終幕:老人の羨望
アンドーラ宰相は玉座の間から降りて退室した皇帝の後ろ姿を暫し見ていた。
『初めて見た時に比べると大きくなられものだな・・・・・・・・』
幼少期に会った際は律儀で朴訥が服を着た小柄な皇子という印象だったなとアンドーラは遠い昔を思い出した。
しかし今は亡き先代皇帝は長男、三男に比べて知勇に劣る現皇帝を余り可愛がっていなかったが・・・・・・・・
『あの方は武人ではなく文人向きだ』
それは亡き先代皇帝から命じられて教育係をしていたアンドーラは確信を持っていた。
やがて先代皇帝も見抜いたのか・・・・・・・・
『いや、あの方の事だ・・・・国内を安定させる為に優れた武人を欲しがっていたのだろう』
現皇帝が幼少期の頃は辺境の民を始め何かと国内がゴタゴタしていたのを思い出しアンドーラは先代皇帝の目利きを確かと思い直した。
もっとも現皇帝は先代皇帝を始め兄弟が華々しく戦を駆けたのを悔し涙を流しながら見ていたのもアンドーラは知っている。
とはいえ・・・・・・・・
『あの方に武人としての素質が・・・・欠けていたのは事実だったな』
現に辺境の一部族が反乱を起こしたので鎮圧せよと命じられた現皇帝は・・・・そこで大怪我を負った末に敗北して帰って来た。
あんな一部族の反乱など1日もあれば十分だが・・・・5日も掛かった末に敗北とあれば目も当てられない。
しかし一緒に居たアンドーラとしては「猛将」タイプの現皇帝では「智将」タイプの敵と相性が悪くて当たり前と見えた。
だが他の重臣達から見れば戦の能力に欠けた皇子としか映らなかったのは仕方ない事だろうが・・・・あの時点で国内は一定の安定を迎えたのは事実だ。
故に自分と元帥を始め、国政を行う重臣を先代皇帝は密かに集めて・・・・こう問い掛けたのだ。
『我が愚息達の中で・・・・誰を次の皇帝にするべきか?それぞれ本心で答えろ』
これを問われた時は自分を含め誰もが最初に驚いたが、直ぐに次期皇帝の跡目争いを勝ち残る為に・・・・それぞれが推す皇子を出した。
といっても・・・・・・・・
『現皇帝を推したのは私と元帥だけだった・・・・・・・・』
後の重臣達は第1皇子か、第3皇子で果ては10歳になったばかりの第4皇子を推す者が殆どだった。
それだけ現皇帝は先代皇帝に仕えた重臣達には頼りなく映ったのは否めない。
しかし・・・・・・・・
『先代皇帝の目利きは正しかったな』
アンドーラは現皇帝を次期皇帝にすると皆の前で断言した際に言った先代皇帝の台詞を思い出した。
『国内は一先ず安定した。ならば今後は治安維持に重点を置き、国力向上に眼を向けるべきだ。その点を考えるなら・・・・この愚息が良い』
そう言って先代皇帝は皇帝の座を譲り、それに伴って自分を始めとした重臣も息子や眼を掛けていた部下に後を任せたのである。
もっとも養子になった第1皇子は当然の如く面白くなかったし、軍部で人気のあった第3皇子も内心では面白くなかったのは明白だった。
しかし、それに対して現皇帝は心を砕きつつ公私を完全に切り離し国内を安定化させ・・・・国力向上を目指したのだが・・・・・・・・
『お国柄と言うべきだろうか?』
正式に皇帝の座に現皇帝は先代皇帝の後押しもあり座れ、国内安定および国力向上にも力を入れているが・・・・早くも国内は乱れ始めた。
いや、まだ先代皇帝の時代に比べれば良い方かもしれないが・・・・逆に宮廷の政争は昔以上に苛烈で陰惨になったとアンドーラは睨んでくる第3皇子を一瞥し痛感した。
しかし直ぐにアンドーラはジロリと第3皇子を睨み返す。
「アンドーラ・・・・皇帝を味方にしたからといって良い気になるでないぞっ」
「皇帝を味方にしたとは言葉が違います。私は皇帝陛下より御命令されたに過ぎません」
アンドーラは自身に刺客を寄越そうとした小僧を睨みつつ涼しい口調で返答した。
しかし、第3皇子にはそれすら憎悪の対象となるのだろう。
今にも剣を抜きそうな勢いだったがアンドーラは火に油を注ぐ発言をした。
「何より私は自身の生命と財産・・・・そして愛娘を護る為に動いただけの事です。これに怒りを覚えるというのなら・・・・自白しているのと同じですな」
「戯言を申すな!私は皇子だ!皇子が臣下の娘を側室に迎えようとして何が悪い?!」
「それについては何ら悪くありません。ですが物事には筋道や道理というものがあります。それを無視してやろうとするのが問題です」
また相手が断ったならスッパリ諦めるのも男の嗜みであるとアンドーラは第3皇子に説いたが、目の前の小僧には解らないだろうと思ってはいた。
何せ目の前の小僧は修道女を側室にする為に監禁して脅迫紛いの事までする位は平気でやる。
それ位は為政者なら時にはやっても良いだろうが・・・・それだって国益の為などの大義名分が必要である。
ただ己の欲望や名誉の為にやるようならば・・・・ただの我儘な餓鬼というのがアンドーラの持論であり、その持論を第3皇子は見事に当て嵌めるような所業を今も行っている。
「この場で改めて言います。我が愛娘は誰とも結婚する気は無いそうです。私は認めておりませんが・・・・今も辺境男爵に愛を捧げているのですよ」
「ふんっ。あんな”居残り組”の子孫などより私の方が身分や格も上だ!それを父である貴様が説得しろ!!」
「いいえ、無理です。あの娘は私が説き伏せても聞くような性格ではありません。また・・・・確かに身分では貴方の方が辺境男爵より上でしょう」
しかしとアンドーラは区切って・・・・音もなく現れた2人の男を一瞥してから第3皇子に告げた。
「あの男と貴方とでは格の違いではなく・・・・”次元”が違います」
貴方では逆立ちしたって勝てないとアンドーラは止めの一言を言い、完全に激情した第3皇子が剣を抜いた瞬間・・・・2人の男に命じた。
「第3皇子は酷く精神的に混乱しておられる。今すぐ我が領土の別荘へ御連れ致せ。これは皇帝陛下直々の命令である」
例え乳母やバスティリャ・ショウリン家の人間が抗議してこようと・・・・・・・・
「構う事は無い。皇帝の命令は絶対だからな」
さぁ連れて行けとアンドーラが命じると2人の男は第3皇子を左右から取り押さえた。
「は、離せ!私を誰だと思っている!!ムガリム帝国現皇帝の息子だぞ!!」
第3皇子は左右を抑える2人に怒鳴るが2人は無表情で第3皇子を玉座の間から連れて行きアンドーラが一人だけ残された。
「・・・・これで暫くは大人しくなろう」
いや、なって欲しいとアンドーラは言い直したが直ぐに自嘲した。
「こんな台詞を言う辺り・・・・やはり私も老いたな」
一昔前なら絶対に言わなかった台詞だ。
しかも愛娘を後妻に迎えた辺境男爵を擁護するような発言。
あんな発言も一昔前なら絶対にしなかった。
今でもアンドーラは愛娘が愛を捧げ続ける辺境男爵が嫌いだった。
辺境男爵が前妻との間に儲けた一人息子も身内とは認めていないし、国外追放に処された際も清々したと思った程である。
ところが最近は・・・・違う。
先ほど辺境男爵を擁護した台詞もそうだし・・・・あの「血の夢」に酔った義理の孫は何をしているのかと考えるのだ。
「ふっ・・・・これが年を取るというものか?」
自分なのに心境を理解できないアンドーラは自嘲した。
だが、その理解できない心境すら・・・・今なら受け入れられると思えてしまうから・・・・こう言わざるを得ない。
「年は・・・・取りたくないものだ」
こんな風に変わる自分を受け入れるのは自分には向いていないとアンドーラは独白したが直ぐに玉座の間を後にした。
ただ、それから間もなく部下がベレンゲラ達が船で出発したという報告を聞いた際は・・・・羨望の念を抱いた。
その羨望が何を意味しているのかは現時点ではアンドーラ自身も理解できなかったが何れは・・・・・・・・
孤高の魔剣王 完
一先ず完結ですが、また何かしらの機会があればオッキデンス大陸の話を書きたいと思います。
ですが今回はこれにて終わりとさせて頂きます。




