第三章 『カマキリVS謎の美少女』 1
いつもより青空が近い。
さらりと吹く風が心地よかった。
そしてなによりも、先輩と一緒にいることが一番嬉しいのだ。
「あぁ~、やっぱり屋上は気持ちいいですねっ! くるるちゃん!」
「……そ、そうだね~」
「なんだかロマンチックなところですね~。くるるちゃんと二人っきりでこんなところに来れるなんて、俺、幸せです!」
「……はぁ……」
「チッ」
幸せな時が流れる。
俺は念願どおり先輩と二人っきりで、二人だけで、二人のみで、他には誰もいない屋上に来ていた。――だから、俺より少し背の高い女や、風になびく長くて真っ黒な髪なんかは見えないし、「チッ」なんていう舌打ちの音もまったく聞こえない。二人っきりなのに、そんなのが聞こえたり見えたりしたらおかしいよな。まったく、ホラーじゃないんだから。
見えるのは推定身長一五〇センチ未満の小さい先輩の体だけ。聞こえるのは小鳥のさえずりのような先輩のかわいらしい声だけ。俺の目には先輩しか映ってないのさ!
――あぁ、なんて素敵なんだろう!
「くるる先輩、こんなバカは放っておいて、早く練習を始めましょう」
――コイツさえいなければなっ!
がっくりとうなだれる。
見えるさ、聞こえるさ。だって実際ここにいるんだから。……いるんだから。
精一杯の鋭い眼光を怒りのもとに向ける。目で人を殺せることができるとしたら、多分、俺の目はまさに人を殺すことができそうなほど、鋭く光っている。
春乃は俺を横目でチラッと見て、「チッ」とまた舌打ちしていた。春乃は春乃でいつにも増して機嫌が悪い。
俺の高校生活はコイツのせいで全部ぶち壊しだ。
なぜ、春乃が俺と先輩のためだけに存在する放送部にいる!
答えは簡単。
春乃も放送部に入部したからである。
――なんてこったぁぁぁぁああ!
俺の完璧な計画がガラガラと音を立てて崩れ落ちてしまった! なんで、意味わかんねえ!
「どうして、てめぇが放送部に入ってんだよ!」
「はぁ? あたしがどの部に入ろうとあなたには関係なかったんじゃないの?」
春乃はあのときの言葉を根に持っているようだった。
――チクショー、まさか一緒の部だったなんて思わなかったんだよ。
「じゃあ、言うけど、あたしは声優になるのが夢なの。だから、今からその練習のために放送部に入った。ただそれだけ。わかった?」
くそっ、ちゃんとした理由じゃねえか。『あの人に憧れてぇ』とかぬかすようなら、即刻退部にさせるつもりだったんだが……そういうわけにもいかないな。人の夢を潰すなんてマネは俺にはできない。基本的に俺は善人なのだ。
「そういうあんたはどうなのよ! さぞかし立派な理由があるんでしょうね?」
――え……。
挑戦的な笑みを浮かべる春乃の顔を見ているとものすごく腹が立ってきて、
「おうっ、もちろんだ!」
と、条件反射で言ってしまった。
売り言葉に買い言葉。
なにも考えずに、つい勢いで言ってしまった。……もう、俺のばかぁん。
「へぇ~、あたしも言ったんだからしっかり教えなさいよ」
「ぎくっ」
「『ぎくっ』ってなによ。やっぱり、理由なんてないんじゃないの? ――どうせ、オカマ部と放送部を勘違いしたんでしょ?」
どう間違えばその二つを混同するというんだ?
「今あたしに白状するなら許してあげてもいいのよ」
「はっ、笑わせるぜ。サルノが聞いたら仰天して腰を抜かすかも知れないと思って心配してやってたんだが……、俺の超人的な気遣いがわからなかったようだな」
「そこまで言うんだったら早く言いなさいよ。あたしを驚かせて見せなさいよ」
「……お、おう! 後で泣いても知らねえからな!」
じりじりと視線がぶつかり合う。
――やべえ、俺が泣きそうだ。
どうしよう。ここまで言っておいて、『くるるちゃんに一目惚れして入りました! てへっ』なんて死んでも言えねえよ。どうしようかな、先輩が助けてくれるかも……、
「そんなにすごい理由なら、わたしも聞きたいな!」
なんか目が輝いてるんですけど。体から『わくわく』という文字が飛んできてるんですけど。
――かわいいけど、今はそれがつらい!
俺は身をよじりながら苦悶する。……俺はどうすればいいんだ。このままだと部活を辞めさせられるかもしれない。そうなれば、先輩との恋が生まれることは一生なくなり、『先輩妹化計画』は打ち切りになってしまう。それは絶対に避けなければならない!
だんだん俺の顔から血の気が引いていくのがわかる。
春乃は無茶苦茶な奴ではあるが、鬼ではない……と思う。驚かせるまではいかなくても、俺が本気であることさえ証明できれば放送部にいることを許してくれるはずだ! それなら、俺にだって手はある。今までの努力が傷痕となって俺の体に残っているんだからな!
「さぁ! これが俺の理由だ!」
バッ、と手の平を開いて両手を前に突き出した。
――見るがいい。これは毎日の努力を表しているんだ。
「ひっ!」
「きゃっ!」
二人とも短い悲鳴を上げて、先輩は手で顔を覆って、春乃は後ずさりして尻餅をついていた。
おう、案外驚いてくれるものだな。
「な、なによ……その手」
春乃が怯えた声で聞いてくる。どうやら、こういうのは苦手なタイプらしい。まあ、こういうのが得意な女子はほとんどいないと思うけど。
「これは日々の鍛練の証だ!」
「あんた、なんの練習してるのよ!」
「決まっているだろ! 放送部を甲子園に導くため、俺は毎日バットを振っているんだ!」
「……はぁ? 全然意味わかんないんだけど」
おやっ? 春乃の反応がおかしいな。それに先輩も悲しげな瞳を俺に向けている。いったい、俺はなにを間違えてしまったんだ?
「だから、俺はこの部を甲子園に連れて行きたくて、放送部に入ったんだ……が?」
あれ? 俺はなにを言っているんだろう。自分で言っててよくわからなくなってきた。
「……あんた、野球部に入りなさいよ!」
「なんでだよ! 野球部で甲子園とか意味が、」
そこで一度言葉に詰まった。
じっくりと考え、出てきた答えは、
「わかるな……。いや、むしろ、おまえの方が正しい気がする」
俺の敗北だった。
――でも、確か甲子園に行くのが先輩の夢って言っていたような。
そう思っていると、先輩が言いにくそうに笑ってみせた。
「……あのね、勇雄くん。わたしが言ってた甲子園って言うのは、司会・進行とか、場内アナウンスみたいな、声を使う仕事のことなんだよ」
「へっ?」
俺の体温急上昇中。
「だからね、放送部はバットを振らないよ」
頭がうまく回らない。要するに、どういうこと?
「それは……つまり……俺の勘違い、ということですか?」
「……簡単に言うと、そうだね」
にこっと。
童顔の先輩がかわいそうなものを見るような目で笑うのだ。
その優しい笑顔は俺の恥ずかしさを倍増させる。俺にも羞恥心というものはあるようだ。
自然と目線が下がる。
か~っと自分の顔が熱くなり、
「およへぉほろぶよぉぉぉほろひょ~~……」
何語ともわからないような奇声を発しながら力なく地面に崩れ落ちた。
……勘違いだったというのか。
俺のこれまでの努力が、すべて、無駄?
バットも? ランニングも? 姉も? 不良も? すべてが、無駄、なのか?
恥ずかしさで顔面が血のように赤く染まる。
確かに、なんかおかしいな~とは思っていたんだ。思っていたんだけど、先輩の言うことは間違いないと……なんたることだ。
恋は盲目とは言うけれど、ここまで見えなくなるというのか。俺は、俺は、
――もう、死にたい!
泣きながらドンドンと床を叩き続ける。
「ふぉづぁはるぷぇぇ~~……」
「い、勇雄くん! しっかりして! 誰にだって勘違いはあるんだから、そんなに恥ずかしがらないでよ!」
「へ、へんふぁ~い……」
天使のような優しい言葉を投げかけてくれる優しい先輩に抱きついた。よしよし、と先輩が頭を撫でてくれる。――小さい先輩が今は大きく感じるよ。……特に胸が。
「勇雄く~ん、よ~しよしよしよし」
「あの……俺は犬ですか?」
「あっ! ごめんね~、えへへ」
かわいらしく笑って俺の心を癒してくれる。
先輩は本当に包容力の豊かな人だなぁ。先輩の体、意外と見えないところは成長しているみたいだし、すっごく素敵な人だぜ。なんだか、元気が出てきたよ。
春乃も俺を元気づけてくれる。
「……誰にだって間違いはあるものね。仕方ないわよ」
同じ励ましの言葉のはずなのに、これほどまでにムカつくのはなぜだろう。おまえのそのニヤついた顔をぶっ飛ばしてやりてえよ。
「春乃ちゃん、もう勇雄くんをいじめないで」
眩しいぜ、先輩。俺は一生あんたについて行かせてもらうと決めたっ!
「……どうせ三人いないと部活は廃部になるんだし、カマオでもいないよりはマシかもね」
「うぅ……」
これは、俺をけなしているのだろうか。それとも、俺に感謝しているのだろうか。
……ううむ。よくわからん。
乙女心……なんだそれ?