遠い祈り
ほかの人の試合を見ていないからなんとも言えないが、多分、今まででもっとも肉薄しているんじゃないかと我ながら思う。
前の紫鞍さんとの戦いはどちらかというと頭で考えながら戦う心理戦。
でも今回は、櫻の癖、俺の癖、どちらかがそれを先に見抜いて、出し抜けるかが勝負のカギとなるだろう。
俺は今、片方の刀しか持っていない。
別にそれは俺が身軽になって有利になるとかっていうことじゃない。
櫻の右手の拳が俺の顔面に飛んでくる。
それをひねって防ぎつつ、左手で足元に刀身を滑らす。そして、自分の足元に気づいた櫻が一歩下がりつつも体勢を整える。
なかなか悪くないじゃないか。
真剣勝負の最中にもかかわらず、自分のことのように嬉しくなる。
俺が一対ではなく一本しか持ってない理由。
それは二つある。
一つは俺の体が万全ではないこと。
幸いにもあの弾はかすっただけだったのだが、いつ痛むかわからない。だから、無茶をしたくなかった。
ありがたいことに櫻は戦っている相手である俺のことを気にかけてくれているようで、無茶な動きをさせないようにしてくれている。
右足を軸にしてまわし蹴りを仕掛けてくるが、それも薄刃で受けとめる。
粗末に扱ってごめんなさい。
銘刀ではないが、一応借りたものである。所有者の葵さんに心の中で謝りつつ、峰でその足をはじき返す。俺の反撃を予想していたのだろう。綺麗な受け身をとる櫻。
少し怯えている表情になるが、それは作りものだろう。
そして、俺が刀を片方しか持たなかった理由の二つ目。
それは前、五位会議の後の夕食会に夕顔さんに答えたことでもある。
『伍赤総花と一松櫻の間では勝負にすらならない』
この言葉は榎木さんがこの《花勝負》の条件にそれを設定した理由でもある。
たんなる戦力差という意味合いではない。
もし俺の推測が間違っていないならば、彼女、一松櫻は今、このときでさえも俺と戦うことに怯えている。
でも、それを彼女が見せることはない。少なくとも、この衆人環視の状況では。
だから彼女の表情は文字通り作りもので、彼女が見せている表情は多分、早く俺に仕掛けてほしいから。
だから俺は仕掛ける。
彼女の願いをかなえるために。
そして、この《花勝負》の『最大の意義』を知らしめるために。
俺は本人以外の周囲に悟られないように、巧妙に櫻の左腕に切り傷を負わせ、彼女が驚いているうちにそのまま左足で彼女を倒れこませ、彼女の着地時間を計算し、ついでに勢い余ったような感じで体を滑らせて、地面と仲良くなる。
自分でやっておきながらも、なかなか痛いものだった。
「同時……?」
「まさか――――」
「本当に偶然……?」
聴衆がごちゃごちゃ言ってるな。
俺はほどよく冷えた床に寝転びながらそんなことを考える。
武芸百家の試合にビデオ判定はない。
世間一般では採りいれられているので、そろそろ導入されてもいいとは思うが、そこはアナログのようだ。
また無茶してと茜さんが声をかけてくれる。どちらも傷を負っているが、より重症だと判断したのは俺の方だったらしい。櫻の方には榎木さんが駆けよっているから問題ないだろう。
「――――両者、引き分け」
流氷さんの重々しい声が響く。
「よって伍赤家二勝、一松家二勝、引き分け一により、この勝負は無効とする」
どうやら俺が割りこんだ意味はあったようだ。
どちらが勝っても禍根が残る《花勝負》なんて珍しいが、そういう場合だってある。そして、それをうまく引き分けに持っていく人だって必要なときがある。
茜さんや流氷さんは気づいていたかもしれない。けれども俺の参戦を許可した。
「茜さん」
手当てをしてくれている彼女に一枚の紙を渡す。
さすがに原本は渡せないが、これぐらいならば許されるだろう。直接櫻に渡してほしいとこっそり頼むと無言でそれを受けとり、治療目的で櫻に近づいてくれた。
俺だと警戒されるだろうが、彼女なら大丈夫だろう。
それを片目で見届けた後に起きあがり、葵さんや茅さんに遅くなりましたと頭を下げにいく。
「いや、来てくれて助かった」
心底ほっとしたような表情の葵さんに、お役に立てたのならと笑い、少し刃が欠けてしまいましたと謝りながら借りた刀を返す。
「そうだな、賃料として銘刀を一対借りるか」
「わかりました」
この先、この人が次期首領になるかは俺次第だからわからないが、持っていても損はないだろう。
「では、帰って早速卜占をしましょう」
「それは助かる」
伍赤家サイドはそこそこ暖かな雰囲気に包まれていたが、全体ではそうもいかなかったようだ。
「伍赤」
「なんでしょう」
案の定、流氷さんに呼びとめられた。大方、さっきの試合についてだろう。
「一松との試合、あれは本気か?」
やっぱりか。でも、俺はええそうですよと笑う。そう言うしかない。
「……――――そうか。ならいい」
俺の笑顔に根負けしたのか、追及するのを諦めたようだ。流氷さんと茜さんが去っていく。いつの間にか一松家の人たちもいなかった。
「とりあえず薄に戻りましょう」
櫻があの紙をどう受けとるかわからない。でも、俺の考えが間違っていなければ、彼女は……――――
とりあえず今はなにも考えないことにした。




