人形王
最初はただ勇者と人形王が会話するだけの話だったのにどうしてこうなった?
篝火で照らされているものの、広大と言っていい広間は照らしきれず、薄暗い。
そんな空間だが、存在する影は数え切れないほどにあり、しかし注目するべき影は八つだ。
広間の奥にある階段のような場所、その下に立ち上部を睨む五つの影は、中央に金色の装備に身を包んだ若者がおり、両脇にはそれぞれ魔女と一目で分かる少女と体の線が出ないように作られた神官服の女性が並び立ち、その外側を重厚な鎧の少女と軽装の、見た目十歳前後の幼女が固めている。
そんな男一人女四人の、世の男性から恨まれるような集団が睨む先には三つの影が存在していた。
まず、巨大な玉座に座る王。彼の両脇には見目麗しい女性が立っているが、それでもやはり注目すべきは中央の存在だ。どれだけ女性が美しかろうとも、王の存在はそれらを抑えて見るものの目を奪うだろう事は必定の理だ
なぜなら、そこらの街で女の子が持っていそうなクマのぬいぐるみが、堂々と玉座に腰掛けているのだから。
「人形王! 聖王国アリトリアの鉱山を占拠し、長年に渡って人々を苦しめたその所業、今ここで僕が引導を渡してくれる!」
勇者が敵地のど真ん中で、剣を引き抜き宣戦布告する。
それを受けて人形王も立ち上がる。柔らかそうな体を起こし、玉座からぽよんと飛び降りた彼は、実に堂々と、勇者へ布でできた爪を突きつけた。
『よかろう、勇者よ。この我に勝てるというのならば、その剣を振るって「てい」あぐっ』
まさしく一大決戦の場で響いたのはフニャンという布の潰れる音だった。
シン、と静まり返る中で、人形王は自らの身を叩き潰した下手人、右手に控えていた女性を振り返る。
『いや、アーシャさん何してくれてんの? 今いいとこだったじゃん。まさしく世界を苦しめる魔王とそれを阻止せんとする勇者の激突みたいな、後々の歴史に残るような名場面だったでしょ』
「まずグーさんは魔王ではなく人形王ですし、そもそも何不法侵入者の言い分を認めるような事を言っているのですか。ここは昔からあなたの領土であって、あのような出来てたかだか千年程度の国の領土な訳がないでしょう。付け加えるなら、あの程度の輩、あなたが通せと言うから通しましたが、そうでなければ入り口で適当に追い払う程度のゴミです。ああいえ、それは失礼な例えでしたね、ゴミに。再利用が可能なゴミと、不法侵入して剣を振り回すような塵芥にも劣る愚鈍な輩が同列のように語るなんて、一生の不覚でした。そもそも――」
『アーシャ、話長いから。長過ぎるから一回落ち着こう。深呼吸、深呼吸。な?』
「何を言ってるんですか。私は常に落ち着いていますよ。ええ。どこぞの不法侵入者をどこぞの愚王がここまで通せなんて言ったおかげで、政務が山のように滞っている事なんて微塵も怒っていませんとも。ちょっと愚王をしばき倒して不法侵入者を心身ともにボロボロにしたいだけですよ」
キレ気味の女性とそれを一生懸命になだめる人形王という突然の展開に付いていけないのは勇者一行だけで、もう一人の女性はあらあらとおっとり笑い、勇者一行を挟むように広間の両脇に並んでいた兵士達はやれやれと呆れた様子を隠しもしない。
そんな中で最初に動いたのは魔女ルックの少女だ。旅芸人の喜劇のように繰り広げられる光景に怒りの表情を浮かべ、自身の最も得意とする巨大な火の玉を人形王へと向かって撃ち放つ。
「ネル!?」
『おいおい、人が話している時に随分と物騒な物を飛ばしてくるな。おいたはいけないぞ、魔女少女』
仲間の行動に驚く勇者だが、人形王は平然とした様子で腕を振るい火の玉を打ち払った。当然、その身には毛ほどの焦げも無く、その程度では問題にもならないと言わんばかりだ。
魔女少女は得意な魔術が事も無げに振り払われた事に驚愕し、他の仲間たちも驚きに目を見張る。
勇者は、敵の強大さに改めて剣の柄を握る手に力が入った。
「無駄に肌が痛むので、わざわざ近くで払わないでくれますか?」
『いや、障壁で防いでたじゃいえなんでもありません私が悪うございましたはい』
もっとも。勇者が真剣になればなるほどに、人形王側との落差によって喜劇でもそうそう見られないシュールな絵面になってしまうのだが。
剣を振りかざす戦士とその眼前でコントをする敵などという絵は、目の前で実際に見なければ作り物としか思われないだろう。だが、現実に決死の覚悟で攻め込んだ勇者を笑うかのように、悪の親玉としての役を振られた人形王は挑発するかのごとくふざけた体を崩さない。
『ていうか、そろそろちゃんと話を……あ、無理? でもさっさと終わらせないと政務も溜まる一方だしさ。あんまりふざけてるのは悪いと思うんだよ』
「そもそも、謁見してみようなどと思いつきで言って行動に移されなければ、溜まる事自体無かった訳ですがその言い訳はどのように仰るつもりですかね」
『いや、だって異世界から召喚された勇者だぞ? やっぱ見ておかないと損じゃん。十中八九ご主人のいた頃に使われたあの魔方陣を使ったんだろうし、見た感じ、あれも日本人っぽいぞ?』
「あの魔方陣? 日本人? あなたは僕の他にも日本から来た人を知っているのですか!?」
二人が交わす言葉に聞き捨てならない部分を見つけた勇者が声を上げる。それを受けてようやくコントを打ち切った人形王は、どうやってか人形の口元をぐにゃっと笑みの形に歪めて笑う。
『ああ、知ってるぞ。といっても、三千年以上も昔の話だがな。俺はかつて、ご主人の下で勇者と会った事がある。と言っても、立った戦線が別だったから交流など微々たる物だったがな。魔王城攻略戦にはご主人と共に俺も参加していたくらいだ』
「その人は、勇者の人はきちんと帰れたのですか!?」
『本音が出たな? 勇者は確かに召喚陣を使って転移した。といっても、理論上可能だからといって、ちゃんと帰れたかまでは保障できんな。次元の狭間に落ちたかも知れないし、全く違う世界に行ってしまったかもしれない。帰れたとしても、そこが元来た世界ではなく平行世界かもしれない。少なくとも、誰も確かめていない事を確かにそうだとは言えないさ』
「まして、あの国が滅んでからの勇者は、召喚した国に取り込まれて帰っていませんものね。今回も国は取り込む気満々ですし、帰りたいと言った所で帰してもらえるか、そもそも、召喚陣を使った帰し方自体伝わっているかも怪しい話です」
「そんな……で、でも、王様は魔王を討伐したら帰してくれるって――!」
『おいおい。古くからあるこの国の主権を否定して勝手に領土だと主張した挙句、勇者まで寄越すような連中が信じられるとでも? この国はご主人の死後に俺が直接賜った領土だぜ? 由来も確かで、あの国の歴史と比べて三倍は行く程の歴史を持つこの国を、土地を、我々の物だと言ってくる物も道理も知らない輩が信用に値すると? 失笑物だな、おい』
「じゃ、じゃあ、僕は、一体どうすればいいんですか」
『自分で考えろ、と言いたい所だが、魔王が人を脅かしているのは確かなんだ。それを排除した後で、旅の中で自分の目で見て、聞いて、信じられると思った場所や人を頼ればいいだろう。これからは異世界だなんだと舞い上がるのは止めて、その目でこの世界を見るんだな』
崩れ落ちるように膝をついた勇者に人形王が声を掛けるが、落ち込んだ勇者はそれでは立ち上がる事ができず、代わりとでもいうように、騎士少女が前に出た。
「待て。そもそも、貴様らの言う事が真実だという証拠はないだろう! 少なくとも、わが国の歴史書には貴様らがこの鉱山を乗っ取った経緯が詳しく書かれている! 貴様の言は、主張に対する証拠が何も無いではないか!」
『国の歴史書なんざ、都合の良いように書かれた物ばかりで、客観的に書かれた物なんざ一つもないだろうが。そもそも、この国の歴史は三千年もあるんだ。たかだか千年ぽっちの国が作った歴史書だけではなく、国ができる以前の歴史書も読んでから言え。もっとも、滅んだ祖国セートリシアがあった頃の歴史書以外では、どの国も我が領土だと貴様の国と同じ主張をしてるばかりだがな』
「そもそも、グーがいなければこの土地は魔力溜まりの影響で魔獣すら住めない場所になります。そのような土地を先祖伝来の土地? 笑わせてくれますね。人間如きが、一体どのような手段でこの土地を開発していたと? そもそも、この山は鉱山などではありません。もっと歴史と地質学、魔素理論を学んで、もっともらしいホラをでっち上げてから口を開けなさい」
『そもそも、何を持って証拠とするんだ? 貴様らの言う先祖伝来とやらも、国がそう主張して歴史書をでっち上げただけで、何も証拠など無いだろう。逆に問うが、昔ここで鉱山開発をしていた連中の子孫でもいるのか? ここを統治していた貴族の名は? 貴様の言う歴史書は一度呼んだ事があるが、近年稀に見る穴だらけで杜撰な歴史書をよくもまあ信じられるものだ』
人形王の言葉に返す言葉もなく騎士が黙ると、次に前に出たのは僧侶だった。太陽を模したらしい首飾りを両手で握り、力強い目で人形王を見詰める。
「人形王よ。虚言を弄するのはそれまでにしなさい。あなたがこの鉱山を乗っ取ったのは遠い昔の事。統治していた貴族の名が知られなくなるのは当たり前ですし、ここに住んでいた方の子孫も、その記憶を薄れさせるには長い時が経ち過ぎました。私は魔物の悪知恵には引っかかりませんよ」
『ああ、確かミルリア教だったか。一見理に適っているようだが、人間は存外過去に生きる生き物だ。なんて言ったところで水掛け論だな。まあ、いい。その辺りは後でいくらでも調べれば良いし、億が一でも俺を殺せれば、その身でここの竜穴の魔力がいかに規格外か知る訳だからな』
「ミルリア教はアリトリア国の建国者が唱えていた理念を教義とするものでしたね。今では上層部が腐りきって、当時の理念は欠片も残っていませんが。狂信者というのはいつの世も厄介です。そこの勇者の出身世界でも、話に聞くどこぞの宗教では聖戦だと言って街中で自爆するのでしょう? ミルリア教はそういった事はしませんが、人間上位で他の種族を差別する辺り、同じくらい救いようがない愚劣な宗教です」
『おいおい、確かにそうだが、そこまで言ってやるなよ。末端は腐った連中が後付けで加えた教義に踊らされる哀れなピエロなんだ。自覚させたらかわいそうだろうが』
「昔、この国を危険視した馬鹿が人形遣いを狩るために教義を追加宗教などもありましたからね。私は仲間を殺す宗教という物が嫌いです。そうでなくても、何か成功すれば神様のお導き、失敗すれば本人の信心と努力が足りなかったと言う、良い成果だけを奪う最低の代物です」
「そんな事はありません。他者を率いる事に長けた人間が他を従えるのは争いを無くす上で必要な事ですし、決して良い成果だけ神のおかげだなどと言う事はありません。失敗というのは『神の与えたもうた試練なのです、ってか?』……分かっているのなら、先程の侮辱を――」
『取り消す訳が無いな。宗教自体は否定しないが、人を支えるのではなく行き先を誘導して強制する宗教は愚だ。うちの神道のように、神には徹底して何も求めない奉るだけの宗教ならばともかく、他の宗派を弾劾する宗教の一体どこが正しいんだ? 武力を持ちそれを行使するような宗教のどこが正しい? 人を救うと口で言いながら、手に持った剣で人を斬るような連中は信じるに値しないな』
「そのような事実はありません!」
「いいえ、あります。現時点でも相当数の獣人がミルリア教に捕らえられて隷属を強いられていますし、王都の神殿の地下には何人もの人間が牢屋に入れられています。また、各地の闇ギルドとの癒着もありますね。最近では、アリトリアの国王の長男を暗殺したのは王都在住の司教が闇ギルドに依頼した結果ですし、王女に関しては大司教が誘拐して手篭めにしようとした前歴があります」
「また虚言を弄するのですね! 第一王子様が死んだのは事故ですし、王女の誘拐は魔族による謀略です! 嘘ばかり言わないでください!」
『今回の魔王は力押し一択で謀略なんて出来ないタイプなんだがね。そもそも、王女を誘拐するなら策を弄するよりも魔族が直接侵入した方が早いだろう。そして第一王子だが、寝室で毒を飲まされて死ぬのを事故と呼ぶなら、そうなんだろうな。ああ、司教の名前はゴート・ルグニスで大司教はグルエル・アージ・レルストルだ。どちらも豚よりもデブだからすぐ分かるだろ?』
「そもそも、本当に敬遠な信徒だと言うなら、教義の節制をきちんと守っているはずですし、太るなんてありえない話です。そもそも、国家の枠を越えた同盟も無く、疲弊しているのは魔王の居城に国境を接する国ばかりでミルリア教の教会騎士団も健在だというのに勇者を呼び出すような国と宗教が健全だとよくも言えたものです。無垢は美徳ですが無知は罪だという事すら知らない愚者ですね」
証拠が無くとも上げられた名前はそういった事をしてないと否定できるものではなく、事実としてミルリア教の騎士団もアリトリア国の騎士団も無傷ゆえに反論の余地は無く、僧侶は視線を彷徨わせ、何か反論できないかと口を動かしたが、正論に肩を落とすしかない。
人形王とその側近の一人に言葉で叩きのめされる勇者達に、兵士達も同情の視線を向け、わざわざ攻め込んできたりしなければよかったのに、と囁きあう。
そんな中で笑い出したのは最後の一人である幼女で、場違いなまでにお腹を抱えて笑うと、外見にそぐわないニヤリという笑みを浮かべて人形王を見やり、それを受けた人形王は大げさに肩をすくめてやれやれと首を振ってみせる。
「懐に招き入れてどうするのかと思えば、心を叩き折るとは、随分と愉快な見世物であるな」
『俺としては、お前が勇者御一行に入り込んで一体何をしたいのかと思っているんだがな。呪いで成長しないだったか? 魔術に武術、薬学から物理学まで高次元で修めた怪物が、そんな幼女に化けてまでどんな目的があるのかと首を傾げるばかりだったぞ』
「何。妾もたまには退屈しのぎに人へ手を貸すのも吝かではないと思っただけよ。主と違って、俗世との関わりを簡単に絶てるほど、欲の無い存在ではないのだからな」
『俺は人形だからな。生物の遺伝子に組み込まれた本能なんて物はもう理解できないさ』
ケラケラと景気良く笑う幼女に、人形王は肩をすくめて答える。
突然始まった人形王と仲間の親しげな会話に、精神的に叩きのめされた勇者一行も面を喰らって二人を見るが、二人はそんな勇者達を意に介する事も無く会話を続ける。
「ところで、三千年経ってもここの竜穴は無害化できておらんのか?」
『あとちょっとだな。もう三百年も続ければ無害にはなるだろうが、それまでは少しでも離れれば一気に元の状態に戻ろうとするし、急な変質を行えば、それに影響されて大規模な災害がおきかねない。お前のように気軽に出歩けるようになるのはすこしばかり先の話だ』
「グー。たとえ竜穴の改竄が終わっても、王である以上はずっと穴倉生活ですよ。地上に居を移すのもありかもしれませんが、少なくとも、国から出るなんて事は許しませんのであしからず」
「あっはっは! 国なんて作るから自由を縛られるのだよ。もっと無責任に全てを放ってしまえば、妾のように風の向くまま気の向くままに生きられたのに、もったいない話であるな!」
『はぁ。さすがに、ご主人が遺した兄弟を放って行くには一緒に生き過ぎたからな。長兄としての責任を放る事なんてできないし、ご主人の遺言は俺が生きる唯一の理由と言ってもいい。たとえ世界が荒廃して地獄のような現世となろうとも、ここだけはずっと俺が守るさ』
「漢だねぇ。ところで、通した理由って勇者を見たかっただけであろう? なら、そろそろ解散にしてご飯にせぬか? 実はこの変化の燃費が悪くて腹が減って仕方が無いのだよ」
『そうだな。茶番もやめにして宴にするか。まあ、突っかかってこなければ、すぐに宴を始めるつもりだったのだがな。思ったよりも時間が掛かったが、まあ、料理もまだ冷めていないだろう』
ぽふぽふと人形王が手を叩くと、即座に天井から光が降り注ぎ、松明が片付けられて代わりにテーブルと料理が運ばれて来て、急展開に次ぐ急展開で付いて来れていない勇者達を、兵士達が丁寧に席へと着かせる。
さきほどまでの薄暗かった広間は気が付けば明るく美しい晩餐の場へと変容し、どこからか入ってきた人形達が勇者達の前で様々な芸を披露する。
勇者達は困惑するままに流されて、一度山を降りてから取って返したのは別の話だ。
この話は『最後の勇者と教導の人形王』という物語の、語られる事無かった真実の一幕だが、歴史上最高の偉人達の話としてあまりにも不適であるとして抹消され失われた歴史であり、この時より未来において、人形達以外にこの時の事を覚えている者は誰もいない。