XIX.だぁーれが殺した♩永幽女嬢?
「だ、第三の死者が犯人を教えた……?」
唖然とする漆寺と愛帆。
「し、しかし朱万里様。名前に【月】を持つ人物は誰あろう貴方と、月餅様だけで。それは畢竟するに……」
小心翼々の漆寺が語尾を濁しながら、拙者と古納言を交互に見やる。それに伴い、全員の視線が古納言と拙者に集中する。
「あれは【月】を指していたのではない」
佃吾永幽女が今際の際に、瀕死の状態で最期に伝えたかったものは。
「【月】ではなく、その右横の【火】を表していたのだ」
拙者の意図するところが解らぬのだろう、一同は絶句したままだ。
拙者は深く息継ぎをした。
「正確には【火】に血文字で、ある漢字の部首を書き加え、ひとつの文字を完成させようとしたのだと思われる」
胸をひと突きにされ、致命傷を確認した犯人が逃走したあと、自らの鮮血を赤インクに最後の力を振り絞ったであろう永幽女。
「しかし漢字は完成されることなく、ご臨終となった」
「か、漢字の部首……?」
もはや漆寺の声は裏返っている。
「教えて金田一く、じゃなくて朱万里さん。永幽女さんは何を書こうとしていたの?」
泰然たる門舞が顎を引いて静かに先を促す。
「……厂である!」
「が、がんだれ……?」
「無論、焼き鳥のタレではない」
別名、かりがねとも呼ばれる部首のことだ。
「厂+火……」
姫那子が呪文を唱えるように呟いた。
「は、〝灰〟……?」
彼らは互いの顔を見合わせながら、おしなべて動揺を顕わにする。
「朱万里様。灰が付く名前の人間など、この館にはいませんョ」
興ざめしたような姫那子がしれっと反駁した。
「門舞殿と古納言殿は憶えておられるか。初日の夜、ある人物を揶揄した理砂がこんな具合に言っていたのを。〝小汚いエプロン、まるで灰かぶり姫じゃないか〟と――」
ハッとしたように門舞が息を呑んで目を凝らした。
古納言は無言のままオッドアイの瞳で拙者を射竦める。
「拙者を含め、理砂とあかねに門舞殿と古納言殿は、正規のモニター客として事前に招待状を受け取っていたであろう」
拙者は、数ヵ月前に送られてきた招待状の一字一句を思い起こす。当主のフルネームがルビ付きで記載されていた、あの文面を。
「しかし自称〝森の中で迷った〟という飛び入り客の永幽女殿は、招待状を受け取っていない。自己紹介の際に名前は知らされても、犯人の名の〝漢字〟までは判らなかったはずである」
拙者たちモニター客は、テーブルの指定席にネームプレートが設置されているが、スタッフ側の名前を表すものはない。現に永幽女は常に『当主』、『執事』、『メイド』と彼らを役職名で呼んでいた。
「〝生衣〟と書いて〝はい〟と読むのは珍しい。一般的に〝灰〟を思い浮かべたとしても無理はない。かてて加えて理砂が放った灰かぶり姫の一言が決定打となれば。永幽女殿の脳内では、〝はい〟=〝灰〟の漢字が強烈にインプットされてしまったのだと思われる」
不可抗力とも言える思い込みである。永幽女はあの時、ある人物を灰かぶり姫のイメージにぴったりだと同調していた。もっとも、某探偵漫画の準ヒロインの名前も少なからず影響していただろうが。
「そ、それじゃあまさか――!」
食堂の潮目が変わった。
「生衣原愛帆殿。拙者たちを招いた館の主人、汝こそがペンション✟月【yue】の亡霊。3人の女たちを死に至らしめた連続殺人事件の真犯人である……!」
拙者の放った言葉に、誰もが驚嘆の表情を浮かべた。
「永幽女殿の遺したダイイングメッセージの意味に、いち早く――と言っても本日付だろうが、気づいたのは古納言殿であった。彼は真犯人の名を連想させる、ある書物を2階の図書室から持ち去り、我々の目から隠匿しようとした。そうであろう、古納言殿」
古納言はそっぽを向いたまま黙りを決め込んでいる。
「あ、ある書物……?」
衝撃に硬直した後、ようやく声を発したのは漆寺だった。
「グリム童話のシンデレラこと〝灰かぶり姫〟そのものである」
「愛帆ちゃんが犯人だって? バカバカしい。観念的な推理もいい加減にしたまえ。キミの与太話には付き合いきれないさ〝拙者〟君!」
睨み据える古納言の額に、たらりと汗が滴り落ちた。
「愛帆ちゃんがどうやって永幽女嬢を殺したというのだい。キミたちの証言では、彼女の部屋は密室だったんだろう?」
「密室のからくりは既に解けている」
拙者は従容に立ち上がると、母家2階へ一行を促した。先頭を切る拙者のあとに門舞、漆寺、姫那子が続き、古納言と愛帆が最後尾についた。
2階の踊り場に出れば、左に遊戯室 兼 図書室、右手前に愛帆の寝室が控えている。
拙者はふたつの部屋を横切って、右奥の物置部屋に進み、腰高窓のクレセント錠を下ろす。3メートルほど離れた正面に見えるのが永幽女の部屋だ。窓から1メートルほど先に件の柱が建っている。対面する悪魔塔の窓の外にも然りだ。腰高窓を四角く象る窓枠――下部の辺に相当するほどの木製の柱。
「機軸となるのは窓から見える2本の柱である」
「よもや飛び石の如く柱から柱へ乗り移ったなどと」
漆寺は上擦った声のまま驚倒する。
「そうではない」
体操の選手やスタントマンならいざ知らず、普通の人間にそのような危険な芸当はできるわけもなかろう。
「2本の柱は、母家と悪魔塔を繋ぐ仮初めの架け橋を作るために使われたのだ。柱の中心部に彫られた凹凸に、ぴったり嵌まる棒状のものを嵌め込んで」
四角い凹凸の形にフィットする角ばった棒か。或いは丸太のようなものに、柱の窪みに嵌まるような四角く突起した部分が付いているものやもしれない。
「見ての通り柱の天辺は平らな表面ですョ。凹凸などございませんョ……」
背後から姫那子がゆらりと近づき、淡々とした声で告げた。灯油ランプを手にし、腕に水晶を抱える姫那子。闇に映える水色の瞳が一瞬だけ揺れた。
「覆い隠されているだけである。柱の材質と同じ、木製の丸い蓋のようなもので」
「し、しかしどうやって。ここからでは身を乗り出したところで、柱に手は届かないじゃないですか」
悠揚と言い放った拙者に、やはり漆寺が反論する。
「柱の蓋となるものを長い棒状のものに取り付けて、柱の表面に接着したのだと思う」
窓の外は外界の空気に晒されている。ただ被せるだけではなく、強風が吹いても外れることがないよう、蓋は柱に固定されていたと考えられる。
「せ、接着って」
門舞が訝しげに問う。
「柱の断面をしっかりと封じ、遠隔から取り外すこと。あるモノを使えばそれも可能となる」
「あるモノ……?」
「磁石である」
「じ、磁石……?」
愛帆に率いられ、この部屋に入った初日の夜を拙者は思い出す。あのあと天使塔の自室で目覚まし時計を確認した際、懐の懐中時計の針が大幅にズレていたことを。
「恐らく柱の表面に磁石が内蔵され、蓋の内側にも磁石が取り付けてあるのだろう。S極とN極で引き付けあうように。付け外しをおこなう際には、蓋にくっつくように先端が磁石になっている棒、或いは棒そのものが磁石に反応する鉄素材であれば良い」
「けれど朱万里さん。仮に柱の凹みに架け橋をセットして向こう岸に渡れたとしても、永幽女さんは当然、窓の内側から鍵を掛けていたはずよ。どうやって悪魔塔の外側から彼女の部屋に侵入したと言うの」
門舞はもっともな疑問を投げかけてくる。
「クレセント錠が磁石でできていたのだと思う」
ここでも磁石の応用編。永幽女の部屋の窓を開けた時。窓面に平行するように、クレセント錠は横向きに取り付けられていた。
「仮にクレセント錠がS極であったら、ガラス越しに磁石のN極を近付けて、外側から錠のレバーが下がるように窓を介して操作すれば良い」
薄い窓ガラスに強力な磁石であれば、磁力を通すことは可能である。永幽女の部屋のクレセント錠はレバーが柔らかく、常に容易に下ろせた。
今朝。永幽女の部屋の窓辺で沈思したあと、廊下に出た拙者が気づいたのは、初日の晩と同様に懐中時計の針が狂っていることだった。時計は磁気に反応する。懐中時計のように小さいものは特に。磁石のそばで影響を受けた針が、正確な時を刻めなくなったのだと考えれば辻褄が合う。
――1月29日、深夜0時過ぎ。愛帆の取った行動を推測する。まずは館の者が寝静まった頃合いを見計らって、母家の自室を出た愛帆は物置部屋に向かい、悪魔塔の202号室の電気が消えているのを確認する。柱の断面の蓋を磁石に反応する棒を使って外すと、自身の部屋に隠していたであろう、柱と柱を繋ぐ『架け橋』を持ち運び、凹凸に固定する。小柄の愛帆には骨の折れる作業だっただろうが、火事場の馬鹿力と気力で堪え抜いたのだろう。
悪魔塔側の柱に関しては、前以て永幽女の部屋に入り、窓の外にある柱の蓋は外しておく。悪魔塔を管理している漆寺に気づかれぬよう、なるべく間際に。少なくとも純正キーが永幽女の手に渡る前には。現に愛帆は初日の夜、姫那子と手分けして悪魔塔の寝室を整えている。
架け橋を固定したら、椅子を踏み台にでもして跨り、両手を付いて腰を浮かせながらじりじりと伝っていく。悪魔塔に辿り着いたら、窓ガラスの外から磁石を利用して窓を解錠し、室内へ忍び込む。灯りを落として就寝していたであろう永幽女に襲いかかると、一気に刃物を振りかざした。
眠りが浅かったのか、寝付いていなかったのか、闖入者に気づいた永幽女は起き上がって激しく抵抗する。電気スタンドは永幽女自身が点けたのか、何らかの拍子に点いたのか定かではないが、心臓をひと突きにされ、致命傷を負った永幽女は断末魔の苦しみにもがきながら、犯人の正体を知らせようとした。
一方、彼女の心臓を突き刺した愛帆は、一刻も早く立ち去らなければならなかった。既に叫び声をあげられている。モタモタしていたら、悲鳴と物音を聞きつけた漆寺が、扉を蹴破ろうとやってくるやもしれない。指紋を残さぬよう、手袋はしていただろう。刃物を突き立てたままにしたのは、返り血を浴びることを防ぐため。レインコート等を服の上から装備していたのやもしれないが。とにかく無駄なことをしている暇はない。
素早く架け橋に股がると窓を閉め、例の磁石を外側から近付けてクレセントのつまみを上げて施錠し、母家の物置部屋に舞い戻る。溝に嵌め込んだ架け橋を外し、柱の表面を蓋で覆い、使用した道具一式は速やかに自分の部屋へと片付ける。
恐らくちょうどその頃、階下にいた拙者たちの話し声や足音を愛帆は耳にしたはずだ。就寝着の上に羽織っていたであろうレインコートの類いを素早く脱ぎ捨て、何食わぬ顔で階段を降りてきて、拙者たちのもとに合流した。黒いセーラーワンピースを纏っていたことで、万一、返り血が付着していたとしても誰にも気づかれなかった。これがあの夜、愛帆が実行した経緯のすべてであろう――。
遊戯室を点検していたという門舞が、階下へ降りてきたのは悲鳴が響いたほぼ直後。時間的に言わずもがな、彼女に犯行は不可能である。
当初から愛帆の策略と真の目的は、鍵の掛かった永幽女の自室に如何にして入り込み、殺人を完遂して人知れず舞い戻ることができるのか、ということだったと思われる。且つ自身が犯人である痕跡と、見えない道標を隠すための密室トリックだったはずだ。拙者と門舞と姫那子が母家に来ていたことで、偶然『アリバイ』なるものが証言されただけである。
しかし逆に考えれば。あの時、母家2階から姿を現したことこそ、愛帆が永幽女を襲い、一連のトリックをやってのけた犯人であることを雄弁に物語っている。
永幽女の部屋に皆で駆けつけたあの夜。窓の外に建つ柱の断面は、中央に四角い凹凸が確かに見られた。
しかし拙者が今朝、ふたたび永幽女の部屋に入った時は柱の溝は消えていた。架け橋を回収し終え、母家物置部屋の柱に蓋をした愛帆も、事件当日に悪魔塔側の柱の蓋を元に戻すことは不可能だった。ゆえに密室を作り上げた痕跡が、片方の柱にだけは残ってしまったのだ。一連の騒ぎのあとで改めて永幽女の部屋に侵入し、愛帆は誰にも見られないよう柱の蓋を被せにきたのだろう。
だが逆にそれが拙者に違和感を与え、見えない道標を導きだす端緒になってしまったのだ。心理的補完効果にも似た現象である。
そもそもこの密室トリックは、洋館の構造を熟知していない者には実行できまい。数日前に愛帆自ら語っていた、月†【yue】の館に宿る女神たちの逸話。両親の目を盗んでは邸内でこっそり会っていたという、エンジェレッタとデミビルに拙者は思いを馳せた。ふたりが落ち合った場所は――。
「あくまで拙者の想像だが、双子の彼女たちを不憫に思った家臣が、エンジェレッ塔とデミビル塔を増築する際、こっそり仕掛けを施したのではないか……? 母家の納戸と、対面するデミビル塔の、窓の外に2本の柱を建てたのも。柱の天辺に磁石を埋め込み、中央に凹凸を彫ったのも。エンジェレッタとデミビルが、人知れずいつでも行き来できるようにとの計らいであったのだとすれば」
凡そ200年前に造られた遺構。神話には確かな史実が混ざっているのではなかろうか。
物置部屋の入り口で、ただじっと伏せたままの愛帆。この角度では表情は窺い知れない。彼女は何も言わなかった。
【つづく】




