XVⅢ.ふたりの女が死んだのさ
謎のすべてが繋がった。
1月31日。ペンション✞月【yue】で過ごす最後の夜。天使塔の自室で窓を見上げる。待ちわびていた満月がついに姿を現す時が来た。
卓上のサモワールに手を伸ばす。身体が無性にアジアンの刺激とスパイスを欲していた。母家で給された最後の晩餐。拙者が本能的に選んだのは、シンガポールラクサのユッケジャン仕立てと、ベトナムフォーのソルランタン風味だった。
懐中時計は間もなく19時を指している。館の扉が開くのは今夜21時。一連の事件の真相を明かし、犯人を自首へと導くのは、なるべく扉の解錠される間際が良いだろう。遺漏があってはいけない。慎重に事を進めるべきだ。万一、追い詰められた犯人が自暴自棄になって、邸の人間を皆殺ししようと暴れだすとも限らない。そうなったら拙者たちは袋の鼠である。
……いや。あの人柄を考えればそんなわけあるまい。
だが脳裏を支配する嫌らしい想像を、拭えないでいるのも事実だった。
妙に脂っぽいラクサ。ユッケジャンスープに馴染まない、オイルの染み込んだカレー風味の茄子と鶏肉、分離したココナッツミルクが胃の中へドロンと凭れていく。逆流する胃液。中和するようにソルランタンスープを流し込んだ。クセのないあっさりした牛骨の味わいに幾分か救われる。
コンコン
ふいに扉がノックされ、ビクッと身構えた。
「朱万里さん、いるかしら?」
門舞の声だ。拙者は重い腰を上げ、ドアノブのサムターンをゆっくりと解除した。
「何の用であるか」
平静を装っているつもりだった。
「犯人。解ったのでしょう」
徐に口を開いた門舞。口角は上がっていたが瞳の奥は笑っていなかった。
「……何故そう思う」
抑揚ないまま拙者は聞き返す。
「タロットが暗示しているの」
ドアの内側に凭れかかっていた門舞は、烏の嘴――人差し指と中指で挟んだ1枚の大アルカナを胸の前で示した。
「インスピレーションが戻ったようであるな」
「……やっぱりそうなのね」
門舞は淋しげに、そして覚悟を決めたように瞼を閉じた。長い睫毛は刃先を磨いだ眉月の如く。
「ねぇ朱万里さん、貴方は――」
やおら目を見開いた門舞が一歩、拙者に近づく。
反射的に拙者は一歩、門舞から下がる。
エスニック麺の残り香ではない。門舞は今日、カルダモンの香水をつけている。重圧な空気に堪えきれず、拙者は彼女から顔を叛けた。
先に嘆息したのは門舞のほうだった。
「――Good Luckよ。〝餡月〟さん?」
吹っ切れたように微笑めば呆気なく身を翻し、門舞は拙者の部屋から歩み去った。
「一体何なんだい、チェックアウトにはまだ早すぎるだろう」
解せない様相で古納言が言った。
母家の食堂に生き残りメンバーが揃ったのは20時。当主の生衣原愛帆、メイドの玄密姫那子、執事の漆寺福重。モニター客の月餅古納言に栗室門舞。
「3人もの死人が出たんだ。今さらお別れのご挨拶でキレイに締めようと言うのかい。僕は御免だね」
洋館のひとりひとりに声をかけていった拙者に、古納言はお冠だった。既に不満タラタラである。
「帰る前に、一連の事件の真相を明らかにさせておきたい」
拙者の言葉に、愛帆と漆寺は当惑したように顔を見合せ、姫那子は例の如く水晶を愛でていた。
「まずは朝餐時に田中あかねが毒殺された第一の事件。料理に毒を盛ることも、停電の仕掛けをすることも、概ね誰にでも犯行が可能だったということしか判っていない」
一行は黙ったままである。
「次に向井理砂が死んだ第二の事件だが――」
「理砂っぺが階段から落ちたのはただの偶然だろう?」
木で鼻を括ったように古納言が遮った。
「偶然ではなかったとしたら」
拙者は静かに反駁した。
「戯れ言だな、僕らはあの時、全員母家にいたじゃないか。彼女を突き落とすなんてできっこない」
鼻白んだまま、もっともらしい正論を主張する古納言。
「そ、その通りですわ……」
及び腰の愛帆も彼に同意を表す。
「プロバビリティ。悪魔塔の階段に何らかの細工がしてあったということね?」
門舞の見解に、何人かが顔色を変えて息を呑む。
流石は腹芸を身に付けている門舞である。我が意を得たりと拙者は頷いた。
「し、しかし、それでは悪魔塔にいた他の人間が誤って怪我をする危険性もございます。あの日はまだ向井様以外にも、佃吾様と私がおりました。たまたま我々は無事でしたが。それに私は何度となくあの階段を上り降りしておりますが、足を滑らせるような何かが塗られていたとしたら気づくはずでございます」
漆寺の抗弁に、それ見たことかと古納言は歪んだ笑みを浮かべた。
「そもそも向井様の直接の死因は、救急箱の消毒液でございました」
そうだ。皮肉なものである。本来消毒するべき液体が猛毒に汚染されていたのだから。
「私が殺めたのですョ……。品性お下劣、破廉恥で男狂い、心底忌避すべき、月【yue】の館に厄をもたらすあの疫病神を」
水晶に手を翳したまま姫那子が言い放った。青白い瞳には怨嗟の念が込められている。
「やめなさい姫那ちゃん!」
思わぬ愛帆の勘気に触れ、姫那子はピクリと身体を震わせて押し黙る。
「死んだ人を悪く言うなんて。それにあれは貴女のせいじゃないわ。本来なら私が向井様の治療を……」
そこまで言って、愛帆は自責の念に駆られるように言葉をつぐんだ。
ふたたび重々しい沈黙が流れ、拙者は口を開くべきタイミングを計った。
「今、拙者たちが履いているルームシューズ。スリッパではなく、足裏にびったりフィットするものである」
「それがどうしたというのだい」
「もしも理砂のルームシューズだけが、階段に施された〝何らかの仕掛け〟に反応するものであったとしたら」
「な、何だって!」
誰もが泡を食い、場は騒然となる。
「思い出してほしいのだ。あかねが死んだあと。1月25日の昼間の出来事を」
最初に飲料水を要求したのは拙者である。端を発したのは他ならぬ拙者だったのやもしれない。
「漆寺殿が拙者に水を用意し、愛帆殿が他の宿泊客へも喉が乾いていないかと気遣った。紅茶を煎れてほしいと所望したのは古納言殿である」
彼らはふたたび沈黙する。
あの時、鎮静効果のあるラベンダーティー云々で一悶着が起こった。
「理砂と永幽女殿がテーブルに紅茶をぶちまけ、後始末をした愛帆殿が誤って理砂の足元にティーカップを落としてしまう。逆上した理砂がルームシューズを脱ぎ捨て、漆寺殿が新しいルームシューズを持ってきて彼女に履かせた」
ここまで言うと、彼らの視線は一斉に漆寺へ注がれた。
「ま、まさかあの時に理砂さんが履き替えたルームシューズに細工が……?」
門舞が声を震わせる。
「漆寺ぃ、やっぱりキミだったのかい」
さも得心がいったように古納言が詰った。
「や、〝やっぱり〟とはどういう意味でございましょう。わ、私はそんな……」
漆寺は狼狽するばかりである。
「漆寺殿、あのルームシューズの予備は何処に」
「げ、玄関の引き戸の中でございます」
当然、引き戸に鍵など掛かってはいないだろう。誰もが自由に出し入れできたはずだ。主催者側に限らず、スリッパの類いが保管されている場所など客側にも容易に推測できる。
「取りも直さず、まだこれだけでは犯人を特定することはできない。現段階ではひとまず第一、第二の事件は除外して考えても良いであろう」
拙者はひとりひとりの様相を見渡しながら打診した。当のあかねと理砂さえも、誰の手によって殺されたのか判らぬまま絶命したに違いない。
だが一連の殺人を決行した人物は、確かにこの中にいる。
「真犯人の名前をはっきり教えてくれた人物は、ひとりだけだ」
「そ、それは一体……?」
畏怖するように門舞が身構えた。
「もう判っているであろう門舞殿。第三の死者である!」
【つづく】




