かくて薄氷はひび割れる
食糧を調達して、動き易い服装に着替える。一応護身用の道具も携帯しておくか。後は、駄菓子屋の諸々を部員の義務だとか言って友人2名に押し付けよう。
諸々の用意を済ませたら、月日さんと校門の前で合流する。新品同様とまでは行かなくても小綺麗なマウンテンバイクが2台置いてあった。
「これ、使っていいのか?」
「はい。これで行けば、2時間も掛からず最初の目的地に到着できると思います」
「道の状態は大丈夫なのか? 悪路を進んでパンクなんかしたら荷物になるぞ」
だから俺は自前の自転車を持っていない。俺にとって自転車とは、そこら辺で拾って乗り捨てるものだからだ。大抵の物は、劣化が酷く、特に錆が著しいからロクにスピードが出ない。それに、猿の鳴き声っぽいのが喧しい。
「心配には及びません。セントラルは重要な施設ですから、そこまでの道は時々ではありますが整備をしています」
「俺達の知らない所で、自警団はそんな事までやってるのか……」
「西側も同じ事をしているみたいですから、セントラルを中継すれば少なくとも道の状態に不安材料は無いと思います」
他にも聞きたいことはあるけど、自転車についての不安は解消された。残りの説明は道中でして貰おう。時間は沢山ある。
かつて、鉄の森と称されていた都市部は、人を失ってから急速に自然に飲み込まれつつあった。
立ち並ぶビルの辺りからは幾つもの鳥の囀りが聞こえ、眼下に見下ろす道路には大小様々なヒビの合間から競いあうように雑然と植物が茂っている。
ペダルを回して高架を走る。出発してから一時間ぐらい走り続けただろうか? 前方を往く月日さんが振り向いた。
「土岐くんはセントラルを見たことはありますか?」
「ないよ。話に聞いただけだ。でも、このタイミングで切りだしたって事はもう見えてるんだろ? だったら、あれか」
進行方向にある、他の建物とは毛色の異なる白い尖塔を指さす。
「正解です」
「まだ大分離れてるな」
ここからでも見えるって事は、それなりの高さがある建物なのは間違いない。
現代技術の粋を集めて制作された自立大型宇宙航行船。その技術の名残を使ってるそうだけど、俺達にすればその日暮らしが精一杯だったあの時代に、あんなものをどうやって建造したのだろう?
民間に普及している先進技術と国家規模の最新鋭の技術には大差があると言うのは良く聞く話。
俺達に『消滅<ロスト>』の存在を知らしめた大消失が、後者に纏わる全てを抹消してしまった筈だ。だったら、あれは何だ? その分野に特化した技術者が残っていた? いやでも、技術があるだけじゃ足りない。
そんな思考の渦をぐるぐると周りながら正面を眺めていると、月日さんの更に向こうに動く何かを捉えた。
目を凝らすと、人らしき影が此方に向かってきているように見える。
「月日さん、誰かが近づいてきてる」
「誰か、ですか? 何処から……あっ、見えました」
反対側――西側の住人か? 自警団が判断したようにセントラル周辺の被害の確認をするのなら、此方まで来る必要はない。
「東側に用があるのでしょうか? 東と西で共通する問題と言えば、セントラルに関わる事?」
「ただの訪問って可能性もある。それに、仮にセントラルに欠損が見られたとしても、西が東を頼る理由にはならないよな」
「そう、ですね。此方に技術者が居るわけじゃないですから」
西側に住んでいるとも限らない。そんな人が生存しているのかも解らない。
俺達の役割は『目で見て、欠損が見られない事を確かめる』ことだ。そうすれば安心ができる。
目で見た結果が反対でも、同じ事を言う。それは一見して何の意味もない行動だけど、全く違う。
実際に行動している事で説得力が出る。それだけなら別に見せかけでもいい。
見せかけだけで問題が起きていた場合は秘密裏に対策をする。問題を放置したまま見えない刃が振り下ろされる瞬間を待つつもりはない。
知っていれば未然に防げたかも知れない未来を手放しておいて、後になって不運だと嘆くのも馬鹿らしい。
「一応、警戒しておこう」
それは現時点でも通用する論理だ。自転車を降りて、路肩に止める。月日さんも俺に傚った。
よほど視力が悪くなければ、向こうも俺達の姿が見えているだろう。変わった様子はない。
自転車よりもやや早い速度。徐々に接近してくると、その人物が跨っている乗り物に目が行った。
「あれって、原付バイクだよな。セントラルはガソリンまで生産しているのか……?」
「ど、どうでしょう? 生産されていても不思議ではないですが、ガソリンのような取り扱いに配慮の求められる物は配給されないと思います。音も静かですし、電気バイクではないでしょうか?」
バイクが俺達の前で停止する。運転手は原付なのにフルフェイスのヘルメットをしていた。まぁ、そっちの方が安全だからな。
線の細い身体つき。学校の制服らしいスカートを履いていた時点で性別は固まっていた。敵意はなさそうだったけど、警戒は解かない。
そんな俺を嘲笑うみたいに、相手は隙だらけの背中を曝しながらバイクのスタンドを立てて、ヘルメットを脱ぐ。その下には見覚えのある顔があった。
男性が苦手だと言っていたそいつは、俺との確執を無視して、俺の元に駆け寄ってくる。
「っ」
一瞬、俺は本気で迎撃を試みようと思ったけど、その顔があまりにも必死だったから怯んだ。その空白は、そいつ――雨音九葉が俺に肉薄するまでに十分な時間だった。
「光火くん……っ」
限界距離の3メートルをぶっちぎって、手を掴まれる。俺、石化。金の針、持ってきてたっけな。
「――私達の街が、奪われちゃった」