XII.女神たちの伝説
「訊いても良いか――」
母家を抜けて天使塔に入ると、門舞は202号室の扉を開いて拙者を招き入れた。
「――何かしら?」
門舞はクレセント錠を下ろして腰窓を開け放つと、拙者に向き直った。
室内が換気され、新鮮で肌寒い外界の風が入ってくる。
「分裂気質とは何のことであるか」
拙者は床に正座すると両の拳を握りしめた。
「ご存じないかしら、クレッチマーの3つの気質」
門舞はベッドに浅く腰かけ、脚を組むと逆に問い返してきた。黒いワンピースから長い脛が顕わになる。無防備な。拙者が異性だったらどうするつもりなのだろう。
あくまで聞きかじりだが、概ね把握はしているつもりだ。クレッチマーが唱えたのは、人間の性格を分裂気質、粘着気質、躁鬱気質の3つに分類した説である。さらにそれぞれが痩身、筋肉質、豊満に該当するようで、体型と性格を関連付けている節があるが、信憑性のほどは定かではない。
「人嫌いで気難しく、加えて協調性や社会性に乏しい貴方は敏感で偏屈な人。その一方でファッションセンスには時代や流行に流されない、独自のこだわりがある。ひたすら我が道を行く、良くも悪くもマイペースな頑固者。さらには毒殺事件の直後に飲み物を要求し、スタッフが提供した飲料水をあっさりと飲んでしまった。繊細で神経質な面と、無頓着で大胆な面を持ち併せている。限りなく分裂気質に等しいと思うわ」
いくらなんでもズバズバ言い過ぎだろう。流石の拙者も傷付くのだが。
しかし見事なまでに拙者の性格を見抜いている。歯に衣着せぬ辛辣な物言いも去ることながら、正鵠を射た彼女の指摘に拙者はぐうの音も出なかった。
「クレッチマーの学説だって本当は知っているのでしょう? 敢えて知らないふりをして私を試そうとした。そうじゃない?」
メロンパンの包みを開封しながら、門舞は小首を傾けて拙者を見つめてきた。
何故そこまで。よもや拙者の智謀まで見破られてしまうとは。
「うむ、恐れ入った。拙者の負けである。――門舞殿」
苦杯を喫しながらも、何故か清々しささえ感じた。清濁併せ呑む門舞の包容力には、人を懐柔させる不思議な効力がある。
「敗北ついでにもうひとつ良いか」
辛いことを訊くようだが、と前置きした上で拙者が改まれば、門舞は莞然としたまま頷いた。
「汝の妹、蘭舞殿とは一卵性……だったのか?」
「どうしてそんなことを?」
またもや問いに問いで返された。
「腹蔵なく申し上げるが。拙者は、二卵性だったのではないかと思っている」
門舞は胸元のペンダントを首から外した。彼女が常に身に付けているカメオのペンダントである。長く黒い爪をカメオの側面に立てれば上蓋が開いて、
「ご名答よ」
門舞はそっと拙者に手渡してきた。ロケットペンダントになっていたとは。
楕円形に象られた小さな額縁の中の『彼女』は、やはり門舞とは似ていなかった。だが面長の輪廓と、切れ長だが笑うと扇形になる瞳はどことなく門舞を思わせた。
「かたじけない」
礼を言って返却すれば、ふたたびカメオを身に付けた門舞は菓子パンをむしりはじめた。
――館に訪れた初日、理砂は門舞の素性に薄々勘づいてはいたものの、まだ半信半疑だったと言えよう。あかねのほうは気づいてさえいない様子だった。いくら6年以上前の記憶とは言え、もしも栗室姉妹が一卵性であったら、門舞に出会った時点で確信に至ったはずなのだ。栗室蘭舞とは血を分け合った肉親であることを――。
「このメロンパン、とても美味しいわ。梅の果肉が入ってる」
満月の如く黄色いメロン生地に梅肉が散りばめられ、赤い斑模様になっていた。さながら月のクレーターのように。
「先に述べた通り、地上の女神は後継者に必ず女の子を産むことになっていました。ところが200年前、産まれたのは一卵性のお嬢様たちだったのです」
個々の部屋で昼食を済ませ、ふたたび食堂に戻った拙者たちに、愛帆は『女神の伝説』を語りはじめた。
「ふたりはエンジェレッタとデミビルと名付けられました。幼い時分からとても仲良しの双子だったそうです」
通常、地上の女神はひとりで新月から満月、満月から新月までの一連の満ち欠けを見守り、地球と月の波動とやらを一定に保ち、総じて宇宙とのバランスを維持する。それが初日に愛帆が解説したことである。
「――ですがエンジェレッタとデミビルには、朔望の役割を二等分して分け与えられました。エンジェレッタが新月から上弦、盈月を。デミビルは満月から下弦、虧月を。さらに、月光を栄養源にして生命維持する彼女たちは、近くにいることで互いの生気と活力を吸収しあい、寿命を殺傷してしまう性質がありました。一卵性双生児にとって拮抗作用は宿命だったそうで。そこで彼女たちの両親は、家臣に命じて洋館の左右にふたつの塔を造らせて姉妹を引き離したということです。それぞれふたりの名にちなんでエンジェレッ塔、デミビル塔と名付けられた、と」
「まさかそれって」
門舞が問うて愛帆は頷く。
「はい。後に呼び名が変化した、現在の天使塔と悪魔塔です」
と言うことは、母家両脇のふたつの塔はペンション改装時に建て増ししたものではなく、凡そ200年前に建てられた遺構だったということになる。無論、内部は宿泊用に改築したのだろうが。
「仲の良かったエンジェレッタとデミビルは、離れ離れに暮らすことを哀しみ、両親の目を盗んでは度々こっそり会っていたとも云われています」
一旦、言葉を切った愛帆に、
「どうやって会ったの。秘密の抜け穴とか作ったわけ?」
永幽女が口を挟んだ。
「詳しいことは判りかねるのですが――」
愛帆は困ったように首を傾げた。
「そんなふたりの間柄に楔が打ち込まれたのは、彼女たちが17歳を迎えた日。彎月の晩でした」
静まり返った室内で一同は、愛帆の次の言葉を待った。
「これまでずっと、死後はふたり一緒に月の女神へ転生できるものと信じてきた彼女たちに、両親が告げたのは残酷な言葉でした。〝月の女神の後継者になれるのは一人だけ。どちらが後継者に相応しいかは月の女神の判断で選ばれるのだ〟と。そして惨劇は起きたのです。7日後の満月の夜、エンジェレッタとデミビルは胸から血を流して伴に死んでいました。そばには血のついた包丁が1本、落ちていたそうです」
「ま、まさか後継を巡っての殺し合い……?」
彼らはおしなべて動揺を表す。
「恐らくエンジェレッタとデミビルのどちらかが、先に相手を手にかけ、そのあと自らも命を絶ったのだと。哀しみに暮れた彼女たちの両親は失意の後、相次いで病死し、家来たちは行方も知れぬまま姿を消して一家は滅亡してしまったのです。以来、地上の女神の後継者は絶たれてしまった……」
愛帆は切なそうに柳眉をしかめた。
「ですからこの館は呪われているのですよ。曾て後継者争いの末、志半ばで無理心中を遂げたエンジェレッタ様とデミビル様の亡霊に。ややもすれば彼女たちの両親も含めた古の一族に。旦那様はそんな恐ろしい伝説を承知しながらも、ご自身の先祖が遺した月【yue】の邸を守り続けてきました。考えたくはございませんが、地上の女神たちは洋館に闖入した人間を呪い殺そうと――」
戦慄する漆寺は武者震いをした。
「漆寺ぃ、しっかりしてくれたまえ。現実的に考えて、キミは亡霊が僕らの食事に毒を入れたとでも本気で思っているのかい?」
古納言が半ば呆れながら誹議する。
「そうよ、亡霊がどうやって青酸カリを手に入れるのよ?」
「あかねが死んだのは、そのバカエンジェルとクソデビルの仕業だってのかよ! 茶を濁すんじゃねぇ」
永幽女が詰れば、理砂も声を荒らげる。
確かに――。毒殺は明らかに生きた人間の仕業である。漆寺も少々耄碌しておられるのか。宿泊客である彼らのほうが冷静だ。
「ņカウムディー。moons track……loony, moony≠lunatic as y lum」
ずっと沈黙していた姫那子が、取り憑かれたように呟きはじめた。例の如く水晶玉を左の手のひらに乗せ、右手の指先で操っている。
「その変な呪文やめろや!」
いきり立った理砂が姫那子の胸ぐらを掴んだ。
「姫那ちゃ……っ」
「ご賢察ください向井様、玄密は決して悪気があるわけではございません」
愛帆と漆寺が慌てて止めに入る。
当の姫那子は無表情のままだった。胸元を掴まれたにも関わらず、その瞳に理砂を映してはいない。視線は水晶を捉えたまま、見えないモノを視ているかのように。微かに唇が揺らめいて玲瓏な声で紡いだ。
「セレニアコス アドリシュタ・パラ√Omen.水晶が告げていますョ。オーメン,これで終わりじゃないですョ――」
天使塔の自室に戻ると、拙者はサモワールに繋がったコンセントをプラグに差し込んで湯を沸かし、その間にユニットバスでシャワーを浴びた。
あのあと。険悪なムードが流れ、明らかに亀裂が深まった母家での集いはお開きとなった。
ちなみにユニットバスの本来の意味は、浴室全体の素材を同一工場で生産して設えた風呂場のことである。西浄と浴室がセットになっているものを指すのではない。此処の宿泊部屋のバスルームは洗面所が入っているので、正式には二点ユニットバスというのだろうが。小便だけなら済ませられそうだが、モラルある拙者は断じてそのようなことはすまい。
持参した寝間着――藍染の浴衣に袖を通し、自慢の長い黒髪をタオルドライしながら、先ほど母家で晩餐用に配給された非常食――カップ麺を準備する。
飲み物はペットボトルの十七茶と人参スムージー。厨房には清涼飲料水や酒類も豊富に蓄えてあるようで、古納言など数本のボトルワインを持ち出していたが。
昼食は結局、天然水一杯で済ませただけなので夜はしっかり食すとしよう。
それにしても、せめて自室にコンロと鍋くらいは欲しいものだ。料理は苦ではない。日頃から外食嫌いの拙者は、経済的な節約も兼ねて専ら自炊しているのである。餅米をたんまり入れた小豆飯やおこわを炊いて握り飯を拵え、曲げわっぱに詰めて職場に日々持参しているほどだ。
カーテンを開け、窓から夜空を仰ぐ。母家2階――物置部屋の窓と、悪魔塔の窓は西側と東側で対面していたが、天使塔の窓は館の外側に面している。ゆえに外界の景観が広がるのみ。月は出ていないが、羣雲が仄かに明るくなっていた。今夜は無月か。
とんだ一人旅になったものだ。偶然見つけた破格のペンションと奇跡的に届いた招待状。1週間の連続休暇を許可され、それなりに拙者は幸運に恵まれていたはずだ。現実など所詮は月に羣雲、花に風であろうか。
満月まであと6日。恒月の夜より確実に肥えているであろう、那辺にあるのか判らないその姿を思った。この長逗留が拙者の年災月殃にならないことを祈るばかりだ。
やおらカーテンを閉めた時、卓上のサモワールが沸騰をはじめていた。
【つづく】




