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紅葉のうた

作者: 星河七海
掲載日:2009/09/01


ひさな きさら

ようようさまにてらされて

きらきら てらてら

おどってる


おおかぜふいて あかときの

ようようたちが 

くるくると

はらはらと 

おちていく おちていく

四体が ひとつ またひとつ


 紙風船が、秋風と歌にあわせて飛び交う。それを返す、小さな手たち。

子供達の楽しそうな笑い声が、辺りに響き渡る。楽しそうに歌う子供たち。

そんな無邪気な子供たちに警戒を促すかのように、 傍に咲いている秋桜が、そして木々たちが、不気味にざわめいた。いきなりの突風。

「……あ」

子供たちの手から離れ、行方しれずの紙風船は風が止むと同時に、ほっそりとした掌の上へと乗っかった。その手の主は、高校生くらいの少女だった。肌は色白で、吸い込まれそうな射干玉ぬばたまの瞳に、さらりとした絹糸みたいな黒髪。大人びた面立ちのせいか、高校生以上にも見える。彼女はふっと笑顔を浮かべ、

「何だか、楽しそうね?……私も仲間に入れてくれる?」

彼女の登場に、驚いて目を丸くしていた子供達は、すぐに表情を固くした。

そして、彼女の持つ紙風船など見向きもせず、子供たちは逃げ去っていった。残された彼女は、頬を軽く掻いて、 掌に乗ったままの紙風船と子供達の後ろ姿を交互に見遣ったまま、背後にいる人物に向かって言った。

「定」

「はい、何でしょう。律様」

「「様」じゃないでしょ。」

「はい、律お嬢さま」

「……はぁ、もういいわ。私、変なこと言ったかしら」

「とくに、問題なかったように思われますが?」

「そうね。問題があるとしたら……この村かしら?」

「お気付きになられましたか」

「ふん、私を誰だと思ってんのよ」

眼下にある『真更村』の集落を見て、少女、天智 律あまちりつは呟いた。一歩下がったところにいるのは、風地 定かざちさだか。律の良き相棒で守人だ。というのも、律は天智家の末裔。古の時代より、天智家は天槌の言羽あまつちのげんうを自在に操り、膨大な英知を歴史の影で、つまびらかせてきた。だが、天智家の力は、いつの時代でも目を付けられていた。利用されるなんて、まだいい方。長い歴史の中で、天智家の人間を拉致監禁し、やりたい放題したということもあった。そんなことがあったせいか、天智家は極端に人との関わりを嫌っていった。しかし今日、律の祖母が改革を起こした。古い天智家の体制に新たな風を入れるために―――。そうでもしなければ、天智家の存在を後世に残していくのが、危うかったからだ。現在、祖母は隠居して、律の母親が天智家の当主。そして、私は次期当主の修行の一環として、呪われた『真更村』に、足を運んだのである。そう、鶴の一声鳴らぬ、母の一声で。

「呪われた真更村に行ってきな」

何とも勝手すぎる母親であった。


 『真更村』は人口がわずか四十人程度。農業といっても、ほとんどが自給自足の生活。なので、村にいる女性の大半が紬織りを生業として、生計立てているのが、この村の現状らしい。めぼしい観光地があるわけでもなく、高い山々に囲まれて、村全体に日が当たらないせいか、昼間でも薄暗い。だから、真更村以外の人間は、滅多に寄り付かないらしい。さっき、子供たちに驚かれたのも、それが原因だろうか。それとも―――。

集落に到着したが、辺りには村人など一人もいなかった。代わりに、まとわりつくような視線を、身体中に感じる。これは、一人じゃない。かなり大勢ね。

「あー、面倒臭い。ねぇ、定」

「はい、なんでしょう」

「あの歌の意味、分かった?」

「いえ、まったく」

即答かい。淡々とそう答える定を見兼ねて、律は大きく溜め息をついた。

「少しは考えようとかいう、努力すらしないわけ?」

「私は律様の守人。謎を明らかにすることは、律様のお勉めでございますから」

「言外に、俺には関係ないってことね」

「そうとってもらっても構いません」

「構わないのか……」

呆れて物も言えないわ。そりゃあ、定のお役目は私のお守。彼は、風地家特有の人智を超えた神速の運動能力を持つ。そのため、天智家と風地家は主従の関係にある。だから、彼は「義務」として、私を守ってくれている。

その事実が、何よりも辛くて悲しかった。十八にもなれば、この気持ちがなんなのかぐらい、ちゃんと分かる。それだけに、彼との距離が余計にもどかしい。

 まとわりつくような視線の中から、明らか殺意のこもった視線を感じた。私は、その方を振り向きもせず、定にこう言った。

「天智の力、使わなきゃならないかもね」

「……」

「あの歌は、危険ね。ひとまず、この村の長にでも会いに行きましょうか」

「承知」

こうして、私達は呪われた『真更村』に関わる事となったのだ。


 長が住む家は、石塀に屋根付きの門構え。門から邸宅までは、剪定された季節折々の樹木が植えられており、見事な庭園を作り出している。また、足元には色とりどりの花が咲いており、客人を飽きさせない工夫も施されている。更に奥へと進むと、先程見た文句のつけ様がない完璧な庭から一変、奇妙な風景が広がっていた。邸宅に向かう道の真ん中に、真紅に染まった紅葉と黄色に染まった紅葉が、互いに枝を蔦のように絡ませ、一本の樹として植わっていた。それは、呪われた村に相応しいと言っていい、おぞましい紅葉だった。

その紅葉の下に、四つの岩が木を囲むように、四方にそれぞれ並んでいる。

「この岩……」

「律様?」

どこかから視線を感じて、勢いよく振り向くと、そこには私より年上の恐ろしいほど美しい女性が佇んでいた。彼女は妖しく笑んで、私達に向かって綺麗なお辞儀をした。


 村の長というから、皺くちゃで梅干顔のおばあちゃんとか、おじいちゃんというのを想像していたが、成人したての女性だとは―――。顔に出ていたのだろうか。まるで心を読んだかのように、彼女はお茶を机の上に出しながら、こう言った。

「意外、でしたか?」

静かな朝を彷彿させるような声色。おしとやかで清楚な彼女に、似合いの声だった。

「え?」

「村の長と言うのは、どこの村でも老人ばかりですからね。そう思うのも、無理ないでしょう」

にこりと微笑む彼女を見ながら、私はお茶を飲んだ。いや。正確には、舌を出してお茶の味を確かめた、が正解。途端、舌に刺激が走った。舌に残るこの痛さ、相当な猛毒が入ってるんじゃないかしら。定もそれに気付いたみたいだったが、何も言わず黙々とお茶を飲んでいた。幼少の頃、天智家の嫡子は皆、毒の耐性をつけさせられる。それは、風地家も同じ。どの時代でも、一族の中に虎視眈々と当主の座を狙う輩がいる。それを防ぐ手立てとして、毒の耐性をつけざる得なかったのだ。

「美味しいお茶ですね」

「……そう、ですか?」

一瞬、彼女の眉がぴくりと跳ね上がった。だが、何事もなかったかのように微笑んで、それを掻き消した。

「それで、この村へのご用向きというのは……」

「この村に伝わる呪われた歌をご存知でしょうか?」

「まぁ。天智家の次期当主様は、面白い言い方をなさりますのね」

鈴を転がしたみたいに笑い、部屋の障子戸に向かって「久奈くな」と呼びかけた。

障子戸が静かに開いて、部屋に入ってきたのは、十歳ぐらい童女だった。

おかっぱに紅葉柄の着物、何の感情も宿していない黒曜の瞳。まるで、日本人形だわ。

「挨拶なさい、久奈」

すると、童女は彼女に負けないくらい、恐ろしく美しい笑みを浮かべて言った。

「はい。初めまして、天智家の次期当主様、守人様。私が村の長。真更 久奈と申します」

「え」

この事実は、衝撃的だった。てっきり、目の前にいるのが村の長だと思っていた。しかし、考えてみれば、彼女は名前を口にしていない。それに、自分が村の長だとも言ってない。これは、一杯喰わされたな。

「只今、お二人のお相手をしているのが、私の影武者である杞扠です」

「ふふ。改めまして、影守 杞扠です」

彼女は、悪戯が成功した子供みたいに笑った。その態度が何だか面白くなくて、私は眉を顰めて言った。そうしなければならなかった理由は、分かってる。

でも、どうしても咎めずにはいられなかった。

「何故このようなことを?それは、天智家に対する、侮辱ですか」

私は杞扠を睨むと、久奈は慌てて謝った。

「ごめんなさい、お遊びが過ぎましたね。実は、天智家にご依頼したのは私なのです。杞扠を責めないでやってくださいませ」

「依頼主は貴女だったのですか」

「はい。あなたがたも目にしたでしょう?ここに来る途中にあった紅葉を」

(やはりアレか……)

あれが一番、禍々しい気を発していた。呪われた木というか、呪いの源のような気がしないでもなかったが……。

「ああ、あの奇妙な紅葉ですね」

「あれは先代の真更村の長が、旅人から貰った紅葉なのです。そして、子供達は彼から「唄」を教わりました」

「あの唄ですか」

(旅人、ねぇ。これは、まさか……)

「気味が悪いでしょう?特に子供達に影響がないと思って、放っておいたのですが、子供達が「自分の子じゃないみたい」とか「可笑しくなった」と聞かされると心配になりまして、天智家にご依頼した次第なのです」

下唇をぎゅっと噛み締め、私の返答を待っていた。まさか、こんな可愛らしい童女が村の長だったなんてね。ま、私も他人事じゃないけどさ。

「分かりました。この件、お引き受け致しましょう」

気になっている事があったので、すんなりと引き受けた。それが意外だったのか、目を丸くして「あ、ありがとうございます」と久奈は嬉しそうに言った。



「お茶に毒を盛ったというのに、随分あつかましい方々ですね」

「定って結構、辛辣よね」

家から少し離れたところで、定はいきなりそう言った。

「そうでしょうか?」

「毒を盛った……ね。案外、彼女も私達と同じなのかもしれないわよ」

その証拠に、杞扠のお茶碗の内側には紅が付いてなかった。外側には付着してるのに。しかも、傍に急須がなかった。毒が効かない私達を殺す目的なら、お代わりをすすめるくらいはするだろう。だが、あの部屋にあったのは、茶托に乗せられたお茶だけ。お茶を持ってきたのは確かに杞扠だが、入れたのは多分、別の人物だ。そう、例えば―――。

「例えば、身内に狙われている、とかね」

「でも、どう見ても毒を盛ったのは―――」

「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない。影武者を立てていた時点でおかしいと思わなかった?」

「いや、まったく」

また即答。

(ったく。コイツは……少しは、考える努力というものをして欲しい)

こめかみを軽く抑え、溜め息をついて言った。

「大切な賓客に不快な思いされても、影武者を立てざる得ない状況にあったということでしょ?」

「そう、でしょうか?」

理解できていないのか、定は首を捻っている。

「定、疑い始めたらキリがないわ。今回のこの件、すぐに片をつけるわよ。でないと、大変なことになるわ」

ざわっと辺りに木々がざわめいた。嫌な予感と憶測が私の頭をよぎる。

最悪の事態にならなきゃいいけど……。

「それと、まさかこんなところで『穢れた血』に出会えるなんて、つゆとは思わなかったけどね」

「っ!……穢れた血」

定はその言葉を聞いた途端、険しい表情をして固まった。

「それじゃ、いきましょうか」

そんな定に構わず、私は呪われた紅葉のところまで、足を早めた。

何故なら、殺気を含んだ突き刺さるような視線に、私自身が耐え切れなかった。

この村、色んな意味で強烈だわ。恨むわよ、母様。


 呪われた紅葉の前では、子供達が木を守るようにして囲んでいた。皆で手を繋ぎ、円い陣を紅葉の周りに作っている。

これは、やはり……。見事なまでに予感が的中。

母様は、これを見越して、私をこの村に送り込んだんだわ。

『ほら、みて』

『あのひと、ぼくらのてきだよ』

『いつきさまのてきは、ぼくらのてき』

『そうだね、まもらなきゃね』

『どうやって、ころしちゃおうか?』

『どうしようね』

『たのしいね』

『うん、たのしいね』

(いつきさま……ね)

口々に囁く子供達の瞳は、空ろで凶悪だった。子供達は紅葉を守り、紅葉は子供達を護ってる。おそらく、その後ろにいるのは―――。

気を引き締め、口に精神を集中させる。私は普通の声とは違う、透き通った声色を出せる。常人には出せない、天智家特有の聖なる声。天智家初代当主は、『旋律の乙女』として名を馳せていたという。だが、常人離れした天槌の言羽を操る彼女を、当時の人達は忌み嫌って、密かにこう呼んでいた。

『戦慄の音芽』と―――。


『緋真、黄更。 

陽々様に照らされて

来て来て 敵々 おどってる

大風吹いて 朱時の

葉々達が 狂々と

はらはらと 

堕ちていく 堕ちていく

死体が ひとつ またひとつ』


 律は天智家に伝わる禁呪のひとつ、朱紬あけつむぎを謡った。これが『真実』の朱紬の旋律。しかし、子供達が歌ってるのは、呪詛だ。皮肉な事に、未来を担う子供達が、この村を呪っているのだ。何も知らずに……。

私は両手を合わせ、謡い終わる同時に、勢いよく叩いた。

―――パンッ―――

周囲の空気が神聖なものに一気に浄化され、精神が研ぎ澄まされる。一陣の風が凪ぐ。だが、すぐに禍々しい風が私に纏わりついてきた。

「定」

「承知」

私が唄を紡いでいる間は、無防備になる。だからこそ、風地家の力も必要なのだ。彼は、手を水平にして、宙を切り裂いた。まるで、見えない刃のごとく。

大元を叩かなければ、彼にはこの禍々しいモノは払えない。だけど、時間稼ぎには、うってつけ。彼のそんな様子をちらりと見遣り、再び唄を謡い始めた。

『天が智をもって 律する 歪曲の旋律を

 緋真 黄更 紅葉の精達よ。

 曲げられし言の葉を 真実なる天槌の旋律に戻せ

 朱紬の音を芽吹かせよ!』

閉じた両眼を、かっと見開いた。子供達の背後にあった四体の岩が、音を立てて崩れ落ちる。厚い四体の岩が、触れもせず、いとも簡単に割れてしまった。少しずつ薄れていく、禍々しい空気。浄化を施しても、この程度か……。

周囲を見回すと、子供達の瞳の色が戻ってきた。その前に再発防止のための「封印」だけはしておかなくちゃ。私は、短く呪を紡いで、宙で十字を切った。

完全に子供達が正気に戻ると、彼らは泣いていた。ただ、何で泣いているのかも分からずに、互いに顔を見合わせ、はらはらと涙をこぼしていた。

正気の薄まった紅葉の下には、平たい石板に彫られた「朱紬」があった。

「朱紬」の石版の最後にある「死体」が、「四体」と故意に彫り直されていた。

これが真実の「朱紬」を歪められた代償、呪詛の証拠だ。私は、その石版を定の方へに差し出し、落とした。落ちる途中、定の持つ力で、その石版を粉々に斬った。二人の足元に、散らばっていく石ころたち。

これで、瘴気は消えた。

あとは、天智家の後片付けね。

「さ、行くわよ」

「はい」


 村の入り口に、鞄を持った男が後ろの様子を気にしながら、足を早めていた。

誰も追ってこないこと確認すると、ほっと息をついた。この村は、もうダメだ。次のターゲットを探さなければ。そんなことを考えながら、ふと前を向くと、そこには彼女に似た面影を持つ少女と、それに従う青年が自分を待ち受けていた。自然と鞄を掴む手に力が入る。

「そんな格好して、村を出て行くつもり?あの時みたいに」

「律」

やめてくれ。彼女に似た顔で、声で、そんなこと言わないでくれ。

惑わさないでくれ。彼女は、絶対それを望んでいるんだ。そう自分に言い聞かせて、男は下唇を噛み締め、二人を睨んだ。

「もう、やめましょう。いつき義兄さん」

義兄さん、かつて私がそう呼んでいた姉の夫。私の初恋の人。そして、村に呪いをかけた張本人。

「何を言ってる?のぞみを殺した一族を恨まずして、何をしろというんだ?答えてくれ、律」

いつから……いつから、この人はこんな笑みを浮かべるになったんだろう。

いつも優しい笑顔で、私に笑いかけてくれていた。こんな、こんな目が笑ってないような、口元だけの笑みじゃなかったはずなのに。

いつから?本当は、自分でも分かっている。嫉妬しているから、それを認めたくないだけだ。死んでもなお、こんなに想われている姉の希に……。

「そんなふうに、天智家の邪魔をしても、姉さんは戻ってこないわ」

「は、何を抜かす。長女である希を押しのけて、次期当主の座をもぎ取ったくせに……。大方、飼い犬にでもやらせたんだろう?」

「……」

そう雑言を吐き捨てた初恋の人は、もう私が好きになった人ではなくなっていた。一人の死は、こんなにも人を変えてしまうのか。

深呼吸一つ。私は上を向いて、浮かび上がってくる涙を必死で堪えた。目を閉じて、ゆっくりと前を向き、目を開けた。

「義兄さん。私のことは、いいわ。でも、定を悪く言うのはやめて」

「ふん、いい主従愛だな」

鼻で笑って、義兄さんは私達を嘲笑った。

「まさか、一族の禁呪を持ち逃げし、言の葉を無理矢理変えて呪詛にし、紅葉を媒介にしてこの村を呪うなんてね。誰も想像がつかなかったわ」

「この村は、天智家一族に似ている。陰湿で厳格な一族が村を支配してる。呪われた村?まさしくその通りじゃないか。その通りにして、何が悪いというんだ」

今まで何を言われても黙っていた定が、私の前に出た。

「律。コイツに説得は無理だ」

「定」

「下がっていろ。血を被るのは俺の責務だ」

いつの間にか、敬語じゃなくなっている。余裕がない時ほど、定は敬語を使わない。こうやって幾度も守られてきた。姉さんが死んだ時も、支えてくれた。

まだ、私の守人になっていなかったのに。

だから、いつの間にか好きになったんだ。いつも、傍にいてくれたから。

「うん……」

いつから、こんな頼れる大きな背中になったんだろう。私は、定の後姿を見ながら思っていた。定に対峙する義兄さんを見て、私はすっと目を閉じて、口の中で呪を紡ぎ始めた。


「何故使ったんだ?」

分家の義兄さんと、宗家の定では勝負の行方が見えていた。

だからこそ、私は呪を紡いだんだ。不殺の呪すなわち、殺さずに生かして、記憶喪失にさせる呪い。大切な人に関する記憶ほど、なかなか戻らないという。

これは、私のためじゃない。

義兄さんのために。姉のために。そして、定のために。

足元に転がった義兄さんを見て、定は私に聞いた。

「もう一度聞きます。何故、不殺の呪を使ったんですか?」

「貴方には、もう手を汚して欲しくないの」

「……斎さんのためにじゃなくて?」

「定のためよ」

斎さん、そういう呼び方を聞いたのは、何年ぶりだろう。

定もまた、幼い頃から分け隔てなく、接してくれる義兄さんを慕ってた。一人息子のせいか、お兄さんが欲しかったんだと思う。だから、余計にショックが大きかっただろう。

この村を呪っていた事?いや、違う。十年前に一族の大半を呪殺したことだ。

彼は、天智家と風地家の間に生まれた『穢れた血』。

私達が生まれるまで、みんなから疎まれていた。

でも、姉と最初に出会い、彼は「自分の場所」を見つけた。

そして、姉への憧れはいつしか愛へと変わっていった。

みんなから愛される姉は、当主になるはずだった。姉は天智家という一族が好きだった。だが後継者選びの際、母は私を選んだ。

その理由を知っていたから、姉も私も、何も言わなかった。

姉は優しすぎたのだ。代々の天智家当主は「戦慄の音芽」すなわち、戦慄のような音を芽吹かす者、でなければならなかった。姉の唄は聞いていて、癒される音。悪という悪を知らない者が出せる音を持っていた。それでは、だめなのだ。継承されてきた天槌の言羽は、悪に立ち向かえる術を持って、浄化する力がないと音を紡げない。姉は太陽のような人だった。だけど、天智家に生きる者は闇で生きなければいけない。私は、ほんの少しの闇を持っていた。姉に対する嫉妬という感情を。それが、天智家当主を決める要因となったのだ。

今でも、姉の言葉を思い出す。

「私は、りっちゃんになれなかったよ。でも、忘れないで。言葉の重さと意味の強さを。そして、大切さを。そして、天智家を憎まないで。愛してあげて」

それが、姉の最後の言葉となった。

姉は、当主継承の儀式の日に、殺された。

正確には、天智家一族の一部の人間に、だけれど……。

彼らに、殺す気はなかった。ただ、当主に選ばれなかった姉を、前から妬んでいた人間達がこう馬鹿にしたらしい。

あなたには斎みたいなのがお似合いだ、と。

誰もが平等な世界ありたいと願っていた姉は、斎のために怒った。

怒鳴り返されて、頭に血が登った一族の者が、彼女を欄干から地面へと突き飛ばしたらしい。だけど、飛び石に頭をぶつけてしまい、重傷を負った。

救急車の中で意識はあったものの、病院に着くと同時に、亡くなった。

サイレンが鳴り響く救急車内で、私は姉の手を強く握っていた。

すると、うっすらと目を開けた姉は、途切れ途切れに最後の言葉を紡いだのだ。

普通の声でなく、「旋律の乙女」の名にふさわしい綺麗な声で……。

その声は、私の心の闇を払拭してくれた。ほんの一時だけ。


「何で、真更村が狙われたんでしょうか。天智家と関係ない村ですよね?」

眼下に見える真更村を振り返って、定が私に聞いてきた。私は知っている。

物語のようで、本当にあった話。初代天智家に伝承されてきた、御伽噺だ。

「昔、その昔。天智家の初代当主はこの地で生まれ育ったそうよ。そして、久真ひさなという青年と恋に落ちたの。でも、彼は戦争に行ってしまった。

数ヵ月後、死んだという知らせを受けてから半年後、当主は青年の宿した子供と一緒に私達の村に移り、天智家を築いた。村を出て行く際に、思い出に一本の紅葉を植えたの。青年と一緒に植えた紅葉の隣に……。

長い年月を経て、その木は二人のように一本の樹になり、そこに義兄さんの呪いが加わった。だから、あんな恐ろしい木に育ってしまったの。知ってる?

結婚した時の初代当主の名は、真更 律希というの。私と姉さんの名前は、この方からとったの。そして、この真更村でもそれは受け継がれていたのね」

目を細めて、私も真更村をもう一度見た。もう、此処へは来ないだろう。

でも、初代当主の生まれ育った場所を見ることが出来てよかった。

遠い遠い親戚になるはずだった、この村の当主にも会えた。

何だか、周囲が大変そうではあったけど。

「え?……あ」

「真更 久奈か。久真さんは、戦争から無事に帰還していたのね。

そして、天智家のように代々、その名を受け継いでいくんだわ。きっと」

遠くから一日、四時間に一本の古いバスがやってきた。

すぐに、私はバスに向かって、手をあげた。バスが停留所に停車し、私が乗り込もうとすると、定は真更村を見ながら、静かに言った。

「上手くいかないものですね」

「そういうものよ。だから、人は頑張って生きていこうって思うのよ」

上手く笑えただろうか。昔から、定の前では、上手く笑顔が作れないから。

でも、これだけは言える。

私はこれからも、すべての業を背負って生きていく。

言葉を刃にし、正義を盾に。

言葉の重さを 意味を

理解して、天智の言葉を紡いでいくだろう。 

そして、後世に今日までの歴史を残していこう。

同じ過ちを犯さないように。そして、誰にも忘れられないように。


                            完





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