結婚狂騒曲
少し鄙びた日本家屋。
普段は自分しかいないから閑散とした空気が当たり前だったが、今日は息子たちが挨拶に来ているからか、年甲斐もなく浮き足立っているのが自分でもわかってしまった。
「しかし、皆藤の首領ともあろう人が、一応わざわざこんな罪人のところに来なくてもよかったのだが」
べつに目の前の少女……すでに成人しているから女性と呼ぶべきか、彼女のことは嫌いではない。
しかし、向こうからしてみれば、自分は"面倒な親父"ではないのか。すでにいない彼女の両親と因縁がある。そんな彼女がわざわざ会いにくる理由がわからなかった。
「いえ、そういうわけにはいきません」
首をゆっくり振り、息をついた彼女はハンドバッグから一枚の紙を出して、広げる。
「私は皆藤の首領として、そして私の義父となるあなたに"お願い"があってきたんですから」
こちらをと言って差しだした紙を受けとり、読む。読みきった後、おもわずなぜだと口に出してしまった。
「だれもこんな横紙破りなんて認めるわけないだろう!?」
「いいえ、全員の総意ですよ」
彼女からの"お願い"というものは単純な話だが、普通ならありえない話だ。首領、首領直系の功罪は皆藤首領の一任では決定できない。五位会議の首領・次期首領の全会一致での決定になる。
そんなことは普通ならば考えられない。たとえ皆藤首領といえども、全会一致させるのはなかなか難しいもの。それは自分でも身をもって証明している。しかし、彼女はそれをクリアしたという。
ということは紫条の娘も、師節の倅も、榎木も、そして葵もそれに賛同したというのかと呆れてしまった。
「……理由を伺ってもいいか」
彼女がこんな横紙破りした理由については心当たりがあるし、全会一致で認められた理由にもすぐに思いいたれた。しかし、納得できるかどうかで言えば否だ。
頭を下げると、やめてくださいと言われてしまった。
「理由は単純です。もうあの件は時効ですし、私はそもそもそうなって当たり前の出来事だと思ってます。それに……親子でも簡単に会えないのは悲しいですから」
たしかにそうでなければ、今回も書面だけだっただろうから、彼女たちの配慮はありがたかった。
皆さん、柚太さんの復帰を願ってましたよ。
ポツリと呟く彼女も本気でそう思っているようだった。
「もちろんあなたがなんのためにあの事件を起こしたのか、わかってますけど、それでも、きっと、皆さんも会いたいんだと思います。それに葵さんはあなたの養子になることを望んでいます。この意味、わかっていただけますよね?」
自分があの事件を起こしたのは息子に覚悟を決めさせるためだった。
とはいえ、結局は息子も息子ではなくなり、甥に首領を渡した。
……話を戻せば、自分のことを無責任だと思われても仕方ないのに、しっかりと考えてくれている。
しかも甥はこんな自分の養子になろうとしている。その意味は大きい。大きすぎる。
すっと息を吐き、ありがとうともう一度頭を下げた。いえ、お気になさらずと首をゆっくり振る姿はまるであの兄妹のようだ。
「ところで、もしよければなんだが、これを着てくれないか」
「え?」
話がひと段落した後、彼女にたとう紙に包まれた着物を渡した。
さすがは彼女だ。
中身がなにかすぐに察し、丁寧に包みを剥がしていく。
「綺麗ですね」
「ああ、綺麗だろう」
「もしかして、あんず様の?」
「そうだ」
亡き妻が作ったはいいものの、着る機会がなかった着物たち。
一番合いそうなのはだれかを考えたとき、真っ先に浮かんだのは目の前の彼女だった。しかし、彼女はあまり浮かない顔をしている。どうしたものかと思ったら、丁寧に包みを元に戻していた。
「このままお返しいたします」
「どうして?」
「これはあんず様がご自身で着られるつもりで作られたものです。だから、他人である私が着るよりも、伍赤のどなたかが着られたほうがよいかと思ったのですが」
気にいらないというならば少しだけショックだったが、どうやらそうではないようで安心した。
「それならば、余計着てほしい」
「……どういうことですか?」
訝しげに尋ねる彼女にやんわりと笑う。
「いくら葵が私の養子になるかもしれないとはいえ、あくまでも私の息子はあいつだけだ。もう着る人がいなくなってしまったこれらの着物に、もう一度日の目を見る機会を与えてやってほしい」
自分の言ってることは無茶苦茶だとわかっている。それでもきっと彼女ならば理解してくれるだろう。そう願って視線を外さなかった。
しばらくして、それでも渋々ではあったが、ようやく頷いてくれた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます。もしよければですが、さっそく着させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ」
彼女の場合、着物を着ること自体は珍しくはないはずだ。けれどもすぐに着たいと言ったのは確実に今は席を外してる息子のためだろう。
部屋を案内して、一人、庭園に出る。
「気は済んだか」
「ええ」
海を臨めるそこで、立ってボンヤリとしている自分と瓜二つの息子。
三十分前にちょっとしたいざこざで飛び出して以来、ずっとここにいたようだった。
「でも、譲れませんよ」
「そうか……まあ、お前たちの事情もわかってはいるのに、無理言おうとした私が悪かった」
こんなことは今まではなかった。
昔は父親として、一方的な言い方しかしてこなかったと自分でもわかってる。だから、頭を下げようとすると、やめてくださいと言われてしまった。
「本当は俺だってできないかとか、考えたことがありますよ。でも、もしするのであれば、人数を減らさないといけない。そうすると、だれを招待すればいいのか決めるのは俺たちの責任になる」
「そうだな」
お前は考えすぎだ。
そう言いたかったのに、言葉が出ない。息子が躊躇う理由は間違っていないから。
「だから私から提案したんです。写真だけでも撮ろうって」
背後から聞こえたのは新緑色の着物を着た女性。
やはり着替えるのが早かったか。
肩にかかるくらいのふんわりとした髪型が似合わなかったが、それでも着られている感ではない。
息子も彼女に気づいたようで、目を丸くしている。
「だからそれでいいんです」
彼女はあくまで自分に言いきかせているようだが、遠回しな拒絶。
それでもそれでいい。
すでに彼らは彼らの人生を歩んでいる。
「似合ってる。あんず……母さんのか」
「うん、ありがと。柚太さんが私に着てくれって」
「そうか」
部屋に戻って、帰り支度をしながらそんな話をしている息子たち。
さりげなく、そしてちゃっかり髪型を似合うものに直してやるところはさすがは息子というところか。彼女のことならばなんでもわかっていやがる。
息子たちが訪れてきてからしばらく、また元の生活に戻った。
とはいえ、この平穏な生活もあと少しだろう。表舞台に引っ張りだされることはないが、彼女が言うようにしばらくすると甥が来るかもしれない。
もし彼の言葉が冗談ならばそれはそれで大歓迎だが、あいつはそんなことをいうタマじゃない。
そう思った十日後。
「こんな風に飲める日が来るなんて」
「まったくですよ」
本当に甥が来た。
それも彼だけではなく、こないだ来た彼女の従兄も来やがった。
……悪いやつではない。
息子の背中を自分の代わりに押したやつだから、感謝しかない。
もちろん、結果論なのだろうが。
違う結果になっていたら、どうしていたかわからない。考えたくない。
しかし、あいつは一松の首領だ。そんなやつがなんで伍赤首領と、そしてノリノリで酒盛りの準備をちゃっかりして、ここに現れたのか。
「総花がいたら、もっとよかったのかもな」
彼女に瓜二つの従兄はぐい呑みであおるように酒を飲むとそうボヤくが、甥はすぐにないでしょうと否定する。
「そうだな。あいつはなにがあっても来ない」
「ええ、そうですよ」
この二人が遠い目をして頷きあってるなんて見たことがなかった。いったいなにがあったのか聞きたくなったが、怖くて聞けない。
「しかし、まさか本当にこんな形に収まるなんてな」
「なんだかあの二人が幸せすぎていて見てられないよ」
「ま、そうだろうな。どれだけあいつらは前世での徳を積んだのかと思うくらい幸せそうでなによりだよ」
まったくだ。
二人の会話に口を挟めなかったが、心の中で同意しておいた。
あいつらの幸せっぷりは見ているこちらが気まずくなるぐらいだ。足りないものを互いに補いあうというべきか、暴走しそうな彼女を息子が止め、考えすぎるあいつを彼女がその渦から引っ張りだしている。
その関係性が羨ましかったが、それはないものねだりだろう。
「しっかし、一緒に住みはじめてからまだ半年も経ってないのは結構意外かな。あいつらのことだから、さっさと子どもを作りそうな気もしたけど、その気配はなさそうですね」
「むしろあいつのことだし、入籍までは一線を超えないに一票」
だいぶ酒が進んだ後、ポツリと呟いた甥の言葉に激しく同意したもう一人の理解者。
あり得ないとすぐさま否定できない自分が情けない。というか、真面目な話、二人に同意しかできない。言葉にすると、二人ともギョッとした目で見てきたが無視して酒を口に含んだ。
「けどなぁ」
「あぁ」
しばらくの間、奇妙な沈黙が落ちていたが、甥がポツリと漏らした言葉に、なにも具体的に言ってないにもかかわらず、理解者は同意する。しかし、それ以上やりとりは続かない。
それっきりだれもなにも喋らない時間がただ経過するだけだった。
バラバラで解散した男三人の飲み会から三日後。
草簑の湖畔に来ていた。
まさかこんなタイミングになるとは思わなかったが、"弟子"に呼びだされてしまったからには仕方ない。そこへ行く前に立ち寄ることにした。
いつかは来たいと思っていた場所だったから、おそらくこれは運命というやつだろう。
墓とはいえないくらいの小さな二つの塚にそれぞれ取ってきたばかりの山吹の花の蕾がついた小枝をそれぞれ供え、手を合わせる。あいつらがあんなことさえしなければとは当時はずっと思っていたが、今はあんなことをしてくれてよかったとさえ思ってる。
もちろん常識的にはやったこと自体はありえないと今でも思ってる。けれども、息子たちのおかげで、丸くなっていると自分では思っていたい。
息子が三歳のときにあいつから手紙をもらったのは意外だったが、それでも拒否しなかったのは、きっと自分も和解の道を探っていたからだと思いたい。
「謹慎が解けて早々にノコノコ来るとは思わなかったぞ」
「うっさい」
自分の世代の"生き残り"はもう少ない。というか、二人だけだ。
あいつは妻と一緒に殺され、彼女の兄は呪いによって殺された。残るは息子にいろいろ押しつけた自分と、気まま旅がよく似合うこの情報屋だけだ。
変幻する情報屋は同じ世代で、一応高校まで一緒だったのだが、本人曰くまとめて欲しくないらしい。
なにはともあれ、こいつが生きていることに安堵した。
「もう山吹と細雪が死んでから八年、流氷が死んでから一年になるのか」
「そうだな」
五人が一緒にいた時間は長いようで短い。
この先も自分が生き続ける限りは一緒ではない時間が長くなっていく。
「なあ、柚太」
「なんだ」
情報屋が一枚の紙を差しだしてきた。受けとって確認すると、多分高校時代、学校の敷地内で写された五人の写真だった。
「すれ違いが発生したのは事実だ。でも、それを上回る思い出もある。そう思わないか」
「……当たり前だろう」
自分たちは小さいときから学友として遊ばされた。暑い日も寒い日も"そのとき"までは楽しい思い出しかない。
「俺たちも歩きだすべきなんだろうな」
「ああ」
三人のことを忘れないためにも、写真を大切にカバンにしまった。
情報屋と別れたあと、そのまま呼び出したやつの元に向かった。
「柚太さん、お久しぶりです。対局相手がいなくてつまりませんでしたよ」
自分の姿を見た張本人、ひねくれたナルシシストが犬のようにはしゃいでいる。
もういい歳なのに、そのはしゃぎようはと思ったが、まあこいつも息子のために奔走してくれたからなにも言えなかった。
パチパチと無言で将棋駒を進めていく。
二十年前はこうやってよく対局していたが、自分が寄りつかなくなってからは息子と対局していたらしいのだが、どうやらそれでは一方的に負けることが多くなり、つまらないらしい。
「うーん、参りました」
まるで少年のように目の前の男はちぇーっと拗ねている。
二戦、三戦と試合を申し込まれたが、結果は変わらず自分が勝ってしまった。
「柚太さんの腕が落ちていなくてよかったです」
合計八戦したあと、縁側に寝そべりながらホッとしたように言うナルシシスト。自分はどちらかというと、それは"地"のものではないかと思っていたが、指摘はしなかった。
「世の中、全部変わっちゃいましたね」
それでもこいつはマイペースなところも変わらない。
目を細めてそれに同意すると、そういえばと封筒を差しだしてくる。受けとってはならないと脳が警告していたが、期待する眼差しで見られては仕方なかった。
「お前らのじゃないのか」
「はい」
中身を読んでみると、あるイベントへの招待状だったが、つい最近、やらないと聞いたばかりのものだった。どういうことだと訝し気に見ると、目だけは笑ってない笑みを浮かべていた。
すごくヤな予感しかない。
「だって、全員が望んでいるんですよ? それなのに本人たちだけでやらないって決めて、ふざけるなぁですよ」
大正解だった。
息子たちがやらないと決めたことは、どうやら波乱を巻き起こしていたらしい。
「一応聞くが、二人は」
「当然、知るわけないじゃないですか。写真だけ撮るって言っていたので、会場のスタッフを抱きこんでやるんですよ。ちなみに主犯は榎木と葵と茜さん。共犯者は茅さんに夕顔、小萩さん、野苺、娑原、笹木野さん、紫陽、桐花さん、そして俺です」
抜 け 目 な い メ ン ツ だ な。
こいつだけが計画したわけではないだろうとは感じていたが、まさか関係者全員とはな。もっともトップは実行される側だが、今の五位会議のメンツに恐ろしさを感じてしまった。
「ということで、柚太さんもぜひどうぞ」
このときばかりは息子たちに同情してしまった。こんなお祭り騒ぎが好きな人たちには勝てるわけがないじゃないか。
わかったよと呆れ混じりに答えて、屋敷から帰った。
それから十日後の有名なホテルチャペル。途中参加の自分含め、今回の計画者全員が揃っていた。
「二人だけで写真なんて、十年早いわよ」
「まったくだ。最後まで手間かけさせる奴らだな」
「彼らのの美徳でもあるんですがね」
「だからといって、それさえも内緒でしようとしていたのは罪が重い」
「ここに来たときの彼らの顔が見ものだね」
集まってる皆が次々に悪口を言うが、そこに悪意はない。全員、笑顔だった。式場のスタッフがきて、二人がもう来るらしいと伝えにきた。全員が所定の位置に立つ。
扉が開けられたほんの瞬間、外の光が眩しかったが、徐々に慣れてきてはっきりと二人の姿を捉えると、どうやらサプライズは成功したようだった。中にいる人たちを見て、二人とも目を丸くして動けずにいたから。
「さ、主役二人に盛大な拍手を!」
ちゃっかり進行役としてマイクを取っていた世話焼きな叔母が音頭を取ると、チャペルに厳かな音楽が響きはじめる。
後には引けないと気づいた二人は顔を見合わせると頷き、ゆっくりとこちらに向かって歩きだした。
神父はなぜか弟が務めていて、わざとなのかところどころつっかえていたが、それでも雰囲気があまく固くなりすぎなくてよかった。
最後は二人の本命だった写真撮影で、そこで主犯者たちの冷やかしが入り、少し恥ずかしそうになりながらも、観客たちの期待に応えてくれた。
六年後、夏。
「おじい様、この写真の男の人はだれなの?」
いつの間にか書斎に入っていた孫娘が写真を持ってきた。
もしなにも知らないのならば本当のことを喋ってしまいそうだったが、ちゃんと事情を理解しているから、それに合わせた説明を彼女にした。
「ふぅん。いつもお母さん、寂しくなさそうにしてるけど、本当は寂しいのかな?」
「どうだろうな」
多分、それが素だぞ……というか、周囲を巻きこんで騙すのならば、演技もしっかりしろよとここにはいない彼女の母親にツッコんでしまったが、まあ、無理だろう。
彼女には無理だ。
それぐらい、二人は切り離せないのだから。
「さ、この同じ薔薇の冠を作りにいこうか」
「うん!」
孫娘の手を取って、庭に出る。
ちょうど雨上がりで、庭に植えられた植物たちの葉についた水滴がきれいに輝いていた。




