第二章 『愛の力VS甲子園』 5
入部届を提出してから数日が過ぎ、仮入部期間が終わった。
そして、今日から本格的な練習が始まる。
それは俺と先輩、二人きりのラブラブタイムが始まることと同義である。――なので、朝から俺のテンションは限界突破のイケイケ状態だった。
ぐるん、と体をひねって後ろを向く。
「お~い、サルノ~」
イケイケ状態の俺は嫌いな相手にも話しかけるのだ。
「あたしは春乃! ……って言い直すのも面倒になってきたわ」
心の底から呆れた様子のメスザル、またはサルノこと、稲美春乃はイライラとした視線を俺に向けてきた。ほぅ、相変わらずなかなかいい目をしているな。メスゴリラと同じ、暴力女の目だ。
春乃とは前後の席ということもあり、それなりに親しげな会話を交わすぐらいの仲にはなってきている……と思う。その内容はというと、
『……あ、ありがとね、カマオ』と頬を赤らめて恥ずかしそうにする春乃。少しかわいい。『ん? なんのことだ?』『……えっと。あ、あんたの身長が低いおかげで黒板がよく見えるわ!』『て、てめえ!』
とか、
『……あ、ありがとね、カマオ』と再び頬を赤らめて恥ずかしそうにする春乃。やっぱり、少しかわいい。『ん? なんのことだ?』『……えっと。あ、あんたが気持ち悪いおかげであたしが美しく見えるわ』『て、てめえ!』
だったり、
『……あ、ありがとね、カマオ』といつも通り頬を赤らめて恥ずかしそうにする春乃。このネタにも飽きてきたが、かわいい顔を見れるのは嬉しい。『ん? なんのことだ?』『……えっと。あ、あんたがオカマなおかげで……な、なんでもないわよ!』『て、てめえ?』
というようなことばかりだけど。……どうして、いつもお礼から始まるんだ? それに、最後のはなんだ。言うなら言うでネタを思いついてから言えよ!
そんな感じで春乃は妙に俺に突っかかってくる。
――やっぱり、おまえは俺のことが好きなのか? これが難しい乙女心なのか?
今でも俺にはさっぱりわからん。誰か動物の専門家を呼んできてくれ。
「で、なんなのよ」
ぷりぷりと怒りながらもちゃんと続きを聞いてくる春乃。少なくとも、無視されるほど嫌われているわけではなさそうだ。
「おう、そうだった。サルノはなんの部活に入ったんだ?」
「人に部活を聞くときは自分からって先生に教わらなかったの? まったく、礼儀がなってないオカマね。ほんと、あんたはカマなんだから」
「カマと礼儀にどういう関係があるんだ?」
「うっさい! それで、あんたはなに部に入ったの?」
自分勝手な野郎だな。せっかく仲直りしてやろうと思ったのに、なんなんだよ。
「そうだな~。当ててみろよ」
「う~ん……、オカマ部?」
――真剣な表情っ!?
「それ、具体的になにをする部活なんだ?」
春乃の通ってた中学にはそんな奇怪な部活があったのだろうか。……あまり想像したくはないな。
「ヒントは甲子園を目指す部活だ!」
「それ答えじゃない」
冷ややかな視線と共に冷めた言葉を返された。……そうだったのか。『甲子園=放送部』というのはみんなの中では当たり前のことだったんだな。まったく知らなかった。危ねえ危ねえ、恥を掻くところだったぜ。
「やっぱりあんたはバカね」
――きゃっ、恥ずかしい!
どうせなら、もう少し早くに教えて欲しかったなぁ。
だが、次は春乃の番だ。
「俺のターン終了! 次はおまえのターンだ。ウへへッ、さあさあ、早くゲロっちまえよ! すぐに楽になるぜぇ!」
「絶対にイヤ」
さも当然のように拒絶された。――せっかく上げたこのテンションをどうすればいいと言うんだ! 不完全燃焼はストレスが溜まるんだぞ!
「カマオなんかに教えたくない」
「はぁ? 約束が違うじゃねえか! これじゃあ、俺だけがバカみたいだろうが!」
「あたし、言うなんて一っ言も言ってないわよ。あんたが勝手に自爆しただけじゃない」
「て、てめぇ!」
俺の怒りが爆発する。
いくら機嫌がよくても、もう限界だ。
やっぱり、コイツとは友達になれそうにない。人間とサルは仲良くなれない運命なんだ。
「ふんっ! まあいいさ。サルノがどこの部活に入ろうが俺にはまったく関係のないことだからな、勝手にしやがれってんだ」
それに知ろうと思えば、情報屋の宗次朗に聞けばすぐにわかることだしな。ふっ、持つべきものは友だぜ。……絶対、あいつだけは敵にまわしたくねえよな。
「……なによ、それ。感じ悪っ! ……カマオのくせに」
「勝手に言ってろ」
冷たく言い捨てて、体を前に戻す。
こうして、俺と春乃の不毛な争いは冷戦状態に突入した。
その日の放課後、先生に頼まれた用事のプリントを回収する仕事(出席番号が一番だと、この時期は雑用を頼まれやすいので困る)を済ませてから部室に向かった。
部室、それは放送室のことだ。
放送室、それは先輩とのあま~い空間のことだ。
このときをどれだけ待ちわびたことか。
俺は今日まで苦しい特訓(毎日、金属バットの素振り千本。走りこみ十キロメートル。姉との無意味な戦い約十秒。姉にアイスを買いに行かされることほぼ毎日。不良に絡まれること週八回以上)をこなしてきたんだ。もう、死にそうになっていたんだ。特に姉関係で。
それはすべて、くるるちゃんへの愛のため。
愛に生きる人と書いて『オレ』と読む。それほど俺は真剣なのだ!
――そして、今日、もうすぐ、この努力が報われる。
『きゃっ、勇雄くん、立派な選手になったね!』と駆け寄ってくるかわいい先輩。
『当然です。くるるちゃんの笑顔を見るためならなんでもしますよ』とクールにはにかむ俺。
『い、勇雄くん……かっこいい。勇雄くんのこと、お兄ちゃんって呼んでもいいかな?』とくりっとした目を潤ませながら上目遣いに俺を見るかわいい先輩。
『先輩がそう呼びたいならそう呼んでください。ちょうど、俺も先輩みたいな妹が欲しいと思っていたんです』とかっこよくクールにはにかむ俺。
『……お兄ちゃん』とかわいい小学生のような先輩。
『……妹よ』と白い歯を輝かせながらクールにはにかむ俺。
――か、完璧だっ!
あの殺人的なまでもかわいらしく幼い声で『お兄ちゃん』なんて呼ばれたら、俺は嬉しさのあまり昇天してしまうかもしれない。
あぁ、いいよなぁ、妹ってやつはよぉ。
……ん?
ちょっと待て、俺は先輩と付き合いたかったんじゃなかったっけ?
………………。
………………。
……まあ、いっか。
なにはともあれ、先輩と二人っきりなことに変わりはないのだ。
待っていてください先輩、今すぐ会いに行きますからね!
俺は走った。ラブラブ、ドキドキ、ウッホウホ……もとい、うっはうはの桃色学園生活に向かって走った。
部室に着き、数回ノックしてから、ガチャリ、と勢いよく分厚いドアを開ける。この前も見た大きな機材が置かれた部屋に入る、がそこには誰もいなかった。壁の一部だけガラスになっているところがあり、そこから先輩の姿が見えた。満面の笑みを浮かべてぴょんぴょん飛び跳ねながら俺に手を振ってくれている。――か、かわいいっ!
俺に向かってなにかを言っているのはわかったのだが、部屋が防音されているせいで先輩のかわいらしい声がよく聞こえない。
俺は急いで奥の部屋に通じるドアを開けると、
「――が前にも言ってた、もう一人の新入部員だよ!」
先輩の幼くて元気な声が聞こえてきた。
「こんにちはっ! くるるちゃん!」
挨拶をすると、四つの目が俺に向けられた。下を見ると靴が二足並んでいる。手前の部屋とは床が異なり、カーペットが敷かれた奥の部屋は靴を脱いで入らないといけない。俺も同じように靴を脱いで中に入った。そこはなかなか綺麗な部屋で、収録用(?)のマイクが隅にまとめられていて、真ん中には小さいテーブル、向かって右の壁の近くには教室にあるのと同じ机と、その上にノートパソコンが置かれていた。そして、テーブルを挟んで二人の人影が――
……ん? 四つの目? 靴が二つ? 二人の人影?
これはなんだろう。
これはなんだろう?
一人は間違いなく先輩だ。こんなに小さくてかわいらしい人間は先輩以外には存在しない。では、もう一人は誰だ? 先輩は誰に俺のことを説明していたんだ?
う~ん……。
見たことあるような気がする……というか、さっきまで近く、俺の後ろとかにいたような気がするんだけど、やっぱり気のせいだよなぁ。
――あ。
よく考えると、そうだった。
俺は先輩と二人っきりになるという第一の可能性しか考えていなかった。
が、もう一つ存在しうるのだ。
第二の可能性――俺以外の人間が放送部に入るかもしれない、という可能性を忘れていた。
そして、
「……あっ」
「……なっ」
見つめ合う二人。俺と先輩ではなく、俺ともう一人の人物だ。
――デジャビュ?
いわゆる、既視感というものだろうか。
どうしてっ! とか、なんでっ! とか、かわいっ! とか叫びそうになっていた。この女とは運命を感じる。……だが、こんな運命はまったくいらない。
先輩がニコニコしながら見つめ合う二人の間に入った。……笑えねえよ。こんなの。
怒りが沸々と湧き上がる。
「紹介するねっ! こっちが――」
「なんでカマオがここにいんのよ!」
「それはこっちのセリフだ! なんでサルノがここにいんだよ!」
二人で大声を上げて睨み合う。
そう、もう一人の人物というのは、メスザル=サルノこと、稲美春乃だった。
この女も入部したというのか? ……俺と先輩の邪魔をするというのか?
「えっと~、二人は知り合い同士だったのかな?」
「「……」」
先輩が苦笑しながら、そろ~っと俺と春乃の顔を窺っている。
最悪だ……。
俺はへたりと床に膝をついた。
なんで、いつもこうなんだ。
うまくいかない。
不幸の星に生まれてしまった俺に幸せはないと言うのか?
そんなことがあっていいのか?
……それにしても……なんでコイツなんだよ。
俺と春乃の間には真っ赤な血に染まった赤い糸でも繋がっているのだろうか?