嫌いじゃないのに、大嫌い
体育館に会した皆々様が有志の誘導の元、牢獄に案内される。
その、避難とは縁遠い場所への移動に不安の声こそあったが、不平の声は上がらなかった。脅迫の甲斐があったと思いたい。
牢獄の入口で周囲に気を配っている俺の横で、杏樹が一度立ち止まる。それは一時で、言葉もなくその背は遠ざかっていった。
杏樹にくっついて来た友人が、何かを訴えようと真剣な瞳を此方に向け続けている。肩を竦めた。
「言いたいことがあるなら言ってくれよ、トト」
「わざわざ言わなくても解ってるんだろ」
大上じゃないんだから何もかもお見通しって風にはいかないけど、今回は例外だから意思の疎通はできている。
「仕方がない。目的を成就させる方法があって、これはそこに至る道程に必要なリスクだ」
「俺、ミッツマンの遣り方は嫌いじゃねーんだ。嫌いじゃねーんだけど……杏樹ちゃんを見てたら、もっと他に上手い方法があるんじゃないかって思ったりする」
「あるのかもな」
それは否定しない。駄菓子屋の住人を見殺しにせずに済んだように、少し発想を転換すれば、もっと堅実な手段が思いつくのかも知れない。
「でも、思いつかなかった。それが結果だ。その場のノリだけで、せっかく軌道に乗り始めた計画を破棄するなんて勝手な真似は出来ないだろ」
俺達には時間が不足していた。首尾よく運べば莫大な時間を稼げる計画だ。時間があればあるだけ、可能性は広がる。
俺の着想が少なくとも間違いではない事を再確認してから言葉を紡ぐ。
「俺は大丈夫だ。上手くやる」
トトの背中を地下に押し込む。学園地下に続くその階段は、避難に同意した者達が通った道だ。
「トトは杏樹を頼むよ。それと」
「万が一敵と遭遇しても殺すな、だろ?」
昨晩交わした取決め。これには自警団の一同も承服してくれている。それはなんだか平和ボケした指示だなと今でも思う。
なるべく禍根を増やさないようにって、しかつめらしい建前で意見したけど、俺は単純にただ敵だから殺すというのは躊躇われただけだ。少し前の俺なら、殺した方が楽だ――なんて嘯いてそうなものだけど。
「本来なら俺がそっちで、ミッツマンが杏樹ちゃんの傍に居てあげるべきなんだけどな。頭的な意味でも」
「その何の根拠もない『べき』はなんだ。杏樹の身辺警護は簡単だけど、こっちの役割はそうでもない。大上に貰った傷が癒えてないトトには荷が重すぎる」
「勘弁してくれ。それは昨日ミニにタコができるくらい聞いたぜ」
ミニタコって、トトはこれから本当に収監されるつもりなんだろうか。会話が切れる頃合いを見計らって、団長さんがやってくる。
「あまり口酸っぱい事は言いたくないんだが」
「すいません、出過ぎた事をしました」
恐らく、先程の体育館でのパフォーマンスについて言及するつもりなのだろう。先手を打って謝っておく。
「いや、正直な所、あれに助けられた部分は大きい。西の全員が有志として手を貸すと申し出たのも君の手回しだろう? 君には助けられっぱなしだ。だが、君のその方法は……いや、でしゃばりだったか」
「その気遣いには、感謝してます」
成果を求めるあまり反感を買う。敵を作る。人情を勘定に入れていないのは、此方も同じだ。だから俺は、集団を追放された。当然の報いだったんだろうな。
長い列の最後尾を務める有志の最後の一人を見送って、俺は牢獄の入り口に腰を降ろした。
これから彼等は牢獄奥のマンホールから水路に進入し、一路ある場所を目指す。
水路突入の場所を牢獄にしたのは神託会の目を欺く為だ。ここを避難場所ないし迎撃拠点だと錯覚させる。
俺はその為の仕掛け。積極的に残ろうとする住民が居なければ、元から俺が囮役を担う予定だった。言い出しっぺの法則だ。
俺がここでカモフラージュしている間に避難民は神託会の警戒網を抜けて――。
「はやぶさ作戦……まさか再現する事になるなんてな」
呟きは誰の耳にも止まること無く風に流される筈だった。
「この大胆な計画は、はやぶさ作戦と言うのですか?」
階段の影から反応が返ってくる。愛用の刀を手にした月日さんだった。
「ああ、符丁として使ってたんだ。当時は小学生の低学年くらいの年齢だったから、他人が聞いても縄跳びの技程度にしか思わないだろ」
話しながら移動して道を開ける。適正距離を取った。月日さんも俺の扱いには慣れてきたようで、自然とその距離が保たれる。
「え、土岐くんはそんな頃から最前線に立っていたんですか?」
「環境が環境だったからな。それで、月日さんはどうしたんだ? 忘れ物、とかじゃなさそうだな」
「私も土岐くんと一緒です」
「一緒って……」
何処に耳があるか解らない以上、作戦の根幹に関わる軽率な発言は慎まないといけない。言葉を選ぶのに苦労するぞ、これ。
「月日さんも、此処で見張りの番をするつもりなのか?」
「自警団の正規メンバーでもない土岐くんにばかり負担を掛けるわけには行かないということで、土岐くんには内緒で自警団からここにもう一人配置する予定になっていたんです」
一人より二人の方が信憑性がある。成功率を上げる為の措置なのか、あるいは自警団が背負うべき責任だと思ったのか、俺に義理立てをしたのかは定かではないけど、なんにせよ『不要』という理由では断れそうにない。
思惟を巡らせる。引き際を誤らせさえしなければ、総合的に見る分は降って湧いた幸運かも知れない。
「一つ付け足しますが、見張りの対象には土岐くんも含まれてますからね」
「身に覚えがないんだけど、今度の俺は何の容疑者になってるんだ……」
嘘だ。ちょっぴり後ろめたい部分があるにはある。月日さんは「解らないんですか?」とジリジリと詰め寄ってきて、僅かな表情の変化も見逃さないと言わんばかりに、ルビーの瞳でじっと俺を注視してくる。
「お、月日さん、あのな」
「はい、なんですか」
白状してください。そんな副音声が聞こえてくる。でも、それどころじゃない。俺はただ一言、絞りだすように言った。
「近い」
「そうですね」
ボンッなんてオノマトペが聞こえた気がした。途端、月日さんの頬がその瞳のように真っ赤に染まる。視線はあちこち忙しなく動くのに、肝心の距離が開かない。
「何か企んでいるなら、私にも教えて下さい」
顔と顔との物理距離、1メートル。いや、50センチ未満。無慈悲にも尋問が再開される。
「教えてくれるまで、離れません。むしろ、ち、近づきますからね」
「どどどどどうして俺に目論見が有ること前提なんだ」
「土岐くんの事を熟知している文殊四郎さんがそう言ってました」
もんじゅもんじゅの差金か。狂乱者脱走事件の結末と言い、あいつは人の妨害ばかり――妨害、だっただろうか。
あの時、俺は犯人役になるつもりだった。それを阻止したのが、杏樹からの情報のリークで全てを知った月日さんだ。
そうして思考の世界に逃亡をしていても、時間っていうのは遠慮がないもので。熱を持った外気が俺を現実に誘う。
そろそろ気絶してもいいだろうか? いいよね。意識を手放そうとした俺の肩を月日さんが揺さぶる。
「きっ、気を失ったりしたら、役割が果たせなくなりますよ。そんな無責任な事をして良いんですか?」
俺は直感と共に確信した。ここまで杏樹の台本だな、と。ならば、適当に誤魔化そうとしても封殺されて、その度に辛酸を舐めさせられるに決まってる。
「話すから、離れてくれ」
逃げようにも、俺はこの場所から遠ざかるわけにはいかない。こうして、俺は半分白目になりながら投降した。