十三節【姉の気持ち】
「……それで? グレンの任務受注状況を見てずっと待ち伏せしてたってこと?」
「おう、大体そんな感じだ! ただまぁ、こんな時間に戻って来るとは思ってなかったが、そこは急に目が覚めて、夜風に当たってた俺との運命を感じてくれ!」
午前四時。まだ暗い街中の角で、馬鹿一人が元気よく受け答えする中、任務帰りで疲れの取れていない四人は更に疲弊していた。ダンの底抜けの明るさは一周回って長所だとは思うが、今は勘弁願いたかったな……。
「そういえば、先生がグレンを追った方法も同じですか?」
「いや。詳しくは言えんが、教員には生徒を管理するためのシステムがある。それを使っただけだ」
「え、じゃあ私たちの任務の詳細とかも全部見られてるんですか……?」
「当然だ。分不相応な任務を受けて生徒が死にでもしたら、学園側の責任問題になるからな。危険そうであれば逐次介入もする。今回のようにな」
クローディアは尤もなことを言ってると思うが、レイナ。何だその「プライバシーの侵害だ!」みたいな顔は。何か見られたくない任務でも受けてたのか?
「レイナちゃんはあれだろ、七番街近くのメイド喫―――」
ドゴォッ! と強力無比な蹴りがダンの脇腹に直撃した。一般人であれば確実に肋骨が砕けている。
「ばッ、ハァ!? 馬鹿じゃないの!? 私が何でッ、そんなあああり得ないでしょ!?」
レイナは怒り狂ってダンをタコ殴りにしているが、果たしてあの気性の粗さで奉仕が務まるのだろうか。客にジロジロ見られただけで蹴りそうなのに。
このまま放っておいたら騒ぎで警察が来そうだなとぼんやり考えてる間に、クローディアと先輩が何とかレイナを止めていた。あの二人を手間取らせるって相当だなアイツ。
「……全く、無駄な労力を使わせるんじゃない。私たちは重要な任務を控えた身だぞ」
「そうだそうだ! もっと言ってやれ先生!」
ギロリ。ボコされても未だに調子に乗ってるダンに対し、クローディアは本気の睨みをきかせた。あれは「黙らないと殺すぞ」の意なので、全人類が大人しくしなければならない。でないと確実に死ぬ。ダンも流石に大人しくなった。
「と、とにかく! もう休まない? 出発まで時間もなくなってきたし、皆英気を養っておく必要があると思うんだけど……」
「ですね、疲労も溜まりましたし……」
「そんなにフィールドワーク大変だったのか? つーか何でグレンは座り込んでしゃべらないんだ?」
話は聞かせて貰った、とは何だったのか。一人状況を把握できていないダンを放って、先輩たちは各々近場の休憩所を探して去って行ってしまった。身動きの取れない俺は、クローディアに抱えられてバギーの助手席へ。その様子を見てまたダンが爆笑していたが、誰も反応はしなかった。バギーが始動し、馬鹿の大笑いが段々と遠くなっていく間、俺もクローディアも何一つ言葉を発さなかった。疲れきると人は感情を失うということがよく分かるな。
「寮まで送ると言いたい所だが、今のお前は身動きすら取れんだろうからな。今夜は私の家で我慢してくれ」
そう言ってクローディアは十字路を右折し、俺にとっても馴染みの深い裏通りへと入った。側溝に雑草が生い茂ってる、いかにも整備が行き届いていない区画。相変わらず狭くて見通しも悪いが、ここが目的地への最短ルートだ。何だかんだ俺も長いこと通ったからな、この道は。
「もっと嫌そうな顔をしてもいいぞ」
「…………」
俺の心中を察した(つもりの)クローディアは、ややもすると意地の悪いことを言うが、これは俺に対する気遣いの類だろう。もっと自分の心に素直になれ、感情を表に出せというメッセージだ。天邪鬼な俺には逆効果だがな。
そもそも母さんの件の真偽に関わらず、俺はクローディアを完全に拒絶することはない。これは断言する。俺はこいつ……いやこの人に世話になったし、今こうして生きているのもこの人のお陰だ。それはしっかり理解している。問題は俺があまりにガキ過ぎて、感謝を伝えられないことだ。今もこうして……
「………っ」
泣いている。あの傍若無人を絵に描いたような姉が、俺のせいで泣いている。だのに俺は伝えられない。ありがとうの一言も。
今なら、今なら言える気がしたのに。さっきまで微かに動いていた口が、もう動かない。
沈黙が戻って来る。バギーの駆動音を背にして。もうすぐあの、赤茶色のマンションが見える頃だ。懐かしさを覚えると同時に安堵する。久し振りに我が家に帰って来た感覚だ。やはり俺にとっての「家」は、まだここなのかもしれないな―――。
「…………。………………」
「―――、―――――っ。―――――――っ」
「!?」
「はぁーい動かないの。じっとして」
聞き覚えのない女の声がした後、体が押さえつけられた、と思う。感覚はほぼ無いに等しいが、重みを感じた気がした。また少し気を失っていたのか、いつの間にか俺の体は医療用と思しきベッドに括りつけられていた。
「うん、いい子いい子。じゃあクーちゃん、続きお願い」
「誰がクーちゃんだ……全く」
どうやら触覚は大分麻痺しているようだが…………視覚と聴覚は健在だ。なのでその「光景」がハッキリと、目の前で、大迫力で、認識することができた。
「ん……こら、動くな」
「可愛い~! この子恥ずかしがってるよクーちゃん!」
「だから誰が……! お前もお前だグレン! 嫌かもしれんが、このくらい我慢しろ! でないと死ぬぞ!」
いや、あの、いや………………。
「あっ、じゃあアタシがやってあげよっか? クーちゃんの代わりにちゅ~~って」
「やめろ弟に近付くな歩く公然猥褻!」
ぽかんッ、と結構な勢いでクローディアにシバかれたのは…………粒ぞろいな教員の中でもとびきりの問題児、養護教諭のノエミだ。今日も今日とて無駄にボディラインを強調する白スーツを纏い、ゆるふわなピンクブロンドの髪をこれでもかとなびかせている。…………初見には伝わりにくいと思うので軽く説明すると、教員生徒部外者問わず、このあからさま過ぎる魔性に魅入られた者はいろいろな意味で「終わる」らしいと、学園内部で実しやかに噂されている。そんな女だ。
「やだぁクーちゃんったら必死になって! 可愛いっ」
ピキッ、とクローディアの額に青筋が立った。だがその視線の先はノエミではなく、俺だ。何故かと言うと…………
フ――――――――っ
と甘ったるい息を吹き込まれる。間違いない。受けたくもない救護の実習で、無理矢理ダンとさせられて以来トラウマになった…………人工呼吸だ。俺の全身に麻酔が回ったせいで、呼吸さえままならなくなったから……だと推測する。実際自分の意思では思うように呼吸ができず、意識はあるのに息苦しい。変な感じだ。
「そうそう、ふ――って優しくね。あっ、でも情熱的な方が生きる気力が湧くかも? 胸はもっとこう、愛撫する感じで――」
「気が散る黙れ色情魔!」
ボゴッ! と先程より更に強烈な打撃がクローディアにより加えられるも、ノエミは俯いて少し身を震わせただけで、すぐに元の表情に戻りクローディア弄りを再開し出した。どうなってんだアイツ。大の男でも悶絶する威力だったぞ今のは。
「格闘技の呼吸法……その変態版とでも思っておけ。常人には真似できんからな」
「クーちゃんひっどーい! アタシは変態じゃないもん! ぷんぷんっ!」
「うわ…………」
ノエミが両手の人差し指を立てて、頭の上で角を作り怒りを露わにしたが、クローディアは心底冷めた表情でただただ引いていた。確かに今のは俺から見ても結構キツイ。できれば二度は見たくない。
クローディアは無言で人工呼吸を再開し、俺はされるがまま、ノエミは構って貰えないことに拗ねて別室へ。模様替えの一つもされていない見慣れたリビングの中、異質物である医療用ベッドの上で延々と繰り返されるマウストゥーマウス。触覚が無いに等しいので現実感はないが、今俺はクローディアに…………いやいや。考えるのはよそう。これは単なる医療行為だ。
「もう一度言うが、もっと嫌な顔をしてもいいぞ」
「…………」
これも無視する。というより寧ろ反抗心が生まれ、人工呼吸が終わるまでクローディアの目をじっと見てやろうという気になった。
「何だその目は。私をからかってるのか?」
「…………」
「…………目を逸らすか閉じるかしろっ。やりにくいだろう」
「…………」
クローディアが微かに顔を赤くしている。そこそこ長い付き合いにはなるが、こんな表情は初めて見たな。物珍しさもあって更に顔を凝視してしまう。
ほんの少しの間が生まれた後、俺が口からひゅーひゅーと息苦しそうな音を出したことにより、クローディアは慌てて人工呼吸を再開した。静寂の中で、お互いの酸素のやり取りだけが続く。
「…………嫌ではないのか。母親の行方不明の原因が、こんな事をしていることが。薄々感じていたのではないか。だからこの家からも出て行ったし、私の授業にも出ないし、私との触れ合いも……あれほど嫌がったのではないか」
クローディアが人工呼吸を続けながら、また目に涙を浮かべ始めた。今日はどうしたものか、酷く感情が不安定だ。普段のクローディアは勿論、過去のクローディアからも考えられない様な言動ばかりだ。泣くこともそうだが、こんな泣き言を言うのも多分初めてだろう。
ここまで追い詰めてしまったのは……他ならぬ俺だ。事ここに至ってようやく認識できたことだが、クローディアにとって俺の存在は思いの外大きく、大切なものだったらしい。そんな思いはつゆとも知らず、俺はこの人にどれだけ背を向けて来たことか。
「――――――」
何も言葉を返せない俺だが、それでも自然と返せるものがあった。
俺の目から溢れたものを見て、クローディアはほんの数瞬目を見開いた後、ボロボロと泣き始めた。泣きながら人工呼吸を続けた。先程までとは違う、少し粗い手つきで、しかし包み込む様に優しく。触覚は麻痺しているはずだが、不思議と温かみを感じた。
「私は――、お前の姉さんだ。これからも、それでいいか?」
答えは、返すまでもない。クローディアの元を離れて以来、心の端でずっと感じていた空虚感は、寂しさが原因だったのかもしれない。今この瞬間まで俺の感情が塞がっていたのも、クローディアと出会う前の俺に戻りかけていたからなんだろう。
「………ゥ……」
「何も言わなくていい。言わずとも分かる……」
頬に手を添えられ、まだ泣いたままのクローディアがぎこちなく微笑む。俺もそれに応えたかったが、口端を微妙に上げることくらいしかできなかった。痛みがないのは良いが、今だけは麻酔の効きを恨めしく思う。
「んふ、んふふふふふ」
「…………その気色の悪い笑い方をやめろ」
断っておくが、クローディアが嗜めたのは俺ではない。別室に繋がるドア付近からこちらをニタニタと覗き込んでいたノエミに対してだ。
「だってだってぇ~、姉弟仲睦まじいんだもん~!」
クネクネと軟体動物のように体を動かし、一人悶えているノエミ。……今ならハッキリ言えるだろう、アレは教員などではなく明確な変質者だ。
「なら、姉弟水入らずの時間を邪魔しないでもらおうか」
「えっ、なに嫉妬? 独占欲? 姉が弟に!? や~~~ん禁断~~~~!!」
尚も煽るノエミに対し、クローディアが身を乗り出してシバきに掛かった所で、
「でもでもぉ~、クーちゃんもそろそろ疲れたでしょ? 人工呼吸は長時間同じ人がやっちゃいけないんだゾっ☆ミ」
そう言いながらノエミが別室から引っ張って来たのは、チューブが繋がれたキャスター付きの機械。会話の流れから察するに、恐らくは人工呼吸器だろう。
「……別に私は一晩続けても構わないが」
「やだクーちゃん絶倫過ぎっ!?」
一瞬マンションが揺れた。ような気がした。
「ぁ……わかったごめん、ごめんってばぁ~。もうからかわないから」
「次は無いぞ」
どうやら今の揺れ……らしきもの。クローディアの「殺気」だったらしい。あのノエミが冷や汗をだらだら垂らしている。
「グレン。私はああいう風に何度も茶化されるのは好かない。覚えておいて損はないと思う」
こくこく。麻酔によって可動域が極端に狭くなったはずの首が、自然と縦に動いた。いや、動かした。今何らかの形で返答をしなければ、遠からず死んでいただろうから。
「……ん。いい子だ」
最後にクローディアはもう一度俺に息を吹き込んだ後、未だ青い顏をしてるノエミを睨み、「処置はまかせるが、妙な真似をすれば……分かるな?」と釘を刺してから部屋を出て行った。我がことながら恐ろしい姉を持ったもんだ……。
「んも~。あんな怖い顔しなくたっていいのにねぇ?」
ノエミはぐちぐち言いながらも、人工呼吸器をものの数十秒で手際良くセッティングした。こいつ、性格には大いに難ありだが、腕が立つのは間違いないな。そうでなければC.W.A.の教官など到底務まらないので当然ではあるが。
「グーくんもそう思うでしょぉ?」
グーくんて。語呂悪すぎんだろ。つか無駄に体を寄せるな。無意識かお前。
「クーちゃんも昔は優しかったんだけどね~。いろいろあって擦れちゃった? みたいな? 気付くと大人の顔になっちゃってたんだよね~」
カチャカチャと視界の外で器具を触る音を立てながら、ノエミが独り言を続ける。優しい……というより、そんな棘のなさそうなクローディアなど想像もできない。まるで別人じゃねーか。
「あっ、でもねでもね! グーくんと居る時はね、昔のクーちゃんの顔だなって思うよ!」
俺と居ると? それこそ、いつものクローディアと変わらないじゃないか。優しい顏なんざ見せたこと…………いや、思い返すとそうなくはないか。特に拾われて間もない頃とか、普通に優しかったような気もする。
「その顔ぉ~。今ようやく気付いたって感じ? 全くとんだ姉不幸者だよ~」
姉不幸は間違いないが、お前に言われたくはないな……。
「クーちゃん、あれで結構打たれ弱い所あるからね~。グーくんがシャキっとして、ちゃんと安心させてあげなきゃダメだよ?」
それもお前に……いや、これはいいか。尤もなことだ。俺が知らないだけで、ノエミとクローディアは結構長い付き合いなんだろうしな。
しかし、まさかこの変態養護教諭に諭されるとは。俺も落ちる所まで落ちたもんだぜ。
「むむっ、失礼センサー反応ありっ! そーら、バチコーンっ☆ミ」
養護教諭が怪我した生徒をシバくんじゃねぇ! アホかッ!
「躾って普段からやらないと意味ないので~☆ミ グーくんもアタシの奴隷リストに追加しとくからね~」
笑顔でとんでもねぇ発言しなかったかコイツ。俺は嫌だぞ、こんな奴と縁を持つなんか死んでもごめんだ。いっそ殺してくれ。
「ふふっ。それじゃあそろそろ日の出も近いし、寝よっか♡」
そう言うとノエミは過激桃色な毛布を取り出し、あろうことか俺が寝ている医療用ベッドの隣に寝―――
「お゛い゛」
ドスの効いた殺気に溢れまくった声が、俺の左側……つまりノエミの対面から聞こえた。怖すぎて俺は目を瞑ったが、そこには確実に”姉”の気配があった。
「お前に倫理観というものは無いのか? 姉の前で弟を食い物にしようとする教師がどこに存在する?」
「ここにいまぁ~…………ごめん、ごめんよクーちゃん。分かったからその怖いお顔をこっちに向けないで…………」
調子に乗った声色が急激に萎み、肉食獣に睨まれた小動物の様なか細さになった。……しかしクローディアも意外と温情だな。次は流石に槍が飛ぶと思ったが。
「認めたくないが、私とお前の付き合いは長い。加えてお前の医療スキルには一目置いていることも事実だ。だからこそ友人としてもっとこう、清くは生きて貰えないものか……」
クローディアの溜め息が聞こえる。なるほど、何だかんだで認めてはいるんだな。悲しいかなその願いは届くことはなさそうだが。
「あはは。もっとオバサンになったら、少しは考えるかもね~」
「今も十分な歳だが?」
「ひどい!? アタシまだ二十六だよ!?」
「四捨五入してもいいか?」
「やめてったら!」
その後はクローディアとノエミの他愛ないやり取りが続き、俺も瞼を開けるのが面倒でそのままにしていたら、急に眠気がぶり返して来た。
出立まであと六時間……いやもう五時間くらいか? 何にせよ、十分な休息は得られそうにない。麻酔が切れた所で戦力にはならんだろうが、せめて足手まといにはなりたくねぇもんだな……。…………。………………。
「グーくん、寝ちゃったね」
「ああ。昔と変わらない顏をしている」
「クーちゃんこの子のこと大好きだね? その”昔”ってのはいつからの話なんだろ」
「さぁな。何年も前な気もするし、たった一年前の様な気もする」
「ふふ。これを機に帰って来てくれるといいね」
「それは……。確かに私としては…………だが、グレンも大人になりつつある。どうするかは本人が決めることだ」
「素直じゃないでちゅね~」
「その口調はやめろ。……ともかく、今回はお前に頼み込む程の案件だ。私も前線に出る以上、グレンの安全についてはお前に一任する他ない。重い役回りだが……」
「大丈夫、安心して。グーくんはちゃんと看ててあげるから」
「済まない」
「何も気にすることじゃないよクーちゃん。アタシとクーちゃんの仲だもん、それくらいはやってみせるから」
「そうだな。これまでお前に任せておけば、大抵はどうにかなって来た。今回も期待している」
「んっふふ~☆ かしこまりっ!」
「なぜ最後の最後で不安になる様な態度を取る……」
「それがアタシだもん! さぁさぁ、クーちゃんももう寝よ? 寝不足はお肌と生存率の大敵なんだから!」
「それを言えばお前もそうだ。全く、早く寝るぞ」
「はぁーい!」




