指先のポップスター
部室には明かりが灯っている。扉を引いて中に入ると、来客の対応に使うソファに腰を掛けた男二人の視線が俺を迎えた。
「ふくちゃん」
俺を無言で見つめながらいそいそとスナック菓子を口に運んでいる油断した体型の男の名を呼ぶ。
「なんだな」
おにぎりが大好きな画家のような話し方をするその男を一瞥して、俺は部室に入っていの一番に気になった事を聞いてみる。
「おいそれ何処で調達した。まさかとは思うが、この部室にあったものじゃないよな?」
この街において、菓子等の嗜好品はとても貴重だ。それらを巡って争いが起きかねない程に誰もが求めてやまないものでもある。
「ミッツも学ばない男なんだな。共有スペースにあるものは皆の共有財産になる運命なんだな」
来客に備えての備蓄を此処に置くなと、己はそう云うのか。
「ふくちゃん」
「なんだな」
「お前は3つ、過ちを犯した」
「ミッツだけに、なんだな」
「それは偶然だ」
嘆息する。あんまりにも惚けた事を言われて、何だか毒気を抜かれてしまった。
「在庫は全部自室に移して、これからは一部を肌身離さず持ってることにしよう……」
「在庫なんて、もうないんだな」
「は?」
「在庫なんて、もうないんだな」
急いで確認する俺。社長机の一番下の鍵付きの引き出しを開けて、中を見る。何にも無かった。
「俺のこの街で積み立ててきた努力の結晶達が、消えている。嘘、だろ」
「昔から言うんだな。他人の金で食う飯は美味い、と」
どうしよう。光火、いらたん。金じゃねぇ、血と汗と涙の結晶だ。
「次も宜しく頼むんだな」
笑顔で、ぽんっと肩を叩かれる。それで俺の中の何かが弾け飛んだ。
「いけしゃあしゃあと……今日という日は、許さない。歯ァ食いしばれ!!」
渾身の一撃をふくちゃんのふくよかなボディに叩きこむ。めり込んだ拳は次の瞬間、驚異的な弾性によって押し返されて、俺は体ごと弾き飛ばされてしまう。
ぼよーん。ごろごろごろー。どん! 漫画みたいに転がって、壁に激突して停止する俺。身体の痛みとそれ以外の何かで、俺は無性に泣きたくなった。
静観を決め込んでいた精悍な身体つきの鈍色の髪の男が、失意に沈む俺の眼前に手を差し出してくる。
「トト……」
「立てよ、ミッツマン。そんな所で休んでる場合じゃないだろ」
俺はその手を見つめて、感慨に打ち震えた。
指先がテカってるんだけど、それってひょっとすると油じゃないか。旨味みたいなのが付着してないか。
俺の内で高まる不満なんてつゆ知らず、トトは油まみれの手で俺の腕を掴んで無理やり身体を起こさせてから、とても凛々しい顔をして言った。
「行くぞ」
「何処にだ――いや、やっぱり説明しなくていい」
経験則で、トトがこんな顔をしている時は大体益体もない事を考えていると相場で決まっている。
「どうせまた更衣室(第二種人類用)とか、寝所に侵入しようって話だろ」
そう指摘すると、トトは呆れ返ったように侮蔑の眼差しを寄越した。
「あのな、ミッツマン。こんな時に、それはないだろ? 俺を侮りすぎだぜ」
「そうだよ、な。流石のトトでもTPOぐらいは解るよな」
「当たり前だ。だから……行くぞ」
俺の皮肉を意にも介さず、トトは部室を出て俺達も続くように促してくる。
「だからトト、何処に行くんだよ」
俺の質問に、トトは「決まってるだろ」と親指を担ぎ上げるようにして後方指し示す。
「女子シャワー室」
「なお悪くなってるぞ……バカな事を考えてないで、さっさとミーティングに入るぞ」
「バカはミッツマンの方だろーがッッッ!!」
怒涛の一喝。その大音声は夜の廊下に大きく木霊した。俺、至極真っ当な事を言ってるつもりなんだけど、間違ってるのか?
「口で言ってもわからん奴には、現物を見てもらうのが一番早いぜ。ふくちゃん、頼む」
「ふくちゃんが協力するわけ――」
のそりと、死角から巨体が襲いかかってくる。
「――っく、また買収されたのか!?」
俺、あっという間に羽交い締め。バタバタと抵抗するも、圧倒的な力と不利な体勢の前に抜け出せる気がしない。
「今、西の連中と問題を起こすわけにはいかないんだ。考えなおせ!」
俺の必死の説得に、トトは満面の笑みを浮かべた。
「見つからなければ――いいんだ」
いいことなんてねーよばーかばーか!
「ふくちゃんなら、俺の言ってる意味が解るよな」
「パンはペンより強いんだな」
「問題にしたくないなら、静かにしてるといいぜ」
駄目だ、こいつら聞く耳どころかまともな思考回路を何処かに忘れてきてる。
「ミッツマン……見せてやるよ、この世の神秘って奴を」
俺は無慈悲にもグレイ型の宇宙人よろしく連行される事となった。