歪な関係
寮に戻って数日、自主練もせずにただ呆けたようにベッドの上でダラダラと自堕落な生活を送っていた俺のもとに別邸に帰ってこないかというメールがあった。もちろん、その差出人は伍赤柚太。本当はあの人には会いたくなかったけれど、三苺苺の件もあるので、探りを入れるためにあの人の元へ行くことにした。
「櫻に言ってかないと、あとで殺されるよなぁ」
まだ授業が再開したわけでもないが、そんな気がした。
少なくとも小中学校のとき、たびたびあの人から急に呼び出され、なにも言わずに抜けだしたら、そのあと少し(物理的に)痛い目に遭った。高校入ってからもすでに痛い目に遭わされているので、できればリスクを避けたいと思って、少なくとも一週間は寮を空けると連絡しておいた。しかし、すぐに返事は返ってこなかったので、珍しいなと思った。
まあアイツにもある程度は気ままに生活を送る権利はあるから、どこかで見るだろうと思って、学校へ(というか理事長もしくは皆藤家の誰かへ)も学校を離れる旨の連絡をしようと、出かける準備をした。
あいにく事務室は閉まっていたものの、当初からそこが目的ではなく、理事長室へ直接行ったら、どうやら理事長もこちらへ戻ってきていたようで、きちんと仕事をしていた。
「なるほどな」
親父から連絡が来たということを目の前の理事長に伝えると、どんよりとした目で頷かれた。
「そろそろあいつ、経営と教育に行き詰まったんじゃないか?」
「……はい?」
「あいつは昔からスタンドプレーが過ぎる。だから、山ん中のあの家もあいつの手に余るようになったんだ」
「はぁ」
理事長はバッカじゃねぇのというような口調でぼやく。
「いや、あいつとキミ、そして櫻嬢、すべてが武芸百家の首領に向いてない。どちらも極端すぎる。でも、キミは柚太からあいつの悪い部分、スタンドプレーすることを覚えれば、必ず伸びる」
その言葉に俺はそういうことかと納得してしまった。一松家は自由、猫のような気ままさという歪さがあり、伍赤家は身内に頼りきる、もしくはだれにも頼らないという両極端の歪さがある。ほかの武芸百家だってこまごまとした、それぞれの家に特徴的な歪さがある。
でも、首領はその歪さを本当は持ちあわせてはいけない。
櫻は多分、正々堂々と戦えば《十鬼》の第一座にも負けない強さがある。それはその歪さを解消するために造られたものであるが、彼女は自由、猫のような気ままさを打ち消していない。
だけども、それを矯正できる人はもう誰もいない。正確に言うならば、矯正しようとだれも思わないだろう。例えば、あの櫻を溺愛してる従兄殿だって。
それにアイツ自身、矯正する気もないだろう。
というか、そもそもアイツは今でも首領の座はいらんとかこないだ言ってたよな。
理事長はあの人も俺も知っている。だから、その歪さが弱点になり、歪さを長所としようとしている。
ついでに言えば、今回の『帰省』でそれを実行してこいと暗に言っている。
「わかりました。では、行ってきます」
「いってらっしゃい」
案外軽く送りだしてくれた。
本当は櫻にも会っていきたかったが、なにせ連絡がつかない。まあいいやと諦めて、学園を出た。
伍赤の郷、薄は本州の中央部、山岳地帯に存在して、そこまで行くのに電車を乗り継いで二時間かかる。そこから本邸まではさらにかかるが、今回の目当てはあくまで別邸。そちらは駅から近くなので、多少の重さの荷物でも苦にならない。ついでにいえば今回は会合ではないので正装する必要がなく、『これから観光に行ってきます』というような軽装でいいから、その分の荷物も少ない。
さすがに公共交通機関を使うので愛用の双刀を生身で持っていくわけにはいかずにきちんと擬装してある。それでも比較的長いので、結構目についていたのだが、それを持ちながら薄の中心駅で降りるのはたいした問題ではなかった。
「ただいま帰りました」
本邸とは違って別邸は洋風建築で、築五十年は経っているが、いまだに磨きあげられているのか、その綺麗さは失われてない。つい先日行った皆藤の別邸にも劣らないくらいには錆びていない。
年に一度は行くところで、実の父親がいるのにもかかわらず、そこはほかの人の家みたいな感覚におちいる。声をかけるが、返事は返ってこない。あの人のことだから、双刀の鍛錬をしているということはないだろう。どこか、いや自室として使っている書斎で、ひたすら書物を読んでいるのだろう。
廊下や玄関の磨きあげられた様子から、近ごろお手伝いさんが来たのだろうけど、人の気配は感じないので、彼らが来るのは数日に一回か、朝早く、夕方近くのどれかだろうか。人を寄せつけたがらないあの人らしいといえばあの人らしい。
いつも行くから書斎の場所は知っている。廊下を進み、奥から二つ目の扉をノックすると、すぐに入れという返事があって、慎重に扉を開ける。
「おかえり」
外に背をむけて座っているその人は、俺によく似ている。いや、俺がその人によく似ていると言うべきか。
「ただいま戻りました」
そう言って、目の前の人の許しを得ないまま、正面の椅子に腰かける。
「単刀直入に聞くが、生徒会長は一松櫻だな」
「ええ」
「そして、お前が副会長になった」
「はい」
「先日、お前が聞いてきた襲撃魔は三苺苺、野苺の兄妹だと名乗った」
「そうです」
事務的な口調でやりとりする親子。この声だけ聞いていても決して親子だとはわからないだろうが、昔からあの人はそういう人だった。そして、俺はそれを嫌だと思ったことはない。
だからこそ、首領、そして次期首領としてはあるまじき歪さを持っていると指摘されるのだが、直すつもりはない。
「おそらく一松宗家は絡んでないぞ」
「……はい?」
相変わらず唐突だ。いや、ほかの人、茜さんや薔さん、理事長でだいぶ慣れたけど、それでも驚く。しかも、まだ薔さんにしか話してなかったことなのに。
「だが、襲撃を依頼した相手はいる。確信を持って言えるのはそれだけだ」
親父の言葉にありがとうございますと礼を言う。
宗家が絡んでない。
父親の言葉を疑うわけではないが、少なくとも宗家に連なるシスコン兄貴、いや従兄の榎木さんは絡んでない。となると、現在の一松家の成人かつ櫻を追い落としたいと願う人物は限られてくる。あとは相手の尻尾をつかむのはやめておいたほうがいいかもな。ただでさえ、アイツをつを追い落としたいのに加え、ほかの家が干渉しているという口実を与えられたくないからね。
「で、お前からの定期報告は」
はいはい、ですよね。
当然といえば当然だけど、無償で情報は得られない。とはいえ、今回こちらから渡せる情報は少ない。どこかの家の内情ぐらいなら等価だろうが、それでもこの人や笹木野さんの情報網からすると『不足』だろう。
それを考慮すると、半分はったりだけど、あの手しかないか。
「……有事の際、皆藤茜、薔の二名の協力を得ることができると思います」
俺の言葉にジロリと見る親父。まあ、「思います」じゃあ弱いよな……でも、これ以上は……――
「よくやった」
「え」
親父の口調にはかすかに喜びが含まれている。
いや、喜びというよりも狂喜というところか。まるで、昔の教え子を悪の道に引きずり込んだときのような。
「では、引きつづき勉学と鍛錬に励みなさい」
その次の言葉は一瞬の狂喜の感情を消しさっていた。
変わり身が早い人だ。でも、今のところはこの人が首領だ。
承知いたしました。
俺はそう言って、書斎を出た。




