿は狙っていたであろう。理砂の足元に熱い液体を溢し、ルームシューズを履き替えさせる機会を作りだすことを。予備の室内履きを用意したのは漆寺殿だが、彼が率先して動くことは目に見えていた」

 漆寺は日頃から愛帆を気遣い、出来る限り彼女に雑用をさせようとはしなかったのだから。

 理砂への怪我の手当てをしたのは姫那子だが、それも愛帆の指示があってのことだ。

「給仕、傷の消毒、ルームシューズの交換。漆寺殿や玄密殿を巧みに動かし、役割を分散させることで、愛帆殿は自分だけが疑われることをごく自然に回避した。門舞殿の言葉を借りるなら、まさに〝困難は分割せよ〟である。無論、理砂たちのティーカップの後始末等、自らやらなければいけないこともある。譲れない仕事は自身で率先しておこなえば、彼らも従うしかなかろう。当主の愛帆殿はスタッフふたりを然り気なく誘導し、差配できる立場にあった」

 息を詰めたまま、誰も何も言わなかった。

「愛帆殿」

 拙者は、俯いたまま一言も言葉を発しない愛帆に向き直った。

「拙者は未だに汝が3人もの人間を殺めたなど、とても信じられない。話していただけるか。何故こんなことをしなければならなかったのか。そうして月並みだが、汝には自首することを願いたい……」

 手弱女の愛帆を、問い質すことはしたくない。静かに拙者は因果を含めた。もうこれ以上、彼女を追い詰めたくはなかったのだ。

 姫那子は憮然たる面持ちのまま、手のひらの水晶に視線を投げかけている。

 味噌をつけることもなくなった古納言は、不貞腐れたようにそっぽを向いていた。長髪の赤毛が目元にかかって表情は窺い知れないが、ガックリと項垂れているように感じられた。

 門舞は憐憫の情を滲ませながら愛帆を見守っている。

 やがて漆寺が乾ききった声を出した。

「こ、これは何かの間違いでございます。お、お嬢様がそんな……」


「もう良いわ漆寺さん」


 静かに制したのは愛帆だった。

 長い沈黙が訪れ。

「田中あかね、向井理砂、佃吾永幽女、あの3匹のメス豚どもを手にかけたのは私。私がこの手で殺してやったのよ……」

 いつの間に隈ができていたのだろう、顔を上げた愛帆の目は据わっていた。

「メ、メス豚って……。あの3人は貴女に何をしたというの」

 驚く門舞。愛帆の口からは到底発せられない言葉であろう。

「……ごめんなさいね、姫那ちゃん」

 愛帆は門舞の問いなど聞こえていないかのように、深々と姫那子へ頭を下げた。

「理砂の傷の手当ては、あの時本当に私がやらなければいけなかった。前以て消毒液に猛毒を仕込んでおいた私が。なのに……っ」

 握りしめた愛帆の拳が震える。

「自動殺人を仕掛けるだけ仕掛けて、直接手を下せなかった私のせいで、貴女の心に一生消えない傷を負わせてしまったわ」

「メイドの宿命とあらばこれも本望。やぶさかではございませんョ。お嬢様……」 

 咽ぶ愛帆を斟酌するように、姫那子の瞳が揺れた。

「教えてくれ愛帆ちゃん、一体何があったんだい……」

 動揺を隠せない古納言は、絞り出すような声で問う。

「――私はね、不治の病に侵されていますの。自己免疫疾患――、発病は15歳の時。治る見込みはないと医師に言われましたわ」

「な……っ」

 誰もが一驚し、愛帆を瞠目した。

「両親は私の幼い頃に離婚していて、母っ子だった私は彼女に引き取られ、母子家庭で育ちました。資産家だった父からは、欠かさず養育費を含めた仕送りがなされていたけれど、私が病で倒れてからというもの母はがむしゃらに働いて治療費を稼ぎ、女手ひとつで私を支えてくれました。元より虚弱体質だった母は心労を重ねて身体を壊し、私が18歳になる前に亡くなりました。残されたのは母が加入していた生命保険と、生前彼女が貯めてきた虎の子。私は母の遺産と、定期的に振り込まれる父の仕送りで、療養しながらひとり生計を立てていました」

 初めて聞かされる愛帆の過去と生い立ちに、拙者はかける言葉も失っていた。

「苦しい闘病生活から抜け出したくて、私はひたすら病を完治させる術を探し求めました。()のマザーグースが遺した名言にこんな一節があるように。〝この世のすべての病気には、治療法があるかないかのどちらかです。もしあるなら、それを見つけるようにしなさい〟と。情報をかき集めて調べていく中、行き着いたのは鳥取県の東伯郡北栄町にある診療所でしたわ。名医と名高い医師が開業したという、自己免疫疾患専門のクリニック」

 鳥取県。あかねと理砂の地元である。嫌な予感に拙者の心臓はドクンと跳ね返った。

「都内で通院を続け、なおも病態が思わしくなかったあの頃の私は、ステロイドの副作用で満月様顔貌(ムーンフェイス)に、さらにはホルモンバランスの乱れで症候性肥満になって、細く美しかった容貌は変わり果ててしまった。浮腫んで腫れ上がった顔と、体内の毒素を排泄させるかのように変色した肌の色と、身体中に拡がる発疹。纏わりついた醜い贅肉、絶望にうちひしがれる日々だった。鏡の前で何度も自分と喧嘩してきた。〝あんたなんかあたしじゃない!〟って鏡を叩きつけて割って、金槌でぐちゃぐちゃになるまで破片を粉々に潰してきた。けど、それで醜い〝私〟が消えるわけじゃなかった! 泣いて泣いて泣き腫らして、布団を被ってひたすら震え

た。己の気持ち悪さに吐き気がして胃液は逆流し、胃に穴が空くほどの激痛に見舞われ、呼吸困難を起こし、金縛りや悪夢に魘され、寝ても覚めても塗炭の苦しみに苛まれた。身体中がボロボロに蝕まれていったわ。人目が気になって恐ろしくて外に出ることもできず、何日も食事さえ摂らずにひたすら家に閉じ籠っていた。そんな時、一筋の光を見いだした気がしたの。藁にもすがりたい一心で鳥取県に訪れたわ。保険の利かない自由診療だけど、そこでは研究を重ねた医院長独自の、全く新しい治療法がおこなわれていたの。西洋医術と東洋医術の利点を併せ持ち、抗酸化作用をもたらすファイトケミカルな生ジュース、さらには月光浴による自然療法を取り入れ

るという、劇的な治癒効果を望める医院でした」

 月がもたらす影響力と女性ホルモンには、密接な関係があるという件のデータは果然、伝説上だけのものではなかったようだ。

「診察後、管理栄養士による栄養指導を受けることになって、栄養指導室に案内されたわ。専門学校在学中だという栄養士の実習生が、研修に来ていた。そこで向井理砂と田中あかねに出会したの! あの女どもは白衣を着て座ったまま、醜く様変わりした私の容姿を見つめながら、ニヤニヤ口元を歪めて笑いを堪えていたわ……! 管理栄養士の指導が終わって会計待ちをしていた時、あからさまにキャハハハと笑いながら、私のそばを駆け抜けていったの。そうして振り向き様にニヤニヤしながら、院内の通用口へ姿を消していった……!」

 怒りに全身を震わせ、柳眉をつり上げた愛帆は、鬼の形相の如く豹変していた。凄まじい憎しみの炎を燃やす瞳は紅く血走っている。美しく淑やかな面影は跡形もなく消え去り、拙者の知っているはずの、あえかな愛帆は今や幻の女であった。

「私は徹底的にあの女どもの素性を調べあげたわ。専門学校の研修生ということで、学校名と奴らの名前、所在地はわりと容易く判明したの。最初は相手の名前を使った黒魔術で呪いの呪文を唱え、夜中の2時に五寸釘と藁人形を持参して神社に出向き、丑の刻参りもした! ありとあらゆる呪術を掛けたし、何万もの大金をつぎ込んで、呪い代行社にあいつらを呪い殺す依頼もしたわ!」

 2階の図書室に置かれている【医学】と【呪術】の書物一式は、愛帆が買い揃えたものだったのだろう。

「永幽女さんはどうして……?」

 興奮状態から呼吸が荒れはじめた愛帆に、門舞は憚りながらも慎重に訊ねる。

「あの女も然りですわ。謎の湿疹に見舞われていた6年前、応急処置に地元の皮膚科を受診した時、受付に座っていたあの狐目のドブス女は、嘲笑しながらじろじろ私を見つめてきたわ! 得体の知れない奇異な化け物を蔑すんで見下すかの如く、興味深げに嫌らしい目付きで――!」

 愛帆は唇を噛みしめた。

「私はあのメス豚どもを呪い殺しながらも、鳥取県に足繁く通いながら懸命に治療を続けてきた。医師は身体だけでなく、心のケアにも親身になってくれたわ。主治医――医院長の武光(たけみつ)友和先生は、患者の傷みが解る、とても優しい人だったから。倉吉市にたびたび宿を借りて滞在し、定期的に医院に通院することで治療は功を奏で、徐々に寛解期を迎えていったの。満月様顔貌(ムーンフェイス)も症候性肥満も緩和され、肌の発疹やその他諸々、血の滲むような努力を続けて克服していったわ」

 きっと想像を絶するものだったに違いない。拙者には闘病を堪え抜いてきた愛帆の苦しみを、推し量ることはできなかった。



                   【つづく】


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