道を違えるとき
その晩、俺らは夜通し話した。
今の自分の居場所や楽しんでいること、そして七年前の思いを。
翌日、別邸には戻らずそのまま皆藤家へ向かった。
「預かりものを帰させていただきます」
櫻を外した状態で流氷さんにそう言うと、俺の言葉の意味がわかったのか、渋い顔をされた。解せぬ。
「……気づいたのか」
「ええ、アイツのうっかりミスによって気づきました」
櫻がカラコンを外した状態で戦っていなければ、気づくことはなかった。うっかりなのか、わざとなのかわからなかったけれど、それでいい。
「そうか」
流氷さんが諦めたように言う。それでもこの三日間は良かったと思える。
はい。
俺はそう笑顔で言いきった……――
「それでいいのか」
のだが、まだどうやら続きがあるらしい。
「ええ、構いません。それがあるべき道なので」
それでも俺は言いきれる。
もう戻れない道に立っているのだと。
もっともそれは建前だとしても。
今は、流氷さんが生きているうちはそれを実行するつもりはない。
「難儀だな、お前たちは」
「あなたがそうしたのでしょう」
どの口が言うんですかと呆れてしまった。
もともとはあんたたちの世代のせいでこっちにしわ寄せがきているのに。
「そうやもしれない」
だけれど、流氷さんは飄々としている。
まあ、その方が流氷さんらしいと言えば流氷さんらしいのだけれど。
「お前の父親と同じ道をたどるという手立てもあったのに」
「そうですね。それも一つの手ではありましたが、そうすれば遠くない未来、かならず内部で反乱が起こる。それを避けるためには、同じ道をたどるという手段は使えません」
そう。
もし親父たちと同じ道、もしくは櫻と同じ道をたどった場合、かならずどこかでまたしわ寄せがいく。
それも今回以上の大規模になるだろう。
武芸百家の存続が危ぶまれるぐらいの規模で。
だからこそ、これ以上は同じことを繰り返してはならない。
それが俺の答えだった。
「ぬかせ」
吐きすてるように言われるが、そもそもあなたたちの世代のせいですからね。
「あなたに言われたくありません」
俺の言葉にバツが悪そうな顔をする流氷さん。
まあ、よい。
しばらく無言の状態が続いた後、ぼそっと呟くように流氷さんが語りかけてきた。
「お前たちが納得して選んだ道ならばそれでいい」
その言葉に俺は頷く。後悔はないし、最後の方法はまだ残している。
「だが、経験者から言わせてもらうと、それはいばらの道だぞ」
経験者?
なるほど、そうだったな。亡くなった奥さんともそうだし、茜さんともこじれまくってたからな。
「……わかってますよ」
俺は絞りだすように言う。
でも、どうすればいいのだろうか。理想を語るのと実際に過ごすのは異なる。だから、可能性ならばあるさ。
「これを持っていけ」
いつもの狭間で悩んでいると、流氷さんは薄い封筒を渡してきた。
なんだろうか。
そう思って中身を見ると、遊園地のチケットが入っていた。たしかその遊園地って……――しかも、それには日付が入っている。ゴールデンウィーク最終日、しあさってのものだ。
「強情なお前にぴったりのものだ」
そう言う流氷さんの目はいつか見たものだった。
「そこに行け、絶対にな」
その言葉は俺に重くのしかかった。
「帰れ」
いつものような一言だったけれど、いつもとはなにか違っていたような気がした。
「……櫻」
チケットに記されていた当日、何時とは指定されていなかったので、開園とほぼ同時に着くと、ゲートの前に櫻がいた。
あのときとは違って動きやすい服で。
「驚いてないな」
俺とは違って、アイツは俺が登場したところでまったく驚いていなかった。
「知ってましたから」
「そうか」
なんだ。
でも、そういうことか。
残り短い時間なんだから、俺も楽しんでおくか。
「行こうか」
俺はそう言って手を差しだす。
はい。
櫻もこないだと同じように迷いもなく手を握りしめてきた。
温かいこのぬくもりを俺は……手放すしかない、のか……いや。
手放さないためにもそうするしかないのか……
言葉にしない、密かな決意をしたことに櫻は気づいていないようで、無邪気にはしゃいでいる姿はあのときと変わっていなかったのだが……――
「あのときとなにもかも違って見える」
「はい。でも……あのときよりも、ずっとずっと苦しくない、です」
「そうか」
でも、景色の見え方は違う。
あのときはただ、手放さなければならないと思っていたけれど、今は手放したくない、手放さない方法を考えついている。
だから、俺も苦しくない。
「一つお願いがあります」
前と同じようなアトラクションに並んで、乗っているうちに櫻が切りだしてきた。
「なんだ」
どこかのアトラクションに行きたいのかと思ったけれど、違ったようで、日陰のベンチに連れこまれた。
「せめて今日一日くらいは昔に戻ってもいいですか?」
その『願い』に俺はどういうことだと聞き返したくなった。お前、さっき苦しかったって言ってたじゃないか。
「……お前な」
それなのに――――
「いいに決まっているだろ。俺も喋りにくいったらありゃしない」
コイツの言いたいことはわかりやすすぎた。
俺も一松櫻の敬語なんて聞きたくない。
一日くらいはなんて言わず、俺と二人きりのときはずっと……――
「ありがとう」
一気に肩の力が抜けたのにお互い気づいて、笑いあう。
それからもずっといろいろなアトラクションに乗った。
そして、最後にあのときのリベンジとして観覧車に今回は乗れた。
「綺麗だな」
ここは霊幽山ほどではないけれど、国内最大級と銘打たれているだけあって、頂点から見る景色は綺麗だ。
「ううん」
でも、櫻はお気に召さないらしい。
「そうか?」
「霊幽山で見たものの方が綺麗だった」
そういうことか。
まあ俺も同じ感想を抱いているんだから、それに反論はない。思わず苦笑してしまったが、櫻は真剣なようで、ずっと窓の外を見ている。
「いつか、もう一度あそこから見たい」
「おまっ……」
その先は言ってはいけない。
たとえ二人きりの場所だろうが、それはダメな話だ。
「お前は皆藤の首領になる。そして、次期首領を決めない限りは、今度は逃げることはできない」
流氷さんが引退しようとしているのは一松櫻がいるから。
けどもお前が引退できるのは、お前が結婚して、そして子供を産んでから……――だろ?
「わかってるよ。でも、希望は持っていたい」
「そうか」
希望だけならば、それでもいいか。
最大級の観覧車といえども、終わりは来る。
外に出ると、ちょうど閉園時間を知らせる音が鳴っていた。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
観覧車から降りてから車に乗るまでの間、俺は櫻の手を離すことはしなかった。




