タガイの道
俺はところどころに雪が残るヘアピンカーブの道を焦らずに進んでいく。本邸に着くまでの間、互いに無言で車内には沈黙が落ちていた。
本邸についたときにはすでに日が暮れて、ちょうどいい時間だった。
「すまないが、星見の塔にいく」
「わかりました」
突然の訪問だったにもかかわらず、椿さんから連絡がきていたのだろう。いつものおばさまが出迎えに来てくれていた。
俺が行き先を告げてもまったく驚くことはなく、では後ほど夕餉をお持ちしますねとだけ言われた。
「――なんで私だとわかったんですか?」
本邸の離れ、通称『星見の塔』に入り、ささっと用意してくれた夕ご飯を持って目的の部屋に入る。
夕ご飯を並べ終え、二人とも無言で食べる。
お茶まで飲んだ後に櫻がそう切りだしたので、どの時点を言うべきか少し迷ったが、あえて櫻だと推測できたとき事件を言った。
「お前が襲撃犯を片づけたからだ」
「でもっ――!」
俺の言葉に嘘でしょと言いたそうな櫻。
でもな、あの賊たちの言葉はお前を連想させるものだったんだよ。
「襲撃犯は蒼い目の女って言っていた。伍赤家の中に蒼い目の女はいない。それに、蒼い目の女って言われて俺が思いつくのはお前だけなんだ」
「それで……」
たった一言だけ。
それでも十分すぎるものだ。
「ああ。そこでお前が『金雀枝雀』なんじゃないって思った」
多分寝る直前だったからコンタクトレンズを外していたんだよなと尋ねると、ゆっくりと頷いた。やっぱりそうだったのか。
「でも、確信したのはそのあとだ」
「まさか」
今日の昼間の俺の行動を思いだしたんだろう。
「そうだ、お前の左腕だ。まだあのときの傷、俺がつけた傷跡が残っているだろう」
「……もう気にしなくていい、んですが」
一瞬、『気にしなくていい』と言ったが、そのあとに『ですが』とつけ加えた。俺にとって『一松櫻』はいつまでも変わらない『一松櫻』だが、櫻にとっては違うのだろう。だけれど、俺の考えを強制したくはないから、それを指摘することはなかった。
「そういうわけにはいくか、馬鹿」
けれど、俺は扱いを変えるつもりもない……――ないが、変えなければならないんだろう、な。櫻を強く抱きしめる。
「なんでこうしてまで会いにきたんだ」
「ダメだったの?」
強い口調の俺に体を震わせる櫻。
「ダメじゃない」
決まっているだろう。
だから、こうやってお前の正体を暴いた。
「でも、わざわざこうしなくたって、皆藤家で会えただろ?」
「だって総花さん、逃げていたじゃない」
総花『さん』か。
距離が遠いな。でも、仕方がないか。
「逃げてい……――そうか、そうだな。逃げていたな」
そうだな。
俺は櫻を壊したと思って逃げていたのか。
「でも、俺はお前に会ってもいいのかわからなかったからな」
「どういうこと?」
「だって、お前を物理的にも精神的にも傷つけた」
「気にしてないのに」
櫻は小さく首を傾げている。
本当に、意味がわからないというように。
「総花、さんに会えなかった方がすっごく嫌だった」
だからといって、俺を見上げる櫻。その蒼い瞳には涙が浮かんでいる。
「もうきちんと私のことを見てくれないのかなって、賭けをしていた」
彼女は震えている。しっかりと支えていなくては。
また俺が逃げそうだから。
「賭け?」
「はい、流氷さんと。ここで三日間、『私』じゃない『私』と接したら、総花さんは気づいてくれるのかって」
「そうか」
また悪趣味な。
親子二代にわたってそんなことを仕掛けてくる人は、あの人以外にいないだろうな。
「もし気づかなければそれまでだって言われた」
「! そうだった、のか」
よかった。
今度は櫻が俺の前からいなくなるところだったんだ。
「でも、私は気づいてくれると信じていた」
「……ありがとう」
櫻自身は否定しても、俺は櫻を傷つけたと思っている。だから、そう言ってくれるのは嬉しい。
「ところで、なんでこのタイミングだったんだ?」
まあ彼女がここに来た理由の大筋はあっていたが、彼女がここに来たタイミングは理解できなかった。
「流氷さんがそろそろ引退するんだって」
「え……――じゃあ」
流氷さんが引退するのか。ほかの首領は制約があるが、皆藤家は年齢制限も事由制限もない。
だから、このタイミングでの引退は健康上の理由か、それとも……――
「うん。だから私が継ぐことになりそうなんです」
「そうか」
やっぱりか。
そうすると今まで以上に自由がなくなる。
一松の首領だったときよりもさらに。
「運命ってわからないな」
「まったく、ですね」
皆藤家首領を継がせないために一松首領になるべく育てられ、親の死をきっかけに一松の首領になりたくないにもかかわらず首領とさせられた。首領としての自覚が出てきたころに首領を捨てるために戦った。そして、今、だれも継ぐ人がいない皆藤家首領を継ごうとしている。
俺があのとき、嵌められて首領を継いだときよりも過酷な運命。
だれが予想できたのだろうか。
「そういえば、ここって伍赤家以外の立ち入りはダメなんですよね」
「ああ、本当はな」
まあ別に処罰されるわけじゃいが、一応そうしているだけだ。
でも、それを言うことはない。
「お前に見せたかった」
「?」
ちょこんと首を傾げる。
櫻を抱きしめていた手を離し、大きな窓を開ける。標高が高いので五月頭といえども、寒い。
「ここからの景色をね」
でも、景色はいいんだ。
そしてこの景色はほかの季節じゃあまり見られない。春と冬限定の光景。
「ここは標高千五百メートル、雲や霧が出ないのは珍しいんだ」
おいでと櫻を手招きする。
「えっ」
「綺麗だろ」
少し薄着の彼女に上着を羽織らせる。
そこから見える景色はまるで星のようだ。
「あそこの大きな光が薄駅で、そのもうちょい下、赤レンガの建物がさっきまでいたところ、伍赤別邸だ」
俺は指さしながらそう説明していく。
「綺麗」
「ここを見せたかった。どんな手を使ってでも」
処罰はされないが、それでもあまりよろしくない行為だ。だから、最後に見せたかったのだ。だって……――
「多分、これから俺はお前のそばにいることはできない」
お前は俺の届かないところに行くんだから。
「だ、ですよね……」
そう告げるとしょんぼりとする櫻。でも、それは元から決まっていたことじゃないか。これはあくまでも予定調和だろ?
「俺は勝手に自分の道を歩ませてもらう。だからっ……――お前も、自分の道を歩け」
一つだけ俺とお前、一緒に生きる道があるが、ここでは言わない。それを言えば、お前はきっと……――
「明日の朝、皆藤家に送る。それでお前は自由だ」
だから、今はこれが最善の方法なんだ。
すまない。
でも、朝までなら時間がある。
「そういえば一つだけ聞いていいか?」
「なんでしょう」
櫻から逃げていたから、謎が解けなかったこと。
「今、お前はどうしてるんだ? 高校もずっと来ていなかったのに、卒業したみたいだが……」
俺の疑問はほかの人、同級生からも言われたんだろう。少しだけ微笑んで迷わず答える。
「ああ。私、理事長室で授業受けていたんです」
なるほど、そういうことだったのか。だから、きちんと卒業もできたのか。
「で、今は立睿大学に」
え?
今、俺が通っている大学じゃないか。
「どこの、学部なんだ……」
「……――――法学部にいます」
その学部は……一般入試しかない学部。それも、必死になって勉強しないと受からないような。
「必死に勉強したんだな」
いつも赤点ぎりぎりだった一松櫻が、すごいじゃないか。
そう頭を撫でると、ありがとうと櫻は笑う。
俺も頑張らないとな。




