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AMAZING GRACE

作者: 原作 二本柳亜美 小説 海無鈴河

 とある時代。

 とある土地は荒れ果てていた。

 緑は消え、水は枯れ果て、岩と砂の大地が広がるのみ。

 そこに暮らす人々は過酷な生活を強いられていた。


 そんな時に神は告げた。

 『天空にそびえ立つ塔を作れば願いが叶う』と。

 

 人々は考えた。

『塔を建てるための労働力が必要だ』

『それだけじゃあ、無理だ。力をまとめる優れた指導者が必要だ』

 そこで人々は『特別な人間』と『特別でない人間』に自分たちを分けることにした。

 特別でない人間は労働を強制され、働き、死を迎える。

 そして特別な人間は、特別でない人間を支配した。

 

 リンカ・ベルヌーイは特別な人間である。

 塔建設の最高責任者スターリー・ベルヌーイを父に持つ、生まれながらにして特別な男。

 幼いころからあらゆる書物を読み、優秀な管理人となるために勉強をし、若くして奴隷管理人の地位についた。

 それもひとえに、父・スターリーのためである。

 神の塔を完成させれば、願いが叶う――木々が生え、水があふれ、生活が豊かになるに違いない。

 日々の苦境にあえぐ民は当然そう思っていた。

 しかし、スターリーは違ったのだ。

 スターリーは妻――リンカの母を病ですでに失っていた。リンカが幼いころの話である。

 妻を失った彼は残された息子には見向きもせず、ひたすらに妻の死を嘆いた。

 そして彼は願っていた。

 塔を完成させ、妻を生き返らせることを。

「リンカよ、母を生き返らせるために塔を完成させるのだ」

 幼いころからリンカはその父の言葉を聞き続けていた。

「はい、父様。管理人として、立派な塔を完成させます」

 全ては父のため。父に認めてもらうため。

 いつしかそれはリンカの使命となっていた。


 リンカが大きくになる頃には、荒れた大地にかろうじて残っていた食料も尽きようとしていた。

 奴隷たちは近隣の土地からも集められ、飢えや病ですぐに死んでいった。

 数が足りなくなればまた奴隷を集め、労働を強いる。

 この国では特別でない人間は『使い捨ての人間』であった。


「リンカ様、シスターからの伝言です。一部で疫病が発生しており、病人を隔離した方が良いと」

「病室は使えない奴らで既にいっぱいだ。働かない者に食料も水も与える必要は無い」

 定期報告の時間。伝令にきた男に淡々とリンカは告げる。

「可能性のあるものは全員閉じ込めて、燃やせ」

 さらりと告げられた言葉に男は目を見張る。

 が、すぐに「はい」と返事をした。

 リンカに逆らえば殺される。

 父によく似たリンカの冷酷振りは誰もが知っていた。

「早急に処分します」

「数が足りなくなったら他の国から集めてこい」

「は、はい!」

 リンカは顔色一つ変えることなく、控えていた別の部下に尋ねる。

「塔の完成まではあとどれくらいだ。半年くらいか?」

「はい、その位かと思います」

 ほどなくして、遠くで悲鳴があがった。

 乾いた風に乗って肉の焼けただれていく臭いがリンカの元まで漂ってくる。

 その不快さにリンカはたまらず吠えた。

「っ……うるさい奴隷どもめ! さっさと殺せ!」

 炎の勢いが一段と強くなる。

「り、リンカ様」

 そのとき、別の伝令がおずおずとリンカに声をかけた。

「うるさい、なんだ!」

 機嫌の悪い時のリンカは何をしでかすかわからない。

 殺される……!

 伝令は後ずさる。

「シスターが食料と水が足りない、あと毛布もと……」

 一刻もはやく場を離れたい。

 その一心で伝えると、逃げるようにその場を去っていった。

 リンカは舌打ちする。

「またか……。奴隷なんぞ最低限の物があればいいと何度も言っているだろう」

 彼にとってシスターたちは口うるさく、目障りな存在だった。

 が、シスターはこの国において、奴隷や病人の世話を担っている。

 地位は低いものの、特別な人たちの一部であり、リンカもそう簡単に手を出せない。

「ちっ……俺が直接話さねば分からぬようだな」

 リンカは不機嫌さを隠しもせず、荒れた様子で療養所を訪ねた。

 出迎えたシスターたちは手を組み、リンカへと懇願する。

「このままでは栄養状態の悪い者たちが多くなってしまいます。十分な食料も水もありません」

「少しお休みもいただきたく、どうかご慈悲を……」

「塔を完成させれば『人はみな幸せになれる』。もうすぐ完成するのだ、休ませるわけにはいかぬ」

 しかしリンカは取り付く島もない。

 シスターたちを鋭い瞳でにらみつける。気圧された彼女たちはびくりと肩を揺らした。

「そもそもなぜ、奴隷どもに満足な食料を与えねばならんのだ」

「そ、それはっ……」

 当然とばかりに言われ、シスターたちは二の句が継げない。

 正しい道を説くのも聖職者の務めである。

 だが、リンカはそんな彼女たちの意志も恐怖で支配してしまうのだ。

(逆らったら殺されてしまう……)

 目を伏せ、黙り込んだシスターたちをつまらないものだ、とさげすみ、リンカは視線をそらした。

 その時、ふいに目に映ったのは一人のシスターだった。

 頭にかぶった布に下から淡い髪色が覗いている。

 彼女は匙を持ち、やせ細った老爺に食事を与えているところだった。

(母親みたいだな)

 その光景にリンカはふとそんなことを思う。

 それから、体の奥底から震えが胸の内を走り抜けていった。

 湧きあがるのは泣き出したくなるような強い衝動。

 それはリンカの知らない感情だった。

(幼いころには……母様にああやって食事を貰っていたのだろうか)

 ああ……なんて――――。

 傍らに控えていた補佐役の男が、体の震えに気づいてリンカに声をかける。

 それを「うるさい」と一蹴すると、リンカはつかつかと女の元へと歩み寄った。

「おい、女」

「はい」

 声をかけられた女は立ち上がり、リンカに振り返る。

「はじめまして、リンカ様。ルーソと申します」

 リンカとそう年の変わらない若い女だった。

 零れ落ちそうな大きな瞳と、ふっくらとした唇。

 柔らかな髪や体。

 それらに目が奪われる。

 リンカは数秒の間ぼうっとしていたが、我に返ると、

「新入りか?」

 努めていつもの口調で尋ねた。

「ル、ルーソ。あっちに行っていなさい」

 そこに年配のシスターが割って入る。

 リンカの不興を買い、目を付けられたのだと思ったのだろう。

「私について来い、ルーソ」

「リンカ様……!」

「なんだ、シスター。私に命令するつもりか?」

 リンカがぎろりと睨むと、シスターは「い、いえ」と慌てて頭を下げた。

「このことは父には黙っていろ。話したら殺す」

「は、はいっ……」

 物騒な脅しに顔を真っ青にしたシスターに、

「これで隣の国で食糧と水を買ってこい」

 リンカはいくつか宝石を握らせた。

 口止めも込みだ。売り払えば普段渡す倍以上の金になる。

 シスターは一瞬よこしまな考えが頭を過ぎったが、素直にリンカの言うことに従った。

「さて……ルーソ」

 シスターから視線を外すと、今度はルーソを見る。

 リンカの視線を受けた彼女は、困惑した表情をしていた。

「貴様は今日から私の世話をしろ。分かったな?」

「えっ……」

 一体なんのつもりでそんなことを。

 ルーソの戸惑いはますます大きくなる。

 しかし、すぐに、

(冷酷なリンカ様に逆らったら殺されてしまう……それに、私が言うことを聞かなければ他の人たちも……)

 そう考え至り、

「はい、リンカ様」

 引きつった笑みでそう答えた。


 それからリンカは、ルーソを自分の傍に置くと様々なことをさせた。

 食事を用意すると、手ずからそれを食べさせるようにルーソに命じた。

 外の国からやってきた豪華な鳥を見せに見世物小屋へと連れて行った。

 特別でない者が一生着ることのないような豪奢な衣装で着飾らせる。

 リンカはこの状況に非常に満足していた。

 ルーソは大人しく、従順だ。

 着飾らせれば美しく、飽きることはない。

(さて、今度は何をさせようか)

 普段通り淡々と冷徹に職務をこなすリンカだが、その胸中は弾んでいた。


 ある日のことだった。

 仕事中のリンカは通りがけに見覚えのある女の姿を見つけた。

 遠くからでも見間違いようのない美しい髪。

(ルーソ……? あんなところでなにを)

 リンカは彼女の視線の先を辿る。

 そして、目を見はった。

 ルーソは見知らぬ男と談笑していたのだった。

 それだけならばまだ良い。

 リンカはしっかり見てしまった。

 ルーソが男に向かって花の綻ぶような笑みを浮かべているところを。

「ルーソ、綺麗だね。素敵だよ」

 男の発した歯の浮くような褒め言葉もどうでもよかった。

 リンカは強く奥歯を噛む。

 どうして。

 ルーソはいつも戸惑ったように目を伏せるだけだった。

 私にはあのように笑ったことなどないのに……!

「リンカ様、どうなさいましたか」

 そこに不幸にも、付き人の男が声をかけてしまった。

「黙れ!」

「も、申し訳ありません! 許してください!」

 謝罪はもはや反射である。なにも身に覚えがないが、なにがリンカの逆鱗に触れるのか分からない。

 びくびくと怯える男を見て、リンカはあることを思いついた。

「そういえば……私の宝石が無くなってしまったのだ」

 リンカはわざとらしく困ったように言うと、顎でルーソに微笑みかける男をしゃくった。

「あの男を殺せ」

 口元にはうっすらと笑み。

 付き人の男はそれに気づいていたが、うっかり余計なことを言って殺されてはかなわない。

「はい!」

 自分じゃなくて良かった。

 つながった命に安堵しながら、男は素直にうなずいた。

 

 こうして、一人の男が宝石を盗んだ罪で島流しにされた。

 リンカ・ベルヌーイ――非情で残酷な少年の手によって。

 リンカは満足していた。

 再びルーソが自分の傍にいるようになったのだから。

「まったく、私の宝石を盗むなんて悪いヤツだな。なあ? ルーソ」

 機嫌よくリンカは言う。

 しかし、控えめでいて困惑したような返事はいつまでたっても聞こえない。

 それを不審に思ったリンカは、視線をルーソに移し、言葉を失った。

 ルーソはその美しい瞳からはらはらと涙をこぼしていた。

「なぜ……泣いている。あいつは私の宝石を……!」

「……あの人は決して悪い人ではありません」

 零れる涙をぬぐうことなく、ルーソの唇が言葉を紡ぐ。

「私たちの手伝いもしてくださいました……なのに、リンカ様は、ひどすぎます」

(気づいているのか、私の謀りに……)

「いったいどうして……」

 ルーソは嘆く。

 彼女は今、私を軽蔑している――。

「あ……頭の悪いお前らに、一体何が分かるというのだ!」

 その事実から逃げるようにリンカは感情のままに叫び、ルーソの髪をつかんで思い切り引き倒した。

「痛いっ……」

 悲鳴をあげ、ルーソが床に倒れる。

 冷静ではなかった。

 が、頭の片隅ではとっくに気づいていた。

 ルーソは自分の思い通りにはならない。

 彼女が見た他人と、自分が見た他人は違う。

 リンカはずっと、自分のことしか考えていなかったのだから。

「やめてください、リンカ様……私たちは感情のある人間なのです」

 髪を掴んでいた手が緩む。

 ルーソはそれを見計らって、身を起こすと、リンカを正面から見つめた。

「どうか私たちを一人ひとり愛して、ご慈悲をお与えください」

「愛する……だと?」

 その言葉をリンカは知らなかった。

 幼いころから積み重ねてきた知識の中にも、読み漁った書物の中にも、そんなものは無い。

 母の思い出も無く、父から与えられた記憶もない。

 それなのに、人を愛せと?

「愛されたことがない俺が? どうやって?」

 口に出すと、柄も言えぬ虚しさのようなものが体に伸し掛かってきて、リンカは思わず膝をついた。

 自分が今まで生きてきたことが無意味なように思えたのだ。

 そんなリンカの肩にルーソは優しく触れる。

「リンカ様ならできます。信じております」

 囁くその姿は聖女のようだった。

 

 それからしばらく――。

「塔は完成した! 奴隷たちの健康状態もよくまさに『神の恵み』!」

 天高くそびえ立つ塔、その前でスターリー・ベルヌーイが朗々と告げる。

「神は降臨する! 命と引き換えに、神よ、我らを救いたまえ!」

 民衆の興奮の声が地響きとなって大地を揺らす。

「アメイジンググレイス! 神の恵みをいざ頂上へ!」

 スターリーはリンカを伴い、塔を上った。

 一段、一段と踏みしめる度、薄暗い塔の内部にまばゆい光が灯った。

 頂上へと昇り詰めると、スターリーは震える声でリンカに告げた。

「さあ! リンカ、神はすぐだ! 母を生き返らせるのだ!」

 その目に浮かび上がるのは歓喜。そして狂気。

 リンカは父の有様を一歩引いた気持ちで見つめていた。

「父様、母様は死んだ。生き返らせることなどしません」

 彼はもう非情な少年にはなれなかった。

 当然、スターリーは目を剥いて怒った。

「なにを考えているのだ。そんなことはさせん!」

「母様を生き返らせても民は救われない」

「どれだけの時を待ち、どれだけの人間を使ってきたのか分かっているのか!?」

「残されて生きて行く者のためにも」

「くそっ! どうなってもしらんぞ!」

 スターリーが吠えたその時、

『リンカ……ベルヌーイ』

「!」

 どこからともなく声が、荘厳な響きをもってリンカの名を呼んだ。

 リンカはあたりを見回す。

 そして、その人見つけた。

 黒と白の羽を優雅にしならせ、光の中へと浮かぶその人は穏やかな女の声でリンカに語り掛ける。

『よく願いを叶える努力をしましたね』

 額の第三の目がリンカを見据える。

『人間の一番大事な命という時間と引き換えに、あなたの望むものを叶えましょう』

 リンカは死を覚悟した。

 そして今まで生きてきた『時間』の全てがこれから生きていく者のためにあったのだと知った。

 リンカはこの瞬間、この時のために生まれてきたのだと――。

『ぼくのおうちをありがとう。かわりにほしいものを――』

 今度は一転して無邪気な幼子の声で。

『命より大事な願いを叶えましょう』

 再び女の声で。

 リンカは問われる。

『リンカの欲しいものは母親の愛? 父親の愛? それとも女からの愛?』

「私が欲しいものは……私の、願いは」

「おっと――」

 続く言葉を遮り、その人は視線をちらりとリンカの横に流した。

「君の父が来た。自分の命を差し出さず、息子を差し出し捨てた父が」

 待て、と遠くからスターリーの声が聞こえた。

「くそ、さっさと歩け」

 なにかを連れているのか? わめきたてる声にリンカは振り返り……

「なっ……」

 絶句した。

 なぜ彼女がここにいる……!

「リンカ様、ごめんなさい」

 父が連れていたのは後ろでに縛り上げ、地面へと引き倒されたルーソだった。

「私の願いを叶えなければ、この女を殺してしまうぞ!」

「ルーソを離してください!」

「私の言うことを聞け、リンカよ。この女に好かれるために、島流しにした男でも戻すのだろう!」

 リンカは歯噛みした。

 失敗した。どこから漏れた……!

 あのシスターか……それとも……。

 いや、それよりも今はこの状況をどうするかが先だ。

「父様やめてください。私は父様の願いを叶えたりしません。私は彼女のために……」

 再度リンカは説得を試みる。が、

「ふざけるな! この女は奴隷だ! 私が正しいのだ!」

 スターリーは聞く耳すらもたない。

「母を好きではないのか! 薄情な裏切り者め――」

「私は気づいたんだ!」

 罵りの言葉を封じるように、リンカは声を張り上げた。

「地位や名誉、財産。なにを手に入れても次から次へと欲しくなる。そして大切なものを忘れ、分からなくなる。手に入れれば手に入れるほど、無くすことに不安になる」

「なにを言っている……」

 じっと黙り込んでいた羽の人が口を開いた。

「人間が完璧を求めるのは生存本能ゆえ。人間は死ぬまで気づかずに、それに振り回され続ける」

 リンカはそれに気づいたみたいだけど、と彼はくすくすと笑い声をあげた。

「一つの物を手に入れても幸せを感じ続けることはできない。すぐに他の物が欲しくなり、手に入れるために他人を傷つけ、酷使する……そんなことはもう終わりにしよう!」

「私たちは血のつながった家族なんだぞ! 父を裏切るのか!」

 今更そんなことを言うのか。

 失笑がリンカの口から漏れる。

「亡き母に執着するのをやめて気づくべきなんだ。私たち『人』は生まれて既に大切な物をもっていたんだ」

 それは特別な人間も特別でない人間も等しく持つもの――。

「『時間』。生きていると感じている時間が人を満たす。父様が欲しいものは一時的な幸せにすぎない。ならば、より長く大勢の人が報われる道を。よりよく過ごせる時間を増やせるように」

 スターリーにはリンカの言葉の意味の半分も理解できてはいなかった。

 だが、良くない方向に進まされていることだけは分かった。

「お前の考えは所詮くだらない! 家族である私よりも、奴隷たちを選ぶなど……アレは物だ!」

「もうやめてくれ、父様!」

 リンカはついに父の胸倉をつかみ上げた。

 悟ったのだ。

 この男には伝わらない――。

「自分のことしか考えられないことに恥をしれ! 全体を考えろ!」

 そして手を離すと、離れたところで二人を見物していた羽を持つ彼を振り返る。

「私は今、願う! 生きていく生命が尊重され、安心し、自由に生きられる世界を! そして尊重された自由を阻害するものに天罰が下ることを!!」

『……こんなこと望まれたのは初めてだ』

 羽の人はふっと笑みを浮かべると、

『いいでしょう。君の願いを叶えましょう』

 目を閉じ、片手をすっと上げる。

 

 ドン、と轟音とともに世界に光が溢れた。

 塔が揺れ、積み上げた壁の石は嵐の最中のように吹き飛ばされていく。

 リンカは目を開けていられず、顔を庇うように腕を前に持ってきた。

 そして自分の指が黒い砂と化していくことに気が付いた。

 覚悟はしていた。取り乱すことも無く、リンカはただ消えていく自分の手のひらを見つめていた。

「リンカ様――私は――!」

 轟音の隙間からルーソの声がわずかに届いた。

 体に回された彼女の腕の感触もすでに分からなかった。

「私の願いが叶っていく……」

 きしむ唇で最期にそうつぶやくと、リンカの体は風にさらわれ塔と共に跡形もなく消えた。

「リンカ、様っ……私は、私は……」

 ルーソが手に掴んだ僅かな砂が涙と共に流れていく。

 地上いた民たちは突如として消えた塔に驚きながらも、ぽつりぽつりと乾いた大地に緑が咲き始めたのを認めると、

「リンカ様がやってくれた!」

「すごい……リンカ様が……!」

 そう歓喜に打ち震え、口々にリンカを讃えた。

 喜びの中でただ一人、ルーソだけは悲しみに暮れていた。

(どれだけ豊かになっても私は満たされることはない)

 ルーソは願う。

(あなたに生きていてほしい)


 ――それを人は『奇跡』と呼ぶのだろう。

 

 人の気配を感じ、ルーソはうつむいていた顔を上げた。

 そこに信じられないものを見る。

「リンカ様……!」

 体力は戻っていないのか、ふらつくリンカをルーソは抱きとめた。

 その感触は生身の人間のそのものである。指先も唇も髪も、全てが元のリンカのままだった。

 確かにリンカは目の前で姿を消した。

 なのに、どうして……。

 そのルーソの疑問に答えるように、羽を持つ人がふわりとルーソの目の前に降り立った。

『僕は神だ。物語の終わりなんていくらでも変えられる』

 神は慈愛に満ちた笑みをルーソに向けた。

『君は他人のために生きている。そう生きることも大事だけれど、そんなの悲しすぎる。自分の為にも生きなよ』

 ルーソは深く頭を下げた。

「ああ、神のご慈悲に感謝いたします……」


 神の恵みが荒野に降り注ぎ、この国は永遠の豊かさを手に入れ、奴隷制度は廃止された。

 こうして物資に恵まれた人々はそれぞれの道を歩み、文明を開花させていくのだった。

 

 スターリー・ベルヌーイは独りの玉座に座り、リンカを憎しみながら孤独のうちに亡くなった。

 そしてリンカは国王となった。

 その傍にはルーソがいつもいたのだという。

 

 長い時が経った。

 リンカはひとつの使命を終えようとしていた。

 そしてその後の人生を、王として、一人の人間として生きることにした。

「なあ、ルーソ。今さらこんなことをいうのは変だけど……」

 地の果てへと続く道へと足を踏み出し、リンカは振り返る。

「私と友達になってくれないか?」

「はい、リンカ様」

 二人の旅路は始まったばかりだった。


《終》

お読みになってくださりありがとうございます。

小説は海無鈴河様に書いていただきました。ありがとうございました!

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