第五章 『俺VS春乃』 5
先生の説教は予想以上に長く続き、文化祭が終わってもまだ終わらなかった。
「この学校の生徒だけならまだしも、外来者がいる中であのようなふしだらなことを校内放送を使って叫ぶなど言語道断、ありえません。普通なら死刑です。即刻打ち首です。来年以降に入るかもしれない中学生だって来ているんですよ? それがあのような破廉恥な放送を聞いて、『なぁ、今の放送ぱねえよな』『こんな恥ずかしい学校には来たくねえよな~』『マジ恥ずいぜ!』などと言って来なくなったら、あたなはどう責任を取るおつもりなんですか! 自分のしたことの重大さがわかっているんですか? アァン? ……で、あるからして……私の給料とかもだんだん減ってきているんですから。……最近、しわが増えて困っていて……」
てな感じで、ねちねちと続いた。
ちなみに、今のは校長(六〇歳・女性)である。老人が『ぱねえ』とか言うのはやめてもらいたい。思わず殴りたくなってしまう。
ぐだぐだと同じことばかりを言われ、最終的には世間話や愚痴などまで聞かされ(それだけストレスが溜まっているのだろう)、やっと解放された頃には五時を回っていた。すでに文化祭の片付けも終わっているだろう。
「まだ、やってるかな……」
へとへとになりながら、とりあえず部室へ向かった。
やっぱりというか、当然と言えば当然なのかもしれないが、放送室には誰もいなかった。最近ずっと遅くまで収録していたから休みにしたんだろう。俺も疲れてるしな。
見ると、部室の前には俺の鞄がぽつんと残されている。二人が待っていることを期待していた自分がいて、少しガッカリしてしまう。
一人で帰るのは久しぶりだな、なんて考えて、大きく溜息を吐いた。
「……春乃の奴、なんで帰ってんだよ」
なんだか気持ちまでぐったりしてきた。……もう、早く帰ろう。
下駄箱から靴を取り出して、また重たい息が漏れる。なんというか、胸にモヤモヤが溜まってきて、だんだん腹が立ってきた。
――いつも一緒に帰ってやってんのに、どうして今日は一人なんだよ……。あのサルオンナ、今度会ったらとっちめてやるからな。
そして、小さく呟く。
「……バカサルノ」
「バカはどっちよ。ったく、あんたにだけは言われたくないわ」
「えっ?」
声が聞こえた気がして、ふっと顔を上げる。と、そこには――――春乃だ。
偉そうに腕を組みながら春乃は俺を見下ろして微笑んでいた。
少し胸が熱くなった。
「なんなんだよ……」
嬉しいと思ってしまった自分にムカついて、思わず悪態を吐いていた。
なによ、と顔を背ける春乃が待っていてくれたことが、すごく嬉しかった。その姿を見ただけで気持ちが舞い上がりそうになっていた。
「くるるちゃんは?」
「どこかのバカが公開告白なんてするから、顔を真っ赤にして帰っちゃったわよ」
「あれは告白じゃねえ、全力の仕返しだ!」
「ふ~ん、そうなんだ~」
「そうなんだよ」
強がりを言ってみた。……でも、その言葉は嘘ではない。
少しかわいそうなことをしてしまったかもしれない、明日会ったら素直に謝ることにしよう。
今は、俺の目の前にいる、コイツだ。
どうして春乃が待っていてくれたのか。それが聞きたくて、気になって、胸が高鳴っている。
あんまり期待し過ぎないように心を静めて、一応、確認を取ることにした。
「おまえ、なにしてんの?」
「はぁ?」
あんたそれ本気で言ってんの? と心の底から呆れているといった様子で眉根を寄せていた。
それはつまり、期待通りでいいんだよな。
俺を待ってくれていたと受け取ってもいいんだよな。
胸が躍る。
――やっぱり、春乃は優しい奴だな。
自然と笑みがこぼれていた。それほどまでに嬉しくて、温かくて、優しかった。
「じゃあ、帰るか」
そう言って歩き始ると、グッと肩を掴まれて、
「あんた、良太をぶん殴るって言ったわよね?」
春乃に挑発的な目で見下ろされていた。
「もう準備はしてあるの。カマオにもついて来てもらうから」
「……どこに?」
「来ればわかるわ」
「嫌だとは……」
「言わせないわ」
春乃は不気味で恐ろしい薄笑いを浮かべていた。……いったいなんだと言うんだ。
そのまま引きずられるようにして俺は目的の場所へと連れて行かれた。
俺に拒否する権利はないらしい。
どうしてこんな場所を選んだのかはわからないが、とある道が目的の場所だった。
ただの道、今はまだ日が昇っていて明るいのではっきりとそこが見える。
まったくなにもない。左右に家が建っているだけで、それ以外にはなんにもなかった。強いて言うならば、道の際に小さな花が咲いていることぐらいだろうか。
だけど、ここには見覚えがある。というか、毎日俺と春乃が一緒に歩いている帰り道だ。
――もっと言うなら、昨日にあの男、ストーカーと出会った場所だ。
あえてここを選んだのは自分の行動範囲を知られないためだろうか。まあ、なんにしろ、俺にはどうでもいい話だ。俺は、男を殴るだけ……でいいんだよな。
なんにもない平凡な場所に着くと、すでにその男は待っていた。昨日と同じ全身を黒で包まれたような服装と頭を覆う深いフード。猫背とどこか危ない雰囲気を醸し出す男、まさしくあのストーカーだ。
俺と春乃は二人並んで、その男から少し離れたところで立ち止まった。
――コイツが春乃を苦しめている。
「それじゃあ、俺はコイツをぶん殴ればいいんだな?」
自転車を脇に止め、一歩を踏み出そうとしたところで止められた。
「違う違う! そうじゃなくて。……今日はあたしがちゃんと言うから。あんたは一緒にいるだけだから」
「そっか、じゃあ見てるぜ」
春乃がにっこりと笑顔を見せて、それがすぐに真剣な表情に変わった。強い足取りで、ずんずんと前に突き進む。少し肩を震わせながら、しっかりと男を見て、近づいていく。
そして、男の目の前に立った。
「良太、あの……」
「や、やあ、久しぶりだね、春乃。連絡、ありがとう。ずっと、君を待ってたよ」
男はすでに興奮しているようだ。――これが行き過ぎた愛情の形。
「君が誘ってくれないからずっと探してたんだよ。携帯も繋がらないし、壊れちゃったのかな? 携帯を変えたのならすぐに教えてくれればいいのに、もしかして、うっかり忘れてたのかな? 今日の電話も非通知設定になっていたよ。ほんとに春乃は――」
「ちょっと待って!」
男の言葉を遮って、春乃が大きな声を出した。
「今日は言いたいことがあって呼んだの。……だから、ちゃんと聞いて欲しいのよ! あたしのことが好きだったら、あたしの言うことを聞いて――」
「聞きたくない! 僕はそんな話を聞きたくないよ!」
男はヒステリーを起こして叫んでいた。それは怒りや苦痛が含まれた悲しい叫び声だった。
「僕は君のことが好きだ。君も僕のことが好き。だから、春乃は付き合ってくれたんだろ?」
「違う! それは違うの!」
「違わない! 君は僕の彼女なんだ。君は僕のことが好きじゃないといけないんだ! だから、ダメなところがあるなら遠慮なく言って欲しい。僕はちゃんと直して見せるから、そしたら全部うまくいくから!」
「待って、あたしの話を聞いて。……あたしは、」
「黙れ! 君は僕の彼女なんだ! 春乃は僕と付き合ってるんだ! 春乃は――」
「あたしは、」
――良太のことが嫌いになったのよ!
辺りが静けさに包まれる。
「……良太が……大嫌い」
もう一度、念を押すように呟く。
……やっと言った。少し直接的過ぎるかもしれないが、あんな男にはあれぐらいはっきり言わないと伝わらない。そうしないと、楽なほうへにげてしまうから、これは仕方がないこと。
それが、どんなに強い愛であっても、どんなに強い想いであっても、拒絶しなければならないことはある。
それは、相手のためにも、だ。
一生引きずってしまわないように、しっかりと絶ち切る必要があるのだ。
どこかで間違えてしまった人間はどこかで道を正す必要があるのだ。
――それは、人間にはどうすることもできない、決められた不幸な運命のようなもの。
その運命は変えられない。変えてはならない。
つらくても、こればっかりは受け入れるしかないんだ。
……もしかしたら、この男もかわいそうな被害者なのかもしれない。
一人の人間を愛してしまったせいで、化け物になってしまったのかもしれない。
彼女を失うのが怖い。
その恐怖が化け物を生み出して、男を変えてしまったのだろうか。
「……」
男は力なく突っ立っていた。
俯いたまま、ふるふると全身を震わせてなにかを呟いていた。――どこか危ない気がする。
心配してゆっくりと近づくと、その弱々しい声は俺に向けられた。
「……れは……のおとこが……いのかな?」
小さすぎてよく聞こえない。俺はもう少し近づいて、春乃のすぐ隣に立った。
「違う、そんなんじゃない!」
春乃の声はもう男に届かなかった。
「……その男が春乃を騙しているのかな? その男に脅されてるんだろ? ぼくはわかるよ。君はその男に操られてそんなことを言ってるんだ。かわいそうに、かわいそうに、かわいそうに……。僕が、退治してあげるよ! そんな恐ろしい化け物、僕が壊してあげるよ!」
泣き叫び、男は気が狂ったように俺に突っ込んできた。その手になにかを持っているのが見えて、春乃の反対方向へと跳んで回避した。
よく見ると、それは尖っていて、鈍く光っている。
――あれは……ナイフ?
男は体勢を崩しながら止まり、すぐに向きを変えて俺に飛び掛ってきた。
「勇雄!」
「……んっ」
軽く体をひねって振り下ろされたナイフを軽くかわす。この男は明らかに素人の動きをしていた。――俺と違って、喧嘩慣れしていないことがはっきりとわかった。
ずっと、不良だと思って手を出せなかったが、この男は不良ではなくただのストーカーだ。……それなら、俺が攻撃するのを躊躇する理由はどこにもない。
まったく問題ない。
今まで様々な不良と戦ってきた俺にとって、目の前にいる男は武器を持っていようがまったく関係がないほどに――弱いのだ。
不良レベル一。もしくは、それ以下。
――要するに、ただのザコだ。
再び、男が飛び掛ってくる。
それは、避ける必要がないほどに弱すぎた。
ナイフを振り下ろす前に男の懐へと潜り込み、握った拳を天に向かって突き上げる。右手が男の顎に直撃し、その振動が脳まで伝わる。
「ぐぁっ」
鈍い音を立てて男が宙に浮き、重力によって地面に叩きつけられた。それでもまだ、体が少し動いている。なんとか意識はあるようだった。……まあ、そうなるようにしたんだけど。
「俺とおまえじゃ、力に差がありすぎる。……もう、やめとけ」
男に向かって吐き捨てるように言った。基本的に俺は暴力が嫌いだ。不良のようなマネをするのは嫌いだ。あんなのと同類にされたくない。――だから、圧倒的な力の差を見せ付けて男を倒したのだ。
「……あの、良太。勇雄は――」
「おまえは黙ってろ」
言いかけた春乃を制止して、俺は倒れた男を見下ろしながらきつく睨み、
「春乃はおまえのもんじゃねえ」
もう二度と春乃に近寄らないように、精一杯演技して、放送部で練習した響く声を使って男を脅すように言った。
「春乃は俺のもんだ! なにか文句があるなら俺に言え。もし……これ以上春乃に近づくなら、俺はおまえをぶっ潰す」
自分でも震えてしまうようなドスの利いた低い声で。
あまりこういうことを言うのは得意じゃなかったけど、ラジオドラマの制作でも見せなかったような完璧な演技をすることができた。
それだけ言葉に気持ちを入れることができた。
「行くぞ、春乃」
「う、うん」
俺は乱暴に春乃の手を引いて、倒れたまま震える男を見もせずに、急いでその場所を後にした。