XⅢ.第二の犠牲者!
天そば、月見うどん、味噌煮込みきしめん……。平机に並べたカップ麺を前に、拙者の指先は彷徨っていた。
天そばは《緑のたぬき寝入り》という商品名に惹かれ、揚げ玉に桜えびが入っていることに気付かず、うっかり選んでしまったものだ。《赤いきつねの嫁入り》にすれば良かったと悔いる。何しろ即席麺など久しく食べていない。素材から手作りにこだわる拙者は、世の半調理済み食品の類いと流行には疎く、勝手が判らないのだ。
月見うどんを開封すると、うずらの卵が殻付きのまま真空パックされていた。今や加工食品の最先端が如何ほどまで進んでいるかは存じないが、貝殻付きのあさりやしじみが入ったインスタント味噌汁もあるので、別段驚くことではないのやもしれない。半生タイプの杵打ちうどんの表面に小さな窪みがあった。卵ポケットというらしい。粉末の出汁を入れて芋天と竹輪の磯辺揚げ、蒲鉾をのせ、卵ポケットなるものにうずらの卵を割って落とす。
母家で提供されたカップ麺の中には『即席鍋焼きうどん』なるものもあった。門舞や古納言が好んで手に取っていたのを横目に、拙者は興ざめするばかりだったが。湯を注ぐだけで出来てしまっては、もはや『鍋焼き』ではない。商品名に偽りありである。拙者は杓子定規なのだ。
次に味噌煮込みきしめん。ものの弾みである、ふたつ一度に食すことにした。カップを剥がして備え付けの八丁味噌を投入する。『味噌は身体に良いんだよ。万能薬だからね』その昔、祖母の口癖だった言葉が蘇る。所詮はインスタントの付属品、添加物まみれの調味味噌が身体に良いわけはなかろう。かやくにはフリーズドライ製法の鴨肉と白葱、春菊が入っていた。世に出回るカップ麺とは、とかく種物が多いらしい。きしめんは無難に味付油揚げ麺である。
「はふ、はふっ、ぞぞ。ちゅる……んっ」
誰もいない室内で麺を啜る音だけが響く。やはりひとりきりの食事は落ち着くものだ。漆寺には悪いが、脂肪分が夥しい欧米風の凝った手料理より数段は旨く感じられた。
*
「――チェックメイト」
1月28日、正午――。
「おいおい、少しは手加減してくれないかい。門舞姐さん」
古納言が脱力してチェス台に突っ伏す。
「ふふっ、勝負の世界に情けは無用よ? 月餅君」
そんな彼を見下ろしながら、門舞は古納言のキングを人差し指と中指で摘み上げ、嫣然と口角を上げた。
彼らを視界の端に捉えると、拙者は横の書籍に入っていく。
――あかねが何者かに殺された。どこまでが史実なのかは不明だが、この洋館に伝わる女神の神話と呪いが、さらなる瘴気と軋轢を生んだ。
事件から3日が経ち、本日、拙者たちは愛帆によって母家食堂での昼食会に招かれていた。殊勝でいじらしい愛帆は、当主として少しでも修復を計ろうとしているのだろう。彼女の提案は、保存食の一部である市販の冷凍パンを解凍して、食堂に集まったメンバーで昼食会を催すというものだった。
準備が整うまで拙者と門舞、古納言は、2階の遊戯室にやってきて時間をやり過ごしていたのだ。
手前から順に、拙者は各分類ごとに分けられた本棚を進み、ランダムに背表紙を目で追っていた。
【推理・ミステリー】
『碧い指』、『伊豆の海に消えた少女』、『お菓子な刑事』、『恐ろしき十二月馬鹿』、『踊る人形焼き』、『紅血てゆくまで』、『殺人マイペンライ』、『そしてタレも浸けなくなった』、『ダイヤルWを廻せ!』、『タルトと抹茶と愛人と』、『中華街の餡』、『店長死す』、『なぜ「ポン酢」が飲まれていたか』、『媚薬入りチョコレート事件』、『フグハラ警部』、『幻の聖女』、『密室殺人には向かない夜』、『宿の妖婦は夜歩く』‥‥‥
【童話・児童文学】
『眠り姫』、『白雪姫』、『灰かぶり姫』、『人魚姫』、『かぐや姫』、『机上のパンくず』、『塔の上のラプンツェル』、『鶴の恩返し』、『猿カニ合戦』、『小人と靴屋』、『鶴ときつねのごちそう』、『おいしいお粥』、『アホ毛のアン』、『うまい焼売』、『あたしとあたし ふたりのグリコ』、『最後の一葉』‥‥‥
【医学・生物学】
『末期癌は余裕で治る』、『病と闘うなヤブ医者と戦え!』、『女医の奇妙な臨床研究』、『間違いだらけ◆ロールシャッハ診断』、『ポンコツ病理学』、『薬師の不養生』、『Oh!モ~レツな解剖生理学』、『糊付けされた解体新書』、『現代栄養学を信じるな』、『曰く付き死神病院』、『ナース閣下のIravati』‥‥‥
次いで出窓と水槽を挟んで向かいの書棚へ。
【料理】
『死ぬほど旨いイタリアン』、『我が儘コックの地中海料理』、『フグは喰いたし命は惜しし◎二律背反の危険レシピ』、『ナンて美味しいインド咖喱』、『奇妙な味・毒入りタルトの作り方』、『挽き肉0%・幻のハンバーグ秘伝書』、『紅茶入門*意趣返しにはアールグレイのホットを』、『とろけるドルチェ♡不倫アラモ~ド』‥‥‥
【呪術】
『癒原冷愛流・雑魚男を殺す黒魔術』、『逢魔刻の陰陽師』、『怖いほど当たる深層心理テスト』、『ドロドロ血液型占い』、『小悪魔の嘘つきジンクス』、『まろやか四柱推命』、『呪われた木製人形』、『五寸釘で打て!』、『女神の呪文は油過多∞スポブラ』、『黒猫チャクラと十三日の金曜日』‥‥‥
突っ込み待ちのタイトルが、ちらほら見受けられるが。
「――朱万里様、栗室様、月餅様」
1階から漆寺の声がかかって、古納言を打ち負かした門舞は颯爽と階段を降りていく。
拙者もあとに続こうとした時、不意に古納言が立ちはだかった。
「なあ〝拙者〟君。キミは一体どっちなんだい」
壁に手をついて拙者を見下ろし、古納言はじわじわと行く手を塞いでくる。
「主語が欠けているのだが……?」
こやつに『壁ドン』されても嬉しくない。
「だから! 性別だよ。男なのか? それとも――」
胸先三寸に迫った古納言は、洗練されたオッドアイのような瞳で拙者を見据える。ヤツの吐息が拙者の額に触れそうだ。首筋から男の香水の匂いがして、不覚にもドキリとした。身長差で言えば拙者はただ彼を見上げるしかない。
「拙者は……」
両者微動だにせず見つめあい、暫しの沈黙が流れたあと。
「――今はそのようなことを言っている場合ではない」
俯いて確答を避けた。
古納言は軽く嘆息して首を左右に振ると、そのまま身を翻す。
動揺を隠すためだろうか、拙者はたまたま目に止まった【推理】のコーナーから、『傘に宿るバカミステリー』と『年齢制限:49歳未満―空手道場殺人事件―』を拝借し、階下へと向かった。
七角形のテーブルの中心に、コンセントで繋がり、余熱の完了した電気オーブンが置かれている。銘々がパンを選んで個包装から剥がし、オーブンで焼く。一連の手作業を個人でおこなうのだから、その過程で毒が混入される心配はない。
自由参加であるが、集まったのは拙者たち3人、そして意外にも永幽女だった。
「本当に安全なんでしょうね」
「もちろんですわ、佃吾様」
愛帆が安心させるように応じれば、
「事前に包装紙の外側から注射器を刺して、針でパンに毒液を注入することもできるわよね?」
永幽女は疑いのまなざしを向ける。
「誓ってそのようなことはございません」
漆寺が丁重に断言した。
姫那子は無言のまま突っ立っているだけた。
「そんなに心配だったら食べなきゃ良いんじゃないのかい、永幽女嬢」
古納言の忠告はもっともである。
「カップ拉麺なんて庶民の食べ物、私の口に合わなくてよ! 野蛮な貴方たちと違って、私は貧乏舌じゃないのですからね。カロリーガレッドは固いし、天然酵母パンは開封した時、変な匂いがしたわ?」
致し方なくということであろうか。何だかんだでケチをつけているが、つまるところ彼女にとっても、解凍して温め直すだけとはいえ焼き立てパンは魅力なのだろう。多少のリスクを伴ってでも、消去法で最終的な選択に至った価値はあるわけだ。
ブリオッシュとホットドッグ、プーリーと玉子ドーナツ。アメリカンワッフルに、さながら三日月のクロワッサン。思い思いのパンを手に取り、順番に温めていく。
万が一、主催者側に犯人がいたとして。この状況で宿泊客が毒殺されれば、愛帆たちが疑われるのは必至。さらに皆の目の前である、誰かが不審な動きをすれば判るはずだ。こういう時はいっそ腹を括ったほうが良いのだ。呉牛喘月になっても仕方あるまい。
次第に溶け出したバターの馥郁たる匂いが、室内に立ち込める。
「なかなかイケるんじゃないかい、フランクフルトがプリプリしてるな」
古納言がホットドッグに舌鼓を打てば、
「本当。冷凍ものとは思えないくらい。表面サックリ、中はしっとりね」
ワッフルを頬張った門舞も絶賛する。
「ま、まあ妙ちくりんな加工食品よりはマシですこと」
クロワッサンにパクつく永幽女も満更ではないようだ。
暫し母家に、久しぶりの談笑と平穏な昼食風景が広がった。とその時。
バンッ!!
食堂の扉が荒々しく開かれた。
「ちっきしょう! どーいうことだよ……っ」
膝頭を押さえ、理砂がよろめきながら入ってきた。スプラッターの如く血だらけである。
「どうなさいましたか向井様!」
漆寺と愛帆が青ざめて駆け寄れば、理砂は力尽きたようにくずおれた。ミニスカート下の生足――両膝小僧を深く擦りむき、血が滴り落ちている。
理砂は悪魔塔2階の自室から1階へ降りる際に、階段を踏み外したのだと喚いた。反射的に手摺に掴まろうとしたが間に合わず、前方へ倒れ込んで身体を打ち付け、真っ逆さまだったらしい。顔面を打った拍子に鼻をへし折ったのだろう、頻りに鼻血を拭っていて手の甲まで真っ赤である。
「この洋館、マジで呪われてるっていうのかよ! ウチは亡霊の存在なんか信じないぞ……っ」
館の呪いとも、己の不注意とも認めたくはないのだろう、理砂はやり場のない怒りに震えていた。主催者たちへ憤りをぶつけて責務を負わせるためか、負傷した身体を引きずって瀕死の状態で母家まで辿り着いたようだ。
「大変ですわ、すぐに傷の手当てを。漆寺さん! 天使塔にある救急箱を――」
「は、はい」
周章しながらも迅速に対応しようとする愛帆と、従う漆寺。
「もう持ってきましたョ……」
扉が開き、いつの間に食堂から消えていた姫那子が現れた。
足を挫いているであろう理砂を抱えて運び、漆寺は椅子に座らせる。
ナイチンゲール宜しく、姫那子は救急箱から無言で消毒液と包帯を取り出した。
「向井様。今、傷の手当てと消毒を――」
言いながら、姫那子から消毒液を受け取ろうとした愛帆が躊躇うように後退りし、
「……姫那ちゃん、お願い」
「かしこまりましたョ」
姫那子は事も無げに頷くと、ピンセットで摘まんだ脱脂綿に消毒液を浸し、理砂の患部――膝小僧へと近づけた。
ザックリ開いた傷口に滲みるのか、理砂は時折顔をしかめて堪えていた。
両の脚、剥けた手掌と手首、顔の消毒が順調に済み、姫那子がガーゼをあてがい、包帯を巻いていこうとしたところで。
「うぐあっ……あ゛がぁーーッ」
突如、理砂は呻き声を上げて椅子から転げ落ちた。呼吸を乱しながら傷口を掻きむしる。指先は抉り出した皮膚と血に塗れ、ふたたびボタボタと深紅の血が飛び散る。見えないモノに抗うようにもがき、理砂は地べたに這いつくばってのたうつが、やがてぷつっと事切れ、微動だにしなくなった。
何が起こっているのか解らず、食堂の面々は総立ちになった。
「む、向井様? 向井様!」
漆寺が呼び掛け、懸命に理砂の身体を揺さぶる。白目を剥いたままうつ伏せになっていた彼女の上半身を起こし、脈を計って床に寝かせると、やがて消沈しきった声を出した。
「……残念ながら、亡くなられています」
【つづく】




