十二節【動き始める歯車】
「痛むか?」
「……当たり前だろ」
「そうだな。応急処置はしたが、最低でもあと二時間はそのままだ。耐えられそうか」
「何てことねぇ――――ぐっ」
胸と脇腹に激痛が走り、俺はその場に蹲った。
「軽口を叩くのは結構だが、こういう時は客観的な事実だけを言うものだ」
クローディアは俺の体を抱え……ここまでの移動に使ったものだろう……幌付きのバギー車の助手席に乗せた。次いでいつの間にかその手に持っていた麻酔を、俺の胸部と腹部に直打ちした。……随分強力なものを使われたのか、痛みだけでなく触覚も急速に麻痺していく。口も上手く動かせなくなった。
「しばらくはまともに動けんだろうな」
「どれ……くらい……?」
「さぁ、半日くらいか?」
事も無げにさらりと言うクローディアだが、大の男を一瞬で沈静化させたうえ半日行動不能にする麻酔とか、それ軽々しく使っていい代物なんだろうな……?
俺の疑惑の視線もどこ吹く風、クローディアは車体を飛び越して反対側の運転席に移り、バギーのエンジンを掛けて発進させた。暗い街道をヘッドライトの光が照らし、時速70km/hほどの速さで岩だらけの荒れた景色が流れていく。
「疑問は多いだろうが、まずは現状の説明から入るぞ。お前がケンラ村を抜け出し単独行動に走った事だが、既に同じ班のメンバー全員に知れている」
「な……!?」
「危険極まりない禁忌を犯したのだから当然だ。たとえ私が知らせなかったとしても、目敏いアイツが見逃すはずはないが」
アイツ? ヨハンのことか……?
「お前の救援は私が引き受け、他のメンバーには緊急事態である旨を伝え、即刻ケンラ村からは脱出してもらった。多少荒事にはなっただろうが、状況が状況だ。やむを得ないという奴だ」
クローディアは淡々と説明しながら、暗い街道を進む速度を更に上げた。スピードメーターを見ると、時速は100km/hを優に越えている。
「緊急……って」
「何だ、事ここに至ってもまだ理解していないのか? お前も見えたあの獣は、紛れもない厄災だ。ケンラ村の住人も含め、三日もあれば森中の命が喰われるだろう」
な…………、は…………?
「その様子だと、記憶は蘇っても現実は受け止めきれていないか。仕方のないことだ」
ふぅ、と短く息を吐くクローディア。俺は思考回路が数秒停止した。さっきは無我夢中で気にかけられなかったが……タレクやヴィゴはどうなったんだ? サリア村から逃げ出して、無事にケンラ村まで辿り着けたのか……? 辿り着けたとしても、遅くとも三日中にはあの化物に喰われるだと……?
「己の無謀さが漸く身に染みてきたようだな。あの獣が覚醒直後だったからこそ、私もお前を救出することができた。だが本来ならああはいかない。お前は正に死ぬ寸前で……」
「そん――なこと――」
そんなこと、どうだっていい。
俺の生き死になんざどうでもいい。より重要なのは、筋を通せたかそうでないかだ。俺はタレクとヴィゴを、ケンラ村まで無事に送り届ける任を負った。一度約束した以上、それを反故にはできない。傭兵としてあの二人の安全を確約するのは勿論、ケンラ村に被害が及ぶならそれも防いでこそ――
「お前が今何を考えているかは大体分かるが、まずは現状を受け止めろ。起こった事実だけを言うなら、お前は何もできず敗走したんだ。……救出対象を見捨てたうえで、な」
「だ……れが……!」
「別に責めはしない。お前の境遇を考えれば当然のことであるし、介入が遅れた私にも責任がある。だが事実から目を背けることだけはするな」
「………………」
ただ、唇を噛むことしかできなかった。クローディアの言葉は正しい。俺は単独行動を敢行しただけでなく、当初の目的を忘れ無謀な戦いを挑み、危うく死にかけた。加えて蘇らせてしまったのは手の付けられない化物だ。これ以上ない程「無能な働き者」を体現してしまったんだ。
「………すまん」
沈黙の後に口をついて出た謝罪はそれだけだったが、言葉以上に自責の念は強かった。どうしようもない失態を犯してしまったという思いだけが、胸の内で渦巻いた。
「フ、私はお前のそういう所が好きだぞ」
頭をわしゃわしゃと撫でられる。慰めてるつもりなんだろうが、今は自分の惨めさをより強く感じるだけだった。姉にとっても俺は所詮、何にもできないガキと同じなわけだ……。
「そう拗ねるな。これから本題に入るのだからな」
クローディアは短く咳払いをした後、真っ直ぐ進行方向を見つめたまま語り始めた。
「どこまで記憶が戻ったのかは分からないが、少なくともあの“獣”を見たならば、お前の故郷……『サリア村』で過去に何があったかくらいは思い出しただろう? 奴は十年前のある夜突然現れ、破壊の限りを尽くした。人も、家畜も、魔物も、何もかもを喰らってな」
「…………」
「あまりに凄惨な状況だっただけに、生存者はゼロかと思われたが……たった二人だけ、村から脱出し、森の外まで逃げおおせた者たちがいた。お前と、お前の母親だ」
やはりそうだった。村の皆は全員、俺を残して死んだんだ。だが……
「母さん……も……?」
「ああ。お前と……正確には気を失ったお前を背負った母親は、獣から逃れて森を抜け出し、丁度その先の街道に駐屯していた傭兵団に保護された。母親から事情を聞いた傭兵団幹部は、お前たちを直ちにイーストスクエアまで車両で移送することを決め、自分たちは迫り来る獣に対抗すべく防衛線を敷いたんだ。……結果はあまり口にしたくないが」
クローディアは少しだけ目を細め、憂いを帯びた表情で話を続けた。
「当時お前たちの移送を任された班には、私もいたんだ。だからこそ悔やまれる。「移送途中で母親が失踪した」などと、ふざけた失態をしてしまったことをな」
「………………」
「恨んでくれて構わない。残されたお前にはせめて、満足な生活が送れるようにと手を尽くしたが……幼くして母親を失った悲しみは、何物にも代えられないというのは理解しているつもりだ。本当にすまない」
正直なところを言えば、そんなことは「ありえない」と思った。俺の記憶では、父さんも母さんも目の前であの獣に殺されている。それに移送中の車両から、どうやって忽然と姿を消すんだ? 話に綻びが多すぎる。俺を気遣ってのことだとしたら、それは真実を伝えるより残酷な――
「……そうだな。私が憎く思えて仕方ないだろうが、今は我慢してくれ。イーストスクエアに着くまでは……」
「ち…が……」
俺の視線を誤って受け取ったのか、クローディアは表情を曇らせた。違うんだ、あんたが憎いわけじゃない。ただ本当に、真実を語ってもらいたかっただけで……
誤解を解こうと口を動かすが、声は出ない。それが麻酔による物理的なもののせいか、あるいは精神的なもののせいか。今の俺には分からなかった。
その後、意識が曖昧になっていたこともあり、イーストスクエアまでの二時間弱は、あっという間に過ぎ去った。
無事にイーストスクエアの南門に到着した俺達は、検問を越えた先で待っていたヨハン、レイナ、マリア先輩たちと合流する形となった。夜なので表情は伺いにくいが、皆ピリッとした雰囲気を纏っている。当然だが。
「――さて、色々と聞きたいことはありますが、当の本人は麻酔でまともに会話ができないとのことですので。貴女から説明願います、クローディア」
「チッ……」
舌打ちした。今明らかに舌打ちしたぞアイツ。滅茶苦茶嫌そうな顔で。
「……まずは、弟の不出来を詫びさせて欲しい。私の監督不行届きで、皆を危険に晒すことになった。すまない」
姉がそう言って腰を折ると、レイナとマリア先輩は途端に狼狽えた。そりゃそうだ、教師が生徒に謝罪するなんて、C.W.A.じゃまずありえないことだ。
「いえっ、そんな! 先生が謝らないでください! 悪いのはこいつ――――っていうか、え? 弟!?」
レイナが俺を指差して批難しようとしたところで、ようやくクローディアの発言に引っ掛かったらしい。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。
「あ、レイナちゃんは知らなかったんだ?」
「先輩は知ってたんですか!?」
こくりと頷く先輩。レイナは何にショックを受けたのか、事実を受け入れられない様子で頭を抱えた。
「私の発言ミスだが、今はそのことはさて置いてだな。結論から言えば、ここから先は私たち「大人の」問題だ。後の対応はこちらに任せて、君たちは学園生活に戻って貰う。今回の件に関しての一切も、絶対に他言無用だ。もしこれが守れないと言うのであれば、それなりの処罰が待っていることも伝えておく」
クローディアはいつもの教師の顔に戻り、レイナと先輩に向けて厳しい指示を出した。一見するとパワハラにも該当しそうな絵面だが、事態の深刻さを鑑みれば当然とも言えるし、何よりクローディアは根本は生徒思いだ。二人の事を気遣ってのことだと俺でも分かる。レイナと先輩は不安げな表情ながらも、クローディアの意向に従う雰囲気だ。しかし傍らで腕組みして状況を眺めていた男だけは違った。
「僕は「説明」をお願いしたはずですが? 謝罪はともかく、指示を出す前に現状を共有しなければ、この子たちも事情が理解できませんよ」
「そんな事情は知らなくてもいいことだ。生徒は学ぶことが本分であって、その生徒を教え導き、そして守るのは我々教師の役割だ。教職から離れた貴様には追及する権利など無い」
「教師としてはそうですが、同じ傭兵としては意見が違います。ここまで任務を共にした仲間として、事情を知っておく権利はあると思います。というのも、事の重大さを知らなければ、情報漏えいの危機感も持てないからです」
「余計な情報を与えることで、生徒がどれほどの不安を抱えると思う? 学園生活に支障がないとでも? 合理的なのは結構だが、相手によって対応を変えるくらいの柔軟性は持って貰いたいものだ」
険悪。ひたすらに険悪。クローディアがヨハンのことを指して「アイツ」と言い放った一因が、今目の前に表れている。この二人は根本的に思考回路が違うし、立場も違う。加えて性格的な相性も最悪だろう。俺がヨハンを苦手とするのは、クローディアの影響も少なからずあるのかもしれない。
「ではどちらが良いか、直接聞いてみてはどうです? 本人の意思は最大限尊重されるべきもののはずです」
「そんな重大な選択を生徒に迫るな! お前は現状を履き違えている!」
「感情的にならないでください。貴女の生徒さんも委縮していますよ」
見ると、レイナは顔を伏せて完全に沈黙してしまっているし、先輩も気まずそうに目を逸らしていた。二人の様子を見れば、今はクローディアの対応の方が正解なのだろうとは思うが……。
「私の意見を言ってもいいのでしたら……」
「どうぞ。貴女たちには権利がありますから」
「はい。では、不躾なお願いにはなってしまうのですけど……。私は今回の件について、事情をご説明いただいた上で、解決の一助を担わせて欲しいと考えています」
先輩の口を突いて出たのは思いの外―――いや、先輩らしい前向きな答えだった。真っ直ぐ覚悟を持った目で、クローディアの方を見据えている。
「……君からそんな意見が飛び出すとは思っていなかった。そう考えるに至った理由を聞かせて貰えるだろうか」
「はい、理由は二つあります。一つは傭兵見習いとして、任務を途中で放棄することはしたくないと考えたからです。私たちの当初の任務……フィールドワークには、現地の環境値測定に加え、周辺地域の安全監視も内容に含まれています。任務中に危険が発生したなら、それが何かを確認して対処するまでが傭兵の役割と思っています」
先輩は真剣な表情で、生真面目な意見を述べる。まともに喋れない俺は勿論、クローディアやレイナも、黙ってその言葉に耳を傾けていた。こういう時の先輩にはある種の覇気というか、周囲を無条件で納得させてしまう説得力があるな。
「もう一つは、傭兵見習いとしてでなく私個人として……。この件にグレン君が関わっているなら、尚更手を引くことはできません」
「う……!?」
急に話を向けられた驚きから、喉奥から変な声が出た。何の冗談かと思ったが、先輩は本気の様だ。
「これも立場は君と同じだ。事態に関わらせるつもりはない」
「では何故、私たち二人だけが離脱を求められるのでしょうか? 立場が同じと仰るのであれば、グレン君も学園生活に戻るべきです」
「事情がある。グレンのプライベートにも触れることだ。教えることはできない」
「教えていただかなくても結構です。友人として、グレン君の傍にいたいと思っただけですから」
教師相手に、先輩は一歩も引かない。ここまで我を通そうとする姿は、今まで見たことがない。何がそんなに先輩を焚き付けるのだろうか。
「私も同意見です、先生。途中で投げ出すのが気持ち悪いってのもあるんですけど、馬鹿がまた馬鹿やらないか見張っておく必要があると思います」
「それについては私が――」
「お願いします」
レイナは深々と頭を下げた。お前まで、何でそんな――
「…………分かった。分かったから顔を上げろ」
クローディアはこめかみに手を当てて難しい顏をしながらも、最後は二人の意見を聞き入れた。レイナとマリア先輩は表情を明るくし、ヨハンも心なしか口角を上げて纏めに入った。
「決まりですね。これで頼もしい仲間が二人も増えました」
「私の大事な生徒を巻き込んだんだ。それなりの策はあるんだろうな?」
「ええ。まずは頭数を揃える所からですが、それはこちらで。作戦については人が揃い次第追って伝えます。事態は急を要するので、遅くとも明日の昼には出立する予定です。それまでに情報の共有も含め、準備を整えておいてください」
ヨハンはそう言い残すと携帯を取り出し、誰かに電話を掛けながら街の方へ去って行った。頭数を揃えると言っていたが、あの地味な男がそんなパイプを持っているんだろうか。増々謎だ。
「全く、馬鹿のせいでとんだ一大事になったわね」
「まぁまぁ、レイナちゃん。乗りかかった船だよ」
「先輩は面倒見が良すぎます! 今はトーナメントもあるのに……」
「あ、それなんだけどね。次の私の試合、不戦勝になっちゃったみたい」
「ええ!?」
先輩がスマホを取り出し、トーナメント表を開いてこちらに見せてくる。相手は大学部二年の男だが、確かに棄権していた。相手が先輩と知って逃げたかこりゃ。
「これで次の試合まで一週間は空いたから全然平気。それに久々のグレン君との任務だし、先輩として良い所を見せたいからね」
やる気に満ち溢れた表情の先輩は両手でガッツポーズを取った。実に頼もしい。頼もしいが同時に不安でもある。過去の経験から、張り切っている時の先輩ほど怖いものはないと分かっているからだ。この場に“アイツら”がいたら即ストップが掛かっていただろう。
「改めて言っておくが、今回の任務は非常に難易度が高い。ランクにしてA級は確実だ。入念な準備ができないとなると、より重要性を増してくるのは個々人の集中力と班としての結束力だ。そこら辺をよく理解して――」
段々と緩まってきた雰囲気に危機感を覚えたのか、クローディアは軽く咳払いをしてから場を引き締めに掛かった。レイナも先輩も背筋を正し、一見それは成功したかに見えたが……
「話は聞かせてもらった!!!!!!!」
一匹の馬鹿が草むらから飛び出して来たため、全てがぶち壊しになった。
レイナと先輩は目を丸くして固まり、クローディアはイラッとした顏で舌打ちし、俺は只管に真顔だった。地獄のような空気をただ一人気にしない男は、得意顔で「俺、参上!」みたいなポーズを取っている。想像を絶するアホだ。
「何だ何だ、ここは遅れて登場したヒーローに黄色い声の一つでも上がるとこじゃないか!?」
ニカッ。白い歯を見せて満面の笑みを向ける超大馬鹿へのリアクション問題は、クローディアの顔面殴打を以てして終結した。……ああ、教師が生徒をシバくくらいここでは普通のことなので、今更突っ込まないで欲しい。俺が教師でも同じ対応をしたと思う。
「ってェ! 何スか先生!」
「とりあえずお前の成績を最低値まで落とすことにした。一年多く学生生活が送れるぞ。良かったな」
「いや何一つ良くないけど!? 何で!?」
馬鹿が喚いている間、俺とレイナは感情の死んだ目で「あれが同期とは考えたくない」という顏を向け、先輩は「あは……ハ……」と乾いた笑いを漏らす他ないのであった。
“獣”討伐任務開始まで、後八時間弱。先行きの見えない状況が更にややこしくなってきていることに、俺は軽い頭痛を覚えた。




