時限装置
そのあと親父付きの運転手さんの車に乗って、本邸に向かった。
「よろしくお願いします」
この人の一族の仕事は代々首領の別邸と本邸間における送迎や身の回りのお世話だと小さい時から知っている。
この人だけじゃない。
次期首領という立場だったから、ほかの人たちにも『親父の付属品』という立場で世話になったことは何度でもあるが……こんなにも早く『本体』としてお世話になることになるとは思わなかった。
頭を下げるとこちらこそよろしくお願いいたします、坊ちゃんとにこやかに挨拶を受けた。
彼が運転する車は霊幽山の急こう配を上っていく。標高が高くなるとこの時期でもまだ雪は残っているにもかかわらず、手慣れたハンドルさばきでほとんど時間をかけずに本邸にたどりついた。
「ここからの景色は変わらないな」
「ええ。坊ちゃんが幼少だったころよりここからの景色は変わっておりません」
下を眺めればほとんど雲海。晴れていて、よっぽど湿度が低いときじゃないと下の景色は見えない。
本邸の中に入ってすぐの玄関で叔父の茅さん、従兄の葵さんが出迎えに来てくれていた。
「叔父さん……――」
従兄の葵もそうだが、叔父の外見が三か月前と一変していた。
言いかたは悪いが、叔父も従兄も以前はその太り具合で二振りの刀を扱えるのかという状態だったのに、今はこうシュっとして明らかに別人だ。
「無事に引き継ぎが行われたようだな。ははっ、柚太に『いい加減に痩せろ』って言われてな」
叔父も自分自身でこんなことになるとは思っていなかったのか、苦笑いしている。
「あの人は、あなたにまで……」
「ああ、それについては致し方あるまい。私が勝手に太ったことだ。私に首領という立場は不適格だから、昔から人にあえて横柄な態度で接し、双刀術なのに横幅をデカくし、伍赤茅という人間性を悪くした」
「あなたまで……――!!」
たしかに昔から兄である親父に対してタメ口で、親父と自分が同等であるかのように他の武芸百家と接していたから、正直、この人の評判は悪かったのを知っている――が、まさかこの人まで演技していたのだと少しげんなりしてしまった。
「私のせいで葵にもずいぶんと肩身の狭い思いをさせた。でも、もし兄がなんらかの事情で首領の座を捨てるときが来ても、私が継げないように努力せざるをえなかった」
「それくらい親父は……」
だから二人とも演技し続けたのか。
自分たちのリスク、自分の息子に対するバッシングを知っていてまで。
「ああ。まあ皆藤首領、一松前首領とも昔は仲が良かったけれど、ある事件をきっかけで兄は人が変わらざるをえなかった。殺人事件ならばさしずめ兄は被害者であり、一松前首領が加害者と言ったところだろうか。だから兄の事情もわからなくはない」
「はぁ」
親父たちはただ仲が悪いと聞いていたが、どうやら裏があるようだ。
しかし、それを今ここで話せる役者はそろってないようだ。茅さんもその事件の全貌を知っているみたいだが、それを話す気はないらしい。
「なんにせよ、兄は私に首領を継がせないようにする必要があった。君が生まれたときいたときには嬉しかったさ」
そこまでか。
そう言われたからには俺も頑張らなければならないな。
「サポートさせてもらう。それでいいかな」
「よろしくお願いいたします」
今はまだ高校生。
櫻は、いや一松家の場合、未成年が首領になってしまったときはだれかが後ろ盾としていないと首領は務まらないから首領補佐という立場が必要で、今は榎木さんがついているが、ほかの場合だとそれは必要ない。
血のつながりがモノを言うから、な。
「それはそうと葵さん」
「なんだ」
「次期首領についていただけませんか」
「それは仮のものか」
俺の『お願い』に葵さんはどうしようか迷うそぶりをしながら質問を投げかけるが、それは新首領としての俺に対する試しだろう。その質問の実は『お前は一松櫻を諦めることができるのか』というもの。
「わかりません」
俺ははっきりと答えられなかった。もちろん、昔から政略結婚だってあったわけなんだから、俺にだってできないことはない。だが、それと俺の子どもを次期首領にするかどうかは別物。
なんともあやふやな答えに一瞬葵さんも茅さんも渋い顔をしたが、反対するようなことは言わなかった。多分、この二人は俺の言いたいことを理解はしてくれるだろうから。
「とりあえず七年、俺たちが独立するまでの間、いていただけませんか。そのときには必ずどうするかはっきりさせますので」
順調にいけば大学を卒業するときにはすべてにケリをつけなければならない。そう言うと、二人ともため息をつきながらも賛成してくれた。
「しょうがない。わかった、そうだな……条件がある」
葵さんの言葉に一瞬、身構える。
「なんでしょうか」
俺が構えたのを見てニヤリと笑う葵さん。これはなんかヤな予感が……――――
「俺の結婚ぐらいは好きにさせてほしい」
その宣言におもわず勝手にしてくださいと言いたくなった。葵さんの好きな人はたしか伍赤宗家に近い分家の人だったから問題ないでしょ。
思いっきり身構えた俺がバカみたいじゃないか。
「わかりました」
「じゃあ、話はまとまったな」
葵さんと二人苦笑いした後、茅さんに声をかけられた。
「私たちの身勝手でお前や葵に迷惑をかけることになった。かすみにも『甥に運命背負わすんじゃないよ』と散々叱られたから、というわけではないが、もし私にできることがあればできる限りのことはする」
伍赤を頼む。
はい。
二人の味方をえた俺は、このまま世界でも征服できるんじゃないかって思ってしまったけれど、それはあながち間違いじゃないんだろう。
新たなステージへ歩みを進めることにした。
「もう少ししたら、伍赤宗家と双刀術を修練した門下生たちが揃う。着替えろ」
さっきここまで送ってきてくれた運転手の奥さんに手伝ってもらいながら、俺は緋色の紋付羽織袴を着て、本邸最大の大広間へ向かった。まさかこんな早くこの着物を着ることになるとは思ってもいなかったからか、自分には分不相応なものだと感じてしまった。
大広間に入ると、分家含めてすでに三十人ほどが揃っていた。俺が聞いたのは昨日だけれど、着々と準備が始まっていたのなら、この人たちが一報を聞いたのは……――いや、考えるのをやめよう。
考えたところで、俺に対してクレームが入っていない限り、俺が次期首領につくことは決定済みなんだから。
「すでに聞いているとは思うが、当家首領、伍赤柚太が皆藤家への盗聴を目論んだことが発覚し、蟄居処分が命じられた。そのため今日付で首領の座が前首領の息子である総花へ譲り、本人は薄の仙洞邸に移るとのことだ」
そう丁寧に説明していく茅さん。二人の外見が変わったことや、この新首領の着任式を仕切っていることにだれしもが、まさかコイツは新首領を廃すつもりではなかったのかという驚きだったようだ。
ちなみに仙洞邸とは定年、五十歳を過ぎた首領が次期首領へ譲った後、余生を過ごす屋敷のことで、皆藤家以外はどの家も必ず一つは持っている。
「この件はすでに皆藤流氷にも内諾はもらっている。本来ならばお家おとりつぶし、五位会議追放という処分になるところだったが、まあちょっと皆藤家は伍赤柚太という男に恩義があるから、それらの処分は一切、下さないことになった」
ここからは新首領である俺が引き継いだ。
親父と同年代、四、五十歳の人たちは少なからず驚きを覚えただろうな。俺より少し上、葵さんぐらいの人たちはよくわかっていない雰囲気だが、それでもざわめく声の方が大きかった。
「しかし、未成年であると同時に婚姻もしていないため、次期首領には前首領から見て甥である従兄の葵についてもらう。ただし、補佐ではなくあくまでも次期首領であるので、家のことについてはすべて決裁を行う」
一同が礼をする。いつかはこんな感じで礼を受ける予定だったんだから、ただその時間が早まっただけだが、それでも、それでもなんとなく居心地が悪かった。
それはなんでだろうと考えたとき、隣にヒトがいないからということに気づいた。
正確に言えばたった一人、彼女だけがいないから。
それでも時間は巻き戻せないし、止めることもできないのだからしょうがない。
俺はこの道を歩みつづけなければならない。
俺はそのあと各分家の長たちと軽く話をして、すぐに皆藤家に向かった。すぐに顔合わせがあるとメールで知ったので、どうしてもそれに間に合うように出なければならなかった。
一泊、新年に泊まったあのホテルにもう一度泊まり、翌日、今度は自分で着付けを行い、そして新年のときと、そして伍赤家でのお披露目と違って折烏帽子を着用した。軽いはずなのになぜか少しだけ重く感じた。
《十鬼》の第四座、樟子さんが今回の担当だったか。この顔合わせで新首領の入場口上は《十鬼》のだれかが務める。櫻のときは夕顔さんだったな。
「第三十二代伍赤家首領伍赤総花、ただいま到着いたしました」
彼女の口上に五位会議参列者全員からの視線が中庭に集まる。俺はゆっくりとステージの中心に向かって歩きはじめた。




