一か八か
櫻を落ちつかせるために伍赤との話しあいの後、彼女を皆藤本邸の客室で寝させた。
いくら彼女が頑張っているとはいえ、オトシゴロの娘で、好きな人を目の前で撃たれた。まだショックから立ち直れているとは言い難いだろう。
流氷も少し気を張っていたのか、もしくはいくら仲たがいしたとはいえ、親友の息子が撃たれたのには衝撃を受けていたのか、皆藤家首領として気丈にふるまっていたのにもかかわらず、疲れていたらしく、久しぶりの実家のベッドに潜るとすぐに眠りについてしまった。
翌朝、朝食をとったあとに流氷と櫻は縁側に座って、ゆっくりと過ごしていた。
「本当に良かったのか」
「なにがですか?」
そういえば昨日聞こうと思っていたのに聞けなかったことを流氷は、櫻に尋ねる。
「あんな条件を受けいれて。あちらが負けるとわかっているものなのだから、お前さんなら拒否もできただろうに」
「ああ……はい。そうですね。私は負けるとは思っておりません」
いきなり問われたことがなんのことか一瞬、理解できなかった櫻だが、首領ではなくただの首領補佐である榎木が出した条件についてだということに気づき、自分なりの言葉で伝える。
「というと?」
しかし、流氷には彼女が言った意味が理解できず、目をぱちくりさせていた。
「多分、伍赤の皆さんの方が一致団結しているでしょうから、先に三勝してくるっていう展開も考えられます」
「そうか」
一松は力でないと示しがつかない。その点、バラバラになるときは早い。一方で、伍赤をはじめとしたほかの武芸百家は血縁主義だ。だから、こういったお家の一大事にはかなり有効である。
そう櫻が言うとようやく流氷も理解できたのか、なるほどなと笑った。
しばらくなんの動きもないただ静かな時間を二人はそこで過ごしたのだが、櫻はその一瞬を見逃すことはなかった。
「流氷さん」
鋭い言葉に少し驚く流氷。
「なんだ」
「中庭、正面から左に三十度、銃を所持している男が一人」
「うむ」
この皆藤邸に間者を含む他家の暗部が入りこむ隙間はない。しかし、こうやって入りこんだということは、《十鬼》を含む精鋭を出しぬいたか、それとも……――
そう流氷が考えたとき、櫻が前にすっと出て、忍びこんだ人間に対して大声で言い放つ。
「そこにいる方、出てきてください。さもなければ、私に向けたのと同じものをあなたに返します」
わずかに怒りを含んだ声は相手の意欲をそぐのに十分だったようだ。ちょうど櫻がさした茂みから一人のそっとした男が出てきた。
男の年齢は櫻よりも少し上。
総花よりも明るい、どちらかといえば金髪に近い髪の毛は後ろで一つにまとめられ、顔にはそばかすが残っているせいで少し幼く見えるものの、片手で銃を構える雰囲気からは決して素人ではなかった。
「おっと、物騒な嬢ちゃんじゃないか」
にやりと笑った男はそのまま銃を下ろさずに櫻たちの元へゆっくりと歩いてくる。
「あなたは」
男の正体がわからず、何者だと尋ねようとすると、そういえばそうでしたなぁと軽く笑う。
「これはこれは名乗りでるのが遅くなりました。三苺苺の雇われ人、翼洋娑原です」
「よくよう……」
「まあ、そうでしょう。聞き馴染みのない苗字だと思います」
櫻は男の苗字に首を傾げる。どこかで聞いたことが……なかった。内心首を傾げていると、流氷はお前がかと目を細める。
「お前はなぜ、我々を狙うのだ」
「それは秘密保持契約というものですよ、武芸百家の主殿」
流氷の言葉を飄々と受け流す男、娑原は狐のような存在だった。しかし、櫻にはその男の手に持っていたものと男が結びついてないようで、まだ首を傾げている。
「ではいったい……何者?」
「『死線の銀弾』。巷ではそう呼ばれているな」
流氷がその二つ名を言うとああ、そういえばと思いだしたようだった。
「まさか、ソウが捜していたのって……」
「こいつだ。昨日の朝には調べあげていて、顔写真とプロフィール、使用武器や接触した人物など細やかに調べられていた」
「ほう。そいつが俺の周りをうろちょろしていたネズミの主人だったのか」
流氷の説明により食いついたのは娑原だった。
どうやら総花が調べていることに彼自身も気づいていたようだった。
「それで、なんで三苺苺の雇われ人がここにむざむざ来たんだ? まさか自殺願望でもあるまい」
流氷の問いかけにそうだねぇと笑う娑原。
ここまで来るのが大変だったんですよぉとおどけたように言うが、事実そうなのだろう。皆藤家はザルではない。《十鬼》以外にも罠や仕掛けがいくつも張り巡らされている。そう易々とこれるものでもない。
「あははは。これは愉快だな、武芸百家の主殿。もちろん俺は自殺願望なんてないさ。ただ、昨日殺しそこねた奴の顔を拝んどきたくてな」
「なっ……!」
堂々と言ってのけた男につかみかかろうとする櫻。
自分が殺されかけたのではない。大切な人が殺されかけた。
その方が櫻にとっては何倍も許せるものではなかった。
「怖い怖い。なぁ、嬢ちゃん、悪いこと言わんから、その殺気、押さえてもらえないかい?」
それさえも娑原は利用する。
否、利用しようとした。
だが、利用する前に食いつくされるのではないかと戦慄を覚え、実行するのを諦めることにした。
「……――あー。本当はお嬢ちゃんの顔を見て、苦痛に歪んでるとこを雇い主殿に報告しようと思ったけれど、やぁめた」
「はぁ?」
突然の宣言に呆然とする櫻。
「俺はこの銃を捨てるって言ってるんだよ」
それには櫻だけでなく、流氷さえ呆然としていた。
すい星のごとく現れた殺し屋『死線の銀弾』。
どんな相手であれ、一度引き受けたら跡形もなくなるまで消し去る。
それこそが彼の本質なのにもかかわらず、それを諦めるという心変わり。
親しい人を狙撃された二人にはにわかに信じがたいものがある。
「なにがしたいのだ」
「なにがしたいかって? なんだろうな。世界を守るヒーローなんて割に合わねぇし、せいぜいだれかを支えるくらいしかできねぇな」
流氷の問いかけにニヤリと笑う娑原。いいことを思いついた子供のように無邪気な笑み浮かべる娑原は少年のようだった。
「そうだ。嬢ちゃんを守らせる役割、俺にさせてくれねぇか?」
「断ります」
にべもなく断る櫻。
そのすがすがしさに意外なものを見る娑原。三苺苺と一松紫鞍からもらった彼女に関する身上書には載っていなかったことだった。
「へぇ。それは意外」
「意外じゃないと思いますが」
「なるほどねぇ。さっきまでの敵には背中を預けませんといったところか」
「ご名答です」
驚くように言う娑原にその通りだと肯定する櫻。
二人の間には見えない溝があった。
「じゃあ、武芸百家の主殿。あんたはどうだい? 俺を雇っておくと、どんな依頼があろうと武芸百家には手出しさせないように手配できますが」
「……そうでなければ、また刺客が来る可能性があるということか」
櫻を直接攻略することを諦めた娑原は、今度は流氷に利を説く。
するとこちらはなるほどなと頷き、それはいいかもしれんとほほ笑む。
『禁じ手』を使うということ自体ご法度だが、そこへすでに一歩を踏みいれている彼らに怖いものはないだろう。
「その通り。お察しが早くて助かります」
「わかった」
「流氷さん!?」
すんなりと娑原を信用することにした流氷に櫻は悲鳴を上げるが、大丈夫だと頭を撫でる流氷。
「むろん、私も彼女も君がやったことについては許す気はない。そのうえでこちらにつくというならば、それなりの覚悟をもって示せ」
「承知いたしました」
流氷の命令に、恭しく頭を下げる娑原を見る櫻。彼女の目にはなにも感情はなかった。




