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第五章 『俺VS春乃』 3

 それからの俺たちはものすごく遊び回った。

 展示品を見て感想を言い合ったり、自分のクラスの喫茶店に行ってお菓子を食べたり、「また男ばっかり見てる、カマオの変態!」と罵られたり、きゃあきゃあ言いながらバカみたいに二人で笑い合ったりしていた。

 気を遣ったり、無理をしたりしていない。そうしているのが本当に楽しかった。

 波長が合っている……というか、よくわからないけど、春乃といると落ち着く。不良なんて気にならないほどにはしゃいでいた。

 俺だけでなく、多分、春乃も同じ気持ちでいてくれたと思う。

 だから、こんなにも楽しかったんだと思う。

 これで春乃が俺に惚れるなら簡単なんだけど、まだ名前を呼んではくれなかった。恋を教えるのって難しい。春乃との勝負はまだまだ続きそうだ。

 幸せな時間だけは別の速さで流れているんじゃないかと疑うほどに時間が速く過ぎる。遊び疲れるなんてことはなく、昼になるまで全力で遊び尽くした。

 今思うとフリートークのことをまったく考えてなかったな~、なんてことは些細なことだ。

 生放送ぐらいどうにでもなる。――いざとなれば先輩の素晴らしさを皆に伝えればいいだけなんだから。

 放送室に戻ると先輩はすでに起きていて、ぼんやりした顔でちょこんと座っていた。

「くるる先輩、ただいま~」

「おはようございます、くるるちゃん!」

「あっ、二人とも~、おっ帰りぃ~~っ! 文化祭、楽しんできたぁ?」

 寝起きにもかかわらず、先輩は妙にハイテンションだ。

「はい! すっごく楽しみましたよ!」

「ならよかったよ! いい思い出ができたみたいだね! ……でも、ここからは地獄だよ」

 あれ? 最後にすごいことを呟いたような……。

「えっ? ……今なんと?」

「いや~、よかったよかった! 文化祭でいい思い出ができるなんて、幸せだねぇ~」

「……そう、なんですか?」

 どうやら先輩は俺の質問を聞く気がないようだ。――なんだ、反抗期か?

 俺と春乃はお弁当を食べるためにそれぞれの鞄の前に座って、鞄の中を捜索する。

 文化祭というのは楽しい思い出ができるところだと思っていたんだが……違ったらしい。先輩は文化祭に嫌な思い出でもあるのだろうか。

「じゃあ、わたしはこれで行くから、二人はラジオドラマとフリートーク、よろしくね!」

 と、さも当然のように放送室から出て行こうとする先輩の小さい手首をがっしりと掴む。

「……くるるちゃんはどこに行くんですか? まさかとは思いますが、俺たちが生放送をしている間、先輩がそばにいないなんてことは言いませんよね?」

「えへへ~」

 先輩はにこにこと微笑んでいた。まるで小学校低学年のような童顔で、無邪気に笑っていた。

 そうだよな、さすがにそこまでは求められないよな。だって、俺ら一年だし……。

「わたしは体育館の仕事があるから~。――二人なら大丈夫! わたしは過信してるからね!」

 小学生並みに頭の悪い先輩だった。

「だから、俺らはザコなんですって!」

「誰がザコなのよ! カマオと一緒にしないで!」

「いや、だから、おまえもめんどくせえよ!」

「隙あり! ていやぁ~っ!」

「ぐふぉ」

 先輩の尻アタックを顔面に食らって、思わず小さな手を放してしまった。……ってか、先輩、大胆だなぁ。精神的にも小学生並みかよ。

 ――これは……かわいずぎるぜ。

 えっへっへ~、まいったか~、と言ってちょこちょこと走って出て行く先輩を眺めながら、俺はとっても幸せな気分を満喫していた。

 顔面がぐにゃぐにゃになるほどニヤけてしまい、気持ち悪い、とまた春乃に罵られる。

 女って生き物は、かわいいものを愛でる心を知らないのか、ったく困ったもんだぜ。

「とりあえず、お昼ごはん食べよ。あたし、お腹減っちゃった」

「そうだな、模擬店であんなに色々食ってたのにな」

「う、うっさい!」

 そんないつも通りな感じでお昼ご飯を食べ始め、だらだらしゃべりながら食べ終わり、しばらくしてから俺たちは廊下側の部屋に移った。そして、先輩が言っていた通り地獄の時間が始まった。

 その地獄の名前は『レオナルドの恋――あま~いラブはエクスタシー』(たっぷり死にたいときにオススメの長時間、二十分コース)だ。

「うがぁぁぁぁ……」

「はわぁぁぁぁ……」

 驚いた。

 内容もアレだが、自分が演じているラジオドラマを聴くのは思っていた以上に恥ずかしかった。なぜに棒読み!? 俺ってこんなに演技下手だったのか! ……と、死にたくなった。

 それは春乃も同じようで、俯いたまま顔を真っ赤にして唸っている。

「やめてぇ~、もう誰も聞かないでぇ~」などと言って恥ずかしがっている。その様子は少しかわいかったから、少し得した気分には なったんだけど、それにしても恥ずかしい。

 ……多分、先輩はこのことを知っていたからラジオドラマを俺たちに押し付けて、放送が流れていない体育館へ逃げたんじゃないかと思う。――まったく子どもみたいな先輩だな。いや、妹だから子どもなのか。妹が悪戯をしたら兄はお仕置きをしないといけないよなぁ。

 ――当然だよなぁ。

 くっくっく、と小さく笑っていると、よくこれ聞いて笑ってられるわね、とほとんど半泣き状態の春乃が睨んできた。やっぱり、ちょっとかわいい。

 それから二十分間、春乃が何度もボリュームを下げようとするのを必死に阻止しながらラジオドラマは盛り上がらないクライマックス、理解不能なエンディングを迎えた。

 聞き終えた感想はやはり、

「うん、やっぱり意味わからん」

 だった。演じていてわからないのだから、聞いてわかるはずがないのだ。

「……つい勢いでやっちゃいました。……すみません。もうしません」

 と、春乃は誰かに向かって謝っていた。おまえはどんな罪を犯したんだ?

 朝から少し時間がたった。

 この後は仕事しか残っていない。

 ここで、ずっと気になっていたあのことを聞いてみた。

「……あのさ、昨日のこと、もう教えてくれてもいいんじゃないか?」

 春乃は俯いて、なにも答えない。

 ――どうせ、この後も地獄が続くんだし、もう聞いてもいいだろう。

 そう思ったから春乃に尋ねた。……決して、決して、決して、校内生放送ラジオをするのが嫌だったというわけでは、決して、ないんだ。春乃の気持ちを考えると、この辺で聞いておいた方がいいかな~、という俺の温かい優しさであって、決して、曲がった思考、マイナスな考えによるものではないことだけは理解してもらいたい。

 と、自分自身に言いわけをしていると、

「……わかった。……生放送嫌だし……言う」

 頷いた。本音が漏れていた気がするが、気にしない。

 そして、無音。

 部屋の外は騒がしいはずなのに、この部屋だけは音がなかった。

 そのまま数分間、春乃はずっと黙っていた。俯いて、なにかを考えているようにも、心の準備をしているようにも見えた。

 だから、俺は待つことにしよう。春乃がちゃんと話してくれるのをじっと待とう。

 そう思った。

 ……どれくらいの時間がたったかはわからないが、黙ってから長時間がたった頃、

「実はね……」

 と、

「……あたし、あの男に付きまとわれてるのよ」

 ぼそりとそんなことを言い出した。

「……だからね、昨日のあいつは、良太りょうたは……あたしのストーカーなの」

「ストーカーって……」

 続きが出てこなかった。こういうとき、なんと言っていいのかまったくわからないのだ。

 昨日のあの男がストーカー?

 全然理解できなかった。

 ――どうして、ストーカーなんて……、それに、どうしてそいつの名前を知ってんだ……?

 次々と疑問が生まれていく。だけど、どれも言葉にならなかった。

 もしかしたらそれを言うことによって春乃が傷つくかもしれない。そう思うと、なにも聞けなくなってしまった。

 困惑している俺を見て、つらそうな顔で春乃が笑う。

「カマオは気にしなくてもいいよ。……あたしが全部悪いんだし」

「そんなことねえよ! おまえはなにも――」

「ううん、違う。あたしがちゃんと言わないのが悪いのよ。……ちゃんと言えないから、こんなことになってるのよ」

 そう言って、また無理に笑っていた。

 もうすべてを諦めてしまったような、すべてを受け入れてしまったような、そんな表情をしていた。悲痛な面持ちを無理に隠しているような表情をしていた。

 顔を背けそうになるのを必死で堪えながら、春乃の声に耳を傾ける。

「良太は……あたしの元彼なの」

「えっ!」

 その言葉に驚愕してしまった。

 元彼……と春乃は言った。

 それはつまり、恋愛をしたことがある、と。

 俺なんかよりも、もっと、ずっと、恋愛を知った上で、それを無駄なものと言っていた、と。

 ――わけわかんねえ。

 頭の中がぐるぐると回っている。

「良太はいつも真剣だった。何度も何度もあたしに告白してきた。――それで、好きでもないのに、いいよって言っちゃって……あたしはすぐに後悔した。……彼は、彼はおかしかったの。あたしには重すぎたの。……重くて、しんどくて、つらくなった。だから、あたしは別れようとしたけど、彼は認めてくれなかった。『嫌だ』って言ってきたの」

「……」

 違った。――春乃は本当の恋を知らないんだろう。

「それ以上なにも言えなかった。別れたくても別れられなくなった。……それで、引越しして、あたしの家が知られないように彼から隠れて帰るようにした。そうやってずっと彼から逃げてきた。でも、彼はずっと付いてきて……あの日も、あたしは家に帰られなかったの」

 あの日、というのは春乃と最初に出会った日のことだろう。

 だから、あんな夜遅くに女の子が一人で出歩いていたんだとわかった。――付きまとうストーカーから逃げるために。

「……あのときね、あたし、本当に嬉しかったの。……だけど、弱くなっちゃダメたって思った。あたしがはっきり言わないのが悪いのに、人に頼っちゃいけないと思って、あんなことしちゃって、カマオに迷惑かけて……」

 とうとう春乃は泣き出した。

 心が痛む。

 それはなんの涙だろう。ストーカーへの恐怖? それとも、俺への申し訳なさ?

 違う……と思う。

 なにも言えない自分が悔しいんだと、俺はそう思った。

 はっきりと言えない自分が悪いと信じ込んで、自分を責め続けているんだと思った。

 ――本当に春乃が悪いのだろうか。

 なにも言えなかったのは、言ったら傷つくと思って、相手を気遣っているからじゃないだろうか。

 それが春乃の優しさだったんじゃないだろうか。

「……悪いのはおまえじゃない」

 思わず、口から声が漏れていた。

 ――春乃は悪くない。悪いのは春乃の優しさに気づくことができなかったその男の方だ。

 それなのに、春乃は今も気遣って、自分が悪いと思い込んでいる。そうすることで、相手を正当化しようとしている。……確かに、好きでもないのに付き合ったのはどうかと思うが、それも春乃の優しさだ。

 俺は知っている。――コイツはすごく優しい奴なんだ。

 それに気づかなかった男のことなんて、気にする必要はない。

 なによりも、ソイツに腹が立つ。これだけ春乃を傷つけたのなら、そんな奴、傷つけたっていいじゃないか。

「……言ってやれよ」

 低く、強く、声を出した。

「そのバカなストーカー野郎に、『おまえなんて大っ嫌いだから近寄るな』って言ってやればいいんだ」

「そんなこと……怖くて言えるわけないでしょ!」

「言えるさ」

「えっ……」

 春乃は潤んだ目を見開いていた。

「好きでもないのに、付き合うって言えたんだ。だったら、嫌いな相手に大嫌いって言うくらい容易いもんだろ?」

「でも、言えないよ……」

 かすかな呟き。

 俺は一度、ふっと息を吐き、気持ちを整えてゆっくりと言った。

「言葉なんて、口に出せば簡単に届く。言ってしまえばすぐに終わる。……それが、いいことであろうが、悪いことであろうが、関係なく、簡単に届いてしまう」

「…………」

 じっと俺の目を見つめたまま、春乃は黙ってしまった。

 相手を傷つけるのが怖い、後から仕返しされるのが怖い。春乃はそんな怖さに怯えている。

 ――俺には、なにができる?

 頭を働かせる。

 俺は……。

 俺は、その恐怖を少しでも取り除いてやりたくて、

「じゃあ、見せてやるよ。どんなときでも、どんな状況でも、気持ちを届けることが簡単だってことをな」

 にっと歯を見せて笑った。――ちょうどいい、ついでにお仕置きも一緒にやってしまおう。それにいい加減、オカマと思われるのも嫌だしな。

 ぽかんとしている春乃を尻目に、俺は目の前にある巨大な放送機材のスイッチを押した。

 少々キザな台詞を言ってしまったな、やっぱりラジオドラマの影響が残ってるのかな~、と少し恥ずかしくもなったが、これからもっと恥ずかしいことを言うんだから、そんなことを気にしていられない。

 よしっ! ビシッとやるか!

「伊丹勇雄、一世一代のショーが始まるぜ!」

 俺は大きく深呼吸をしてから、気合を入れてマイクに向かった。

 ――ここから本当の地獄、否、最高の地獄が始まる。

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