2. Sleeps Alone
後編です。
前編よりちょっとだけ長いです。
よろしくどうぞ。
そう、誰かが貴方のことを一番に考えているなんてことはあり得ない。
誰もが生きるのに必死だ!
他人に時間を割かれないように、失う前に奪ってしまうためにね。
必要最低限では無いにしろ、結果的に全て自分一人のために生きている。
彼女もそれに違わなかった。
分かりますね?
どんなに誰かの支えになることをしても、どんなに善い人間になろうとしても、どんなに欲望に無関心な振りをしていても、それが変わることは無い。
我々の見る世界とは、我々の眼を通し我々の脳が記録したもの以上の景色を持っていない。
全てが主観であるから、誰一人同じ世界を見てはいないのです。
すなわち、人類共通の"世界"などというものは、理屈では存在していたとしても、我々が本心で認識することはできないし、だからこそ自分という存在は何よりも決定的であり、何よりも重要な問題として死ぬまで思考を支配してしまう。
要するに、どんな人間でも、結局は自分しか見えていないんです。
いや、自分のことすらも分からないなんてことの方が多いのかも知れない。
他人の貼ったレッテルでしか人間を判断できないし、それがお偉い常識者の仕業なら、尚更それを疑うことなどできない。
自らの眼が最も疑わしいと、誰一人分かっていない。
さらに言えば、誰かが一瞬だけ見せた、普段と違う表情を見た時、たったそれのみで人の印象が大きく変化してしまう。
表と裏を見分けて他人を裁きにかけようだなんて、救いようが無い。
結局あなたは何度も思ったはずだ。
今目の前に君臨している"人間"なるもの自体に一切の価値は無い、と。
価値は主観ではないのです。
他者の存在とそれとの差異が無ければ決して成立しない。
そういった意味で、我々は生かされている。
誰もが、他者を生かすために存在していると考えても良い。
しかしどうだろう?
我々はそんな、理屈の最上部、薄っぺらい表面だけを掬い取って並べる常識者によって生かされている、だって?
我々が持つ価値の有無や程度は、彼らによって決定されてしまう?
こんなにも馬鹿な事が。
こんなにも馬鹿な事がね!
私たちは、彼らの遙か頭上に居ると自負している身でありながら、彼らのおかげで何よりも上品な自殺の窮地に立たされているんですよ。
夜盲症の人間が生きていくには難し過ぎる街ですから、きっと誰一人見逃さないでしょう。
其処で彼らは、人間の身体を褒めたたえ、精神をその底まで褒めたたえる頓珍漢で最も人間らしい人間たる人々は、たった一人の異端者が身を投げることによって、一切が否定されることになるのです!・・・なんてね。
ちょっと後ろを振り返ってみれば、原始から続き全てが否定されようの無いこの現実に一石を投じようとしているのか、私は?
遺書でも残します?
それとも顔を知るもの全てを此処に呼んで、見せしめに目の前で消えましょうか?
どちらにしろ彼らは、ひいてはこの世界なんぞは何も変わってくれないのですよ。
行動を起こすなら全ては自分のためなんです。自分だけのね。
だってあなた、汚い豪邸に住んでいた豚ごときに、隣人の死の何が分かるって言うんです?
満ち足りていて伸びしろが無い、赤いネオン街の男達が、改革の必要性を感じることがあり得るとお思いですか?
ましてや、快楽に心身を支配されるべき人間でありながら、その機会をわざわざ失って幸福に堕ちようとするようなあなたに、彼女は何か関心を持つでしょうか?
他の誰かのことなんてどうだっていい。
そう言うあなたに対して腹を立て、次々に文句を吐き捨てていく彼等だって、結局あなたのことなんてどうでもいいんですよ。
言葉といっしょに路地裏に捨て置いて行ってしまおうってわけ。
ただあなたのことが気に食わないだけです。本当にそれだけなんですよ。
とても単純な理由で片づけられてしまうのに、盲目で筋違いな論法で複雑化され、世に産み落とされるのはその後だ。
今日まで、我々はそれに惑わされて生きてきた。
"正しい人間"というある種の偶像が、あらゆる教材や液晶に載せられては、人々の厚い称賛を受けながら大きく成長していってしまう!
笑ってしまいそうだ。
こんな世界に身を寄せて生きるなんてね。
毎朝毎晩、慎ましく教会に通っていた方がよっぽど賢いのでは?
― ― ― ― ―
ほら、こうして両腕をめいっぱい広げてみたところで、我々は一体何を抱き締め所有する権利を得られたと言うのでしょう?
我々が得るものはいつだって、自分自身の存在感の大きさに比べたら取るに足らないものばかりだし、仮に全能の創造主たる神を迎え入れようとしたならば、最終的には土で汚れてしまった布切れを必死に掴もうとしているのと同じことなんですよ。
降臨した神でさえも、後に呆れ果て、足を引きずり、森に隠れていってしまうようにね。
女や友人を抱くことだって、あなたがあなた自身を抱き締めてその寛大さに身を浸して悦んでいるだけなんです。
たぶん我々は一生、自分より価値のあるものを、その体温や息遣いを我が物にすることなど出来ないのでは?
この部屋の窓は一つだけ。
都心39階、落下点にはあの忌まわしい"ごみくず"たちがいる。
「お金が欲しいなア、美味い物を食いたいなア、女と寝たいなア・・・」といった具合で、毎日ご苦労様な彼らがね。
所詮はこの程度だと思っていた方が、絶対に損をしないで済むはずです。
彼らに信頼を置こうだなんて馬鹿な考えは捨てるべきだ。
それでも期待してしまうのは、結局我々やこの街がまだ欠陥品に過ぎないからです。
宗教を捨て去った、その代替を用意しなかったこの街に横行するのは、他でもない過信だし、それもかなり下品な類のものですよ。
彼らが主観や客観を語るのに用いるのは、いつも人間の理想像に限られているし、そこに誰も介入しない点について疑うことを知らないんですからね。
ねえ、あなた、この世には、正しい事と間違った事があり、彼らは常にその間を行き来して生きているとお思いですか?
たとえば、"正しく生きましょう"とか"正しい人間でありましょう"とかいったふうに、彼らはその中で常に片方の極に存在していると?
実際はどうですかな。
人間も、他の生物も、劇的に進化するなんてことはあり得なくて、特に我々の場合、いつでも発展やら平和やらを作り出しているのは、あくまで法律や、口外の有無を問わず存在する規則の成長でしかないんですよ。
そしてその下で、我々も、彼らも、間違わないように生きているだけでしかなく、決して正しいことを意識してなどいない。
これも過信に過ぎないって、分かるでしょ?
だって常日頃から見せつけられている正しい人間なんてのは、輪郭がぼやけきっしまって、もはや存在も確かでないんですから。
― ― ― ― ―
大切な話を終える前にひとつ、ある恵まれない少女の話をしましょう。
大きく育った街の真ん中で、彼女は毎日のように歌を唄いました。
しかしながら、それを聴く者は誰一人として居なかったし、彼女の名前や学校や生活を覚えている人間なども、おそらく居なかった。
誰の眼にも見えない、曇り空が間近に迫る屋上でのことでしたから。
それで彼女は、いつでも死んでしまえるようにと、低いフェンスを背にして歌っていた。
今時そんな悲劇なんて、とお思いになったでしょう?
ええ、もちろん私のいる街なら、ビルの根元でちょっと滑稽な歌声を聴かせるだけで、そこの人々は皆嬉しそうに小銭を投げてやるんですがね。
とても優しくて出来の良いところなんですよ。
だって、そうすれば誰もが得をして、誰も損をしない結末を確実に演出できる。
貨幣に添えられる感情に価値は無いし、誰もが哀れみの対象を求めて彷徨うのがこの街ですからね。
ある晩、彼女は足を踏み外しました。
ほとんど一瞬で過ぎていく、逆さまの景色の中でも、彼女は唄い続けました。
地面を這いずる人々がその声を聴き取ったとほぼ同時に、彼女の身体は飛び散り、その赤い絵の具を一滴垂らしたような景色は、唯一彼女が人の心の中に残していった遺物でした。
もちろん、そんな遺物は数週間も経てば地下の遺物保管庫からも無くなってしまう。
焼却処理を済ませたら、さあ次の仕事だ、早くこのごみをかきあつめて、血の跡は綺麗に掃除するんだ、といった調子でね。
要するにね、あなた、自殺ってのはそういうものじゃないでしょうか?
何かを伝えよう、誰かを懲らしめようなんて、通じない。彼らには何も分からない。
終いには忘れることが一番だと思っている。
その前にあなたが死ぬと知って、彼らが止めようとするのは何の為ですかね?
家族が、友人が、女が、悲しい、寂しい、待ってくれ、と・・・
"あなた"の話は何処へ行ってしまった?
"あなた"を議論の中心に置いていたのなら、その結末はどこで踏み潰された?
"あなた"の生きた跡を、一体誰が残してくれるんだ?
それを残す意味は?
そうでしょう?
もう誰も"あなた"に気づいてくれないんだと、これで分かったはずだ。
― ― ― ― ―
・・・もうすぐ日が顔を出すでしょうね。
この街は相変わらず、階級が下の人間には喜んで手を差し伸べるのに、同等かそれ以上の人間に対しては、あんな風に、この上なく険悪な目つきで睨み合いながらすれ違っていく。
さっきエレベーターを降りるときにすれ違った彼だって、私たちにはまるで「アナタ方の幸福を心から願っていますよ」と言わんばかりに、笑顔を絶やさないでいたけれど、たぶんビルに足を踏み入れる一瞬前までは、この人達と同じような顔をしていたんでしょうよ。
あの身の丈に合ったスーツを着ることが、社会的な人間関係を築くのにどれだけ重要な役割を持つのか、彼は知っている。
けれど、本当に大切な精神の置き場が在るとしたら、それは内面のとても奥深くに在るんですからね。
もしかしたら今この瞬間にでも、我々の頭上から途方も無く響く笑い声で、そしてやがて背中越しに、あなたが幾度となく想像したあの不吉極まりない音を聞くかもしれない。
みんなが見ているようで誰も見ていない、潰えた言葉の全てを凝縮したような、終わりの降る音!
ええ、もちろん何も聞こえない。
聞こえませんよね?
― ― ― ― ―
もうお帰りになるのでしたら、家まで付き添いますよ。
何か楽しい話でもしましょうか。
だって、結局我々は大層悲劇的だと思われるような物語を、一つも持ち合わせてはいないんですからね。
蟻が蠢いているのを眺めるのと同じように、そんなものの有無はもはや関係無いんですから。
それにね、あなた、我々はもう、"悲しみ"というのが一体何なのか、本当のそれはどんな姿をしているのか、とっくの昔に忘れてしまったんですよ。
悲惨な結末が普遍的なものだなんて思いません。
それは極めて貴重なもので、それこそ彼らのような人たちには、もともと縁の無いものだ。
様々な出版物に悲劇が紹介され、伝播していった結果、今ではそれらがとても身近なものになったし、人々はひたすら涙を流そうと必死になっている。
それが悲しみの証だとしたら、涙を流さない人間は永遠に報われないってことなんですよ。
この私だっていつからか、涙を流せなくなってしまったし、いくら努力したって一滴も落ちて来やしない。
「彼は悲劇を知らないのだ!我々と違ってね!」なんて言って胸を張る彼らを見たら、そんな喜劇的な弁解にこそ期待なんて出来なくなるものですよ。
涙を流すことの何処に、美徳が存在するって言うんですか。
ああまったく、腹が立ってきた。
どうせ、あなたは帰ったら寝てしまうんでしょ。
夢の中だけは、私だってどうしようも無い。
人を抱くのと同じように自分を抱いてみたらいいのでは?
容姿に関しては、もうこの上ないほど悲惨なものだけれど、こと精神の場合に限っては、あなたなら十分、弁解の余地があるはずだ。
いつまでも猶予がある訳では無い。
けれど、何を思索して、何を愛して、何を守ろうとしていたって、あの時の女の様に上手く振舞うことはできるはずです。
それだけでしょうね。
それこそが、我々が今持つことのできる・・・ああ、これじゃあ言い訳にしても足りない、頼りない嗚咽のようなものですな。
でもね、此処にあなたしか居ないと言うのは、確かなことなんです。
あなた、誰が「どうか一つ、ご叱正願います」なんて言って、他の誰かにこれまでの過ちを修正するよう頼めるのですか?
書類上に限って饒舌になった上、あなたを見下すような人権守護者が蔓延るような街で、一体だれがあなたを救ってやれると言うんです?
― ― ― ― ―
もう疲れてしまいました。そろそろ失礼しますよ。
こう長く思索を続けているとね、気分が滅入っていくばかりだ。
でもね、自分だけだって、分かってくださいよ。
本当にこれだけ、忘れなければ良いんです。
まったく、いつまでも腹を立てているばかりじゃ、終いには二の舞になって沈んでいくだけだ!
愛情に健啖でなくなれるのなら、まだ先はあるんです。
こんなこと誰が教えてくれたかな!
もう少し、もう少し、といった感じで事を進めるのも悪くは無いんですよ。
たとえそうであっても、芯まで丸っきり別の色に染まることは、恐らくね。
良くも悪くも、そう言えるはずです。
また暗い夜が来たなら、その時にお会いしましょう。
眩しいものを見るのは嫌いなんですよ。
もちろん真夜中だって気に入らないことばかりですがね。
・・・ほら、早く。
日が出てしまえば、もうしばらくは安寧を得られるんですから。
次は決心しましょう。
いつも変わらず、何一つ理解してくれない、忌まわしい街やまさに今日のような日の出、それに、ネオン街の女たちとも、しばらくのお別れを告げるためにね。
前編・後編と、両方読んでいただけたでしょうか?
お疲れ様でした。
今回の作品は、ここ1,2年間で自分が考えたり感じたりしたことを、ほとんど一つにまとめたような、カオス極まりないものになりました。
それでも、内容がなんとか一貫性を保っていられるのは、たくさんの思考が、ちゃんと順序を持っていたってことだと思います。
今まで投稿した、短編2作品も、よろしければ読んでいただきたいです・・・!
とにかく、読んでいただきありがとうございました!!