花冠を捧げる君に託す思い
あれはもう遠い昔の話だな――――
『山吹さん、そういえば伍赤宗家に赤子ができたそうね』
『ああ、そうらしいな』
自分も昨日知ったばかりの情報を彼女、細雪も知っていたようだ。相変わらず兄と仲がいいようで、とっておきの情報を送ってきたようだった。
『予定通りならばこの子と同じ学年になる子。どのような子になるのかしら?』
娘を抱きながら淡々と話す妻の考えが読めない。
『どうだろうな……しかし、もしお前が伍赤に行ってたら、どうなってたんだろうな』
『さぁ? でも、そうね。あちらはこちらと違って血縁主義。生まれた子は間違いなく伍赤家の当主だったでしょうね』
『そうかもしれんな……そうすれば、お前の望みもアイツの望みもかなっただろうに』
本来ならば向こうに嫁ぐ予定だった彼女を奪ったのは自分。今更ながら申し訳ないことをしたと頭を下げるが、今更よと笑われてしまった。
『ここに私がいるからこそあなたは一松の首領になれた。そう思わない?』
そういう妻の目は笑っていない。そこにあるのはただの野心だけ。彼女は昔からそうだった。でも、そんな彼女を承知の上で奪ったんだから、彼女を否定することはできない。
そんな会話から三年後。
皆藤家での新年会、自分にとって地獄の三日間が終わった。
首領だから義務だから出席しなければならないが、アイツと顔を合わせるのはやはり気が引ける。十年間以上、あのときのことを謝ろうと思ってはいたものの、どう謝ればいいのかがわからなかった――いや、わかってはいるが、タイミングを逃したというか……ただの言い訳だな。
だから、というわけではなかったが、せいぜいアイツが悪役として動けるように自分はその引き立て役となるだけだった。
今のアイツは決して英雄ではない。あのときを境に英雄たる資格はなくなった。
そもそものきっかけは自分が作ったわけだが、アイツは五位会議――それも皆藤、一松に次ぐ第三位として自らの家をねじ込ませた。
順当な方法ならば、流氷や自分と同じ学年の誼でだれにも反対されずに師節と交代で五位会議に上がれたものの、無茶しやがったせいでこの八年間、アイツはほかの連中――とくに紫条からは白い目を向けられ続けている。
自分がそれを聞いたときは最初はアイツらしいなと思ったが、それでもやりすぎている。
そのうち誰かに命を狙われてもおかしくない。それぐらい無鉄砲なことだった。
今年も紫条のおっさんにめちゃくちゃ突っかかられていて、師節の兄貴がとりなしてくれなければ、多分アイツはブチギれていただろうな……――たしかに自分でもキれそうだったからあのおっさんも言いすぎているとは思うが。
とはいえ、自分がアイツを助けるわけにはいかない――――正確に言えば、自分が助けたところでアイツは嬉しくもないだろうし、むしろ火に油を注ぐ結果になっただけだろう。流氷も同じ考えに至ってたからか、アイツに助け船を出すことはしていなかった。
しんどい。
自分のせいだとわかっていてもしんどい。
まあ、もしかしたらアイツが五位会議にねじ込んできた理由も自分が精神的に苦しむ姿と見たいためじゃないのかと思うけれど、真相はよくわからん。
わかりたくもない。
会議の間、預けておいた娘を引き取るために控室に向かうと、どうやら遊んでもらっているようではしゃぐ声が聞こえる――いや、実際には娘の声しか聞こえないから、娘が一人で遊んでいるようだった。
五位会議に出席しているのは皆藤、一松、伍赤、紫条、師節の五家。
その中で幼い子供がいる家といえば、一松か伍赤か紫条か――だが、アイツは去年連れてきてなくて、紫条のおっさんは連れてきてたから、そちらのお嬢さんに遊んでもらっているのだろう。彼女はたしかかなりおてんばなお嬢さんだった記憶がある。
軽くノックをして扉を開けると、そこにいたのは娘と一人の“少年”。
彼とは初めて会ったはずなのに見覚えがあった――理由は単純。その姿は小さいときのアイツそのものだったからな。
その判断を間違えるはずがない。
ずっと本を読んでいる彼につきまとっているが、気にする様子もない。おそらく自分が入ってきたことも気づいていないだろう。
声を掛けるのをためらっている自分と気づかない少年。
根比べのような気もしたが、意味のない勝負をし続ける必要もない。しょうがないから娘だけに声を掛けた。
「櫻、帰るぞ」
父親の声にはぁいと嬉しそうな声を出して駆け寄ってきた娘。少年も突然の乱入者である自分を一瞬見たが、すぐに本のほうに視線を戻した。仕草まで本当にアイツの息子だな。
娘をいい子で待ってたみたいだなと頭をなでて抱きかかえるが、どこか不満そうな顔をされた。どうしたものかと思ったら、おろしてと言われてしまう。自分で歩きたいのかと思ったのだが、そうではなかったらしく少年のもとへと戻っていった。
「ねぇねぇ。お兄ちゃんの名前はなんていうの?」
娘はよほど少年のことが気に入っていたのか、自分に声を掛けるときと同じように目を輝かせて問いかけている。それに対して彼は本に夢中になっていたが、娘の問いかけに決して嫌な顔を見せない。
しかし、娘よ。
お前はお兄ちゃんって言うが、お前よりも後に生まれているし、そもそもお前と同い年だ。そうツッコミたかったが、まあいいか。おてんばで小柄な娘にとって、大人びた彼は十分“お兄ちゃん”なのか。
「総花。伍赤総花だよ」
ほぼ確信をもっていたものの、少年の回答にやっぱりかと天を仰いだ。総花少年は自分のほうを見ずに、ただ娘だけをしっかり見ている。
「ふぅん。いい名前だねっ。今度一緒に遊ぼう」
娘の無邪気な言葉にどっと疲れを覚えてしまった。もちろん自分は彼が娘の友人になるのを歓迎するだろう――というよりも、娘と同い年の彼が友人になるのは避けられないだろうが、はたしてアイツはそれを認めてくれるのだろうか?
しかし、そもそも細雪の血は争えないようだな。一度は彼女が惹かれたアイツの息子に娘も惹かれるなんて、な。
母親譲りの瞳を持つ娘――――多きっとこれはそうだろう。
敗北感よりも、自分には持っていないなにかを持っているアイツのことが羨ましかった。
できることならば……――
そのときの自分はどうにかしていたのだろう。目を輝かせる娘の夢をつぶすわけにはいかないと思ってしまった。
もちろん細雪の野望も知らないわけではないし、今までのアレコレを考えれば束の間の夢にしかならないだろうけれど、それでも願わくば……――と思ってしまった。願ってしまった。
戻ってきた娘の手を引き部屋を出ると廊下で物音がしたが、だれもいない。でも、だれかいる。その正体を推測し、ため息を吐きつつもあえて音を立てて反対方向に進んでいった。
後ろから刺すような視線を感じつつも、相手がなにも言わない。いつもそんな感じだ。でも、不思議とそれが悪くないと思っている自分がいた。
娘とともに夢野に戻ったのだが、なぜか少年のことが忘れられなかった。きっとアイツの息子という以上に、なにかを持っているのだろう。
「へぇ、この子がそんなにも気に入っていたの」
「そうだ。彼を櫻の遊び相手として申し入れたいのだが、いいか?」
妻にそう話すと、結構ですわよ、好きになさってと二つ返事で了承してくれたので、すぐに皆藤と伍赤両家に手紙で申し入れを行った。
友人として連れていくのに正式な手続きはないが、人質として彼と連れていくのではないということ、五位会議や武芸百家内でよからぬたくらみをしているわけではないということを示すための暗黙の了解のようなものだった。
別に手紙ではなくても――むしろ手紙ではなく電話のほうが素早く回答を得るためにはよかったが、なにせ相手が相手だ。
後ろめたさがこちらにはあるわけで、まともにアイツの声を聴けなかったのと、断られたらどうしようと臆してしまったから、どうしても電話することができなかった。
送ってから三週間、一切音沙汰がなかったから、きっと自分からの手紙なんて破り捨てられたのだろうと思ったのだが、二月の中旬ごろ、アイツから薄っぺらい封筒から届いた。きっと断り文句が書かれているんだろうなと思いながら封を開けたのだが、無駄に大きい便せん一枚に書かれていたのは承諾を意味する言葉だった。
《構わない》
その四文字しか書かれてない紙を何度読み直したことか。
決して自分のことを許してはないだろうが、それでも子供同士の交流は妨げようとしない。どういう意図があるのかわからなかったけれど、その配慮に感謝するしかなかった。
『驚いたな』
その晩にかかってきた電話で流氷も同じことを呟いていた。それだけアイツの反応が意外なものだったということだ。
『まあ、柚太が良いと言うならばこちらも反対することはない。現に私や柚太、お前、笹木野、細雪が仲良かったように、子供たちの交流は良いものだ』
そうか。
そうだったな。
その言葉に思わず目を瞑ってしまう。もう二度と戻らない過去。二度と戻らない親友。二度と戻らない……――
流氷のお墨付きを得た三週間後、情報屋に連れられて例の少年、伍赤総花が夢野に来た。
やはりアイツと同じように人を寄せつけない冷たさがあるにもかかわらず、なぜか惹かれるものを持っている。自分でさえそうなんだから、娘がまとわりつくのも致し方ないことだろう。
わざわざ出迎えに来た娘は、さっそく彼にまとわりついている。
「あら、素敵な子ね」
まるでそうね……あの方を見ているみたい。
一緒に出迎えに来た細雪は、一切表情を変えることなくそうつぶやく。彼女がどんな心境なのかわからないが、その言葉はどこか羨ましそうなものだった。
「ああ。彼が変えてくれるといいのだが」
「ふふっ。きっと……――いいえ、絶対に彼はなにかを起こすわ。でも、そうね……それが吉と出るか凶と出るかはあの子次第じゃないかしら?」
そのときの妻はどこか遠くを見ていた。そこに自分たちはいないような口ぶりだった。
……――――ああ、目が覚めると体中が痛むな。
この痛みによって体からすべてが消えていくのがわかる。この痛みももうじき、なくなるんだろうな……――――
自分たちの死によって妻の野望は潰えるだろうな。
娘……――櫻を条件なしに一松の首領につけるという実力主義の掟を破るという野望。
そして、またあいつらは血で血を洗う戦いをするんだろうな……――――それが、当たり前のように。その勝者が新たな首領になる――……いったいだれが自分の後の首領になるのだろう……――
……――――それはそうと、いまさら今までのことを思いだしたところで、どうにもならないことを知っているじゃないか。なのに。それなのに、なんで今、このタイミングで自分は思いだしたんだ?
なにかの暗示なのだろうか。
そんなことは……ないはずだ。
それはそうと
アイツは自分の死を聞いてどう思うだろうか。
いや、なにも思わないだろう。むしろ自業自得だとあざ笑うだけだろうな。きっと流氷も妹の死は悼んでも、自分のことは気にすることはないだろう。
せめて、そうだな。アイツの……――いや伍赤柚太の息子は娘の手を離さないでくれるだろうか?
できることならば、キミには娘の手を離してほしくない
馬鹿な父親の願いだがどうか頼む、伍赤総花君。




