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ブレイブヤード  作者: 蘇芳
第一部一章
9/19

八節【少年の欠点】

 その日は特に、赤かった。


 灯火が紅かった。

 月光が朱かった。

 地を這う人も――赤かった。


 何もかもが一色で染め上げられた様を見て、少年は立ち尽くした。

 理解はできない。何故? 類似の経験/体験がない。

 質問に答えをくれる者もいない。

 唯一分かったのは、何て単純なのだろうということ。


 何て、呆気ない。


 恐怖を覚えた。しかし同時に諦めもした。

 自分は何もできない、小さな蟻に等しい。

 蟻がもがいた所で、自然の摂理を覆せる筈もない。

 これは即ち、弱肉強食。本能がそう感じ取った。

 知恵を得、群体を為し、物を造ろうとも、所詮は弱者。

 荒れ狂う"獣"の前では、真に無力を露呈する。


「終わりが来た」。そう思えるには十分過ぎる出来事だった。


 諦めた。逃げるのをやめた。いっそのこと、楽になれると思った。

 この凄惨を、これ以上目にしなくて済むからだ。

 このまま蹲っていればいい。どうせ何もできやしない。

 思考を投げ出し、ただ待つのみ。その時が来れば一瞬だろう。

 何も見ず、何も聞かず、何も感じないように……偽る。

 自分という生命は、ここで潰える。

 それが成り行きなら仕方ない。

 産まれた時からこれが運命さだめだったのだと、都合の良い/悪い解釈がなだれ込む。

 少年は抗う術を知らない。

 身じろぎ一つできずに――ここで死ぬはずだった。

 

 だが――――その甘えは許されなかった。


 止まった思考に鞭を打つ者がいた。

 手を引き、駆けろと命じてくる者がいた。

 焔を掻き分け、道を開く者がいた。

 無謀にも厄災に立ち向かい、引き裂かれる者もいた。


 そし  れ を―― ―眺  者が た。


 獣はなお荒れ狂う。

 知性はない。だが本能もない。

 あれは"そうあるべきもの"。

 世界にその在り方が許されたモノ。

 古い伝承を、誰かが語っていた気がした。

 あぁ、ならば。道理だ。

 自分たちは選定される側。

 この逃避は成しえるのか否か。

 その結果だけが全てだろう。


 だが、もし叶うのであれば。

 せめて、   と   だけは――――。


          *


 …………。

 ………………。

 目が覚めた。アラームはまだ鳴ってない。時刻は朝の六時だ。

「…………」

 簡単な着替えだけを済ませ、テントの外に出た。

 霧が出ている。ひんやりとした空気が肌に心地良い。

 村の方は人気が少ない。数人はいるが、全員女だ。恐らく男は狩りに出かけたのだろう。

 …………。

 少し、歩くか。

 目的のない行動は好きじゃない筈なんだが、今朝の俺はどこかおかしいようだ。

 テントを離れ、村の外れに駐めてある車の方へと。

 いや、朝からアイツと顏を合わせたくはないな。方角を九十度変えよう。

 開けた場所から、森の方にある獣道へ。しっかり整備されてる訳じゃないが、人が何度も通っている痕跡がある。これなら危険はないだろう。

 鬱蒼とした森の中を一人歩く。足取りは悪くない。悪くないが、良くもない。まだ脳が眠っているのだろうか。少しフラついてることに今気が付いた。支障はないので、このまま歩き続ける。

 …………。

 ………………。

 五分ほど歩くと、急に視界が開けた。湖だ。

 なるほど、近くに村があるのも納得だ。水の確保はなにより重要だが、これだけ大きな湖があるなら困る事はほぼないだろう。水質も悪くなさそうだ。

 湖のほとりにしゃがみこんで、手で水をすくい顔を洗った。冷たさが染み渡る。

「グレン……?」

 突然の呼び掛けに上体を起こす。少し離れた所で、レイナが佇んでいた。

「何してんだ」

「何も。強いて言うなら朝の散歩」

 レイナはどうでもよさそうに答えた後、俺の顔を見て表情を変えた。何も言わずにこちらへ詰め寄って来る。

「何だよ」

「グレン、ひどい顏してるよ」

「面と向かって悪口言ってんじゃねぇよ」

「そうじゃなくて。顔色が悪いの」

 レイナは俺の頬に手を添えて、心配そうに覗き込んで来た。

「何でもねぇよ。触んな」

「体冷たいわよ、テントの中で冷えたんでしょ」

 なおもぺたぺたと首筋などに触れてくるレイナに対し、いい加減鬱陶しく感じた俺は手を払いのけようと――――

「おや。朝から仲睦まじいですね」

「……今いっちばん会いたくない奴に会ったわ」

「それはどうも。おはようございます、グレン君、レイナさん」

 木の陰から何食わぬ顔で出て来たヨハンに対し、俺は心底嫌なものを見る目を向けた。よりにもよってお前が、このタイミングで来るかと。今朝は体の不調(?)も相まって最悪な日だぜ。

「夜は眠れましたか? 体調が優れないのでしたら、今この場で申告してください」

「先生、グレンの体調がよくな――」

「お前こそ顔が赤いんじゃねーの? ちなみに俺は万全そのものだ」

 レイナの手を払いのけ、明後日の方を見ながら手首を回す。万全には程遠いが、寝起き直後に比べればまだ動く。フィールドワーク程度なら支障はねぇはずだ。

「そうですか。では任務開始時間までは、ゆっくりしていてください」

「ちょっと先生、本当にグレンの体調悪そうなんですけど!」

「本人が万全と言ってますので、それを信じます。彼もアカデミー生とはいえ傭兵ですし、体調管理くらいはできることでしょう」

「でも――」

「もしレイナさんが保健・看護分野の認定証でもお持ちでしたら、話は違ってきますけどね」

「んなモンこいつにはねーよ」

「はい。ですので、本人申告が優位です」

 ヨハンは淡々と受け答えをした後、湖のほとりに膝を突き顔を洗った。レイナは悔しそうに歯噛みしてるが、ようやく分かったようだな。アイツの憎たらしさを。

「アンタ、任務途中で倒れたりしたら許さないから」

「100%ない。どっかのお転婆が脳天蹴飛ばしたりしてこない限りはな」

 イイ目で睨まれたもんで、軽いジョークを交えつつ返したが……一切の反撃ぎゃくぎれもなくレイナは去って行った。何だ、アイツ本気で俺の心配してたのか? 冗談だろ?

「……君の欠点がよく分かりました。まだ自覚すらしていないようですが」

「何だよ、言ってみろよ」

「いいえ、僕から伝えても意味がないことです。それよりも、まずは女性レディに対する接し方を変えた方がいいでしょうね」

 ヨハンは言うだけ言うと、さっさとこの場を立ち去ろうとした。……が、今の言い方で頭に血が上った俺は、気付くとその行く手を阻むように立っていた。

「訳わかんねーことゴチャゴチャ言ってんなよ。しゃらくせぇ」

「小悪党じゃないんですから。言葉遣いも直した方が良いですよ」

「るっせェ!」

 俺はヨハンに掴み掛かった。そろそろ立場ってモンを分からせなきゃいけねェ。

「テメェの一言一句が癪に障ンだよ。何様だ? アァ?」

「ただの案内役兼同業者ですが、何か」

「ッのヤロ……!」

 一発だ。一発こいつの顔面にぶち込んでやればいい。それで立場がハッキリする。ナメた口利くのも、人を小馬鹿にすんのもこれで終いだ。

 左手で胸倉を掴み上げ、ヨハンの体を宙に浮かせる。てんで軽いぞこのモヤシ野郎。何が傭兵だよ、イキがりやがって。

「はぁ……」

「この期に及んで何だその態度は? 抵抗もできませんってか?」

「いえ……ただ残念だなと」

「何が残念か言ってみろよ。言う頃にはテメェの顔面はぐちゃぐち――――」


「本当に。だから子供ガキは嫌いなんです」


 瞬間。

 体が、意識が、吹っ飛んだ。

 何だ、何が起こった?

 何で俺の体が吹っ飛んでやがる――!?

「本当は「先生」と呼ばれるのも嫌なんですけどね。僕にはあまりに不釣り合いなので」

 何、は――? ちょっと待て、俺はヨハンに殴られたのか……!? 左頬に数秒遅れて激痛が走って来やがった……!?

「さっきまでの君の心境を当ててみましょうか。「ナメた口利きやがって」「立場を分からせてやる」「モヤシ野郎」……この辺りでしょうか」

「…………!?」

「図星のようで。まぁ、非常に分かりやすい感情の発露だったので、読心術的には難易度はE-といった所ですが」

 ぺらぺらとムカつく解説を加えるヨハンの野郎を、今すぐにでもぶん殴りに行きてぇが……行きてぇが、体が動かねぇ。まともに立つことすらできねぇ。どうなってやがる……!

「何も特別なことはしていません。ただ少し、脳が揺れるように頬を殴打しただけです」

「テ……め……!」

「その様子だと、体調も万全とは程遠かったようですね。虚偽の申告をされては、任務遂行にも支障が出ます。傭兵としてあるまじき失態です」

「がッ……!?」

 腹部を蹴っ飛ばされる。俺はコンマ数秒宙を舞い、泥のぬかるみに顔面から突っ込んだ。腹の激痛と喉に入り込んだ泥で、盛大に咳き込む。

「君はまだ子どもです。だから多くを知らないし、ヘマをして痛い目にも遭う。この機会に良く学んでください。そうすれば、及第点くらいはあげましょう」

 朦朧とした視界の端で、ヨハンがこちらへ迫って来る。

 体に泥がまとわりつき、ただでさえ動かない体がなお重い。

 このままじゃあの野郎に負かされるどころか、最悪殺される。……昔少しだけ習ったな、素性も分からない同業者には気を付けろって。今更遅いけどよ……!

「とりあえず、任務はこちらでどうにかします。君は村で留守番です。大丈夫、さほど大きな怪我はさせてませんので」

 なわけあるか、と大声を張り上げたかったが。

 情けないことに俺は、小言一つ言い返せないまま気を失った。



 パチ……パチ……パチ、と。焚火の音が遠巻きに聞こえる。

 何だ、また眠っちまったのか。……いや、つか今何時だ? まさか寝過ごしてなんかねぇよな。

 慌ててスマホで時刻を確認しようと起き上がるも、急に腹部に激痛が走り俺は呻いた。何だこれ、クッソ痛ェ……。

 痛みが引くまで数秒を要したが、とりあえずは時間だ。今は……十四時!? 完全にやらかしてるじゃねーかこれ!

 腹部の痛みに加えて左頬までズキズキと痛むが、この程度で任務をポシャるなんてマネはできねぇ。何せ生活がかかってる、俺の生命線とも言える大事な稼ぎ所だ。こんな……テントでソロキャンしてる場合じゃねぇ!

 痛みに耐えつつテントの外に出ると、夜とはまた違った明るい雰囲気のケンラ村が視界に広がった。人通りはそこそこで女が多いが、男もちらほらといる。グループによっちゃ狩りの時間は終わったんだろうな。

「おぉ、グレン。随分遅いお目覚めだな」

「タレク。いきなりで悪いが、他の奴らはどこに行った?」

「お前と一緒だったお上の方々か? 朝には森の方へ行ったらしいぞ」

「チィ……完全に置いてけぼりじゃねーか」

 ヨハンの野郎は最初から期待してねーとして、レイナやマリア先輩まで俺を放って行くのは考えられん。一体何が――

「おや、おやおや、アンタ! まだ動いちゃダメだよ、休んでな!」

「あ……?」

 俺がタレクと話していると、横から急に女が走り寄って来た。年齢は俺やタレクよりも随分いってる……中年くらいのふくよかな女だ。

「アンタ、怪我をした上に泥だらけで村に運ばれて来たんだよ? 一体何があったか知りゃしないけど、今は安静にしてな!」

 怪我……泥だらけ……? 一体このババ……ご婦人は何を言ってるのか。確かに今朝は一回起きて湖の方に行ったが、トラブルなんざ何も…………

「……………………いや、あったわ」

「大丈夫かグレン? すまん、そんな経緯があったとは知らなくてな」

「…………いい、気にすんな」

 衝撃的過ぎてすっかり記憶が飛んでいたが、そうだ。俺はヨハンの野郎にボコボコにのされて、泥んこになって気絶したんだった。あンの野郎。

「アンタより少し背が低めの男の人が、ここまで運んで来てくれたんだよ。感謝しないとね」

 いや原因ソイツなんだが。憎悪はすれど感謝とか一ミリもねぇんだが。

「そういうことなら、しっかり休んで貰わないとな」

「気にすんなっ…て、俺なら大丈夫だ」

「そんな引きつった顏で言われても説得力ないさね! ほらほら、テントに戻って!」

 ふくよかな女は俺をほぼ抱きかかえる形で、強引にテントの中に戻した。……つかどんな腕力してんだよ一体。これでも平均以上の体重はあるぞ俺。

「アンタを運んだ男の人が言ってたけどね、「今朝の体調が優れなかった原因」を考えておけとさ! あとその毛布は一緒にいた女の子のもんだよ! 愛されてるね!」

 女は言いたいだけ言うとシャッ! とテントのジッパーを下ろし、もう外に出て来るなと言わんばかりにテントの前でディフェンスを始めた。アンタは一体何なんだ。

「ハッハッハ! まるでカーラの愛息だなグレン!」

「あらやだタレクったら。こんな可愛い息子ならいくらでも面倒見ちゃうわ!」

 ダッハッハ! とテントの外で豪快に笑いあうタレクとカーラ。呆れて物も言えないとは正にこういう状況のことを言うんだろう。……悔しいが今の一連で分かった、この体調じゃあのオバさんにすら敵う気がしねぇ。不本意どころじゃないが、休む他ねぇみたいだ。

 なるべく腹部に負担が掛からないように、慎重に体を横たえる。柔らかい毛布が肌に当たったので、一応体に掛けておく。…………感想は特にない。あってはならん。

 いつの間に置かれたのか、テントの端には救急箱の他に栄養食と菓子がいくつか。加えてこの紙は……メッセージか? 小さめの丸文字で「元気になるまで、しっかり休んでください。任務は私たちに任せて! マリアより」と書かれてあった。先輩の気遣い痛み入るよ全く。これがレイナなら一言二言は罵倒か苦言が入ってただろうな。

「はー……」

 しっかし情けねぇ、足手まといにしかなってねぇじゃん俺。何やってんだろうな畜生。

 グズグズと不貞腐れるように体を丸め、目を閉じる。……そういやさっきオバさんが、「体調が優れなかった原因」が何とか言ってたな。ヨハンからの言伝なのが非常に癪ではあるが、確かに原因はまだ分かってない。レイナは体が冷えてるって言ってたから、防寒のミスか? だが寝る前と起きた直後、特別寒いとは感じなかったしな。飯もちゃんと食ったし、エネルギー不足の線もないだろう。食当たりってなら俺だけじゃなくレイナや先輩も当たってるはずだろうし…………他に考えられるのはメンタルからの不調くらいだが、俺に限ってまさかな。

「…………」

 強いて関連がありそうなのは「夢」くらいなもんだが、内容すら判然としないようじゃとても関わりがあるとは思えねぇ。体調不良の原因になることはないだろう。

 俺は瞼を閉じ、回り続ける思考を押し留めた。俺に落ち度はねぇ。以上、閉廷。

 今回の任務は骨折り損だったが、たまにはこういうこともあるだろう。次の任務で挽回すりゃあいい。……それまで食い繋ぐにはまぁ、ダンに助けでも乞うか。まず間違いなく茶化されるが、本気マジ窮地ピンチには鋭い男だ。今までも何回かあったしな、こういうパターン。

「……寝たかね?」

「だろうな。休ませてやろう」

 外の二人はそう小声でやり取りをした後、テントの前から去って行った。抜け出すなら今だが、もうそんな気力は到底湧いてこない。

 俺は全身のスイッチを切り、眠りにつこうと試みた。

 だが待てども待てども、睡魔はやって来ることはなかった。

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