亀裂
あれから二週間。六月に入り、じめじめとしていたのだが、俺の心はそれ以上に重かった。
というのもあの《花勝負》から一週間後、葵さんに銘刀を渡した後、俺は学校に戻ったのだが……――櫻が学校を無断で休んでいたのだ。メールしても一向に返信が返ってこなく、なにかあったのだろうかと思っていたが、理事長からも情報は得られなかった。
もっとも俺は彼女の気がそちらに向くように左腕を傷つけたが、深くなかったはず。命にかかわることはない、はずだ。
しかし、期末考査まで一週間を切ったある日突然、俺は理事長に呼びだされた。
理事長室に向かうと、今までにないぐらい真剣な顔で悩んでいる理事長と茜さん、薔さんの三人が揃っていた。この部屋で三人とも揃うのはめったにないことで、親父の一件でさえ揃っていない。だから、この状況というのは本当になにかがあったとしか考えられなかった。
「単刀直入に言う。一松櫻が休学届を出した」
理事長の言葉にありえないとは返せなかった。十分にありうる話だったからか、冷静に受けとめれたと言える。
「櫻が休学、ですか」
もっとも頭の中ではそうわかっていても、心は追いついていなかったようだ。少し動揺してしまったが、それを指摘されることはなかった。
「ああ、そうだ」
「それはまた――――なんでこんな時期に」
だが、俺にも不可解だった。
なんでこんな時期に。
茜さん経由で渡した手紙には『転々としている』という書き方しかしていない。だとすれば、アイツが休んでいるのは別の理由か。
「私にもわからない」
「はぁ」
「だが、一松の本邸にもいないことは確認済みだ」
流氷さんにもわからないことはあるらしい。けれど、そのあと横から発せられた薔さんの一言は俺を驚かせるのには十分だった。
「えぇっ?」
「どこへ消えたのやら、な……――とはいえ、そうなってしまったものは仕方あるまい」
はぁ。
俺はその言葉がどこにかかっていくのか読めずに困惑した。
「お前が生徒会長代理となれ」
はぁ!?
流氷さんの命令にマジかよと焦る。
いや、《鬼札》戦で負けたとかではないから総辞職ということはないだろうと思ったが、ほかの人の力についてみなくていいのかと目で訴えると大丈夫だと頷かれた。
「武芸科の中で一松櫻をのぞいてもっとも強いのはお前だからな。生徒会顧問である薔も認めてることだ」
「……わかりました」
どうやらすでにこの人たちの中では決まっていたらしい。だったら俺も腹をくくるしかない。
その日の授業後、一人寂しく生徒会に行ったが、もうそこは俺一人の場所ではなかったようだ。俺よりも早く終わったのだろう。野苺が早々と来て、提出書類を確認している。明日から生徒会活動が考査期間のために休みになることを考えると、今日しかないのか。
最初、俺らと戦ったときと比べてギャルっぽさというか、今どきの女の子という感じではなく、真面目な女の子になっている。
野苺は俺が一人で来たことに気づいた。
「寂しいですね」
「ああ」
櫻と野苺は相性が悪いようで、意外と相性はよく、野苺にお菓子のつくり方を教えてもらったり、カフェ・ド・グリューの期間限定スイーツ情報を交換しあっていたりした。だから、彼女も心配なのだろう。
「やっぱり総花先輩も櫻先輩のことが好きなんですね」
「――――ああ」
けれど、その意味は違っていたようだ。彼女はあのときに俺が櫻をかばった理由に気づいたのだろう。
なんで俺が櫻をかばったのか。そして、櫻が叫んだ理由を。
「お二人は羨ましいです」
「そうか」
背中合わせの席。
互いに顔を見ていないが、野苺がぽつりとつぶやいた言葉に俺は違和感を抱く。
「だって、互いに好きだって気づいているんですから」
そういうことか。
彼女が三苺家のどの立場にいるのかわからないが、少なくとも首領クラスの立場になると恋愛結婚なんてほとんどないから、俺たちの関係は新鮮なんだろう。
「私だって好きな人はいました」
「過去形か」
野苺は寂しげにつぶやく。
しかし、過去形か。
いったいだれだったんだろうか。こんな真面目な子を好きにさせた奴なんて。
「ええ……――その人ってとっても鈍感で、私の気持ちにも気づいてもらえないくらいですけど。でも大切にしている人がいて、その大切にしている人もその人のことが好きで。私が入りこむ余地なんてなかったんです」
俺が相槌を打つとため息とともに残念そうに言われる。
「?……そうなのか」
「アハハ……――多分、その人にとっては初っ端の印象が悪かったですもんね、私」
だれのことかさっぱりわからなかったが、彼女がそう言うならそうなのだろう。俺にとっても野苺は最初の印象が悪かった。もう少し丁寧なあいさつの仕方だったら変わったかもしれないけれど。
「だから、精いっぱいその人たちのために生きようと思うんです」
そう言う野苺の言葉に湿っぽさは感じられなかった。彼女の中でふんぎりがついているんだろう。
「だから先輩たちがここにいる間は、そばにいます」
「そうか……わかった」
彼女はしっかりとやりますよと笑っている。
今なら言える。彼女になら背中を預けられる。はっきりと言葉にはしなかったけれど、彼女はなにかを感じとったらしい。やる気がさっきまでよりも増えていた。
それから一週間後、定期考査をのりきった俺は再び理事長室に呼びだされた。
「伍赤、お前、一松櫻にいったいなにを渡した」
入って、扉を閉めた直後、開口一番に怒鳴られた。今回は茜さんはいるが、薔さんはいない。
ふむ。
ということはアイツはとうとうそれを使ったか。
そして、理事長に知られているとなると、薔さんはそちらに借りだされたのだろう。
「もうおおよそ予想はできているんじゃないんですか」
天下の皆藤流氷を試す悪役に見えるが、これも多分、流氷さんの計画の一つではないか。そう思って尋ねると、咎められることもせずに続きを促された。
「それに茜さんに聞けばいいんじゃないのですか」
ということは、これってまさか、あのときみたいにだれかに聞かせている?
「しかも、もし内容によってはですけれど、それが『俺が渡したもの』とは限りませんよね」
一応保険をかけておく。
多分、間違っていることはないだろうが、それでも不安なものはしょうがない。
「チッ……頭が回りよぉって……――そんなことはわかっている。だが、伍赤葵が関わっている以上、お前が一番事情を知っていると思ったからな」
うん? 葵さんが?
あの人が独断で動くようなことはないは、ず……――いや、十分ありうるか。しょうがない。これは答えるべき事態、案件だな。
「一松紫鞍と三苺苺の居場所ですよ」
「やっぱりか……」
俺の返答に唸る流氷さん。どうやら考えうる最悪の事態になっていそうだな。
「まさか」
「ああ、その『まさか』だ」
流氷さんはすうっと息を吐き、起こってしまったことを告げる。
「一松紫鞍を私刑しようとしていた伍赤葵たちだが、その場にいた一松櫻が一松紫鞍をかばったらしい」
マジか。
二重の意味でまずいですよね、どう考えても。




