XⅣ.第三の犠牲者、そして――
「たった今、向井理砂様は亡くなられました」
「そ、そんな……」
神妙な面持ちで漆寺が告げた言葉に、愛帆が口元を手で押さえて慄然とする。
「まさか、消毒液に毒が……?」
誰かが言った。すぐさま全員の視線が姫那子に集中する。
当の姫那子は消毒液を持ったまま、憐れな屍を冷淡な瞳で見下ろしていた。
「やっぱり貴女だったのね、メイド!」
永幽女が激しく睨みつけ、ここぞとばかりに難詰する。
「姫っ……、玄密は犯人なんかじゃありません」
愛帆がかばうように前へ出た。
「じゃあ誰だって言うのよ! 救急箱を持ってきたのは彼女じゃない! そして私たちの目の前で、理砂を手当てしたのも――」
「それは私が玄密に介抱を命じたからで、本来なら私がやらなければいけなかったことです! お客様の怪我は当主である私の責任ですから――」
永幽女の言葉を遮り、いつになく愛帆が切実に高唱した。
「じゃあ何故貴女がやらなかったわけ」
「わ、私、消毒の匂いにトラウマがあって……」
睥睨する永幽女に、一転して臆する愛帆。
「ちょい待ち、永幽女嬢。――愛帆ちゃん、救急箱は天使塔1階にあると言ったよね。鍵は掛かっていたのかい」
双方の間に歯止めをかけた古納言が問えば、
「いいえ。使われていない空き部屋は通常は施錠していないので……」
怯んだまま愛帆がこたえた。
「じゃあ誰でも自由に出入りできるわけだね。室内に侵入し、薬箱の中身に細工することは今ここにいる全員に可能だったということさ」
確かに。電話線を遮断するチャンスも、薬箱の容器に毒薬を混入させる、もしくは液体ごと入れ替えるチャンスも、すべての人物に与えられていたはずである。主催者、宿泊客問わず――。
問題はどうやって理砂に怪我をさせ、消毒液を用いる状況に持っていくかだ。彼女が階段を踏み外したのはあくまでも偶然。理砂自身も何者かに突き落とされたとは言っていなかった。無論、理砂のような人間が誰かをかばうことなど有り得ない。
第一、理砂が食堂に姿を現す以前から彼女以外の人物は全員、この母家にいたのだから。
「何なのよこの洋館は? どうなってるのよ全く! こんな変なことに巻き込まれたくて来たわけじゃないのに。あんな仕事引き受けるんじゃなかったわ」
癇癪を起こした永幽女が片手で額の髪を掻きむしった。
「仕事……?」
漆寺と門舞が訪ね返す。
ハッとしたように永幽女は口をつぐんだ。顔には明らかに焦りの色が滲み出ている。
「――何でもなくてよ! とにかく私は自室に戻るわ。満月の夜が来るまで一歩も部屋から出ないから」
ヒステリックに籠城宣言をすると、永幽女は憤然として椅子から立ち上がった。
理砂の屍は、またもや漆寺と古納言によって悪魔塔へ運び込まれる。
思わぬ第二の犠牲者が出たことで、生き残りメンバーたちはさらなる疑心暗鬼に陥った。
冷凍パンは美味であったが、晩餐はいつもの非常食に逆戻りである。銘々が宿泊塔に戻る前に、供与された多種の加工食品の中から、食指の動くものを無言で選びとっていく。誰もが暗澹たる思いのまま、文字通り通夜のように沈んでいた。誰かが何かを言えば、ふたたび一触即発の火種になりかねないことを全員が悟っている。
愛帆と姫那子、漆寺さえも我々に食料を配給すると、そそくさと自分たちの持ち場へ散っていった。
甘いものが苦手な拙者は酵母入り菓子パンとカロリーガレットを避け、いつもの即席麺を吟味する。赤と緑のパッケージで《きつねとたぬきの化かし合い》なるものがあった。さしづめ油揚げと天かすが両方入っているのだろう。拙者は軽くため息を吐き、月清食品のカレー南蛮とミーゴレンヌードルを手に取った。
食堂を出ると、厨房のほうで話し声が聞こえてきた。
「気に病むことはないわ、姫那ちゃん。それよりきちんと食事を摂らないと。今日はずっと何も食べていないでしょ」
「心配無用ですョ、お嬢様。今宵はエーカーダシー。絶食の日ですョ……」
愛帆と姫那子の会話を背中越しに聞き、天使塔に続く廊下を出ると、先を歩いていた門舞が西浄を通りすぎて左に折れていった。
「どこへ行くのであるか、門舞殿?」
拙者が呼び止めれば、天然酵母パンとカロリーガレットを抱えた門舞が振り向く。
「少し気になるの。永幽女さんのことが」
余計な詮索はすまいと決めていた拙者も、門舞の懸念と気遣いには絆された。
母家から悪魔塔へ続く連絡通路も天使塔同様、鉄製の重い扉の向こうにあった。
この邸に来て初めて足を踏み入れたが、やはり拙者の予想通り悪魔塔はコウモリの羽をモチーフにしたのか、壁や階段が黒一色で統一されていた。階梯を上がれば廊下が広がり、3つの扉が並んでいる。間取りや設計は天使塔と概ね変わらなかった。むしろそっくり左右対称というべきか。
成り行き上、門舞に随伴するかたちで悪魔塔へやってきた拙者は、永幽女の部屋――202号室の扉をノックする彼女の後ろに控える。
「何の用よ?」
ほどなくしてドアは開かれ、永幽女が顔を出す。
「少し良いかしら」
門舞が問えば、永幽女は膨れっ面のまま頷いた。拙者たちの闖入は不本意であろうが、さほど警戒心を抱いてはいないようだ。
「単刀直入に聞くわ。貴女は本当に森で迷ってここへ来たの?」
腰を下ろすこともなく、佇んだままいきなり核心へ切り出す門舞に、永幽女は虚を突かれたようにまばたきした。すぐに怪訝な顔つきになって、
「……ど、どういう意味よ?」
ダーク色のスプリングベッドに腰を沈めながら、顎をひいて目を泳がせた。
「以前、貴女を占った時、忠告したわよね。もし重大な隠し事を秘めているなら――」
門舞の射抜くような瞳に、
「隠し事なんて別にしてないわ」
そっぽを向く永幽女。暫しの沈黙が訪れて。
「……ほんの副業のつもりだった。他意はなくてよ」
やがて永幽女は訥々と語り出した。幼少時代から台所事情に厳しい家で育った永幽女は、人一倍お嬢様に憧れ、ゴシックアンドロリータへの深い羨望と執着を抱いていたそうだ。それゆえ稼いだ金のほとんどをつぎ込み、豪奢なドレスを衝動買いする癖があるとのことを。
しかし元より潤沢な資金ある家柄ではなく、彼女は今、携帯ショップで働いていると言った。
「昔は小さな皮膚科の受付嬢やってたけど安月給だったし、辛気臭いトコは性に合わないし、少しでも時給の高い派遣店員に転職したわ。それでもお金は足りなくて。ある日ネットの闇ルートで割りの良いバイトを見つけたの」
「闇ルートで?」
門舞が反芻する。
「――ちょっとしたドラッグの受け渡しよ。詳細なことは私も聞かされていなくてよ」
最初こそ歯切れの悪かった永幽女も、観念したように自白しはじめた。闇の会社から事前にドラッグ商品を郵送され、指定された日に指定された場所で、取引相手に渡すだけの仕事だと言う。業務の依頼と指示は、すべてネット上でやり取りしていたらしい。
「報酬は前金で5万、任務遂行後に10万。占めて15万が振り込まれることになっていたわ」
1月23日。21時30分、七神奈駅に永幽女は訪れた。樹海に続く森の入り口でひたすら待ったそうだ。
だが時間を過ぎても取引相手は現れなかったと。
「指定された条件は、必ず夜の9時半から10時まで待つこと。決して足が付くことがあってはならない、あの日あの場所にいたことを家族や友人の誰にも話さないこと。10時を過ぎても相手が来なかったら、藪の中に品を隠してその場を立ち去って良いと。目印は〝チカンに注意!〟の柵が打ち込まれている場所。繁茂した草木に紛れ込ませるようにして、言われた通り箱ごと置き去りにしてきたわ」
しかし駅に戻れば、上下線とも最終電車がなくなっていたとのことである。癖遠の田舎はダイヤが短い。
「私は野宿なんかできる質じゃないし、寒空の下で夜を明かしたら凍え死んじゃうわ。駅周辺は見事に何にもないし、仕方なくスマフォで検索をかけて、この辺りで何処か泊まれる場所を探したの」
この際ホテルなり、24時間営業のカラオケボックスなり、宿泊施設なら何でも良かったであろう。
「画面上に引っかかったのはペンション†月【yue】、地図アプリでは森の奥にあるらしかった。樹海の中へ侵入するのは勇気が必要だったけど、腹を据えたわ。道なりに森を分け入って、やっとの思いでこの洋館に辿り着いたワケ」
永幽女とて、まさしく闇夜に提灯だっただろう。曰く宿泊代は後日、闇会社に経由を伝えて領収書を転送し、報酬の残金と伴にちゃっかり請求するつもりであるらしい。
「タクシーサイトにアクセスして、迎車を手配するという選択肢はなかったの?」
門舞の見解は極めて冷静である。
「憧れだったのよ昔から! お城とか豪邸とか……! 一度で良いからお嬢様気分を味わってみたかった。私の実家はね、掘っ建て小屋に毛の生えたようなものなのよ……」
天使塔の窓から、ぷっくり膨れた十日夜の月を見上げた。電気式サモワールで湯を沸かし、その間にバスルームでシャワーを浴びる。浴衣に着替え、カレー南蛮とミーゴレンヌードルに滾った湯を注ぐ。惰性的な段取りとインスタントの食生活が、この数日間ですっかり板についてしまった。
時にエーカーダシーとは、新月或いは満月から数えて11日目、という意味だったはずだ。インドの伝統的な医療のひとつで、断食をおこなうのに適した日だと信じられているらしい。
今夜で11日目――。満月まで指折り数えてあと3日……。その3日間が前途遼遠に思えてならない。何も考えるまい。麺を啜ってスパイシーな汁を飲み干す。
ベッドに潜っても寝つけないのは判っていた。白昼、母家2階の図書室で借りてきた書籍に手を伸ばす。
まずは『傘に宿るバカミステリー』、作者はまたしてもあの底辺作家、癒原冷愛である。拙者も性懲りがない。お手並み拝見程度にパラパラとページを捲るが、ものの5分でため息と供に本を閉じた。つくづく才能がないと思われる。とても商業本とは思えないのだが。粗末な紙質の手触りといい、淡白な装丁といい、自費出版じゃなかろうか。
続いて『年齢制限:49歳未満―空手道場殺人事件―上巻』を読みはじめる。著者名は柳キョウ、か。
# # # #
「ぐはっ……!」
その選手は突然、血を吐き出して倒れた。
「きゃああああっ!」
2017年、10月15日(日)。兵庫県神戸市、○◯道場に響き渡る悲鳴。
「しっかりしてモンゴリアン!」
観客のひとりが駆け寄って揺さぶるも、彼は既に事切れていた。
試合前、彼が飲んだ水筒のポカリスエットに遅効性の毒薬が仕込まれていたようだ。
それだけではない。モンゴリアンが選手たちと伴に食した最後の昼餐となる、家系豚骨ラーメン(脂増し増し)と明太子ご飯の大盛り、粉もんの元祖・もんぢゃ焼きと明石焼き、食後のスイーツ・バナナチョコクレープに毒が盛られていた可能性もある。大食いで隙だらけの彼の飲食物には、言うなれば毒仕込み放題なのだ。
今まさに胴まわし回転蹴り & グローブ作戦を決めようとしていた、対戦相手の狂死郎は呆然と立ち尽くしている。
容疑者は七人!! 狂死郎を含め、タコ、三宅、ビシエド、憧一郎、バーテンダー師範に、紅一点の美人マネージャー中井(ぽっちゃり系)。狂死郎の応援に駆けつける予定だった彼の友人、冷愛(性別不詳)は未だ試合場に姿を現していない。
果たして毒殺魔は誰なのか?!
≪つづく≫
# # # #
ごくりと固唾を飲み込んだ。時間も忘れて耽読していた拙者は、その頃、隣室の扉が開いて何者かが天使塔をひたひたと出ていく足音に気づかなかった――。
知らぬ間に日付は替わり、本を閉じれば時計の針はまもなく深夜0時15分を差していた。
こんな時に不謹慎極まりないが、なかなかに面白い。続きが気になる。迂闊だった、前編・後編に分かれていたとは。下巻を借りてきたい。残虐な事件のあとで副交感神経が優位になっていた。どうせ今夜は眠れそうもないのだ。
拙者は意を決して母家に向かうことにした。
塔の廊下は真夜中は灯りが点かない。皚々とした空洞も今は洞穴に姿を変えている。日頃からブルーベリージャムを摂取しているのだ、己の夜目を信じるしかない。懐中電灯もランタンも持っていない拙者は、蛍光塗料付きの懐中時計を握りしめ、手探りで壁伝いに階段を降りていく。
1階に出れば、ダンジョンの封印を解くように鋼板製の扉を開け、塔と母家を繋ぐ連絡通路を歩く。
カツンコツン
誰もが寝静まった深夜は格段に音が響きやすい。自身の足音と振動が内臓から骨の髄まで伝っていく。
キィ
通路のどん詰まりに待ち構えている扉を開ければ、不気味な軋み音がして、ようやっと母家に到着する。次第に目が慣れてきて、暗闇に馴染みの間取りがぼんやり浮かび上がった。流石ブルーベリー効果と拙者の目。
廊下を進み、西浄の手前の角を曲がり、厨房と食堂にサンドされた階段に足を踏み入れた。その時。
――ガターン……
彼方で僅かな衝突音がしたあと。
「――いやあぁ……っ!」
静寂を破って、異空間から悲鳴が響き渡った。
【つづく】




