第一章 『天才VS不良』
今は午後七時過ぎ。
このぐらいの時刻になると、あたりは真っ暗。――ついでに俺の未来も真っ暗だ。
「いつも通り最悪だ……」
沈んだ気持ちでとぼとぼと家に向かいながら、大きく重い息を吐いていた。
ちょうど一時間前までは『明日から俺は高校生! ドキドキでウハウハのラブロマンスが待ってるぜ!』と、テンションマックス、ノリノリ気分だったはずなのに……今はどうだ? さっきも言ったが、最悪だ。いつも通り、最悪だ。
……多分、浮かれていたんだろう。
桃色学園生活が楽しみすぎて、油断してしまったんだ。
気が抜けてしまって、うっかりして……食べたんだ。――無意識のうちに姉のアイス(たったの百円)を食べてしまったんだ。
これが姉のものだと気づいたのはそのアイス半分以上が腹に収まった後のことだった。
「やべえ……」
これは非常にマズイ。慌てた俺は証拠隠滅を図ろうとアイスの袋をゴミ箱の奥のほうに隠すようにして捨て、早急に同じアイスを買いに行こうとした矢先に姉、メスゴリラが帰ってきた。当然……俺、死にました。
口を開けたまま、真っ青な顔をして震えている俺を見て、察しのいい姉は俺を捕らえてこう言った。
『駅前のコンビニでしか売っていない○○アイス(なんと定価で二八四円。まあ、なんて高いの!)を買って来い。……今すぐにな!』
ひえ~、と飛び上がっていた。なぜ、あえて駅前のコンビニ(奴らの出現率大)をチョイスするんだ! しかも、食べたのよりも値段が上がってるんだけど!
まあ、確かに今回だけは俺が悪い……のかはわからないが、自分に非があることは認めよう。
そう思って三百円を握り締め(不良に奪われるので必要最低限しか持たないことにしている)、家を出たのが七時前。コンビニで馴染みのおばちゃんからアイスを買ったのがぴったり七時、――そして少し前、金髪、ピアス、ギャル、の三人組との運命の出会い……。
先制攻撃で俺のターン、能力、不良レベル測定の目を発動!
ピ、ピ、ピキンッ!
見切ったぁ! ギャルはレベル一の最弱――問題外。後の二人は腰パンをしているからそこまで強いということはないだろう。なぜかって? 腰パンをしていると、突然誰かに襲われるようなときに本気の蹴りをすることができないからな。つまり、ぬくぬくと生活をしていることが容易に想像できるのだ。
だが、金髪はいい感じに筋肉がついている。それに二人ともまだ若く、見た感じ不良の仲間が多そうなタイプだ。なので、金髪がレベル三(一対一なら勝てるだろう)で、ピアスがレベル二(武器を持っていても戦える)ぐらいだろう。ここは絡まれる前に逃げ――
「よう坊ちゃん、俺らに金貸してくれねえか?」と金髪。
「アァン?」とピアス。
――られなかったよ! 一瞬にして夢も希望も消え去ったよ!
どうしようか……ってどうもできないよな。奴らの特殊能力『お礼参り』の餌食になるよりはさっさと渡した方がいいだろう。だって、今の俺はアイスのお釣り、十六円しか持っていないんだからな! ふっはっはっはっは~い! 俺を舐めるな! ざま~見ろコノヤローッ!
ぴょーん、ぴょーん、と飛び跳ねて金がないアピールをした。――今の俺、輝いてるぅ!
「んだよ、金持ってねえのかよ……」
そうだそうだ。早く諦めてうせろバカチンがぁ!
「ケッ、つまんね~」
こっちには、おまえを面白がらせるつもりなんてまったくないわ! だから早く消えろ!
「あれ~っ? そのアイス、チョーうまいのじゃね?」
……え?
な、なんだよギャルの癖に……。こ、これは売り物じゃないんだ……ぞ。
「ユウチャン欲しいか?」
欲しいってドウイウコト? 俺にはさっぱりわからないんだけど……。
「マジ? 欲しいカモ~ッ!」
いや、マジじゃねえよ。これがなくなると俺は姉に殴られんだよ……って、ちょっと待ってくれよ! 「そうか~、俺らにくれるのか~」って言ってねえよ! そんなこと一言も……だから、持ってかないで~。
イヤァァァァ~ン!
夜の街に俺のむなしくいやらしい叫び声が響いた。
……と、ここで初めの呟きに戻ってくる。なぁ、最悪だろ?
もう一度、深く溜息を吐いた。
「これだから不良ってのは嫌いなんだ。集まらないとなにもできないくせして威張りやがって。俺がまともに戦えば、おまえらなんて瞬殺なんだからな」
夜道を歩きながら、誰にも聞こえないほど小さな声でぶつぶつと悪態をついた。
だが、これはただの強がりではなく、実際に俺は喧嘩が強い。昔、半年だけ柔道を習っていたこともあって大抵の人間(注意、ゴリラは含まれない)には負けることがないんだが、やはり、二対一は正直キツイ。それに『お礼参り』のことを考えると不良と戦う気すら起きない。よって、敵前逃亡が理想だった。
「あ~あ~、この後、俺はどうなるんだろうな~」
帰ってからのことをシュミレーションしてみた。
「ただいま!」明るく姉に挨拶をする。
「アイス買ってきた?」と元気に迎えてくれる(俺ではなく、アイスを)姉。
「いや~、コンビニのアイスが売り切れてゴボェ……」右ストレート――俺、死亡。
……何度考えてもこれと同じだった。
ダメだ。不良には殴られなかったけど姉に殴られるのは確実だ。明日は入学式だっていうのに、登校初日に顔面を真っ赤に腫らして登校しないといけないなんて不幸すぎる!
痛々しい顔面で明るく自己紹介をする自分の姿を想像して、ぶるっと身震いしてしまう。
恐ろしい、俺のバラ色人生はどこへ行ってしまったんだ……。俺は一生、彼女いない歴=年齢の人生を歩まなければいけないというのか! そんなのって、そんなのってあんまりじゃないかっ! 恋ぐらいしてえよ! イチャイチャさせてくれよ!
悲しい俺の願いだった。
――もう不良になんて二度と会いたくねえ! 絶対に出会わないようにしてくれ!
そう心の中で念じる。
本気で祈れば、神様にも願いは届くはずだ。
「……い、いいだろ? ……なあ?」
「や、やめてよ! だ、だめ……」
「おう……」
……その神様はとんでもなく意地悪なのかもしれない。
目の前の暗い夜道には、息を荒らした不良らしき男と、それに襲われて怯えている少女がいた。……って、なにしてんの? まったく、俺は悲しみに沈んでいるというのに、こんなところでイチャイチャしないで欲しいな~。
これだから最近の若い子は、恥を知れってんだよ。
「……な、なあ、頼むからさ!」
「ご、ごめん、なさい! あ、あたしっ……」
「……はぁ」
――バカなことを考えてる場合ではなさそうだな。
「なんなんだよ……いったい」
俺は立ち止まってその様子を見ていた。早く助けないと、とは思いつつも動かずにいた。だれかれかまわず戦いに行くのは勇気ではなく無謀なバカのすることだ。こういうときは冷静な判断が求められる。――今まで数々の不良に絡まれた俺だからこそ冷静になることができた。
――まずは落ち着け、俺。とりあえず、男の不良レベルは……弱そうだな。背は高いが筋肉がまったくついていない。しかも、かなりの興奮状態と見た。アイツなら簡単に倒せそうだ。――が、あんな感じの気が狂ったようなタイプはナイフなどの武器を持っている可能性があるし、もしかしたら、仲間がいる可能性も捨てきれない。でも、助けないと……どうすれば。
頭の中でぐるぐる試行錯誤を重ねている間も少女は悲鳴をあげている。
――柔道の先生でさえ不良に絡まれたら真っ先に逃げろと言っていた。……だけど、俺には女の子が襲われているのを見て見ぬフリをすることなんてできない! じゃあ……俺はどうすればいいんだ。俺にはなにもできないのか? 今まで不良に襲われ続けた経験はまったく役に立たないって言うのかよ! 早く不良に絡まれたときに有効な手段を探すんだ!
俺は必死に考えた。頭の中には不良に関する知識がかなりある。それをどうにか駆使して助ける方法を頭をひねって探し続ける。
――ついに、
「これだ!」
不良に対して最も有効な手段が見つかった。これならリスクも少ないし確実にいけるはず!
「ゴホン。あ、あ~、あ~、あぁ~、うぅん。ゴホ、あ~、あぁん、うふぅ~ん」
喉の調子を整える。大丈夫、いい感じの声になってきた。
完璧な作戦通りに、足を内股にし、走るときは手を左右に振って、いつもより声を高くする。これも少女を助けるためだ。
――いざ、出陣よぉん!
体はその状態のまま、俺は少女のもとへと駆けて行った。
「いや~ん! キョウコちゃんじゃな~い!」
オネエ言葉で声をかけ、きゃぴきゃぴしながら少女の手を両手で包み込む。
――これぞ、名付けて『オカマ大作戦!』だ。少し前に、オカマの真似をすれば不良が気持ち悪がって逃げていくとテレビでやっていたんだ。ふっふっふ、我ながら完璧なアイデアだぜ。俺って天才じゃね?
どうでもいいが、慌てていたのでキョウコという姉の名前を使ってしまった。こんなことが姉にバレたら確実に殺されてしまう。瞬殺だ。
見ると男は完全に引きつった顔を浮かべている。俺はそのままオカマの真似を続けた。
「やだ~、キョウコちゃんなあに、この人? いい、お、と、こ、ねっ! ウホッ☆」
おまけにぱちりとウィンクまでサービスする。
……言ってる自分が気持ち悪くなってきた。だが、効果は絶大だ。男の顔が見るからに青ざめていっている。もう一押しというところだ。
ここで最後の必殺技!
「いいケツねぇん!」
と言いながら、右手で男の尻にソフトタッチ! 柔らかい感触が……気持ち悪い。
――決まった!
「ひ、ひやぁぁぁ~」
情けない声をあげながら男は走って逃げて行った。
ふっ、あっけないな。俺にかかればこんなもの、一瞬で片付くぜ。
右手に残った感触を忘れるため、右手を大きく振り回す。気持ち悪い……癖になりそうだ。
「……うっ……」
隣で手を掴んだままの少女が小さく声を上げた。その少女の顔を見て――息を呑む。
――かわいい。それもとてつもなく綺麗な顔立ちをしている。
指先から感じる、暗がりの中でもまるで光を放っているかのように白い肌はとても柔らかくぷにぷにしている。闇より黒い、さらさらロングストレートの髪。俯きながら少し怯えたその表情は魅惑的。
まさに美少女だった。これなら行き過ぎたナンパをされるのも納得だ。
……ただ一つ残念なことに俺より少し背が高い。……まあ、俺が低すぎるのが悪いんだけど。
自分が内股のままでいることも忘れてぼんやりと少女を見つめていると、不安げな瞳が俺に向けられた。
輝く大きな目に映るのは俺だけ。
かわいい少女に上目遣いに(実際は見下ろす形で)見つめられている。
まっすぐに、じっくりと、見られている。
「はっ!」
そのとき、俺はとんでもない事実に気づいてしまった。……それは……それは、
――この少女は俺に惚れてしまったんだ!
やっちまったぜ。
ふっ、とかっこよく小さく笑った(つもりだが、その間も俺は内股のまま)。
――かっこいい男に助けられて胸キュンなんて、ベタな展開だなぁ。今回だけは不良に感謝してやるぜ。……ま、まさか、今まで不良に襲われていたのはこの日のためだったんじゃないのか? 神様って奴は面白いことしやがるぜ! ったくよ~。
現実を受け止めていると、自然と顔がニヤけてきた。
――高校デビュー前に女の子を落としちまうなんて、まったく、俺って奴は罪な男だなぁ。俺にも春が来たってことか。――いいだろう。その愛をすべて受け止めてやろうじゃないか!
「……うぅ……」
少女の目に涙が溜まり、月の光でキラキラと輝いていた。
――泣くのか? まあ、怖かったのなら仕方がないだろう。俺の胸を存分に使ってくれてかまわないんだぜ。さあ、俺の胸に飛び込んでこいよ! さあ!
そんなことを思って、俺は少女に向かって大きく手を広げた(が、このときも内股)。
俺の想像は完璧なはずだった。
しかし、飛び込んできたのは少女の体ではなく、ビンタが、右の頬に、だった。
「誰と勘違いしてるか知らないけど、あんたキモイのよ! ……この、オカマ野郎!」
パチンッ、と乾いた音が闇夜を突き抜ける。
「あぁ~んっ!」
思わずオカマっぽい悲鳴を上げてしまう。
思考停止。
俺はひりひり痛む右頬を手で押さえながら、走り去る少女の背中をぼおっと眺めることしかできなかった。
「……」
あまりの衝撃に言葉を失ってしまった。――なぜ、どうして、さっぱりわからない。
しばらく、呆然と立ち尽くして、
「……帰ろ……」
再び、ゆっくりと歩き始めた。
――不良なんて……地球上で最も必要のない生き物だ。……爆発してしまえばいいのに。
心の中でそっと恨む。
やはり、俺には桃色学園生活もバラ色人生も待っていないようだった。
その後、家についてから姉に左頬を殴られたのは言うまでもない。
入学前日に左右の頬を叩かれたり殴られたりって……もう意味わかんねえよ。
「……最悪だ」
姉の前で床に顔面を付けながら(誠心誠意を込めての土下座のポーズ)、俺はぼそりと呟いた。
なんだろう、この胸騒ぎ。――なんだか、俺の高校生活は波乱の予感がするぜ。