4.
回転ドアを開けて駅の外へ出た。
街灯の柱が幾つも立って町を照らしていた。
駅の構内と同じく……いや、それ以上に光が弱く、暗い。
よく見ると、街灯のガラスの中で炎がゆらゆら揺れていた。
(ガス燈なのか?)
人が居ない。歩道を歩いている人がいない。
いや、一人だけ歩いていた。
遠くほうの通りを、痩せた男が右から左へゆっくり歩いて……最後に建物の陰に入って視界から消えた。
通りの両側に並ぶ建物は、四、五階の高さのものが殆どだった。
どのビルディングにも窓が無い。一階の一部が出入り口になっている他には、只、のっぺりとした茶色や灰色の壁が有るだけだけだ。
ゆらゆら揺れる黄色いガス燈の光に照らされた薄暗い通りを、僕は四角い革張りのスーツケースを持って歩いた。
ガス燈の下を通り過ぎて、ガス燈とガス燈の間を歩き、またガス燈の下を通り過ぎる。
黄色い光が前方から弱く僕を照らし、それが少しずつ強くなって頭上を通過し、後ろへ去って徐々に弱くなり、次の光がまた僕の顔を前方から弱く照らした。
十字路に当たる度に、僕は気まぐれに右へ曲がったり左へ曲がったりした。
そうして夜の町を一時間も歩いた頃、ある十字路を曲がると遠くに人影が見えた。
駅の改札で見た『慢冥市独裁警察』の制服と同じ物を着て、犬を連れていた。
人影が徐々に近づいて来る。
一瞬、回れ右をして別の道を行こうかと思った。
やましい心など別に無いが、しかし犬は大嫌いだった。
嫌いというより怖い。
それが何故なのかは分からない。
もしかしたら過去に何かあったのかも知れないけれど、それは思い出せない。
とにかく僕は犬が怖い。
前方から、その犬が近づいて来る。
たぶんジャーマン・シェパードとかいう大型犬だ。
その首綱を握っている警察官は中年の男で、それなりに体力が有りそうだった。シェパードも良く飼い慣らされ訓練されているように見える。
それでも怖い。
足が竦んだ。
突然、犬が僕の方へ顔を突き出して大きな声で吠えた。何度も何度も吠えた。
僕は反射的に二歩、三歩後退って、そこで動けなくなった。
歯を剥き出した大きな犬の顔など見るのも嫌だったけれど、体が固まって目を逸らすことさえ出来なかった。
「待て、待て」犬の主人である中年の警官が、首綱を引っ張りながら犬を宥めた。「伏せ、伏せ」
犬は、主人の発令を聞くとピタリと吠えるのを止め、四つ足を折ってその場に伏せた。思った通り良く訓練されている。
「そこを動くな。両手を挙げろ」
警官は、今度は僕に向かって、やや威圧的な声で命令した。
命令しながら、犬の首縄を左手に持ち替え、右手を腰の皮袋に持っていって、中から拳銃を出し銃口を僕に向けた。
命令されるまでもなく、犬が怖くて動く気になれない。
「両手を挙げろと言っているのだ」
警官の語気が、さらに強まる。
それに合わせて銃口がクックッと左右に揺れた。
僕は慌ててスーツケースを地面に置いて、両手を頭の高さまで挙げた。
警官が自分の左手首に視線を落とす。「もう、あと三十分しかない。とにかく交番まで来てもらおう。左手そのまま、右手をゆっくり降ろして鞄を持て。それから後ろを向け。ゆっくり動くんだぞ」