デリカシーって美味しそう
万が一にも他人の耳に入れたくない内容になる。月日さんにスマホの番号を教えて、俺は階段を降りて牢獄の奥まで進む。
地下ということで電波が届くかどうかが不安だったが、程なくして月日さんから電話が掛かってきた。
「土岐くんの気が変わらない内に早速本題に入って下さい」
第二種人類の声が間近から聞こえてくると言うのは慣れない。相手が月日さんじゃなかったら、スマホを壁に叩きつけていたかも知れない。
「急かされなくてもそのつもりだった」
俺のプランと言うか、目的を説明する前に状況を正確に把握しているかの確認も兼ねて導入から話すとする。
「この避難には時間を稼ぐという主目的があるけど、これはその意義を根底から否定するものだ」
具体的に言うなら、それを肯定する材料を得る為になるけど、このままでは破綻が待っている事実を示すにはこの表現の方が分かり易い。
「逃げて時間を稼ぐだけだと、ジリ貧になるだけなんだよ。東を放棄した事で、俺達は数少ない有利である地の利を失った」
「そうですね。文殊四郎さんも言っていました。目の前の一手にだけ対応していては、いずれ袋小路になると」
だったら、わざわざ俺の口から聞く必要はないんじゃないか? 俺を読みきっている自信があるなら、黙っていて阻止するなり協力するなりを自ら選択すればいいのに。
天敵から距離を置けた事で、打算的な思考がようやく稼働を始めた。
「トオルがまさしく俺達の味方なら、その情報を利用して裏を掛けるんだろうけど、罠だった場合のリスクは看過できるレベルじゃない」
まだ破れかぶれになるには早過ぎる。よって、ここはトオルの言葉を信頼するのではなくあくまで参考材料程度にまで留めておく。
「でも、着眼点は正しいんだよな。確かな情報だって保証があれば、それは俺達にとってバカにならない武器になる」
欲張るなら、情報が筒抜けになっている状況を全く悟られないように。後出しジャンケンを複数回成立させたい。
「でも、そんなのどうやって?」
「方法ならあるだろ」
じゃらり。運び込んでおいた荷物の中から、昨晩トト達が遊び半分で持ってきた玩具箱にあったもので作ったお手製の道具を取り出して、宝部屋に繋がる扉の前に立つ。
「俺もつい最近知ったばかりなんだけど、この街には刑部≪オサカベ≫さんが住んでいる。性格は相当歪んでいるけども」
「おさかべ……?」
「人の心を読む狐の妖怪だ」
はっきり言って、これは悪手だ。賭けの要素が強すぎる。でもこれに勝てなきゃ俺が望む未来が得られない。だから、選ぶ。
立ちはだかるは3つの障害。そのどれもが、鬼門。少しでも足を踏み外せば奈落に真っ逆さまの綱渡り。
「まさか土岐くん――!」
通話を切った。既に重厚な扉は開かれている。虚空の如き闇を睨んで、襲撃に備えた。
「コンの性格が歪んでるならおみゃーはどうなるにゃあ。ミッツマン?」
その呼称を使ったって事は、あの夜にトトの記憶の中で何かを見たのだろう。
「涅槃の犬だとか、地獄の番犬だとか呼ばれてたな」
前者は冷徹なる機械みたいな意味で、後者は後に災厄の遣い的な揶揄で用いられた。
「二つ名って奴だにゃあ? 若かったんだねぇ?」
「そうだな。俺は若かったよ。匂い立つほどに青臭かった」
大上に動きはない。牢獄の暗さは光を許さない程で、視界を捨てて音だけを頼りにする。
階段の方が騒がしい。どうやら月日さんは持ち場を放棄して此方に向かってきているようだ。まず第一の関門をこじ開ける。
「それで、大上――」
「もう開いてる……ッ! 文殊四郎さんが言っていた最悪なパターンじゃないですか、これ! すぐに閉めて下さい!」
「――俺はこれから何をしようとしているでしょう?」
月日さんを無視して問いかけた。牢獄内に大上の嘲笑が木霊する。
「あはは! コンを利用して情報収集しようなんて、おみゃーは本当に酔狂な男だねぇ? ねぇねぇ、コンが素直に協力すると思ってるの?」
唇を引き結ぶ。気も引き締める。俺は詰めが甘い傾向がある。だから、慎重になる。
「大上、お前さ」
そうしないと、俺も笑って気が緩んでしまいそうだったから。大上の言葉で確信した。
「俺の心は読めないみたいだな?」
「……っ」
あの晩、大上と対峙した時。トトに対しては有効な搦手を打っていたのに、俺相手には愚直な対応で手一杯の様子だった。
思考を読めるという異常な能力に頼り切りになって、相手の戦略を予測する能力が欠如していたのだと考えれば納得できる点が多くある。
「あの、何が決め手に?」
「大上が、目の前に居る俺じゃなくて月日さんの思考を読んだからだ」
「なるほど。土岐くんの認識と私の認識の間に差異があったんですね……あれ?」
そこまで口にして、月日さんは首を傾げた。
一拍をおいて、月日さんから灼熱のオーラが立ち昇り始める。俺が嘘をついて月日さんを利用した事実に行き着いたらしい。
そちらを直視できないのは大上の挙動に注意してるからってだけじゃない。俺は即座に謝った。
「どうして土岐くんだけが例外なのかも気になりますけど、彼女が土岐くんの思考を読めないから何だって言うんですか」
「大上の優位性は心が読めることだ。俺なら大上と対等に向き合える」
俺の前では大上来常は只の人でしかない。そう断言する俺を無明の空間が嗤う。
「そうかもしれないにゃー? そうだったら、いいねぇ?」
大上が俺の思考を読んだ上で敢えて俺の策に乗ったのだとしたら前提から覆される事になるけど、もし本当に読めていたならそもそもこうして投獄されるような結果にはなっていない。
「でも、なにがいいのかコンには解らないにゃあ? おみゃーの頭の中が見えないからって、おみゃーに何のメリットがあるのかなぁ?」
現状は心が読まれないだけだ。それだけで、大上の助力を得られるわけじゃない。
「今はまだない。だから、話をしよう。お前と対話が出来るのは、俺だけなんだろ」
「は?」
惚けた声が返ってくる。大上は喋る度にボロが出てる事に気付いているのだろうか。
「俺はお前の事を何も知らないからな。協力を取り付ける代わりに何を提示したら良いのか解らない。だから教えてくれ、お前の頭の中身」
無条件に牢獄の外に出すには、大上は危険な存在だ。でもそれは、俺が大上を無知だから恐れているだけで、深奥に触れれば印象が変わる事だってあり得なくはない。
「今回の危機を乗り切るのに大きな貢献をしたら、牢獄の外に出してやるって言ったらどうする?」
「土岐くん! それは独断で決められる範囲を逸脱しています! 土岐くんだって、彼女がこの街でしでかした過ちを知っている筈です……っ」
「犯した罪は消えないけど、それを言うなら俺だって生きる為に人を殺した事はある」
誇らしげにすることじゃない。必死だったという言い訳もしない。俺の人生に不要な他者を退場させて、俺は今もこの舞台に立ち続けている。
大上の性格が歪んで見えるのは、俺の目が大上のそれを正しく捉えられていないだけと思う事にする。
「それ、は……あたしも、同じで」
月日さんにとって、大上は大切な仲間を嬲り貶めた明確な敵。大上を解き放とうとしている俺を本心では止めたいに決まってる。
なのに、月日さんは言葉にならない声を吐き出して、口を噤む。懊悩の末に、俺の意志を尊重してくれたのか。
それとも、説得は困難だと判断して、非常時には強引にでも阻むつもりなのか。多分、前者だろう。
月日さんはどうしてか、俺の事を信頼している。せめて、その心だけは裏切らないようにしたい。
第二の関門、交渉の開始だ。大上の声を待ち続けた。そして。
「おみゃーは……どうして人を殺しちゃいけないか、その適切な答えを持っているかにゃー?」
それは、俺が初めて聞く大上の声音だった。人を食ったような色は含まれていない、心を読めるオサカベさんにとって、初めてかもしれない純粋な問いかけ。
道徳的な観念を聞かれたんじゃない、よな。俺の考えを聞きたいのか、これは。
脳内には幾つもの理由が浮かんだ。その中から最も俺が正しいと思った理由を紡ぎ出す。
「身勝手な理由で親しい人を殺されたら困るからだ」
果たして、俺が懸命に捻り出した答えは――。
「はい、アウト」
――島に取りつく事なく弾かれた。
「制約を示したおみゃーは、その制約を破る理由ができた時、殺人を肯定する。身勝手に、限定的に、その行動を自分に赦す」
生きる為、生かす為に、他者を排除した。俺だけじゃない。現存する人類の大半が、それを肯定した過去がある。
「ハルカナはいい子だにゃー。駄目なものは駄目! だって! あははは」
月日さんは声を発していない。心を読まれた月日さんは頭の中身よ吹き飛べと言わんばかりにぶんぶんと首を振って悶えていた。
「そうだにゃー、それがきっと正解だにゃあ。意味を考える必要も、理解する必要もないにゃあ。それは頑然としてタブーでなければいけない。人殺しは駄目です。駄目なものは駄目なんです。みんながそれを地で行けば、争いなんて起きようもない平和なセカイの完成」
「そう簡単な問題じゃないだろ。それは元から平和である前提での話だ。食料が足りなければ、それを巡って必ず争いが起きる。一人分の食料では二人以上は生かせない」
「理由があれば殺人が――どんな事でも正当化されるなら、コンはどうしてこんな所に閉じ込められているのかにゃあ?」
「それは、この街のルールを破ったからだ」
でも、大上にとって人を誑かすという行為は、それだけの意味が込められていたのだろう。
例え、全ての人を敵に回そうとも、優先する何かがあった。
と、俺が脅威の読解力で歩み寄りを見せようとしていたら、大上はすっとぼけた声で言う。
「コンはルールを破ってないにゃあ」
側方からカップの中からプリンが落ちる前の音が聞こえた。ぷっちーん。俺、もう予兆を察したこの段階で迫力に気圧されてぷるぷると震える。
「抜け抜けとしらをきらないでッッッ! あんたは無辜の人や自警団の仲間を――」
「コンはこの街に来てから誰も手を掛けてないにゃー。自警団に襲われた時も逃走が基本だったしねぇ」
「あんたが唆したんだから、実質あんたが手をかけたようなもんでしょ!?」
「言い掛かりはよしてほしいにゃあ。コンはただお話をしただけで、行動に移したのは個人の裁量の問題だにゃー」
俺、蚊帳の外で言葉の応酬を拝聴致すだけのスライムと化す。
月日さんがもうちょっと落ち着いていたら、大上に遊ばれてるぞーって教えてあげることもできたんだけど、生憎この俺にそんな知能は備わっていない。
プルプルしてるだけの存在と成り下がった。
「だからっ! あんたが関わらなければ――」
「なぁなぁで街を守って消えていけた? 人を殺さず願望を殺して、何も為さずに消えていけば良かったって言うのかにゃあ?」
大上は尽く最後まで喋らせない。それがまた月日さんの神経を逆なでした。
ガリっと此方にまで聞こえてくる程の強烈な歯噛みをして、月日さんは押し黙る。弄ばれている事に気がついたんだろうけど、それでも外に出たがる胸の蟠りを耐えているみたいだった。
「わざわざこんな街まで来て。なのに、自分の本心を何処かに捨てて。記録なんて残りもしないのに、他人の為に余生を捧げて消えろってさー」
大上は急所を見逃さない。ここまでが誘導だったのかと思えるほどの鮮やかなお手並みでトドメの一言が添えられる。
「お前じゃなくても良い、ステレオタイプな正義の志と命令に忠実な心だけ残してお前は死ねって言ってるのとどう違うのかにゃあ? あれ? 仲間ってそういうもの? にゃははー!」
これはえげつない。通路の奥まで一時避難して事の成り行きを見守っていた俺はそんな感想を抱きました。
行動したのは本人の意志が全てで、大上は他者の願望を浮き彫りにしただけ、か。
大上が求めている何かの実態は掴めないけど、その手段は理解した。
そろそろ外部の見張りに出ないと不味い。月日さんのケアを後回しにして、一定の距離を保持したまま大上に呼びかけた。
「とりあえず、お前を外に出そうと思うんだけど、幾つか条件があるんだ」
「外に出るなら、まずはシャワーを浴びたいにゃあ」
数日牢獄に放置されてたんだもんな、色々あるよな、うん。深く追求はしない。
「それは構わないけど、これからお前には手錠を嵌めてもらう」
「両手が使えないのは嫌だわーん。コンに協力をお願いしたいなら、もっと相応しい待遇を用意するべきだと思うにゃあ?」
「これは取引だぞ。俺とお前の立場は対等だって事を忘れるな」
「取引だって言うなら信用第一じゃないのー?」
「気心知れない相手をいきなり信用なんて出来るか。手錠を嵌めさえすれば、その分だけ信用できる。牢獄から出しても良い程度にはな」
「むぅ。でも、両手を塞がれるのは不便だにゃあ。それに、おみゃーがコンを信用できても、コンにはおみゃーを信用できる要素が何もないにゃあ」
心を読めないわけだし、大上の言い分は最もだった。俺から対等を宣言してるんだから、此方も下地を作るのが筋だろう。
「手錠を嵌めないなら交渉は決裂だ。一生を牢獄で過ごしてろ――と言いたい所だけど、俺も大上と同様に手錠を嵌めるってのでどうだ」
「それに何の意味があるんだにゃあ……」
「真なる意味で対等」
「もうそれでいいにゃあ。牢獄はもううんざりだわーん。良い玩具を見つけられた事だし、ちょっと不便だけど我慢する」
了承を得た所で、大上の居る部屋の内部に手錠を投げ込んだ。じゃらり。
憤懣やる方なくても気になるものは気になるらしく、月日さんが俺の手元をちら見してくる。
「え……? えええええええええええええ!?」
一度外れた視線が、凄まじい早さで戻ってきた。実に模範的な二度見だった。
「あっ、あの、土岐くん? 私の想像していた手錠と食い違いがあるのですが?」
「両手を拘束するタイプの手錠だと足は自由だから、簡単に逃げられる可能性があるだろ?」
「でしたら、ここはシンプルに両足に重りを付ければいいじゃないですか」
「あのさ月日さん? 恩讐に囚われてはいませんか? 極力、機動力は落としたくない。事に当たる際に大上を置いていくって選択肢はないからな」
下手に敵対されでもしたらもっと厄介だ。
俺が昨晩用意した手作りの手錠。2つの手錠を5メートル程の太いワイヤーで固く結んだだけの代物で、やや重いけど強度は抜群。
両腕を拘束する用途じゃないから、普通に手錠を嵌めるよりは自由が利く。
最初は俺の鎖を接続に使おうとしたけど、重量もさることながらじゃらじゃら煩いので没にした。
「これなら大上の独断専行を阻止できる」
「それは、そうですけど……ちょ、ちょっと待って下さい? シャワーとか、その、花摘みの時はどうするつもりですか」
「その時は、お互い同行するしかない。5メートルもあれば間に扉を挟めるだろ。問題あるか?」
「問題しかないにゃあ! おみゃーは一体何を考えているんだにゃー! 嫌だにゃあー! コンの事を何だと思ってるのー!」
ぺいっと手錠が投げ返ってくる。大上にも人並みの羞恥心はあったのか。なんて、我ながら失礼過ぎる。
「……解りました。それではこうしましょう」
月日さんは大上によって投棄された手錠を拾うと、止める間もなく自らの片腕に嵌める。
「解錠に必要な鍵、手元に置いてないんだけど」
「構いません。これで後には引けませんね」
なんとも向こう見ずな行動だった。憎き大上と時間を共有するって意味、解っているのだろうか?
「さっき玩具って言われたの聞こえただろ? 心の弱みに付け込まれ放題だぞ」
「私の心配なら結構です!」
「あ、はい」
ワイヤーを引っ張る形で俺の持つ手錠が抜き取られて、大上の元に届けられる。
金属音がして、中から月日さんが出てきた。続いて、しどけない格好の大上が姿を見せる。二人の間にはゆったりと弛んだワイヤーがぶら下がっていた。
当初とは予定が違ったけど、月日さんが納得しているなら、俺がとやかく言うことじゃないか。結果的に助けられた訳だし。
「どうせ、汚いって思われるだけだから、あんまりこっちを見ないで欲しいにゃー」
「一応、警告だけはしておく。月日さんに危害を加えるような事があれば、取引は白紙にするからな」
この方法は万全じゃない。手段を選ばなければ、幾らでも穴がある。
「はいはい。コンからは手を出しませんよー」
「言い回しが妙だけど、今はそれで納得しておく」
「それじゃ、早速シャワー室に行ってくるにゃあ」
「現在の情勢でシャワー室を使うのは情報収集に駆け回っている神託会の連中の格好の的になる危険がある。悪いけど水路で我慢してくれ」