表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

1.

 うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと -江戸川乱歩-


 * * *


 慢冥(まんめい)市には朝がありません。昼もありません。ずっと夜が続きます。

 だから一日という言葉がありません。

 慢冥(まんめい)市の空に昇る月は、気まぐれに満ちて、気まぐれに欠けます。

 だから一月(ひとつき)という言葉がありません。

 慢冥(まんめい)市には、四季がありません。

 寒くもなく、暑くもなく、ずっと(ぬる)い空気が漂っています。

 だから一年という言葉がありません。


 * * *


 ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……


 ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……


 気づいたら、慢冥市行きの列車に乗っていた。

 暗闇から浮かび上がる僕の意識へ一番に入ってきたのは、線路を走る車体の小さな揺れ。その次に、鉄の車輪が継ぎ目を越えるガタン、ゴトン、ガタン、ゴトンという音。

 三番目に知覚したのは、窓に映る自分の顔だ。

 (まぶた)を開けると窓の外は真っ暗闇で、ガラスが反射率の低い(かがみ)のようになっていた。

 そこに自分の顔があった。

 記憶に無い、まったく馴染(なじ)みの無い顔が。

(これが、僕の顔、なのか)

 その顔から想像するに、僕の年齢は二十代半ばくらいだろうか。

 細面(ほそおもて)のツルンとした滑らかな肌で、美青年といえば美青年と言えるような、いかにも(なに)不自由ふじゆうなく甘やかされて育ったような、お坊ちゃん育ちの顔だった。

 僕は……いったい何者なんだ?

「やあ、どうも」

 突然の声に、ドキリとして窓から車内へ視線を移した。

 古くさい向かい合わせ四人がけ席の窓側に、僕は座っていた。

 斜め向かいに、男が一人座っていた。

 灰色の背広を着た、ガッシリした体の、首の太い、イガグリ頭の男だった。

 イガグリ頭は、再び「やあ、どうも」と僕に挨拶をした。

 僕も仕方なしに「どうも」と返す。

 列車の中は丁度(ちょうど)良い温度だ。寒くも暑くもない。

 黄色い電灯が薄ぼんやりと板張りの壁と床を照らしていた。

「もうすぐ、ですかね?」イガグリ頭が言った。

 なんの事だか分からず黙って見返す僕に、イガグリは重ねて言った。

「もう、そろそろ、到着しますか」

 反射的に(どこへですか?)と()き返しそうになって、僕はグッと言葉を飲み込んだ。

 ……慢冥市……

 すべての記憶を喪失し、自分の顔さえ知らないこの僕が、何故(なぜ)か、列車の行き先だけは知っている。

 ……慢冥市……まんめい市……まんめい市……

 どんな場所かは知らない。ただ、慢冥(まんめい)という(まち)の名前だけが、ポツンと脳の中に書き込まれていた。

「はあ……たぶん」僕は曖昧に答えた。「いや……でも、どうでしょうか。良く分かりません」

「そうですか」とイガグリが言った。「まあ、しかし、()きに到着でしょう……もう長いこと走っているから……ああ、ちょっと失礼」

 彼は立ち上がって、網棚からスーツケースを下ろした。

 革を張って四隅を金具で補強した、コゲ茶色の鞄だ。

 彼はスーツケースの中から茶色の小さな紙袋を出して隣の席に置き、再びケースを網棚に上げた。

 それから席に座り、茶袋を手に持って開け、中から丸いパンを出してパクパク食べ始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ