二節【トーナメント開幕】
脳天に振り下ろされる漆黒の棍。教師であり、俺とレイナの担任でもあるクローディアの得物だ。今時体罰か? と思うだろうが、うちの学園じゃ普通のことだ。何せここC.W.A.は、「傭兵輩出」を主な役割としているのだから。
「――――」
状況がスローモーションで流れ、棍があと数センチで直撃する所まで迫る。動体視力に自信はあるが、だからといって避けられるものでもなし。目で見て頭で分かってはいても、体は付いて来ない。
畜生、また医務室コースか――
「――ふんッ!!」
ガキィッ!! と金属が打ちつけられる音が鈍く響く。俺の頭部にダメージはない。今のは……
「ほう。随分と腕を上げたな? ダン・マクラーレン」
ダンだ。あの脳筋バカが、クローディアの棍を予測し、拳で防いだのか……!
「俺も単に講義サボってるだけじゃあないんスよ、先生」
「面白い。そして気が変わった。お前にも仕置きをくれてやろう」
キンッ、と一旦距離を取ったクローディアは、棍を構え直し、ダンに突撃した。
「うォっ!?」
腹部に一発。頭部に二発。それから見えにくかったが、左右の脚部にも数発。恐ろしい連撃だが……ダンはまだ膝をついていない。
俺だったらとっくに転がってんぞ。なんつータフネスだよ。
「フフ……確かに。以前は二度打っただけで倒れ込んでいたはずだが、七発耐えたか」
「へへッ、こんなモンじゃねぇよ……! もっと来いよッ!」
ダンは明らかにクローディアを挑発している。あれは単に熱くなってるわけじゃない。
クローディアからは見えない位置で、俺に合図を送っている。つまりは「わざと引きつけて」いる。それが自分にできる役割だと考えたんだろう。
「チッ……高くついたな」
アイツに借りを作るほど面倒なことはないが、今は仕方ない。
「うおおおぉぉぉ!!!」
ダンがクローディアに掴み掛かったタイミングで、俺はワイヤーを二時の方向の柱に放った。いくら距離を保った所で、クローディア相手に平面の移動は危険だ。すぐに肉迫されて潰されるに決まっている。
嫌な音を立てワイヤーが巻き上がり、それに合わせて俺の体も宙に浮く。さながらスタント必須のヒーローの様に。
「(Gが……!)」
重力とワイヤーに引っ張られる力で、体が軋む。さっき寮でやったような「下りる」使い方ならさほど問題はないが、こうして「上がる」使い方をすると負担が大きい。あまり何度も使えるものじゃあない。
だが、これでクローディアも手を出せないハズだ。念には念を入れて、安全マージンを外さないのが俺のやり方だからな。恨むなよ。
「いけェグレン! まだ時間はある!」
「あぁッ!」
柄にもなく返事なんざしちまったが、連携が上手く取れた時は気分が良いからな。今くらいはアイツの気概に応えてやってもいいだろう。
あと数メートル。柱に取り付いたら、あとは段差を駆け下りて教学部に入るだけだ。さすがのクローディアも、屋内で暴れたりはしないだろう。つまり中にさえ入ってしまえば俺達の勝ちだ。ざまぁみろ。
顔がニヤつく。俺は特に趣味があるわけでもないが、偉そうな奴らを出し抜ける瞬間は好きだ。主に教員をな。この前だって探偵科教員のロベルトを――
「二度同じ手が通用するとでも?」
ゾクリ、とした。
間違いない。クローディアの声だ。
後方から? いやそんな馬鹿な。
今のは「耳元から」聞こえたぞ……!
「な……に……っ!?」
そこにいる。すぐ傍に。何故。何故……!?
俺は物理法則が、いや人間の身体能力が信じられなくなった。
クローディアは何も使っていなかった。単なる跳躍で、ワイヤー移動中の俺に追い付き、空中で引っ掴んだ。
「済まんな。これは切らせてもらう」
どこからか取り出したのであろう黒染めのナイフで、俺のワイヤーを断ち切るクローディア。冗談だろ。一トンだろうが引っ張れる強度のワイヤーだぞ。
「――――」
当然、落ちる。落下する。目測で七メートル。地面は硬いコンクリート。自由落下ならほぼ間違いなく骨折する。運が悪ければ死ぬ。そんな高さだ。
どうする、どうする。予備のワイヤーはもうない。完全な空中に投げ出されたせいで、掴まれる建物もない。このまま落ちるしかない……!
「う、うわぁぁァァァ!!!」
情けない声を上げてしまう。体中を嫌な浮遊感が支配する。コンクリートの地面が刻一刻と迫り来る。たとえ受け身を取った所で、ダメージの軽減率など知れているだろう。
終わった。トーナメントどころか、この先数か月か、もしくは数年。運が悪ければ一生、俺は傭兵として体にハンディを背負う。そうなったらどうする? 今の俺にはこれしかない。今更普通の学校でいい子ちゃんができるとも思えない。俺の人生はここで大負債を抱えることに……
「全く。まだまだ青いか」
クローディアが嘆息したかと思うと、俺を……俺を抱きかかえた……!?
「何……してッ」
「喋るな。舌を噛むぞ」
体勢は不十分だが、俺の体はクローディアに抱かれている。このまま着地すれば……投げ出されさえされなければだが……俺は体のどこにもダメージを負わない。
だがその代わり、クローディアが二人分のダメージを背負い込むことになる。それは、いくらこいつでも無理があるんじゃ――
「ふっ――」
着地の瞬間。クローディアは確かに、その両足だけを地に付けた。俺とクローディアに乗った重力が、全てその二点に掛かったはずだ。
次いでごろごろごろ、と俺達二人は転がった。出来の悪い受け身だったが、あの体勢からなら仕方ないだろう。やらないよりはマシってやつだ。
「グレンっ……!!」
遠くでレイナの声が聞こえるが、認識は曖昧だ。頭がボーっとして、状況を認識できない。俺は助かったのか? 体に痛みはない。むしろ柔らかいものに包まれて心地いいような……
「!?」
むにゅりと、顔面にあてがわれているものを知覚した時、俺は思考が止まった。
「ン……怪我はないか」
クローディアが、超至近距離でそう尋ねて来る。俺は未だに思考が止まってるせいで、返事はおろか身じろぎ一つできない。
「答えないならこのままだが? ……あぁいや、それとも。むしろこのままの方がいいのか?」
「……ぐっ! 放せ!」
ようやく脳に血流が戻った俺は、クローディアの腕から逃れて立ち上がった。何だあの凶器は。ふざけんな。……若干匂いまで付いたじゃねーか!
ぐしぐしと袖で顔を拭く。あー女くせぇ。俺は香水だとかそういうのは苦手なんだよ畜生! しかもよりによってあの乱暴教師だぞ! 冗談じゃねぇ!
「ふん……元気そうで何よりだが、そうまで嫌がられては私もプライドが傷つくな?」
「何がプライドだこの馬鹿力女が! 一体何メートル跳んでんだよ人間じゃねぇだろ! ……っつかダンは!?」
そうだ、この化物を押し留めていたはずの盾役は何してんだ。
「ォ……ぅ……」
振り返るとそこには体を「くの字」にして倒れ込んでいる大男がいた。情けなさ過ぎるぞお前。今時漫画でも見ねぇよそんな様。
「アレも頑張りはした、そこは認めてやろう。だがそれとこれ……トーナメントの出場を許すかどうかは別問題だ。もう一度言うが、お前たちにトーナメント出場の資格はない」
いつの間にか俺から掠め取っていたのであろうポスターを見せつけながら捲し立ててくるクローディア。あの一瞬で随分余裕があったもんだな、この化物は。
「あの、クローディア先生。私からもお願いします、二人をトーナメントに――」
「ダメだ、レイナ・セルダ。お前は優秀な教え子だが、それでもその頼みを聞くことはできない」
「そんな……」
「そうだ、やめとけレイナ。お前に頭下げさせて出るトーナメントなんざ、何の価値もねぇからよ」
俺とダンの勝手でこいつが割を食う必要はない。クローディアの言葉で再認識したが、そもそもレイナは優等生で、俺らなんかとバカやってていいような立場でもないしな。他人の足引っ張るくらいなら、大人しくCランク任務でもやっとくわ。
「フ……その心意気だけは褒めてやろう、グレン」
「嬉しくねぇよ。ったく、覚えてやがれ」
気持ち悪い賛辞に唾を吐きつつ、俺はダンを「気付け」して、この場を去ろうと――
「どこへ行く? まだ話は終わってないが」
ぐわしぃ! と物凄い力で肩を掴まれた。あの、ちょ、肩がっ。肩がァっ!
「お前は私の有り難い授業をサボタージュした。大変理解に苦しむが、事実起こってしまったことは仕方がない。ならば補習という形で、穴を埋めるしかあるまい?」
ギリギリギリギリ。恐らくこのまま十秒も経てば、俺の肩の骨は粉砕される。それだけは勘弁したい。
「分かった分かりました何をすりゃいいんスか!」
やけくそ気味ではあったが、俺の返答にとりあえずは満足したのか。クローディアは……
「そうさな。一緒にトーナメントの観覧でもするか?」
意地の悪い笑顔で、当てつけのような提案をしてくるのであった。
〈さて~! それでは本日も「レッツコンバット~!」皆の活躍、期待してるからね~!〉
間延びする声をスピーカーで響かせているのは、通信科顧問のエマ教官だ。相も変わらず、この野太い声援がこだまするトーナメント会場「コンバットコロセウム」には、一ミリも雰囲気が合ってねぇ。そこらのTVショッピングの司会でもやって方がまだマシなんじゃないか、と思えて仕方ない。
〈本日の対戦カードはこのように。中々の粒ぞろいだが……おっと、どうやら初戦は「彼女」のようだね〉
早くも客席から歓声が沸き起こる。当然と言えば当然だ、初手からいきなりビッグカードが来たんだからな。
エマ教官の隣に座る解説役……兵法科顧問のジレット教官が渋い声でフォーカスを掛けたのは、現状この学園の生徒の中じゃ最も実力を持つとされている女生徒だ。俺もその闘いぶりは何度も見て来たが……
〈ではでは早速始めて行きましょう~! 本日最初の対戦はこちらぁ~!〉
〈高等部三年「ケヴィン・カルノー」〉
V S
〈大学部一年「マリア・グレイディ」〉
会場備え付けの超大型スクリーンにでかでかと所属と名前、更には当人たちのバストアップ画が表示される。ここまではまだ良いが、よりによって名前はエマ教官が読み上げるから、本当に締まらない。「馬鹿野郎このギャップがいいんだろ!」とか宣う奴も極希にいるが、俺には全く理解できなかった。
しかし驚くのがこんな気の抜けたコールであっても、会場の熱は一切冷めていない所だ。それだけこの対戦カードは熱い……らしい。
「うぉぉぉ! 熱いッ! 最高だ! ケヴィン先輩ファイトっスよーッ!!」
隣の馬鹿の興奮具合を見て貰えば分かると思うが、この会場の九割から十割がこんな状態だ。暑苦しいったらねぇぞ。
「フフ……楽しみだな?」
そして反対側の隣では暴力教師がニヤついた顔を向けてくる。何だこの最高に居心地が悪い席は。つーかアンタ教員だろうが。生徒用の席に堂々と座ってていいのかよ。他の奴らも気付けってんだ。
渋い顔をしつつもステージに視線を戻すと、丁度コールされた選手二人の入場シーンが始まっていた。
向かって右袖からは、筋肉質で大柄、黒く焼けた肌に金髪のナイスガイが。ケヴィンとかいったか。俺は知らねーが、どうやらダンの先輩らしい。得物は……鎚矛か。如何にもなパワー系だな。
そして向かって反対側の左袖からは、スラっとした体躯に赤髪のロングヘアの美人が。会場の女性比率は決して高くないはずだが、それでも黄色い声援が場を埋め尽くした。女が憧れる「強くて美しい女」を体現してるのが、あのマリア先輩だ。得物は剣盾。オーソドックスな剣闘士スタイルだ。
〈フム。試合前に両者、何かコメントはあるかね?〉
ジレット教官が「煽り」を入れ、裏方が選手二人にマイクを手渡した。先に応えたのはケヴィンだ。
〈今日ここで、アンタの時代は終わりだ。俺が終わらせてやる〉
何とも分かりやすい、ストレートな煽り文句。客席からは男衆の暑苦しい雄叫びが上がった。ここ数年とはいえ、トップの座を女に取られ続けているというのは、男のプライドを刺激して仕方がないんだろう。会場の(男共の)熱気は異様なほど膨れ上がっていた。
〈とのことだが……マリア君。君の返答は?〉
一通りケヴィンのマイクパフォーマンスが終わった所で、ジレットはもう一人に「応え」を要求する。
マリア先輩は涼しい顏でマイクを口元に近付け、端的に――
〈いいえ、何も〉
さも、興味がありませんとでも言うように。
この状況下で一番のアジテーションとも取れる答えを、返したぞ……!
これには会場の女性陣も大興奮。「むさ苦しい男の戯言をスパッと切り捨ててやったわ」感が物凄い。
当然対戦相手であるケヴィンとそのフォロワーたちは声を荒げ始め、明らかにボルテージが高まっている様子だ。
「(これは……上手いな)」
マイクパフォーマンス的にも、戦術的にも大正解だ。怒り心頭のケヴィンは恐らく……いや確実に「負ける」。バーサク状態で戦って勝てるほど、その人は甘くない。
〈イイ、実に良い! ハッハッ、では興奮が冷めぬ内に始めようではないか!〉
ジレット教官が心底嬉しそうに舵を取ってるな。期待通りかそれ以上のパフォーマンスが見られたからか。いい性格してやがるぜ。
さすがにこの段階に来ると、エマ教官は隣でお茶を汲んで一服していた。仕事しろよとは思うが、あの人のキャラじゃ仕方ねぇか。
初っ端から大盛り上がりのトーナメントだが、今ようやくその第一戦が始まる。
この試合の勝ち負けは分かりきっているとはいえ、柄にもなく俺も前のめりになっていた。
注目するのはケヴィンじゃない。もう一人の、俺の先輩だ。
〈それでは両者スタンバイ………………戦闘開始ッ!〉