孤児院三銃士に会うよ。これからは四天王だ。
俺は涼しいそよ風を受けながら、自分の部屋の窓から街の様子を眺めている。
立ち並ぶ建造物、四角の石で敷き詰められた街道、自然のまま飾られた緑。
ラーグタウンは緑が残された都会だという印象を受けた。街の端には高い外壁が見える。それは街を囲うように延びているようだ。おそらく街の出入りを管理する、外敵の侵入を防ぐ役割があるのだろう。外壁より外の事は、今の時点では分からない。
街の中に視線を戻すと、多くの人が街道を歩いているのが見える。
二人組で街道を走る子供、軽装で腰に剣を帯びた女性、左右に大きな荷物を載せた馬に乗る男性。よく見ると、男性を乗せている馬の首が見当たらず、男性が馬に乗る位置が前すぎるような気がする。
街の上空には大きな鳥の姿が見える。その翼と尾羽、そしてかぎ爪は確かに鳥のものだが、頭は人のものであり胴体には服を着ていた。その服装は郵便局の正装のように整っていて、腰に鞄を付けていた。
「本当に、異世界に来てしまったのか」
実際の光景を目の当たりにすると、話で聞くよりも実感が湧くものだ。
ラーグタウンから見える人の社会は、俺の知るものと同じ基盤を持っているように見える。しかし、その中には俺にとっては未知の、異世界の要素が多く含まれていた。
窓から景色を眺めていると、部屋の扉を叩く音が聞こえる。俺が扉の方へ振り向くと、銀髪の少女が扉から顔をのぞかせていた。
背丈は今の自分と同じぐらいで、後頭部の髪留めから大きな束の髪を下げている。その長さは床につくには十分なものだが、髪は曲線を描きばねのように揺れて、その先は床には届かない。
「昼ごはんができましたよ」
彼女はそう口にして、俺を視線から外さない。俺はベッドから降りて彼女の元へと歩み寄る。
「初めまして。……俺はミカン。君もここに住んでいるの?」
少し悩んだが、今は自分の事は『俺』と呼ぶことに決めた。彼女は1人称を聞いて少し反応を見せたが、その感情までは分からない。
「私はルジェリア。この孤児院で部屋を借りて、『魔術ギルド』で勉強しています。よろしくお願いします」
ルジェリアは言葉が固く、表情もよく見ないと分からないようだ。俺たちは昼食の場に向かいながら、話を進める事になった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。昼食は他の人と一緒に食べるの?」
「はい。リブレもボイルもカストルも、ラガーちゃんも準備ができています」
「4人? リブレが孤児院の主人として、ここに住んでいるのは3人と聞いたよ」
「ボイルは魔術ギルドのメンバーです。たまにこの孤児院に来て道具を調達してくれます」
孤児院にはカストルとラガー、そして目の前のルジェリアが住んでいるという事なのか。ボイルは外部の人で、今回の昼食に同席するようだ。
「ところで、魔術ギルドはどういう所なの?」
「魔法について研究する所です。他にも魔法の道具を作ったり、本を出版したり、勉強できたりする所です」
「勉強という事は、魔術ギルドは学校、――子供に教育をする場所でもあるの?」
「はい。ギルドには子供に読み書きなどを教える専門の人もいます。講義をする場所も、自分で勉強するための環境も整っています」
魔術ギルドは教育機関でもあると見ていいだろう。魔法についての本が沢山ありそうで、一度訪れてみたい場所だ。
二人で話をしていると、大きな部屋に到着した。
そこには食べ物が盛られた皿で埋められた大きな机があり、それを4人が囲っていた。その内の一人には見覚えがある。孤児院の主人のリブレだ。彼は氷水が入った容器を手にしていて、机の上のコップに水を注いでいた。
「お前が新入りのようだな! 俺はカストル・グランフォードだ! 俺の事は『先輩』と呼ぶがいいぞ!」
一人が俺たちの前に歩み寄ってきた。年齢は俺たちと同じぐらいの、先が紫に染まる黒髪の少年だ。
「彼の事は『カストル』と呼んで問題ありません」
「ルジェリア! せっかくいい感じのげ……後輩ができそうなのに、邪魔しないでくれる!?」
「初対面の女の子をいきなり下僕にしようとする、この人が『3人』の一人です。不快に思われるかもしれませんが、適当にあしらうか、いい様に使ってあげてください」
「俺の説明酷くない!?」
ルジェリアが目の前の少年に対して補足する。彼は自分の事を先輩と呼ばせようとするが、実際のヒエラルキーは低いようだ。
俺はカストルの前に立つと、彼はルジェリアの方から俺の方へと向きを戻した。その顔は、ルジェリアに水を差されて微妙な表情になっている。
「俺はミカン! 今日からこの孤児院に住む事になりました。よろしくお願いしますね」
「お、俺ぇ!?」
俺が力強く挨拶をすると、カストルは驚いた顔を見せる。そんな様子もお構いなしに、彼の右手を取り握手する。
「この街に来たばかりで、これからの事はまだ何も分からないから、街の事を色々教えてくださいね、カストル先輩!」
「……お、おう。その位なら任せとけ! なにしろ俺は先輩だからな!」
力技でカストルを持ち上げようとすると、彼はあっさりとそれに乗った。これなら下僕にされずに済みそうで、寧ろいい様に使う事ができるかもしれない。
「ボイル! 昼から俺をギルドの図書室に連れて行け! そこなら街の地図とか歴史書があるだろう?」
「別に構わないが、彼女をお前の後輩にはできないぞ?」
カストルが机の方に振り向き、机のそばの青年に声をかける。その青年は俺たちのやり取りを聞いていたようで、カストルの頼みを聞いてため息をついていた。
俺は机の方に足を進めて、その青年の横に立つ。青年は高校生ぐらいの歳に見える。黒髪で、腰に大きめのウエストポーチを付けているのが特徴的だ。その隙間から液体が入ったガラスの容器がちらりと見え、時々かちゃり、と音を立てる。
「ミカンと言ったな。俺はボイル・リクイア。魔術ギルドで研究をしている。お前の事はリブレから聞いている。外に出る時は俺が付き添う事が多いだろうから、よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
青年と軽く挨拶をした後、俺は椅子に座った少女に近づく。
その少女は今の自分よりも年下のようで、茶髪からは猫のような耳が生えている。短パンの背面には尻尾用の穴があり、そこから細長くて、先が白い尻尾が伸びている。
「君がラガーちゃん? 俺はミカン、よろしくね」
「うん、よろしくー」
「早速だけど、君の耳と尻尾、触らせてくれないかな?」
「やだー!」
彼女は俺からひとつ離れた席に移る。初対面で思わず耳と尻尾を触らせてと頼んでしまうほどに、彼女の耳と尻尾は魅力的なものであった。しかし、この初対面は目の前の魅力が決して手に届かない、そんな思いになってしまう程の失敗だ。
「そろそろ、席について昼食にしましょう」
リブレの声に応えて、それぞれが机を囲むように席につく。俺はラガーちゃんの隣を狙おうとしたが、ルジェリアに先を越されてしまった。
「しつこいと嫌われてしまいます」
ルジェリアは俺だけに聞こえるように、言葉を耳元に添えた。耳と尻尾を触りたい気持ちは消えないが、今は落ち着きを取り戻す事を優先する。
「今日はボイルが料理を作っただろ? 味が普通に美味しいもん!」
「普通って何だよ普通って」
「ルジェリアはどこまで勉強が進みましたか?」
「今の本の半分程度は読み終えました」
「ラガーちゃん、服の袖が汚れているよ」
「にゃああ!」
「半袖で汚れるとか、あり得るのか?」
「カストル、普通の美味しさではない物がここにあります」
「この塩気!!!!」
「だってさ、ラガー」
「にゃああん……」
異世界初の昼食は楽しい物であった。料理は美味しかったし、食事中に交わす話が楽しかった。
気遣いされたかどうかは分からないが、俺について話を振られる事は無かった。リブレとカストルが話の話題を作り、他の人がそれに乗っかる流れが多い。その話は俺にとっては新鮮で、興味深いものばかりであった。
元の世界では一人暮らしで、実家に帰省した時は食事の時間がずれる事が多かった。ここまで会話の弾む食事した事はいつ以来だったか、あまり覚えていない。
そんな食事の後に、俺の前に一つの試練が立ちふさがった。それは廊下の扉ひとつ向こうにある。俺がその扉を開けると、1畳程度の空間の中に一人分のトイレがある。トイレの構造は元の世界と同じみたいで、その点は安心できる。
しかし、試練の肝はそこではない。俺はトイレに入り、扉に鍵をかける。そして、身に付けているズボンを、下着ごと下におろした。
肌色は、滑らかな曲線を形作っている。
俺はそれに注視せず、便座に座りこんだ。
……力が抜ける感覚が下から込み上げてくる。
その感覚が完全に無くなった後で、俺は壁に取り付けられた器具から紙を取り出す。一瞬の躊躇い。俺の男としての意識を落ち着かせた後、紙を持った手を下に添えた。
今までにない、妙な感覚だった。今まで馴染み深いものが無くなっただけではない。今までの俺には無縁であったものがそこに存在していた。
用は済ませた。俺は水が流れる音を背にするが、心に暗雲がかかるような気持ちだ。
これからずっと、この感覚と付き合っていくのか……。
いつか慣れるだろうという考えと慣れたくないという意識が混ざり合い、暗雲は俺の心の端から段々と侵食していくようだった。
猫耳尻尾だけでは、私は人外とは呼ばない。