第三章:刑場の犬
ベレンゲラは辺境男爵夫人が住む館の中に与えられた執務室で数振りある愛剣の手入れをしていた。
愛剣は先祖から受け継いだ大刀を皮切りに全てベレンゲラが自分で認めた剣ばかりだったが1振りだけは違う。
「・・・・・・・・」
ベレンゲラは1振りの剣を手にした。
その剣は自分が先祖から受け継いだ大刀とは違い腰辺りで反った湾刀だった。
ただ、鞘から柄に掛けて他の剣とは一線を敷くような独特の様式美があるのも特徴と言える。
柄に巻かれた糸は紫色で、鞘に巻かれた糸も同じく紫だった。
しかし、その上から動物の皮を更に巻いて耐久力を向上させるなど実戦向きにもされている辺りは・・・・・・・・
『酒乱とは別に・・・・剣の腕も有名だった辺境男爵様らしいわね』
この国では些か受けが悪そうな拵だがベレンゲラは辺境男爵が亡くなる直前に渡した、この湾刀を気に入っていた。
実戦でも使えるし部屋に飾っておくのも出来るという理由とは別に・・・・・・・・
『初めて出会った際に辺境男爵が帯びていたから・・・・でしょうね?』
この湾刀を見たのは辺境男爵と初めて出会った時だったのをベレンゲラは今も鮮明に憶えている。
場所はこの地から西へ10日ほど歩いた先にある山だった。
その山には人語を喋れる「鬼人」が徒党を組んで悪さをしていたのだが討伐軍は尽く打ち負かされるほどに強かった。
そんな相手を倒せと自分と、騎士団は命じられ勇んで行ったのだが・・・・・・・・
『私達より先に辺境男爵は単身で・・・首領と対峙していた・・・・』
至る所で手傷を負った鬼人達を見た時は驚きを隠せなかった。
何せ全て一刀で戦闘不能にされていたのだからな。
ただ、鬼人の首領と対峙する辺境男爵の姿はそれ以上に鮮明だった。
鬼人の首領は「我等に横道は無い。されど人間には横道がある。貴様は単身で挑んだが、果たして横道はあるのか?」と問い掛けた。
それに対して辺境男爵は「私は勝利の為なら横道も取る。しかし、貴殿のような一武人ならば横道は取らん」と答えたのも憶えている。
その言葉を信じたのか・・・・鬼人の長は無言で肉切り包丁の如き大刀を構え、辺境男爵は静かに鬼人の長を見つめた後に・・・・この湾刀を黙って構える姿も憶えているが・・・・・・・・
『鬼人の首領の首を・・・・如何にして跳ね飛ばしたかは・・・・見えなかったわね・・・・』
あの神速を超えたと表現するしかない速度を・・・・その日から自分は追い求めた。
いや、技術だけではない。
鬼人という得体の知れない人物にだろうと正々堂々と向き合った、あの気高い態度も追い求めたのである。
もっとも奇人・変人と辺境男爵は言われていた通りベレンゲラに何かを教えた事は無い。
ただ剣を振う様をベレンゲラは食い入るように見続けたに過ぎないのだが・・・・今は、その意味が解る。
『あの方は・・・・剣士とは孤高であり自分の力でのみ高みへ登れると言いたかったのね』
それが本当に正しいかは今もベレンゲラは解らない。
だが辺境男爵が先妻と設けた息子には自分の知っている限りの技術と知識を教えた。
勝手に師と仰いだ辺境男爵に対する恩返しでもある。
しかし・・・・あの男の他人に認めてもらいたいという気持ちを叶えたかったのだ。
ところが・・・・あの男は道を踏み外してしまった。
それを助ける事も出来なかった事もベレンゲラは思い出したので小さく吐息した。
そして鞘を抜いて刀身を見る。
自分の愛剣とは全く違う造りは見るだけで心が奪われる。
同時に自分の昂ぶった気持ちを一刀両断するように真っ直ぐな刃文が光った。
その刃文にベレンゲラは自分の心が清められた気持ちになりながら暫し・・・・真っ直ぐ伸びた刃文を見たが時間も考えてはいたのだろう。
ある程度の時間になるとベレンゲラは辺境男爵の形見の湾刀を鞘に納めた。
そして手入れを終えた愛剣等を次々と仕舞い始め、それが終えた頃にフェルナンドは現れた。
「大公の準備が出来ました」
「そうですか・・・・では、こちらへ御通し下さい」
「御意。ただ、大公の従者は腕利きの騎士ですので・・・・私も同席させて頂きます」
「貴方と私の両人が居なくなれば騎士団は誰が指揮するのですか?」
フェルナンドの申し出をベレンゲラは静かな口調で謝辞した。
「私達が居らずとも然して問題は無いよう育てましたし・・・・今回はどうも嫌な予感がするのです」
どうか、お聞き届け下さいとフェルナンドは再度ベレンゲラに頭を下げた。
それを見てベレンゲラは早くも根負けしたのか同席するのを許可した。
「ありがとうございます。では、直ぐに大公を御連れします」
フェルナンドはベレンゲラに浅く一礼して部屋を出て行ったが、残されたベレンゲラはフェルナンドが言ったように自身も嫌な予感を胸に抱いた。
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ベレンゲラは執務室の席に座りドアをジッと見ていた。
既に足音は遠くから聞こえて来て・・・・間もなくドアまで止まるという事も知っている。
ただ・・・・ドアに近付く度に感じる陰険な気は好きになれない。
『これも我国の性かしらね?』
そこまで自分は陰険ではないと自己評価を下したベレンゲラだがドアが控え目に叩かれると騎士団長の表情をして問い掛けた。
「どなたですか?」
『副団長フェルナンド、ただ今・・・・アンドーラ宰相と、護衛の者を御連れしました』
「直ぐ入れなさい」
ベレンゲラが許可するとドアは外側から開いてフェルナンドが先に入った。
その次に入って来たのは鍛えられた肉体を鎧で覆った騎士2名で、その次に入って来たのは長身で酷く伸びた鷲の鼻と剃刀みたいに鋭い睫毛が特徴の老人だった。
ただ服装は上から下まで皺一つなく背筋もピンと伸びている辺りは容貌と相まって紳士らしいが・・・・・・・・・
性格は極めて残忍で酷薄な性格で知られており、敵対者には女だろうと子供だろうと容赦しない。
そんな性格から然る宮廷の人間は「刑場をうろつく犬」と称し、また然る人間は「毒蛇に手足が生えたような存在」とさえ言っている。
それだけの芸当を目の前の老紳士はやってきたし、今もやろうとしている。
しかし・・・・剛毅果断な性格も持ち合わせているのはここに自ら足を運んだ事で証明しているとベレンゲラは思いながら席を立った。
「久し振りですな?ベレンゲラ伯爵」
老紳士は護衛が全員入り、フェルナンドがドアを閉じた事を確認してからベレンゲラに会釈した。
「アンドーラ宰相も御元気そうですね?」
当たり障りのない台詞をベレンゲラは言いながらアンドーラ宰相を椅子に座らせ、フェルナンドに茶の用意を命じ自身も向き合う形で腰を下ろした。
護衛の者達は左右と後ろに立ち、何時でも剣を抜けるように左手を剣から手放していない。
「今日は何用で来られたのですか?」
ベレンゲラは無駄な話をしないとばかりにアンドーラに問い掛け、アンドーラも無駄な会話は嫌いなのか鷹揚に頷いた。
「恐らく貴殿の所にも訪れたとは思うが・・・・あの”悪童”が私の所へ来たのだ」
内容は私の娘を宮廷に上がれと父親である自分の方から命令しろという内容だったとアンドーラはベレンゲラに言った。
しかしベレンゲラは冷笑を浮かべた。
「私共の仕える主人が如何に硬い意思を持っているかは貴方様が身を持っている知っている筈なのに・・・・随分と馬鹿な真似をしましたね」
「あぁ、まったくだ。しかも第3王子の書状も見せてきたが・・・・思わず奴の喉首を噛み切ってやりたかった」
アンドーラは蛇のように狡猾な眼でベレンゲラを見た。
「貴方が駄犬を相手に・・・・それほどの怒りを露わにする辺り・・・・宮廷で何かありましたか?」
自分の想像を越えていると直感しながらベレンゲラが問うとアンドーラは懐から一枚の書状を出してテーブルの上に置いた。
「それを読めば貴殿も怒りを覚えずにはいられん筈だ。もっとも駄犬だけでなく・・・・第3王子に対しても・・・・な」
意味あり気な言葉をアンドーラは言うが、ベレンゲラは答えずに書状を取り上げて読んでみた。
しかし・・・・直ぐに・・・・その言葉に頷いた。