六節【街を離れて】
昼と夕方の丁度中頃、任務の案内人兼リーダーであるヨハン・ボーの私用車「軽装甲機動車」に乗り込んだ俺たちは、イーストスクエアの南端にある大門の前に来ていた。
目前に迫る高さ約百メートルの分厚い壁を見上げて、俺は軽くため息をこぼす。呆れと感心が入り混じった複雑な気分だ。人間の可能性なんざ基本信じてないが、これを見せつけられると少しは心にクるものがあるな。
「うわー、改めて見ると凄い迫力」
レイナが顏を真上に向けながら感動している。傍から見ると間抜けな絵面だが、俺も同じ感想を抱いていたので指摘はできない。
この街に住む奴なら誰でも知ってることだが、街の外郭はこれこの様にして、馬鹿みたいに分厚くて高い壁で囲まれている。所謂「都市防壁」という奴だが、これのお陰で俺たち市民は魔物や災害といった脅威に晒されず、安心して日々を過ごせている。
「皆さん、手続きが終わりましたよ」
俺たちが防壁を眺めている間、ヨハンは窓口で外出の許可申請を行なっていた。時間にして数分、恐らく通行料を払うだけで、申請理由に疑問は持たれなかったのだろう。
これだけの防壁を造ったのだから、当然その出入り口にもああいった「関所」が置かれるのは当然のことだ。通るには金が要るし、通る理由も正当・明確なものでなければならない。面倒だが必要なシステムだ。
ちなみに常日頃から業務等で出入りを繰り返す必要のある奴は、個人・団体とで事前に纏まった申請を出せば、それ以降はカード一枚を提示するだけで通れたりする。電車の定期券みたいなもんだが、申請が通るかは審査次第だ。
「それでは、これより街の外へ出ます。皆さん準備はよろしいですね?」
ヨハンは律儀に意思確認を行なってから、俺たちに車へ乗るようにと告げた。今となってはもはや形骸化してるが、最初の壁(木造のちっぽけなものだったらしい)が出来た当時は、この「本人の意思確認」がかなり重要視されていたらしい。何故なら当時は、一歩壁の外に出ればどんな危険があるか分からず、すぐさま命を落とすかもしれないという状況にあったからだそうだ。言ってしまえば壁の外へ出るということは死にに行くようなもんで、それを本人の意思以外に強制できるものはないということを強調するがための儀式みたいなもんだ。全くご立派だぜ。
「グレン君。君の意思確認がまだですが?」
「あぁーハイハイ。平気っスよ」
俺が生返事をして車に乗り込もうとすると、ヨハンの野郎は何を思ったのか、俺の足を蹴っ飛ばしやがった。当然俺は無様にすっ転んだわけだが……いきなり何しやがるテメェ。打ちどころが悪かったらどうすんだコラ。
「私は「意思確認をしてください」と言いました。先の二名はしっかりそれをやっていました。しかし貴方はどうです? 明らかに杜撰でしたが」
……チィ、めんどくせーな。
「平気っつったろ。何も心配はねぇし、何があっても誰も恨まねぇよ」
「では、それをもう一度、ちゃんと言ってください。私には伝わりませんでしたので」
この野郎、教科書通りだとは思ってたがここまでか。前言撤回だ。こんな融通の効かねぇ奴との仕事とか反吐が出そうになる。
「外に出るのは俺の意思だ。あいつらにもアンタにも、責任転嫁するこたァねーよ」
「……良いでしょう。では、乗ってください」
ヨハンの返答を待ってから、もう一度車に乗り込む。内心腸が煮えくり返る思いだったが、ここで問題を起こして任務自体がポシャったりでもしたら事だからな。ここは抑えておいてやる。覚えとけ。
俺が車内の後部座席に座ったところでヨハンが車に乗り込み、二重ロックのドアを閉めてから、そのまま前方の運転席へと腰を下ろした。
「これから約二時間半掛けて、目的地であるロッソ森林まで移動します。それまでの間、各自好きなことをしていてください。休んで貰っても構いません」
運転席のコンピューターを操作しながら、ヨハンがそうアナウンスする。何だ、さっき俺にクソ真面目な意思確認を取った割には、ここは緩く行くのかよ。基準が分からんぞ。
「グレン、はいこれ」
「何だよ」
「ガーゼよ。擦りむいてんでしょ」
レイナが指差した先、俺の左肘付近には確かに擦傷があった。さっき転がされた時、咄嗟の受け身をミスったせいだな。
「消毒液はその箱にあるし、手当ては自分でやってね。じゃ」
レイナは手短に要件だけ伝えると、自分の席に戻って先輩とのお喋りを再開した。こういう時、アイツのサッパリとした性格は何つーか、その。悪くないな。
「……ふ――……」
座席にもたれるように深く座り込み、緩慢な動作で傷の手当てをする。こんな傷どうってことないが、膿みだしたら面倒だからな。処置しといて損はないだろう。
消毒が終わってからガーゼを巻き、傷口に固定する。これで雑菌は繁殖しない。多分。
「…………」
首を少し傾けると、小せぇ窓から車がゲートを通過する様子が見れた。ここはもうイーストスクエアの外だ。安全は保障されねぇ。だが不思議と不安はない。……こんな大層な鉄の塊に乗ってりゃ当然か。並の魔物に小突かれたくらいじゃビクともしねーだろうよ。
街の外は、単なるだだっ広い荒野だ。障害物は岩ぐらいしかない。魔物は……ほんの少し。チラホラと見える程度だ。何の脅威にもならん。
ったく、こんな車引っ張り出して来たからには……相応の理由があるかと……思えば。何てことはねぇ……ただの…………じゃ……ねぇ……。…………。…………。
「グレン君、寝ちゃった」
「しー。起こすと面倒ですよ、先輩」
「そうなの? よく知ってるね」
「いぇっ、あっ、違う! そういうのじゃなくてっ」
「ふふ、冗談。それよりレイナさん、そろそろ呼び方を変えてもいい?」
「えっ? どうするんです?」
「んー、レイナちゃんとか」
「ちゃん付け……あはは……」
「イヤ?」
「いえそんな! 嬉しいです!」
「良かった。堅いのは、どちらかというと苦手で」
「そうなんですか。意外です」
「最近はそういう、仕事の付き合いばかりだから……」
「ええ? 先輩友達多そうですし、彼氏さんとかもいそうですけど」
「かっ……! いないいないっ、いませんっ」
「おぉ? おぉー?」
「なっ、なに、レイナちゃん。その顔は」
「いやぁ、うんうん。これはようやく弱点が見えそうだなぁ~と」
「弱点って、何の……?」
「何でしょうねー♪」
女子二人の甘ったるい話題と、軽装甲機動車の無骨な駆動音をBGMにしながら、俺は二時間半丸々眠った。
「グレン君、起きて」
ゆさゆさと、とても遠慮がちな振動で俺は目覚めた。薄目を開けると、暗がりの中で誰かが俺を揺さぶっている。誰だ。
「ごめんなさい。目的地に着いたから、起きて」
声が弱い。押しが弱い。そんなんじゃ二度寝するだけだぞ。それとも何だ、こいつは俺を更なる眠りへ誘おうと――
「こらグレン、いつまで寝てんの! 先輩を困らせるなっての!」
突然の爆音で意識が強引に引き戻される。体が反射反応を起こして、すぐ近くにいた人物……マリア先輩に体をぶつけてしまった。さっきの遠慮がちな起こし方は先輩だったのか。
「っ……先輩、スンマセン」
「う、ううん。気にしないで」
割とがっつり体が当たってしまったため、先輩の意外なほど柔らかな感触が伝わってきてしまった。これはまずい。まずい上に気まずい。さっさと車から降りるとしよう。
軽装甲機動車から降りると、沈みかけの西日が周囲の森を赤く染めていた。時間にして大体十八時前ってところか。予定通り現地に着いたようだな。
「遅い! ほらアンタもこれ持つ! 重いんだから!」
頭に響くキンキン声でレイナが怒鳴り、俺にキャンプ設営セット(骨組みやら布やら)を強引に押し付けて来た。確かに重い。寝起きの怠さと相まって尚重い。
「全員揃いましたね。では、近くの村へ移動します」
「村? 野宿じゃないのか?」
事前説明に村へ行くなんて予定は組み込まれてなかったはずだ。ここに来てプラン変更か?
「アンタは寝てて聞いてなかっただろうけど、このすぐ近くに村があって、そこでテントを張って良いって許可をヨハン先生が取ってくれたのよ。森の中は危険だからってね」
「よく突発でそんな許可が取れたな。事前の連絡はしてなかったんだろ?」
「知らないわよ。そこはヨハン先生しか分かんないし」
あ、そう。別に蒸し返すようなことでもねぇし、俺たちにとっても村の中で夜を過ごせるのは好都合だからいいけどよ。
それよりも気になるのは……
「つーかその「先生」ってのは何だ。いつからあのヤローの門下に入ったんだ?」
「あのヤローとか言わない。ヨハン先生は物知りだし、道中いろいろ教えてくれたから、先生って呼ぶことにしたのよ」
「うっわ、下らねぇ」
「そう思うなら勝手にヘソ曲げてれば? ちなみに先輩も私側だからね」
先輩に限ってそんな浅はかな……と思いつつ顏を向けると、
「………………中等部の時の、担任の先生に似てたから…………」
恥ずかしそうにもじもじしながら、非常に単純明快な回答をくれるのであった。
「では、私は村長と話がありますので。貴方たちはここでテントの設営をお願いします」
そう言うと、ヨハンはさっさと村奥の方まで行っちまった。残された俺たちはと言えば、周囲から奇異の視線に晒されながらテントを張る羽目に。何だこの罰ゲーム染みた扱いは。
「話は通ってるのかな? 勝手に村の中でテント張ってるとか思われてたら嫌なんだけど」
「私、聞いて来るね」
俺達が居心地悪そうにしているのを見かねた先輩が、臆することもなく村人たちにコミュを取りに行ってくれた。流石先輩、頼り甲斐がある。
「ねぇグレン。この村大丈夫だと思う?」
「どういう意味だ」
「村の人たちもそうだけど、何か雰囲気が……儀式の生贄とかにされないかな」
コイツは割と失礼な思考回路を持ってるな。今更だが。
確かにこの村の雰囲気は先住民のそれに酷似してはいるが、不思議と危機感は感じない。
「大丈夫だろ。多分」
「多分って何よ」
「多分は多分だ。それに寝首を掻かれでもされなきゃ、一般人にやられることはねぇだろ?」
「それはそうだけど……ちょっと待って寝首? 寝込みを襲われるの!?」
「可能性としてはあるんじゃねぇか」
「やめてよバカ!」
ドゴォ、と割と強めのボディブローをくらった。俺は村人よりお前が怖いよ。
脇腹を擦りつつ、テント布に骨組を通し、形を作る。いろいろ細かい手順はあるが、まぁ布を張って足を固定すりゃ大体はOKだ。最近のテントは随分機能的になってて、一手間で組み上がる物もあるとかないとか。生憎今回のはそんなに便利なもんじゃないがな。
テントがある程度組み上がった所で、先輩が村人一人を連れて戻って来た。浅黒い肌に腰布を纏っただけの男だが、そこまで野蛮さは感じない。
「二人とも、組み立てを任せてしまってごめんなさい。丁度今話がついた所で、こちらは村民のタレクさん」
タレクと呼ばれた男は先輩に軽く頷き、改めて俺達に向き合った。
「話は聞いた。アンタら「お上」から来たんだってな」
「お上……? 一体何だそりゃ」
俺とレイナがピンと来ずに呆けていると、先輩が軽いジェスチャーを交えて説明を始めた。
「ここケンラ村では、イーストスクエアに住む人々のことを「お上」と呼ぶそうよ。何でも十年くらい前までの、交易があった頃の名残らしいわ」
「なるほど、得意先って意味か」
俺のまとめに対し、先輩は頷いた。
「そう。今ではそれもなくなってしまったけれど、村の人たちは好感を持ち続けてくれているみたい。ありがたい話ね」
言われてみれば確かに、周囲からの視線は羨望の色が強かった。物珍しさで、或いは獲物として観察されてたわけじゃなかったようだな。
「お上の人なら大歓迎だ。何もないとこだが、まぁゆっくりしていってくれ」
タレクという名の男は気さくな笑みを浮かべた後、周囲の人だかりを払ってくれた。これは助かる、やっと一息つけそうだ。
「先輩ありがとうございますぅ~」
レイナが心底安心したといった様子で、先輩に抱き付いた。お前いつの間にそんな馴れ馴れしくなったんだ? 先輩も先輩で頭を撫でてやってるが、そいつは甘やかすと付け上がるぞ。
「あー、グレンが羨ましそうな顔で見てる~」
「見てねーよ」
「……グレン君も、くる?」
「行きませんったら!」
人目の付く所でそんな真似ができるかッ。……いや人目がなかったらいいのかという問題はさておき、だ。
女子二人の甘ったるい雰囲気が嫌になった俺は、地べたに置いていた荷物を自分のテントの中に放り込み、自身も中へ入った。一応出入り口は網だけを降ろし、急な声掛けにも出られるようにしておく。ヨハンが戻って来るまではあくまで待機だからな。
「…………」
テントの中で仰向けになり、低い天井を見つめる。一人のスペースを確保できたことで、少しは考え事ができる状態になったな。
さっきの先輩の話、村人たちの手前「なぜ交易はなくなったのか?」なんて質問はできなかったが……こっちを「お上」と呼び続けるほどの関係が、何故崩れたのか。イーストスクエア側に旨みがなかったのか、それとも取引を打ち切らざるを得ない問題でも起きたのか……。
いずれにしても当てずっぽうな推測にしかならんな。十年前というワードが引っ掛かりこそすれ、先輩の口から語られた情報だけじゃ材料不足感は否めない。一応事前リサーチはしたんだが、出て来たのは淡々としたフィールドワークの記録だけだったし、俺に分かる範囲に解はないと見た。
ゴロン、と寝返りをうつ。諦めの姿勢だ。別にこの村の事情を掘り下げたところで、報酬が高くなるわけでもない。余計なことを考える暇があったら、明日の動きのイメージでもしておいた方がよっぽど有意義だろう。
「…………」
虫の音を聴きながら、ぼんやりと思考を働かせる。準備、出発、採集、戦闘、食事、情報交換、記録、撤収……よくあるフィールドワークの流れだ。数回魔物との戦闘はあるが、基本的には状況確認と数値計測。やり方にもマニュアルがあり、手順通りにやっていけば何も問題は起こらない。現地に足を運ぶのが億劫でなければ、傭兵が一番楽に稼げる方法らしい。俺たちアカデミー生にとっては単位もな。
「グレン君。まだ解散していいとは伝えてませんが」
「……へいへい」
いつの間にか戻ってたらしいヨハンが、何の遠慮もなく網を開けてこちらに手招きした。元々待機のつもりだったので、素直にテントから身を乗り出す。
「ちゃんと出てください」
「…………」
チィ。やっぱダメか。
「子どもみたいなことやってんじゃないわよ」
「試し行動……っていうのかな?」
冷めた目で見下ろすレイナと、悪気なく分析する先輩。とある女のせいでガキ扱いには慣れたが、それはそれとして気分が良いものじゃあない。解散宣言でも何でもいいから、さっさと済ませてくれ。
「――では、無事に現地に到着することができましたので、ここから明日の午前七時までは自由時間とします。各自休息を取るなり、英気を養うなりしておいてください」
「フィールドワークごときで英気かよ」
「聞こえていますよ、グレン君。出発前から思っていましたが、君の任務に対する態度は如何なものかと思います。明日の朝までには改善が見られるよう、努力してください」
何だそりゃ。するわけねーだろ。
「すみませんこいつ馬鹿なんで! しっかり言い聞かせておきますね!」
レイナが「すみません」と発言した辺りで、俺の側頭部に回し蹴りがぶち込まれていた。一瞬意識が飛んだ俺の胸倉を掴んで静止させたレイナは、そのままの状態でヨハンに平謝りしていた。俺は頭の中がグラグラして、未だ動けない。
「それは結構ですが、レイナさん。力加減をもう少し考えるべきかとは思います。今のは打ち所が悪ければ死んでますから」
「次から気を付けます、すみません!」
ヨハンはレイナに注意を促しはしたが、暴力自体を咎めはしなかった。傭兵らしいとこもあるじゃねーか、くそ。
「はい。では、私は先に車で休んでいますので。何かあれば呼んでください」
最後まで淡々と表情一つ変えずに、ヨハンは車に戻って行った。結局俺は殴られ……いや蹴られ損か。報われねぇ。
「アンタは自業自得なんだから。ほら、シャキっとしなさいよ」
ぐわんぐわんと無遠慮に体を揺すられる。鬼かこいつは。俺じゃなかったら死んでるぞマジで。
「レイナちゃん、そこまでにしてあげよう? ね?」
「先輩がそう言うならー、ちぇ」
ようやく揺さぶりが収まり、地面に投げ出される俺。レイナテメェいつか覚えてろよ。
「それより先輩、あっちでキャンプファイヤーやるみたいですよ! 一緒に行きません?」
「うん……でもグレン君が……」
「平気平気、あの程度でどうにかなるほど柔な男じゃないですから」
「そう……?」
「そうです! ささ、行きましょ行きましょ」
地面に突っ伏してる俺を尻目に、レイナと先輩は村の一際明るい一帯へと、腕を組んで歩いて行ってしまった。仲良さそうでいいっスね、ほんと。
「……運ぶか?」
「いや、いい」
近くで一部始終を見ていたらしい村民のタレク氏だけが、俺を気にかけてくれるのであった。