騎士感
放送の任を西校放送部に託して、俺も準備の為に自宅に戻る。
俺の部屋の扉に背を預けて、杏樹が佇んでいた。
「そこに立たれてると、中に入れないんだけど」
無視。少しも反応しやがらない杏樹の足元には小柄のリュックが置いてある。
「避難の用意が終わってるなら、こんな所で油を売ってないで体育館に行けよ」
「……油を売っているのは、貴方の方でしょう」
俺の方を一瞥もせずに、杏樹が口を開く。
「学校に居た筈の貴方が、どうして此処に戻ってくるのかしら」
先程のアナウンスで放送室を使っていたのは周知の事実。
「自分の準備をしていなかったからだ」
「そう。でもそれは大多数とは違う準備よね」
否定も肯定もできない俺は沈黙を返した。どうせ、看破されている。これは確認作業。だったらそこから続く話は全部、蛇足だ。
杏樹が何を言おうと、俺の向かう先は変わらない。杏樹もそれが解っている。
「ミツヒデは、いつもそう。理想を語る癖に、土壇場では泰然と――いえ、機械のように現実的で無難な取捨選択をする」
在り方を決めたら、後はプログラム通りに機能するだけ。言われてみればその通りだ。
「貴方のそう言う所、大嫌い」
一方的に告げて、杏樹が俺の横を通り過ぎて行く。
これからの事を考えると、俺に許された余白は少ない。蛇足の時間。
ふと、部室での遣り取りを思い出す。無駄を楽しめ、か。
「無事に合流出来たら、その時はまたお前の画を見せてくれよ」
「っ……」
言ってから、あれ? これって死亡フラグじゃない? って思った。
杏樹は立ち止まりもせずに階下に姿を消す。扉に背中を預けると、杏樹が残した体温を感じた。バカもんじゅ。
「気が滅入る」
何が必要で何が不要か。欲張って、持ちすぎて、何処かで落としてしまわぬように、俺が選んだ今に後悔はない。
上手くやるだけだ。捨てたモノすらも、誇れるように。
これからのタスクを脳内に列挙して、俺は心を凪にした。
次は、駄菓子屋だ。ここからそう遠くない。取り留めの思考に耽りながら歩いていると、すぐに到着する。
俺の到来を察知した犬猫が集まり出した。庇の下で寛いでいたレオがピンと耳を立てて俺の方を見ると、ロケットみたいに突っ込んでくる。
マタドールさながらに一度いなして勢いを殺してから、次弾を受け止めた。その額を押さえつけるようにして撫でながら、感傷も抑えこむ。
しばらくそうしていると、人影の接近に気付く。自警団の腕章を嵌めた二人組は、顔見知りの第二種人類だった。
「お疲れ様です、土岐くん」
「ちーっす。うひゃー、動物がいっぱいいるねー? 中から鳥の鳴き声もすんだけど、これ全部あんたのペットなの?」
片方は月日さんで、もう片方は昨晩迷える子羊たちを取り囲んでいたアマゾネス達の中の一人だ。東西混成の見廻組か。
アマゾネスの質問に、俺ではなく相方が答える。
「ペットとは違うみたいですよ。土岐くんが善意で世話をしているそうです」
「そういうのをペットと言うんじゃ……それに、善意ねぇ? まぁ、いいや。ここ、東では有名なん?」
「どうでしょう? 知る人ぞ知る、という印象ですね。どの子も人懐こいので、巡回中に少し立ち寄ったりして心を癒して貰ってます」
「あ、そ。あっ、私も触っていい? おお、ホントに警戒心のない奴らだ。いいぜいいぜ苦しゅうない近う寄れ、超撫でてやるぜー!」
許可を求めたのなら、形だけでも俺の返事を待てよ。
「あれ……? そう言えば」
その様子を端から眺めて微笑んでいた月日さんが本当に何気なく、けれども当然の疑問を口にした。
「ここの動物達はどうするつもりなんですか」
「おぉう、確かに。ここにこのまま放置ってワケにはいかないよね」
答えを求めて、四つの瞳が俺を捉える。俺はレオを撫で付けながら、平静を装って求めに応じた。
「鳥は籠から出す。外の奴等は、このまま好きにさせるつもりだ」
俺の答えに月日さんの表情から笑顔が剥がれ落ちる。
「そんな、どうして」
「俺の自己満足を他の人達に押し付けられないか考えてみたけど、現実的じゃないだろ」
駄菓子屋に住まう生物。その数は40を優に超える。時間があれば、頼み込んで回れたかも知れないけど、現時点で既にタイムアップだ。
レオの俺を見上げる丸い目を見ると、胸を抉られる。ごめんなと呟きそうになって、その言葉を飲み込んだ。
この痛みは罰だ。けれども、何の償いにもならない。俺はただ許されたいだけ。
目の前のこの二人なら、ここにいる何匹か引き受けてくれるだろうと思う。でも、それこそ不義理だろう。
最後まで飼い主を名乗らなかったんだ。その無責任さを、俺は貫き通すべきだ。
レオだけでも――その誘惑を握りつぶして、作業に踏み切ろうとした俺の足を「殺すんですか」という小さな声が縫い止める。
「ぬるま湯に浸かっていた愛玩動物は自然の中では生きられないと言っていたのは土岐くんじゃないですか!」
「そうだな。でも、運が良ければ生き残れるかも知れない」
籠の中の鳥。不自由の象徴。空への憧れを満たせるなら、死という対価もあるいは。なんて、この期に及んで正当化を図ろうとしている精神の惰弱さが憎らしい。
「人命優先。そうして俺達は遥か昔から生物を殺して命を繋いできた。これもその業の一環だと思えば、そう可笑しな事でもないよな」
必要だから、そうする。連綿と継がれてきた人の在り方だ。
「土岐くんは、自警団の事件の時でもそうでしたけど……こうと決めたら、独りで突っ走るタイプですよね」
自分なりの最適解を見つけたら、関係者以外に説明する利点がない。場合によっては、それが不利に働いたりするから厄介だ。
現に今、俺は既に問答の終わっている事案を投げかけられている。
「もっと私達を頼って下さい。自警団はそんなに頼りないでしょうか」
間髪入れずに頷くと、月日さんは「あっ、そうですよね」とありありと落胆した。
その横合いから、獣達と戯れていた西のアマゾネスがひょっこりと顔を出してくる。
「よくわかんないんだけど、要するにこの子たちの預り先の目処が立たないから放棄しようとしてるって事でいいんかね」
「そうです。幾ら時間的余裕があまりないとは言え、早まらないで欲しいです」
そう言って、月日さんは制服の内ポケットからスマホを取り出して耳に当てた。
「団長。手の空いている方が居たら、例の駄菓子屋の方に手伝いに来て欲しいんです」
通話の相手は団長さんらしい。月日さんはその要請の経緯を説明している。そんな事に人員を割いている場合じゃないだろ。
「何故ですか。土岐くんには数々の義理がありますよね! ……解りました」
当然、団長さんも時間がどれだけ貴重な材料か解っているから、月日さんの話し声から色好い返事ではないことが伺える。
「それなら、この件を承諾してくれるなら、その代わりにあの役は私が引き受けます」
通話を終えた月日さんは「よしっ」と満足気に頷いて、俺を見た。
「これから西の有志の方々が応援に駆けつけてくれるそうです。運び出す準備をしましょう」
「ちょっと待ってくれ、どういうことだ」
「土岐くんは、少しでも良いから人の情も勘定に入れるべきだと言うことです」
団長さんが要請を飲んだ? だとしたら、検討の余地があると判断したって事か?
俺は、こいつらを殺さないでも許されるって事か――?
「こりゃあ、争奪戦になるかもね」
スマホ片手にアマゾネスがわざとらしく溜息を吐いた。此方も月日さんと同様に誰かと話をしていたようだ。
「とりあえずココちゃんがレオンハルト? って名前の騎士を予約してた」
「それって……そういう意味だと、思ってもいいのか?」
だったら、それは、俺の最適解なんか目じゃないくらいの答えだ。
「ラジオであったじゃん、東地区の駄菓子屋の主の話。向こうで評判が良かったんだけどさ、その正体があんただって話をしたら、もう鰻登り。はっきり言って、あんたは今、今生の春を迎えているのだ!」
アマゾネスは頬を掻いて、明後日の方を向く。
「それに、さ。なんて言うか……みんなあんたには感謝してるんだ」
無性に顔が熱くなって視線を彷徨わせると、月日さんと目があう。月日さんは「これが人情です」と言って渾身のしたり顔を浮かべた。