Ⅸ.朝月夜の犠牲者
「きゃああ……!」
女性陣の悲鳴が響き渡り、それを皮切りに各自が次々と立ち上がる。
「おい、あかね。しっかりしろ」
我に返ったのか硬直の溶けた理砂が、しゃがみこんであかねを揺さぶった。
漆寺が、だらりと伸びた彼女の片腕を取って脈を計る。
「――もう死んでいます」
力なく首を振ると、漆寺はあかねの腕をそっと下ろした。
「そ、そんな。嘘だろ……!」
駆け寄った古納言が今一度脈を計ろうと試みる。
「……マジかよ、あかねぼー」
が、結果は同様だった。
拙者は既に事切れたあかねに近づいた。唇や皮膚の表面が暗赤褐色に染まっている。テーブルや衣服に飛び散った彼女の吐血から、僅かに鼻を突くアーモンド臭が錆の匂いに混じって感じられた。
「田中様は何かご病気を患っていらしたのですか」
理砂に対して漆寺が言いにくそうに訪ねる。
「んなワケねーだろ。バカみたいに元気だけが取り柄の娘だったよ」
理砂は頭を振って否定した。
持病の発作のはずはない。これは――。
「青酸カリ」
「青酸カリだ」
拙者の声に古納言の言葉がかぶさった。彼と拙者は驚いて顔を見合わせる。まさかこんな奴と同時にハモるなど。
「せ、青酸カリ……?」
「未成熟なアマンドの香り。黒ずんだ赤褐色の死斑。シアン化カリウムが胃酸に溶けて、細胞や呼吸循環器がヤられた証拠さ」
周囲が動揺を示す中、静かに死体を分析する古納言。まさしく拙者が言おうとしていた台詞を、すべて持っていかれてしまった。こやつにこんな知識があったとは意外である。
「あかねが最後に食したものは……?」
疑問符を呈しながら拙者は彼女の席を見回す。パン、サラダ、スープ、オムレツにはいずれも口をつけた形跡はなく、フォークが突き刺さったままのレアチーズケーキが2/3ほど欠けていた。鮮血と見紛う苺のソースが飛び散っている。
館に到着した日からここ数日の食事シーンを回想すれば、彼女はいつも真っ先にデザートから食べはじめる習慣があった。
「――やはり死者が出たのですか、水晶の予見通りですョ……」
どこからともなく声がすれば、姫那子がゆらりと現れた。
「姫那ちゃん! 起きてきてはダメよ。具合は大丈夫なの」
青ざめながらも姫那子を気遣う愛帆。
「ご心配なく。今朝は水晶が異変を起こしていたので、一心同体の私は悪心がしただけですョ」
姫那子は大事そうに抱えた相棒を指先でなぞりながら返す。
信じがたいことだが姫那子曰く、昨晩から発熱しはじめた水晶が、今朝方になって少しずつネイビーブルーに変色していたのだと。
甘く透き通った小鳥のさえずりのような、いつもの声色を拙者は不気味に感じた。
「あんたが殺ったんだろ、あかねを!」
理砂が我鳴る。その矛先は門舞に向けられていた。
「どうしてかな。私に彼女を手にかける理由はないわ」
声色に抑揚はないが、門舞は両の腕をクロスして自らの肩を抱くように怯えていた。
理砂は掴みかからんばかりの勢いで門舞に相対する。
「惚けんな! 動機ならあるだろーが。あんたは〝栗室蘭舞〟の――」
そこまで言って理砂はハッとしたように口をつぐんだ。
「彼女を知っているのね」
顔色を変えた門舞は射抜くような瞳で理砂を問い質す。
「こたえなさい――」
毅然とした門舞。穏やかな口調が険しくなる。
その反応が想定外だったのか、理砂は若干たじろいだ。
理砂たちと門舞には何らかの因縁がある。そのキーパーソンは間違いなく『栗室蘭舞』なのだ。
「ねえ、ちょっと待って。普通に考えたら当然犯人は、私たちの食事を用意した人物じゃなくて? つまり」
一見して冷静さを装っている永幽女がぽつりと言うと、皆の視線は一斉にある人物へと集まった。
「あ、愛帆ちゃん。まさかキミが……?」
問いかけた古納言の声は上擦っている。
個々の食事を配膳したのは紛れもなく愛帆だ。
「そ、そんな。私は毒なんか入れていないです……っ」
「じゃあ誰だって言うの? ひとりひとりの席に朝食プレートを置いたのは貴女じゃない」
容疑を否認する愛帆に永幽女が詰め寄る。
「食べ物に毒が仕込まれてたんなら、確かに怪しいのは主催者側のヤツだと思うけど」
門舞を疑いつつも理砂まで同意する。
姫那子は愛帆をかばうように前に出て、無言のまま宿泊客たちを威圧した。
「どきなさいよ、私は当主に聞いてるの」
対抗する永幽女のゴスロリ服がぶわりと揺れる。
「どくのはそっちですョ。お嬢様をお守りするのは私の使命ゆえ」
表情ひとつ崩さない姫那子だが瞳の奥は氷結し、ゾッとするような冷気を放っていた。
「毒殺魔を擁護するなんて、とんでもないメイドね」
暫し火花を散らしていた彼女たちだが、やがて捨て台詞を吐いて永幽女が折れた。
姫那子の威力に負けたのだろう、止めに入ろうとした拙者はホッとする。
「ともあれ、料理を提供する立場の人間が怪しいことに変わりないわ」
結論づける永幽女。
「愛帆ちゃんだけじゃない。それを言うなら犯行が可能だったのは漆寺ぃ、キミもさ」
「ぎぇええ? そ、そんなとんでもない」
よもや自分に疑いの矢が向けられるとは思ってもいなかったのだろう、古納言に名指しされて漆寺は狼狽えた。
「それにメイドの貴女はどうなのよ? 都合良く自室に籠っていたなんて、タイミング良すぎて逆に怪しいわ」
敗北を根に持っているのか、永幽女はじっとりと姫那子を睨む。
部屋に戻る前に厨房で支度を手伝っていたという姫那子には、確かに犯行自体は可能かもしれない。姫那子と愛帆が共犯で、毒を混ぜる者とそれを運ぶ者とで示しあわせていたとも考えられる。
だが――。
「皆、少し落ち着いて。スタッフ側に犯人がいると断定するのはまだ早計よ」
早まる宿泊メンバーを制止させたのは門舞だった。自身が不利な状況になることも省みず、またしても鶴の一声を発する。
「忘れたの。あかねさんが倒れる直前に停電があったことを」
ハッとしたように各々は言葉を失った。
まさしく我が意を得たりである。何故それを指摘する人間がいないのか拙者は不思議だったが、どうやら彼らは本当に忘れていたらしい。マヌケにも程があろう。
「そ、そうか。暗闇に乗じて、その隙にあかねぼーの食事に誰かが毒を混入したとすれば」
古納言は疑いの眼差しで周囲を見渡した。これでこやつが犯人だったらなかなかの役者である。
とにかく毒殺は計画的犯行、犯人は明らかにあかねを狙っていたことになる。だとすれば当然、あの時の停電は意図的に仕組まれたものであるはずだ。そこで拙者は漆寺に訊ねた。
「ブレーカーが落ちた原因は」
「そ、それが……手水場にドライヤーがふたつ、無人の状態で点けっ放しのまま作動していたのです。あのままでは火事になるところでした」
怪奇現象を語るかのように、漆寺は訝しげな表情で話しはじめる。彼によるとブレーカーを上げて電気を復旧させたあと、西浄のほうから妙な音が聞こえてきたと。近づいてみれば2台のドライヤーがハイパワーにセットされ、熱風を放っていたそうだ。
拙者が西浄に入った時、確かにコンセントに挿し込まれていたのを記憶している。
ただでさえ館に巡る月光発電は、通常の電力に比べてショートしやすい繊細な仕組みであるらしい。
「あの時間、最も電気を食うのは朝食を作る厨房なのです。調理の前後はオーブンやら換気扇を使いますので。それに加えてドライヤーを強風で動かすとなれば……」
漆寺は汗を拭いながら続けた。
「停電する可能性は限りなく高まっていたわけね」
親指を顎に宛てがいながら、門舞がフムフムと相槌を打つ。
点けっ放しのドライヤーはブレーカーが落ちた瞬間に止まったのだろうが、電気が復旧することでふたたび自動的に唸りはじめたわけだ。漆寺が言うには、手洗い場の開き戸の中に常時保管されていたものらしい。
犯人は恐らく朝食がはじまる直前に、ドライヤーのスイッチを入れて停電が起こるのを待ったのだろう。
拙者は10数分前のことを思い起こしてみる。行きの西浄で門舞とすれ違った。食堂に着くと理砂とあかねは先に来ていて、そのあと永幽女、門舞の順に現れ、間もなく漆寺と次いで愛帆が入ってきた。そして最後に食堂へやって来たのは古納言である。
ドライヤーを始動させてから実際にブレーカーが落ちるまで、何分ほどかかるのかを逆算すれば、ある程度の容疑者を絞り込めるかもしれない。
だがそれこそ共犯者がいたとしたらどうだ。片方が停電の細工をし、もう一人が毒を盛る。後者にはドライヤーを作動させるチャンスがなかったという、鉄壁のアリバイを持たせることができる。
しかしそうなると愛帆と姫那子の共犯の線は薄い。彼女たちなら厨房で毒を仕込めるのだ。或いは犯行可能な容疑者を増やすために、あえて停電させたとも考えられるが――。
さらに引っ掛かるのは先に西浄から出ていったはずの門舞が、何故か拙者よりあとから食堂に入ってきたことだ。
拙者が思考を巡らせていると、古納言が妙なことを言い出した。
「だけど狙われていたのが、あかねぼーだけとは限らないな」
彼は七角形のテーブルの上を指差す。毒殺騒動で食事は中断され、ほとんどの料理が手つかずのまま残っている。
「レアチーズケーキに毒が混入されているのは間違いない。だがデザートに口をつけたのはあかねぼーだけだ」
単なる見かけ倒しのキザ野郎だと思っていたが、古納言の着眼点は鋭い。
「それってもしもケーキから食べはじめたら、私たちが死んでいたかもしれないってこと……?」
察しの良い永幽女。
青ざめた宿泊客たちは一斉に警戒モードに入る。他人事ではないと全員が思い知ったのだ。
「門舞、あんた……っ」
理砂がふたたびキイッと門舞を睨みつける。
「言ってみろよ、ウチのぶんにも毒を入れたんだろう!」
「ちょい待ち、理砂っぺ。何でそうなるんだい?」
揉み合いになりそうなふたりの間に割って入る古納言。
「キミたちは門舞姐さんと何があった」
そうだ。この際はっきりさせるべきだろう。人がひとり死んでいるのだから。
「隠している場合じゃない」
古納言に諭され、理砂は唇を噛みしめた。
「ウチらのせいじゃない。6年前、20歳だった頃。ネットで炎上したのは事実だよ。だけどあんなことで、あのタロット占い師が自殺するなんて……っ」
握りしめた理砂の拳は震えていた。
「その占い師ってまさか……?」
愛帆が恐る恐る訊ねる。
「栗室蘭舞――私の双子の片割れよ」
代わりにこたえたのは門舞だった。
すっかり肝が座ったのか泰然としている門舞を、全員が驚いて見つめた。
理砂は面白くなさそうに先を続ける。当時、あかねは花痴の真っ最中で、男狂いの理砂は付き合っていた彼氏と上手くいかずに、悶々としたままタロットサロンに足を運んだらしい。
「この恋は実らないとか、好きな女性がいることを彼は隠しているだの、挙げ句別れるのが最善だとか、不吉なことばっかり言われて逆上したウチらは――」
自棄になったあかねは片想い相手の男性に告白し、理砂は不穏な彼氏を問い質した結果、見事にふたりとも玉砕したと言う。
「腹いせにサロンと占い師の実名をネットの掲示板に書き込んで、顔写真をインスタに上げてSNSで拡散した。あることないこと吹き込んで徹底的に中傷した。それだけのことだよ……っ」
何という悪辣で卑俗的な女たちなのだろう。ひとりの人間を死に追いやったにも関わらず、反省の色も伺えない半ばヤケクソな理砂の独白を聞いて、一同は呆気にとられる。あかねと理砂のやったことは、名誉毀損で訴えられてもおかしくはない。誰もが義憤を覚えたはずだ。
結果として栗室蘭舞の先見は当たっていたのだから、完全な逆恨みである。
「そう。炎上に耐えきれず、最終的に死を選んだのは妹自身。貴女たちを恨んではいないわ」
門舞の口調はあくまで冷静だった。
「心の内は本人にしか解らないゆえ。言葉では何とでも言えるものですョ」
水晶を撫でながら姫那子がぼそりと呟いた。
「現時点で明確な動機が判明しているのは、栗室殿だというだけだ。あかねを恨んでいたのが彼女だけとは限らない」
拙者は事実を言ったまでだ。理砂とあかねの日頃の態度や言動を考えれば、誰に恨まれていたとておかしくはない。現に拙者は初っぱなから出で立ちを愚弄され、嫐られたのだから。
「そりゃどーいう意味だよ!」
案の定と言うべきか、理砂は食ってかかってきた。
「ハハッ、〝拙者〟君。そう言うキミはどうなんだい。妬みや恨みなんて本人の気づかぬうちに、どこで買っているか判らないものさ」
肩を竦めて差し出口を挟む古納言。こやつにだけは言われたくない。
「もし仮にこれが無差別殺人だったら、私たちはどうなってしまうかしら……!」
戦慄する愛帆は顔面蒼白であった。
「やはりこの館は呪われているのやもしれません。古の天使と悪魔に」
動揺した漆寺は、意味不明なことを口走る。
このままでは埒が開かず、命拾いしたメンバーは互いに罪を擦りつけ合い、疑心暗鬼になる一方だ。
「こうなったら全員ぶんの料理を調べる必要があるな」
軽く息を吐いて古納言は提案するが、青酸カリは無臭なので見て判らなければ確かめる術もない。アーモンドに似た匂いは、胃の酸に反応して初めて発生するものなのだ。
満月の夜まであと6日。誰が毒殺犯なのか判らぬまま伴に閉じ込められる日々は続く。
この中であかね以外に狙われていた人物はいるのか、そうであればそれは誰なのか。判明すれば今後身を守ることも可能になる。
「方法はひとつだけ。良い考えがあるんだ」
人差し指をピンと立てた古納言が意味深な笑みを浮かべる。
――ふと断末魔の月の呻き声が聞こえた気がした。役目を終えた朝月夜は無惨にも白く霞み、胸焼けするようなバター色の陽射しが注がれる。ペンション†月【yue】に奇妙な朝がはじまっていった。
【つづく】




